秋の文化祭スペシャル短編集

フルリ

第1話 初めてのデート編:禊禧祭&小野寺翼

 待ち合わせの十五分前に着くのが俺のセオリーだ。今日もそのセオリーに従って、八時十五分に小野寺おのでらつばさの家に着いた。

 俺は禊禧けいきまつり禊禧けいきが上の名前でまつりが下の名前。中学二年生。それからつばさは俺の幼馴染。今は俺の恋人でもある。(←ここ注目!)その辺りの事情の説明は割愛するが、少し前からそういうことになっている。

 そして今日は、その恋人と近くの(まあまあ近い)高校——県立岬ヶ丘けんりつみさきがおかの文化祭に行くのである。地方最大級の文化祭を行うことでも知られており、非常に楽しみな次第である。


 インターホンを鳴らす。


「はい」

 無感情な声が帰って来る。この声は母親だな。


「翼を呼んでください」

 昔はあの人とも仲が良かったんだが。まあ人生そんなものだ。


 しかし、十一月の空気というのは冷たい。これから翼に会うと思えばそんな寒さは大したことがない訳だが、それにしても頬がやや乾いてきた。


「祭君」

 頭上から降ってきた声に、埋めていたコートの襟から顔を上げると、きぬがささんがこちらを見ていた。百七十三、という男子校である我が中学校でもトップクラスの長身を誇るこの俺の、遥か上から目を合わせてくる。やや身長が低めである翼と並ぶと、まるで巨人と小人だ。


「何か失礼なことを考えているでしょう、君」

「滅相もない」

「翼はね、服選びに困窮しているようなんだ。もう少しだけ待ってくれないか」

「俺が断るわけがないでしょう」


 それは良かった、なんて言って微笑んだこの人は、実は凄腕のハッカーでもある。その職業故に、一日家にいることが多く、翼本人にはニートだと思われているらしい。少々可哀想でもある。


「やっぱり失礼なことを考えているだろう。岬ヶ丘の学校のマザーにアクセスしてあげたのに」

「すみません。翳さんの職業について考えていました」

「だろうね、そんなところだろうと思った」


 目の前で首を振るこの人は、翼の実兄である。

 小野寺おのでらきぬがさ、もと市立霧園中学校第六十七代、および市立霧園高校第八十代生徒会長。学年総合最低順位は1位、同時に最高順位も1位。この人は俺なんかよりもはるかに立派な人間だ。ただ一つ欠点を挙げるとすれば、それはまあ彼がシスコンだということに尽きるんだろう。


 翳さんは翼にメロメロだ。俺と同じく。


「そういう意味で言うと、翼はもしや、魔性の女的な意味合いになってしまうのかな。僕と祭君、二人も誑かしているわけだから。それも際限なく、まるで底なし沼のように」

「そうかもしれませんね」


 頭の中を覗かれているんじゃないか、というような会話。諸君、覚えておけ。天才とする会話はこういうものだ。


「翼は随分俺のことを買いかぶっていますが、俺はそこまで天才でもないんですよ」

「何を言っているんだい?」

「天才って、何だと思います?」

「いや、そうじゃなくて、だ。天才が何かとか、そういうことじゃないだろ」

「はい?」

「翼が、僕らに天才であることを望んだのなら、彼女が少しでも、僕らが天才であると思ったのなら、僕らはその期待に応える必要がある。頭でっかちなことを考えるのは、それからだ」


 おそらく史上もっとも高ポテンシャルなシスコン。

 それがこの人、小野寺翳の正体だ。


 まあしかし、俺でも翼でもない人についてあれこれとやかく語っても仕方あるまい。

 そう、今日はデートだ。

 デート。

 昨今の日本で男女交際の基本のきとなる行為である。この第一歩を踏み外せば、未来は見えない。


 ——そんな風に俺がこのことを重くとらえるのも、翼にとっては不本意なのだろう。やや悲しいが、翼がそう思うのなら仕方ない。受け入れる所存だ。

 翳さんの引っ込んだ玄関ドアの方に目を遣る。やや厚手のコートを着込んでいるとはいえ、十一月上旬(下旬)の朝というのは冷え込む。


「ごめん。待ったかな」


 待った、なんて軽口を叩こうとしていた口を止めて目を釘付けにする。


 首元には赤いマフラー——これは昔もつけていた——、襟元に白いファーのついた丈の短いダッフルコート。その裾から見える赤いチェックのミニスカート。スカートの裾から伸びた黒いタイツの足。


「何じろじろ見てんの? 穴でも開いてる?」


 いや、いやいやいや。


 嘘だろ?


 ちょーかわいいんだけど?


 俺の彼女可愛すぎじゃない? いや彼女というのには語弊があるんだけどそれでも可愛くない? えもう彼女ってだけで嬉しいんだけどこいつがこれから隣で歩いてくれんの可愛すぎじゃない? よくわかんないけど可愛くない? 待って数年ぶりに私服みたからなんかすごい新鮮可愛い可愛い可愛い——


「ねえってば」


 翼が階段を降りて俺の前まで来たところで我に返る。


「じゃあ、祭君。頼んだよ」


 そんな風に翳さんが頭を下げて。


「行ってきます、お兄ちゃん」

「うん、行ってらっしゃい」


 そんな微笑ましいやり取りが交わされた後で。再び翼が俺を見上げる。


「大丈夫? 具合でも悪い?」


 心配してくれているのは悪いが病状というか病原体は翼だ。

 可愛すぎるのがよくない。

 『死因:翼の可愛さ』になってしまう。


「いや、少し寒いなと」

「そうだね。雪でも降るかな」


 傘は持っているよ、と背負ったバッグをまさぐる翼。うん可愛い。


「じゃあ、入らせてもらおうか」

「え? 持ってないの?」


 持っている。


「雪が降ったら、な」

「まあそうだね」


 それじゃあ行こう、と翼が道路に足を踏み出した。


「ああ」


 隣に並んで手を伸ばす。


「何」

「いや、手をつなごうかと」

「恥ずかしい」


 恥ずかしい、なんて言いつつ翼の表情はまるで動かない。顔が赤くなるわけでもなければ、脈が速い訳でもない。

 ちなみに俺は今、一分間に二百ぐらい打ってる気がする。


「電車って何だっけ」

「? 間に合うぞ」

「いや、調べてくれるって言ったから何にもわからないけど」


 不安そうに首を傾げる翼。仕草が可愛い。

 しかし大丈夫だ。念のために五本前後してもいいように乗換プランとルートはすべて考えてある。もちろん天気も晴れ、曇り、雨など最大十パターンで応用可能だ。

 この入念さに恐れおののくがいい。


「うわあ……それボクだからいいけどさ、他の人にはやるなよ?」

「どうしてだ」

「気持ち悪い」


 引かれた。直球で引かれた。けっこう激し目に。どうしよう立ち直れなくなりそう。


「まあそう落ち込まないでよ。ボクにやる分にはいいって言ってあげてるんだから」


 嬉しいどうしよう。


 いやはや、朝からこの様子だとお昼ごろに感情のジェットコースターで死んでしまう気がする。


***


 時は移って、電車の中。一つ空いていた席に翼を座らせて、俺はその前に立っていた。


「翼、身長幾つになった?」


 顔をしかめられる。苦手な話題だったようだ。次回から振らないようにするため、心のメモ帳に刻み込んでおく。イメージは血文字で。


「四捨五入すると百五十だけど」


 その言い方は百五十に到達していないと見た。


「そうか」

「……」


 ……。

 訊いてこないのか。やや期待したが。


「あ、祭って生徒会長選出るの? お兄ちゃんが言ってたけど」

「出るつもりだ」


 少しでも立派な役職を取っておいた方が翼の歓心を買えるかもしれないという打算に基づいて、だが。


「そっか。すごいね」


 ほらこんな風にッ!


「翼は何かやるのか?」


 彼女の顔がやや曇ったのを見て、これは失敗だったかと焦る。

 話題を変えようと口を開いたところで、翼がにこりと笑ってきた。その破壊力にとりあえず心臓を撃ち抜かれてから声に耳を傾ける。


「やらないよ。前はやっていたけどね。疲れるからさ。でも、まだ引き受けていることは数多くあるんだ。辛くなった時は話を聞いてくれるかな」


 何時間でも、もし望むのならば何年でも、と言いたいところだがそれは重いので、


「もちろんだ」


 包括的に答える。


「ありがとう」


 その声を聞くために俺は生まれてきたのだろうな、と思う。


***


 列車を降りると、高校の方向へ人々の流れができていた。


「人気なんだねえ」


 翼が目を瞠る。同意を示してから再び手を取る。やや戸惑った様子の手を引きながら、歩道へ足を踏み出した。


「ボクの学校の方にはこんなの無かった」

「規模が違うからな」


 いくつかの新聞社から取材の依頼が来るほどだと聞いている。


「さすがだねえ」


 辺りを見回してみても、人の数は夥しい。はぐれないようにしよう、と繋いだ手の温かさを再確認した。


***


 校門にはアーチ状の飾りが取り付けられていて、風船やら紙で作られた花やらがアーチを飾り付けている。

 開場前だというのにも関わらず入場待ちの人が列をなしている。 


「並ぼうか」


 二人で最後尾に付くと、たちまちのうちに後ろにも列ができた。相当人気な学校なのだということがよくわかる。


 俺の時計の針が十二を指すと同時に、列が動き出した。受付の人の手際が良いみたいで、列の進みはとても速い。

 学校の外壁に沿って進みつつ、辺りを見渡す。駅の方から歩いてくる人影も多く、また交通整理や列を整える作業をしている人の数も相当数いる。おそらく文化祭にかなりの人数が動員されるのが毎年恒例のことで、先生や実行委員その他が全てを理解して動いているのだろう。


「パンフレットは何冊御入用ですか」


 受付の人に人差し指を立てて示し、ようやく構内へ足を踏み入れる。そこにも人が溢れていて、とりあえず近くの壁の辺りへ避難した。


「すごい人だね……」


 辺りをきょろきょろと見渡しながら驚いた風に翼が言う。


「計画的に見て回らないとな。何か見たいところとかはあるか?」


 パンフレットを手渡して訊くと、翼は首を傾げた。


「別に特別に見たいところはないけど。祭は?」

「そうだな……毎年お化け屋敷のクオリティが高くて有名なのと、ダンス部のパフォーマンスが見てみたいな。男子校には無いし」

「無いの!?」

「ああ。合唱部と手芸部も存在しない」

「手芸部は納得だけど……そっか、男子校って色々違うんだ」

「俺もそっちの学校にしておけばよかったよ」


 翼と一緒の学校に通いたかった。


「祭が学校に居たら気まずいよ。小学校の時だって色々君の所為で騒いだんだから」

「それは反省していない」

「してくれる?」


 嫌だね、と舌を出して見せる。むっとした顔も可愛い。


「じゃあ、とりあえず混みそうだからお化け屋敷でも行くかな」

「うん」


 特に異論はないようだったので、事前に把握しておいた3階の教室――お化け屋敷へ向かう。


「すごい、もう並んでるんだ」


 感嘆の声が聞こえるが、別に俺に向けられたものではないので特に興味はない。それよりも、ここに来て大丈夫だっただろうか。もしや翼は怖いものが嫌いなのではなかろうか。


「翼、お化け大丈夫か」

「うわ、その言い方すごい嫌だ。別に構わないけど」

「わかった。何かあったら言えよ」

「はいはい」


 んあああ。


 言えなかった。何かあったら守るからって言いたかったのに。


「チケット、二枚でよろしいですか」

「お願いします」


 よし、スマートに会計できた。心の中でガッツポーズをしつつ、案内係のお姉さんの話を聞き流す。うん、スタンダードなルールだ。歩いて帰って来るだけらしいな。


 お姉さんが一つ後ろのグループに説明を始めたところで、翼が話しかけてくる。


「奇麗な人だったね」


 そうだったか? 翼しか目に入らないからわからないな。


「……多分な」

「つまんないの」


 どうやらそのお姉さんの外見について俺と意見を交わしたかったらしい。期待に応えられず非常に申し訳ない。これから頑張ろう。


「広いんだね」

「ああ。教室を三個くらいぶち抜いているみたいだな」


 それっきり翼が黙ってしまう。さっき会計をするときに離してしまったので、左手がやや淋しい。

 翼の横でスマホをいじるような無粋な真似はしたくないし、何より翼を見ていること自体が最上の暇潰しになる。もはや目的は暇潰しではなく翼を眺めることで、暇潰しがサイド目的だ。

 まだ伸び切っていない髪の毛を不器用に編んだ二本の三つ編みは多分国宝だし、なんならそれをいじくる手も足して俺の家宝にしてもいい。女の子らしく(ああこういうことは最近言わない方が良いんだっけ)小さいポシェットは、翼が持っているというだけで金剛石よりも価値を持つ。


 要は好きだ。


「どうぞ」


 先ほどの受付でもらったチケットを見せると、無愛想にお兄さんが扉を開けてくれた。暗い空間が口を開ける。


「……昏いね」


 やや不安げに翼が身を寄せてくる。これはチャンスだ、と思って手を取る。抵抗はされなかった。


「行こ」


 廊下の延長線上に足を延ばす。


 やや冷たい空気が伝わってきた。ついでに、どこかに色を付けるときに使ったのか、鼻を突く塗料の匂いも漂ってくる。


「誰じゃ」


 か細い女の声。入ってすぐの右脇から声がした。


 格子のようになった先から、幽霊のように髪を垂らした人影が手を伸ばしてくる。思わず左側に避けると、反対側の壁に近づいた翼が悲鳴を上げた。


「なんか出た!」


 モグラたたきのモグラのように、ビニールテープとペットボトルで作った模造品の手が壁から突き出ていた。


 ともかく先に進んで早く出よう、と手を引く。今認識したが、あまりこのタイプは得手ではない。予測できないというのは精神を消耗する。


「待て」


 先ほどの女の声がした。格子を揺らす金属音も聞こえる。なかなか凝っている。

 暫く細長く薄暗い通路が続き、何も出てこないのがかえって不信感をあおる。道に沿ってどんどん行くと、前に木の扉のような装飾が見えて、おかしいなと思っていると、


 ふっ、と電灯が消えた。


 翼が手を強く握る。


「はよう行け」


 どうやらこの屋敷のコンセプトは日本らしい。さっきから古風な言葉遣いが散見される。

 真っ暗な視界に、突然扉の向こうからの光が揺らめき、背中を強く押された。左側によろめく気配を感じて、反射でそちらを支えに回る。


 扉の向こうに押し込まれて、すぐに翼を確認すると、彼女は特にどこか怪我した様子もなく、ただ困惑した様子で俺の左手に縋っていた。


「どういうこと?」

「解らん」


 だが、少なくとも前に進まなくてはなるまい。

 何だかお経のようなものが遠くから聞こえてくる。


 手を繋ぎなおして前に進む。どこか怯えた様子の翼は腰が引けていて、かと言って後ろ側に回すのもどうかと思ったので、横並びのままで進む。


「お前様」


 誰の物かもわからぬ声が耳元でして、


「どうして儂をお見捨てに」


 冷たい感触が肩にする。


 背筋がぞわりと粟だったので、失礼と知りながら手を払いのける。


「恨みましょう、祟りましょう、末代まで」


 泣いているような、縋るような女の声が響く。


「ねえ」

「ん?」

「足音、しない」


 言われてみると、遠雷のような轟が、段々……


 近づいてる!


「ちょっと祭!」


 今度は翼が俺を引っ張る番だった。やや泣きそうな顔をしている。


 ちなみに俺は残念なことに若干足が回らない。予測不可能なことばかりで頭がパンクしそうだ。こういう時、俺の持っている脳みそのキャパに絶望する。翳さんくらいあればなあ。


 近づいたり離れたりする足音に追いかけられながら、左右の壁から飛び出してくる手やら何やらを躱して、とにかく前へ進む。途中で日本人形らしきものの首が動いたが、翼は気づいていないらしいので黙っておく。

 お化け屋敷の楽しみ方、というのがこれで合っているのかは知らないが、とりあえず次から入らないことだけは決めた。


「なんか明るい!」


 前を行く翼が若干の安堵の混じった声を上げて、俺は出口が近づいていることを認識した。


「やった」


 本当に泣きそうな顔をしながら翼がペースを落とした。出口が数十メートル先に見えている。そこまでに見えるのも、上から釣り下がった提灯型の電灯と、手前の怪しい掛け軸だけ。


「絶対あの掛け軸なんかあるじゃん……」


 いつの間にか足音はやんでいたので(その代わり琵琶の音っぽいのが聞こえる。喋り声的に平家物語)、落ち着いて前へ進む。

 緊張しながら掛け軸の前を通過する。


「わあああッ、顔変わったああ」


 後ろから翼が叫ぶ声が聞こえる。面白い仕掛けだな。


 ともかく実害はなさそうなので前に進んでいく。出口が俺たちの大きさくらいに見えてきて、天井に釣り下がった提灯の感覚がだんだん空いてきた。

 最後くらいの提灯の下を通りかかった時——


 ふしゅう、と空気の抜けるような音がして、べろりと提灯が口を開けて下がってきた。


 思わず提灯に書かれた顔と向き合う。

『おもしろかった?』


 いや怖かったよ!!!



***


 初っ端から飛ばしすぎて疲れたので、丁度良く空いていた中庭のベンチに二人並ぶ。


「クオリティ高いどころじゃなかったね」


 さっきまで肩に下げていたバッグを膝の上に抱えて翼がぼそりという。可愛い。


「ああ。正直かなり疲れた」

「ボクも」


 暫く休憩しよう、何て翼が言ったので空を仰ぐ。


 どうせ見てんだろうな、あの人。


「てっきり翼はああいうの平気だと思ってた」

「ボクの方こそ、祭は平気なのかと」


 可笑しくなって少し俺は笑った。


「何で笑ってるのさ」

「彼女なのに何にも知らない」


 どころか、幼馴染なのに。


 彼女、なんて一言を口に出すだけで俺の胸は酷く高鳴ったというのに、翼の方はさっきと変わらない無表情で、


「彼氏とか彼女とか、あんまり大っぴらに言わないでよね」


 なんて俺に釘をさすだけだった。それも可愛いけど!


「ていうか、ボクらの小学校からこっちに来た人っているんだっけ」


 そう言えばこの学校も中高一貫校だったか。何人かいたはずだ、と同学年の生徒たちの顔を思い浮かべる。


赤羽あかばと……後は井門いどだったはず」


 出席番号前後、腐れ縁の男女二人。仲良く受験して受かってこちらの学校へ、だったはず。


「あんまり面識ないな。祭は赤羽君と仲良かったよね」


 平均的にだれとでも仲良くなるように努力していたので、仲がいいのは当たり前だ。それもこれも翼の人間関係を円滑に保つため。しかしそれは重いので言わない。


「そうだなあ。一応来るときも連絡とったし」

「何て?」

「いや、二年の教室で賭博場やってるって」

「……行く?」


 賭博にはあまりいい思い出がない。一つしか思い出はないけれど。


「今度ああいうことやったら逃げるからね」


 絶対にやらない、とその一言で心を決めた。


***


 校舎内には人が増えていて、若干迷ってからの到達だった。


「あ! 禊禧じゃん!」


 早速店番の赤羽に見つかる。シフトが入っている時間を事前に訊いていたのだ、スマートだろ。


「久しぶり」


 通常のテンションで応対すると、


「なになに、俺に会いに来てくれたのぉ?」


 そう言えばこういう奴だった。


「あれ? 後ろ、彼女?」


 嬉しいワードに口角が上がるのを抑えて後ろの方に目を遣ると、翼はどこからか取り出した赤い帽子を目深に被っていた。


「禊禧男子校だろ、隅に置けねえなあ!」


 何を勘違いしたか、バンバンと背中を叩いてくる。衆目を集めるし往来の邪魔なのでやめてほしい。というか、顔は見えないのだろうか。


「翼……」


 声をかけると、帽子の下から不満げな目線がこちらを向いた。


「あれっ」


 赤羽が驚いたような声を挙げた。


「小野寺じゃん! お前らとうとう付き合ったの」


 ああああああ! 黙れ馬鹿!


「良かったじゃん。知ってる? こいつ散々小野寺のこと好きだとか何だとか言ってたんだよ、四年生から。それにね、修学旅行の時——」


 肘鉄を叩き込んで赤羽を黙らせる。


「はいはい、じゃあ案内しますよっと」


 肩をすくめて俺たちをどこかのテーブルに連れていく。引き際が如才ない辺りが要領の良さを物語っている。


「というか、赤羽は井門に言ったのか——」

「禊禧黙れ」


 素直に口を噤む。ちょっとしたやり返しのつもりだったが。


「今バスケ部の先輩のことが好きなんだって。噂だけどな」


 バスケ部+先輩……。


「翼、バスケ部と関わりあるか!」

「え? 無いよ?」


 よし、安心。


「ほんと禊禧はぶれねえな」


 褒め言葉なのか? それは。


「気持ち悪いよ、そこまでまっすぐだと。受け止めきれねえって言うか……」


 重いって言うか。


 胸を突かれた。

 俺が普段から危惧していることで、目をそらし続けていることだった。

 中学生が抱える感情としては、間違いなく俺の愛は重くって、それがもしかしたら翼に負担をかけているんじゃないか、ということはこれまでにも何度か考えた。


 きっと俺は、翼から離れた方が良い。

 このままでは翼が潰れて仕舞うだろう。


 それでも、好きだ。

 一日だって会えない日があると辛くなる。


 離れたくない。


「まあ、口出しはしねえけどな。——小野寺の方も気を付けとけよ。こいつ、普通にしてればモテるから」


 ぽん、と翼の帽子に手を載せてから、赤羽はにやついて見せた。マウントを取られたみたいで嫌な気しかしない。


「どのゲームがしたい?」


 どうやら赤羽がディーラーをしてくれるようだ。慣れた手つきでカードをシャッフルしながら訊いてくる。


「何でもいいぞ。お勧めで」

「まあ、禊禧だったら何やっても勝てるだろうしな」


 翼を先に椅子に座らせる。

 並んで腰かけると、後ろから肩を叩かれた。赤羽がほんの少し焦った顔をする。奇麗に梳かした髪に汗がにじんだ。


「ケーキじゃんっ」


 肩に体重を感じる。


「井門か」


 その元気な声には聞き覚えがあった。


「アッ、小野寺ちゃん!」

「どうも」


 確か三、四年生の時に同じクラスだったんだっけ。少し気まずそうに目を細めながら、翼が帽子を握りしめて挨拶した。


「赤羽ぁ、不親切じゃん。見つけたんだったらあたしにも言ってってばよ」


 ばし、とディーラー姿の井門は赤羽の肩を叩いた。赤羽の頬が少し赤くなる。井門はまったく気にしない様子で、カウンターに肘をついてこっちに身を乗り出した。


「やっぱ君たち付き合ったんだね」


 にこにこ、と悪気のない笑顔を浮かべる井門。翼が静かに言った。


「……祭」

「——はい」

「君、言い触らしたの」

「断じてそんなことは」

「止めてよね」

「すみません」


 唇を噛みながら頭を下げた。無表情な翼が見下ろす。


「あははッ、ケーキも小野寺ちゃんには形無しなんだねっ」

「ケーキではなく」

「禊禧だって言うんだろ? 大して変わんないってェ」


 だいぶ違うと思うのだがなあ。


「赤羽、何やるって?」

「まだ決めてない」

「じゃ、ブラックジャックでいいでしょ! あたしそれしか知らないし!」


 ……蘇る思い出。


「祭、今日はボクがやるから」


 はい。承知しました。


***


 俺がアドバイスをしたおかげで、賭博場はそこそこの勝ちであとにすることができた。


「賭博場って言うなよ、風情がないな」


 そんな風に翼が軽口を叩いてくれたので安心する。先ほどから口数が少なかったので心配していたのだ。


「小学校の人に会うと思ってなかったから、吃驚したんだ」

「そういうことか」

「ていうか、君は口が軽いね」

「あ、いや」

「良いけれどね。別に言い触らされても困らない」

「そうか?」

「うん。ボクは、君とのこの関係を嫌っているわけじゃないんだ」


 そんな風に言って、一歩前を行く彼女は俺の手を引いた。


「少しは恋人らしいこともしようか」


***


 恋人らしいこと、なんて言うので驚いていたら、着いたのは『占いの館』何て名前の冠された怪しい教室だった。


「さっき井門さんに言われたんだよ。何でも彼女、赤羽君に告白するつもりなんだって」


 おや驚いた。相思相愛だったのか。


「何か良いよね、そう言うの」

「そうだな。赤羽はずっと井門のことが好きだった」

「君ほどじゃないだろ」


 君、ボクのことが好きなんだよね。


 そんな風に翼が俺の右手を握って見せる。悪戯っぽいその声に飛び跳ねる胸を必死に抑えた。顔が赤くならないように制御しつつ頷いた。


「大好きだ」

「照れるな」


 とか言ったって普段通りの顔のくせに。少しだけ不服ながらも、楽しそうな翼の様子に幸福を感じる。


 ふと、近づいたところで翼が尻込みをした。どうした、と問うと


「……受け付け、やってくんない」


 喜んでやりますとも。


 がらがらな教室内に入ると、怪しげなガラス玉を前にした怪しいフードを被った怪しい人が手招きをした。


「恋人?」

「そうです」


 照れもしない様子で翼が答える。


「うん。相性占いかな」

「お願いします」


 受付では怖がってたのに、ここでは強気らしい。


「えっと、誕生日教えて。あと、名前。相性でもいいけど」

「ボクは翼って言います。誕生日は四月十八日」


 そうそう。翼は俺より半年ほど年上なのだ、意外なことに。


「俺は祭。誕生日は十二月二十一日です」


 ふうん、と怪しい人は何やら呪文を唱えた。もごもご言っていただけだし、大した意味はないと思う。というか、そんな非論理的なものに意味はあるのか?


「へー、驚いた。君たち、めっちゃくちゃ相性いいよ」


 見た感じ詐欺っぽく感じるが、そう言われて嫌な気はしないどころか、すごく嬉しいな。


「そうなんですね」


 来ようと言ったのは翼のくせに、どうしてそうも淡白なのか。


「今は彼女ちゃんの方が彼氏くんを翻弄してる感じだけどさ。そのうち、彼氏くんが彼女ちゃんを手玉に取るようになるよ、絶対」


 どんな予言ですか。詳しく聞きたかったけれど、翼が遮ってしまった。ペイントに使ったんであろうシンナーの匂いがきついな、と今更のように思う。


「ありがとうございます」


 少し慇懃に礼を言って、ばいばいと力なく手を振る占い師さんと別れた。


 次はそっちに行ってください、と案内された先は簡単に言って、


「フォトスポット。井門さんが絶対行けって。ほら、撮ろっか」


 さっきからサービスタイムのようだった。心臓が持たない。いい加減表情筋を保つのに限界が近づいてきた。

 渡したスマホを掲げる係員さんに、溢れる幸福と緊張でやや強張る笑顔を向けて、隣の翼が可愛くって仕方なかった。バックアップは五十くらいに取っておこう。そんでもって翳さんにも送らないと怒られるな、これは。


「じゃあ、自由なポーズをどうぞ」


 三枚目くらいで、ポーズの指定を外された。ちなみに、それまでしたのはピースと腕で作るハート。俺が迷って翼の方に目を遣ると、翼はまたしてもにこっとして、俺の左腕に手を絡ませてきた。二の腕の辺りに頭が当たる。鼓動が聞こえるんじゃないかってくらい心臓が早くなって、笑顔を作るどころじゃなかった。係員さんが少し笑ったのが見えて、俺は恥ずかしかった。


「翼……」


 出た後で翼をたしなめると、


「ごめんって」


 少しも悪びれる様子なく謝ってきた。その様子も可愛いけれど、ともかくさっき撮った写真は暫く見れないな、可愛すぎて。むろん翳さんに送ることもできない。大切に保管しなくては。


「ね、祭」

「ん?」

「お昼にしよ?」


***


 校門から長く続く道に並んだ数々の屋台。何かの焦げる匂いと香るソース、それから甘く包むベビーカステラのふわりが漂ってくる。

 野外に設置されたテーブルセットの一つ、具合良く空いていた席に二人で座って居た。


「はい」


 提げていた袋から翼に一つを渡す。ホットドッグ、マスタード抜き。辛いものが苦手だ、というところも愛おしい。


「ありがとう」


 俺の分、焼きそばも取り出して、ベビーカステラは袋の口を開けた。ホットドッグを食べているというのに翼が手を伸ばした。


「それはデザートじゃないのか」

「良いでしょ、食べる順番ぐらい」


 可愛いので許す。


「この後どうする?」

「えー? あちょっと待ってね。お兄ちゃんが」

「翳さん?」

「うん。あはは、心配してる」

「だろうなあ」


 この時間に、というか彼が連絡をよこしてくるなら十中八九心配だろう。


「写真送るね。ポーズとって」

「俺!?」

「うん。なんか、一緒に居るかって心配してるから」


 そう言うのでぎこちなくピースをする。


「ありがとー」


 ぺたぺた、と少し画面を触って、翼がスマホを机の上に置く。


「めっちゃ返信速いんだよね」


 何かわかる、それ。俺も翼だけ通知つけてるもん。もちろん返信の時間は調整してるけど。


「まあ、お兄ちゃんはいいとしてさ。展示とか見て回りたいかな。他の学校なんて滅多に来ないし」

「そうか」


 翼の学校の展示は見た記憶がある。翼の作品を見逃さないために目を皿にしたので、他の作品もいくらか記憶に残ってしまった。少し口惜しい。


「美術室の展示すごかったよな、翼のところは。なんか、すごいリアルなドアがあって」

「そうなんだ。気づかなかったなあ」


 ボクはそれほど見て回れたわけじゃないからね、と言う。確かに翼は働き詰めで、二日目は俺が連れまわしてしまったから。


「今度から、もう少し翼を思いやるようにしよう」

「君は不言実行ってことができないのかな。全く、自己主張が強いね」


 呆れられた。このくらいは許容範囲なので良いだろう。


***


 昼ご飯を食べ終わった後、お互いにトイレ休憩をとった。戻ってきた後、どこにいるだろうと見回す。出てすぐのところに居ると聞いたのだが。


 その時、公演が終わったというダンス同好会の一団が前を通った。


 一瞬にして視界が遮られ、焦る気持ちが顔を出す。

 それほど時間はなかったぞ。遠くへは行っていないはず。そうやって安心させようとする心の一面とは対照的に、反対側の面が、はぐれてしまったのではないか、と脅してくる。


 カラフルな衣装をまとう同好会の人々を横目で見送り、帽子姿の女子を捜す。


 ……。

 ……。


 いない!


 どうしよう、俺としたことが。いやこの言い方は良くないな、今回のこれは完璧に俺の落ち度なわけだから。


 ともかくメッセージを送ろう。


☆☆☆


 どうもボクは、変な人間に好かれてしまう傾向にあるらしい。お兄ちゃんのことを変人と言うのにはきっとみんな満場一致で賛成してくれるだろうし、祭がまともな人間なわけがないからこれはとても正しい主張だ。


 突然視点が変わって混乱している方もいると思うが、ただいまの語り手であることのボク、小野寺翼も現在進行形で混乱しているところである。


「ね、うちのコスプレ喫茶に来てくれない!」


 と言うのも、変なお姉さんに勧誘されているのだ。


 恰好はごく一般的、丈の長いプリーツスカートに薄い色のTシャツ、わずかに巻いた髪の毛。めちゃくちゃ大人な雰囲気で奇麗な人、だが——


「ねーえー。絶対メイドさん似合うよぉ」


 これである。こういう時に庇ってくれそうなやつ、……祭は居ないし。お兄ちゃんが居たらホラーだし。井門さんなんかだったら居てもきっとノリノリだろうし。


「お姉さん誰ですか」

「えっ! 興味持ってくれたの嬉しいなァっ!」


 質問に答えてほしい。


「私はね、江川えがわひかりって言うんだよ」


 へえ。奇麗な名前。


「素敵な名前ですね」

「うん、でしょ! 君は?」

「ボクは小野寺翼と言います。それで、用件は何でしたっけ」

「はわぁ~」


 突然不思議な声を出して呆けるので、何かやらかしたのかと焦る。


「待ってやばい。光ちゃん大ピンチです。まさかこんなところで僕っ娘に出会えるとは」


 ……。


「わかった! 翼ちゃんね! 早速だけど、めちゃくちゃ可愛いからメイド服を着よう!」

「え⁉」


 ボクが聞こえた言葉を信じられずに訊き返しているうちに、江川さんは強引に手を引いていく。少しは話を聞いてほしい。


***


 ずっとハイテンションな江川さんは、迷わずにずんずんと校舎内を進んでいく。その間ずっとボクの手は握られたまま。その強さが少し痛くて、祭が手加減してくれていたことがわかる。


「やっほーニコちゃーん」


 江川さんがとある教室の前に座る女の人にピースサインを突きつける。女の人は黒髪ロング、こちらの学校の制服を着ていらっしゃる。可愛い制服だな。


『コスプレ喫茶』


 ……。これはこの教室に掲げられている看板なんだけど。こんな出し物が高校において許容されていいものか?


「光……いったい誰だ」


 うわっ。ややご立腹? 退場させていただきたい所存なんだけれども。


「ほらほらニコちゃん、ぷくぷくしないで。可愛いお顔が台無しだよぉ。にこーってして御覧」


 その言いぐさは一体何なんだろう。座って居る女の人の名前が『ニコ』と言うのは簡単にわかることだが、それを鑑みると、ややたちの悪い揶揄からかいいのような。


「まあいいや。私、笠島かさじまニコ。君はあれでしょ、光に無理やり連れてこられたんだ」

「無理やりじゃないよー」


 その主張にはやや難があるけれど。でも、大丈夫。体面を取り繕ってそれらしい会話をして失望させないのには慣れている。


「合意とは言い難いですが……」


 そんな風に呟いてみると、笠島さんの方が江川さんを睨んだ。


「ほらね。拉致だよ拉致。ゆーかい。わかる?」

「うぅ~。酷いよぉニコちゃん」


 叙述し忘れていたが、江川さんはそこそこ背が高い。泣き真似をされるとそこそこ迫力がある。


「君は……まあいいや、お連れさんとかいないの」

「ボクは小野寺翼です。一応、一緒に来た奴が一人」

「奴って……仲がいいんだか何なんだかわかんない呼称を使うね」


 やっぱりそう映るのか。一応彼氏なんです、なんて訂正するのは面倒で口を噤んだ。


「連絡しなくて大丈夫——ってうわ」

「大丈夫! それより先にコスプレっちゃお」


 反省と言う文字はこの人の文字にないのか。江川さんがボクの手を再び掴んで教室の中に連れて行く。


「ちょっと光! 直人なおと、ここ頼んだ」


 隣に座って居た男の人(存在感が無さすぎて気づかなかった、ごめんなさい)に仕事をタッチして、閉まりかけたドアを掴んで笠島さんが体を滑らせる。


「光! そもそも部外者じゃん」

「でも、先生もいいってさ」

「先生は光に甘いんだよぉ」


 慣れた手つきで教室の中の制服を物色する江川さん。声も出ない、と言った様子で笠島さんが肩を落としていた。


「ごめんね……光、ああなっちゃったら止まらないからさあ」


 確かに止まらなさそう。と言うか、祭が多分慌てていると思うんだけれど。


「やっぱこれだな!」


 満足そうに江川さんが一着の衣装を手に戻ってきた……と、目を大きく見開いた後に踵を返す。


「ニコちゃん……」


 さっきまで持っていた衣装を右手に持ったまま、すごい目力で笠島さんに衣装を押し付ける。


「何、光……着ないよ?」

「わかった、着せる」


 多分そうじゃないと思う。


「先に翼ちゃんが着ようか。おいで」


 さっきから思うけれど、あなたの『おいで』は『来い』なんですよ。そう思いながら、受動が染みついた体では拒否することができずに再度手を引かれてしまった。


***


「あぁ~」


 江川さんが、感嘆とも詠嘆ともつかない奇妙な声を出している。ボクはと言えば、どうも居心地が悪くて仕方ない。


 だってこの服、スカートが短すぎるんだよ!


「とりあえずいいや、そのまま待ってて。——はぁい次、ニコちゃんね」

「え?」

「えじゃないよ、さっき言ったじゃん」

「だから私は着ないって」

「着せるから安心してっ」


 すれ違いまくって居る。


「こら止めろ」

「誰も見てないってー」


 抵抗する笠島さんを引っ張って江川さんが更衣室に連れ込む。確かに江川さんの言うとおり、教室内にはボクら以外に人がいない。こんな怪しい名前を冠していたらそうだろう。


 しかしこの服は落ち着かないな。フリルはやけに多いし、頭の上のカチューシャがずれる。もともとは女中とかの制服だったはずなのにどうしてこんなにコスプレでは人気なんだ——、なんて文句を言ってもしょうがあるまい。一応更衣室は二つあるものの、江川さんに服を取られている。とりあえず渡してもらったスマホで祭にメッセージでも送ろうか。


[今どこにいる]


 画面を開いて見れば、そんな内容のメッセージが数分おきに送られてきている。既読を付けると、これまたすぐにメッセージが来た。


[今どこだ]

 

 内容が変わらないなら送らなくてもいいと思うんだけどね。


「電話するね」


 それだけ送って、受話器のマークをタップする。僅かばかりのコールでつながった。


「良かった」


 一番最初に飛び込んできたのはそんな声だった。後ろが騒がしいところを見ると、会場から出たりはしていないらしい。


「どこにいる?」

 ——なんか、『コスプレ喫茶』ってとこ。


「……三階か」

 ——ああごめん、パンフレットは持ったままだったね。


「わかるから大丈夫。でもどうしてそんなところに」

 ——なんか、良く知らない人に連れて行かれた。


「帰りに防犯ブザーでも買うか?」

 ——君の戻りが遅いのが悪いんだよ、初めはね。


「それについては何とも言えない、済まない」

 ——素直に言われても困惑。


「もうそろそろ着く」


 ぶつ、と電話が切られる。あまり移動している気配は無かったけれど、と背後を見やった。もう電話はするなということだろう。


 後ろ側では、更衣室から文字通りドタバタと音が聞こえていた。

 焦ったような笠島さんの声と、明らかに面白がっている江川さんの声が響いている。段ボール製のお粗末な更衣室が壊れないか心配だ。


「ちょっと光! ヘンなとこ触んな」

「やだな、ニコちゃん自分でホック留められないでしょー」


 こんな時、どんな顔でどんな立ち方をしていればいいんだろう。頼むから誰も来ないでくれよ。


 心配ばかりしていてもしょうがないので、周りを見回した。普通の教室に、衣装と更衣室が置かれているだけだ。衣装は誰かの趣味なのか、買ったのだとしたらどうやって利益を得るつもりなのだろう。校庭側から見えないように、という配慮なのか遮光カーテンがびっちりと閉めてあり、キャンドルライトっぽいものが点在しているのが酷く怪しい。


 そして今ボクが相対しているこの鏡。本来はダンスの練習とかに使いそうな、馬鹿でかいやつ。普段は着ない派手な衣装を着させられて居るせいで、鏡の方を見るのがつらいが、勝手に歩き回るほど気力がない。実のところかなりボクは弱気で可憐な乙女なんだ。


 自分で結ったからほつれてきてしまったな、と三つ編みの毛先をいじる。さすがにこればかりはお兄ちゃんに頼むわけにもいかないのだ。


 しかし幾度見てもスカートが短すぎる。絵で見ていればいいんだけれど、これは実際に着るべきものではない。ご厚意? でタイツは脱がされなかったものの、それがかえってやらしいな、この衣装。ま、メイド服って言うんだけどさ。


「済みません、失礼しますね」


 そんな声が聞こえて、さっき入ってきたドアの方を見る。普通の教室のドア(引き戸)が、がらりと開いて一人の男が入ってきた。


「翼!」


 膝に手をついて息をしている。電話を切ってから少し時間があったのはそのせいか。


「別に走って来なくて良かったんだよ」

「……」


 ボクの声で顔を上げた祭が驚愕の表情を浮かべて、しくじったな、と思う。


「ちょっと待って」


 かと思えば顔を覆って後ろを見やがる。


「タンマ……」


 どうしたんだ、と思って近寄ると、後ろから賑やかな声が聞こえた。一人で賑やかなのはもう才能だ。


「はーい出来ましたよー、ニコちゃん出ておいでー! ってどうしたのぉ、そこの男の子」


 男の子、とは祭のことを指しているらしい。


「翼ちゃんの知り合いー?」


 くる、とスカートを回して祭に近寄る江川さん。


「光ぃ」


 後ろから情けない声をかけるのは笠島さん。いったいどうなったのか、と後ろを見てみると、そこにはアニメのキャラが着ていそうな軍服を身にまとった笠島さんがいた。


「あんまりこっち見ないでくれると助かる」


 良く似合っているけれども。


「そうだ! 直人クーン」


 江川さんが教室の外に向かって声をかけた。笠島さんもさっき同じ名前を呼んでいたし、どうやら教室の外で受付? をしていたのは直人さんと言うらしい。


「翼」


 江川さんを躱した祭が近寄ってきて肩に手を置いた。


「どうしてこんなところに」

「江川さん——あの人が連れてきたの」

「本格的に防犯ブザーが必要だな——っと。あのな」


 めっちゃ可愛い、と。


 左耳に囁かれては。

 いくらボクでも、顔色を変えないわけにはいかなかった。


「……ッ」


 言葉が見つからなくってただ俯くと、頭に手を載せられた。


「なに」


 気弱そうで存在感の薄い人——直人さん? が入り口から顔を出して。変わらずもじもじしている笠島さんを視界に捉えて、ふらついて入口の戸棚に肩をぶつけた。さっきの祭りと同じような反応。


「どうしたの、笠島さん……」


 声が弱弱しい。


「私だって知らないよ! 光が勝手に」

「可愛いでしょ、ニコちゃん! 衣装見た時から絶対着てもらうって決めてたんだぁ」


 ボクは来る必要なかったんでは? 今からでも帰りたいんですけれど。


「ねえ、直人クン。ここって、お客さん来た?」

「えぇ? 来てないけど」

「じゃあ、出かけても問題ないよねっ」


 問題あるでしょ。職務放棄だよ、それって。


「はいはい、直人君はこの服でぇ。それから君? 誰か知らないけどはこれね。私男の着替え見る趣味はないから、勝手に着替えてきて」

「え? 僕も?」

「あったりまえでしょー。ニコちゃんとお揃いだぜっ」


 ああ。そういうこと。確かに。何気に軍服って男女どっちもかっこいいもんな。


「なあ、翼……」

「祭なら似合うと思うよ」


 こっちが一方的に赤面させられたのが気に入らなくって、やり返してやるために奴を更衣室に追いやった。

 ちなみに、衣装は執事バトラーだった。めちゃくちゃ似合ってる、背ぇ高いし。


「翼ちゃん……」


 擦り寄って来る笠島さん。


「笠島さんはいいじゃないですか、露出少ないですよ」

「確かに……」


 納得するんだ。


「翼ちゃんって何年生? 私はここの高校二年生なんだけど」

「ボクは中学二年生です。ここから少し遠いところ、紅都立高校附属中です」

「ああ。あそこ頭良いよね。生徒会長さんがうちに来てたことあったな」

「ねえ、あの子とはどういう関係なの」


 皆さんそこを訊きたがるんだな。


「祭がボクの彼氏です」

「ひゅー……」


 江川さんが目を丸くして息を吐き出す。


「祭くん? って同じ学校かい?」


 江川さんが、好奇心百パーセントの近所のおばさんみたいな顔をする。不思議と嫌悪感が無いのがすごいな。


「いえ。祭はあの……私立紅都男制高校附属中の」

「うわーっ、エリート」

「その年ではエリートと言わないと思うけどね。ていうか、光はコスプレしないの?」

「私はしないよー」


 ひらひら、と手を振る江川さん。


「見せる相手もいないしねー」


 そんな仕草が可愛く良く似合う。全く、きっとこの学校には可愛い人しかいないんだろう。


「江川さんと笠島さんは違う学校なんですか」

「そうだよー。もともとはおんなじ学校だけど、今は私がアメリカに留学中」


 アメリカ……。突拍子もない話だ。


「良かったのか? 今帰ってきて。アメリカでは始まったばっかだろ」

「そうだけどさぁ。ニコちゃんの晴れ舞台とあっては黙っているわけにはいかない、でしょ!」


 良い関係だな、と思った。こういうのを親友って言うんだろう。なおもじゃれつく江川さんをあしらう笠島さん。二人とも奇麗な人なのですっごく絵になるんだけれど、笠島さんがコスプレ姿なせいで、まるで自衛隊の追っかけみたいになっている。


「翼お嬢様」


 することもなく二人の攻防を眺めていたら、後ろからそう声をかけられた。

 行動も何もかもすべて、こんなことをするのは祭しかいない。


「メイドにお嬢様っていうのは似合わないよ」


 そう言って振り返ると、祭は胸に手を当ててお辞儀なんかしていた。


「似合ってんじゃん。かっくい」


 ちッ。顔色変わらないでやんの。それにしてもモノクル似合ってるな。


「江川さん……着替えたけれど」


 ああ、手袋までセットだったんだ。長身のおかげでやけに軍服が似合うな。

 直人さんはバスケ部とかそういう部活なのかな? 祭よりも少し低いくらいの長身だ。


「どうも……筒井つつい直人です。自己紹介忘れてごめんなさい」


 相変わらず気弱そうに、ボクたちに軽く会釈する。


「こんなんだけどねー、バレーの試合の時はすごいんだよ、直人クン」


 きらきら、と江川さんが手を閃かせる。こんなんだけど、って。ちょっとばかしディスるじゃん。


「俺は禊禧祭です」


 ぺこ、と祭が礼をしてみせる。


「へー、禊禧君! かっこいい名前だね」

「画数が多くて困ります」


 それは小学校から言ってるよね。


「それで、光? 私たちにコスプレさせて何がしたいの?」

「可愛いニコちゃんはみんなに見てもらわなくっちゃ損だよね! 翼ちゃんと禊禧君、後は直人クンも?」

「何で僕の時だけ疑問形なの……」


 微妙に質問に答えていないけれど、何となく不穏な気配を感じた。


「練り歩くよーっ!」


 やっぱり、そんなことだろうと思った。


***


「今日は光がごめんね」


 散々校舎内を練り歩かされて、もう二度とこの学校には来ないようにしようと決めた。少なくとも六年後までは来ない。そう決意していたところに、元の制服姿に戻った笠島さんが声をかけてきた。


「あの子、夢中になったら前が見えないんだ。もちろん右も左も後ろも見えてないし」


 じゃあどこが見えるんだよ。


「多分、夢を見てるんだよね。夢中で夢を見てるの。そういうところ、私が光のことを好きな理由」


 あ。

 すっごく可愛い、今の笠島さん。


 ふふ。

 筒井さんが好きになるのもわかるね。


「翼お嬢様」

「もう君は執事じゃないよ」


 高い位置にある顔を見上げると、やけに優しい顔をされた。


「帰ろう」

「うん」


 ようやく返却された帽子を耳まで引き下げて。差し出された手を取った。


「ひゅー……」


 またしても江川さんが口笛(らしきもの)を吹いた。


「じゃあ、翼はもらっていきますね。遊んで下さってありがとうございました」


 ボクを子ども扱いするなよな。と思ったけれど反論はできなかった。


「はい。こちらこそ、光と遊んでくれてありがとうございます」

「あーっ! ニコちゃん酷ーい。私のこと子ども扱いするなんてー」


 ぎゅーっ、と江川さんが笠島さんに抱き着く。


「はは、ごめんね」


 そんな声を聞きながら、二人で教室を後にした。暮れかけたお日様の光が、閉めきれなかった遮光カーテンの隙間からのぞいていた。


***


 文化祭帰りのボクらと同じような人々で混みあった電車に乗り込む。立ち込める人の匂いと楽しさの香りが温かい。


 小さな子供の語る『文化祭の楽しさ』やら、子供の展示か何かを思い出しているであろう夫婦、はたまた学外の友達に会いに来たのであろう中高生の楽しそうな会話。


 この列車は今『楽しい』で溢れているな、と思う。


「楽しかったな」


 ドアについた大きな窓の前で、柔らかい橙色の光を浴びながら祭が言った。


「うん」


 差し出された手を握る。


 温かかった。


☆☆☆


 目の前に立つ翼を眺める。

 握った手の温かさが沁みる。


 好きだなと思った。







≪作者注釈≫

・こちらの世界観はしがなめさん(https://kakuyomu.jp/users/Shiganame)からお借りしました。(県立岬ヶ丘高校)


・登場人物紹介

 禊禧けいきまつり小野寺おのでらつばさ

 →フルリ作『あいつとボクの違い』登場人物


 江川光&笠島ニコ&筒井直人

 →しがなめさん作『道路標識と私』登場人物


 良かったら上記の作品も見てみて下さい!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

次の更新予定

毎週 土曜日 15:00 予定は変更される可能性があります

秋の文化祭スペシャル短編集 フルリ @FLapis

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ