第2話

この病室の中は変化がないにも関わらず、窓の外の表情はころころと変わっていく。

鳥のさえずりや風でそよぐ葉、淡く色づく花々に茜色に染まった空を流れる白い雲―

そんな当たり前にある景色でも新鮮に見えるのだから不思議だ。

なんてことを言っておけば自然が好きな人にでも聞こえるだろう。

しかし実際はやることがないだけである。

不思議なことにほとんど怪我をしなかった俺は比較的元気であった。

というのは嘘で、本当のところ動くと身体中がかなり痛い。

それでも動こうと思えば動けるほどだしそこまで酷いわけではないのだろう。

電車と事故っておいてこの程度の怪我とは、客観的に見たら奇跡だと思う。

でも俺にとっては不運だろう…なんてことは今どうでもよくて。

そんなことに思いを馳せながら長閑な夕方を過ごしていたら、一羽のスズメが窓枠にとまった。

鳥は好きだ、なんの足枷もなく自由に飛び回ることができるから。

籠の中の鳥である俺とは大違い…いや、籠の中の鳥ですらないな、鳥は誰かに見てもらえる。

でも俺は誰にも見向きをしてもらえないのだから。

誰にも認識してもらえないのは辛い、そこにいることすら許されない気がするから…。

だからこそ、もしも生まれ変わりというものがあるのなら次は鳥になりたい。

あの大空で翼を広げてまだ見ぬ世界を周ってみたい。

そんなことを考えている間に部屋の中にドアを叩く音が響いた。

それと同時に飛び立ったスズメを見送りながら返事を返す。

すると西日に眩しそうにしながらも夕食を片手にしたお姉さんが部屋の中に入ってきた。

「白沢さん、夕御飯食べられそうですか?」

食事を配膳する彼女には目もくれないで俺は頷いた。


久々に食べるまともな夕食はあまりに質素で、それでいてとても手の込んだものであった。

おかゆとまではいかないものの、かなり煮込まれた雑炊。

俺のお腹に優しいものをただ出すだけでなく、栄養バランスもちゃんと考えられている。

「おいしい」

思わずそう口に出すほどそれは今の俺の心に染みた。

たかが雑炊ごときで泣いたら馬鹿にされそうだが、俺なんかには充分豪華な食事だ。

今までのご飯といったらただの白米にみそ汁が付けば良い方、悪ければ一食抜きなんてこともざらにあった。

母親はよく外食に行っていたようだが連れて行ってもらったためしがない。

それにお小遣いをほとんど貰っていない俺には自分で作るだとかコンビニで買うなんてことは出来なかった。

家に食材がある時だけ食べられる、それが俺の知っているだ。

ひとりで食べるご飯は寂しい。

でも俺はそんな寂しさしか知らない。


そんなことを考えていたら視界がぼやけてきた。

それでも俺は食べることをやめない。

頬を伝う冷たさを感じながら、一口ひとくちを味わって食べる。

この食べられる喜びを噛み締めながら。

半分ほど食べて落ち着いた頃、俺は横目でちらりとお姉さんを見た。

食べている間に俺の怪我の状態なんかを説明してくれているはずだった。

でもどこかおかしい、なんとなく違和感を感じるのだ。

「嘘だ、俺の怪我はそんなんじゃない」

気付いた時にはもう口を滑らせたあとであった。

「あっ、えっとその、違くて…」

なんとか今の発言を訂正しようと頭を働かせるが答えは出てこない。

脳内はパニックになり、思い出したくもない記憶がフラッシュバックする。


「お前のせいで…!」「あんたがいるから!」

「目障りなんだよ!」「気持ち悪い、あっち行って」「生まれてこなければよかったのに」


今まで言われた言葉が、誰かの口から零れ落ちた毒針が頭の中をぐるぐると回る。

存在自体を否定されて、それでいて死ぬことを許されなかったこの人生…。

嫌われるのかと俺は軽く身構えた。

いくら嫌われた人生とは言えやっぱり傷付くものだ。

でもお姉さんの言葉は想像のどれとも違った。

「あっ本当だ、ここ間違ってる。 白沢さんすごいです! どうして嘘だってわかったんですか?」

目をキラキラとさせて聞いてきた彼女に俺は戸惑う。

今までそんなこと聞かれたこともないし、考えたこともなかった。

でも嬉しい、俺のことを否定しないどころかそれを喜んでくれる人がいたなんて…。

そんな俺が今出せる答えはシンプルである。

「ひみつです」

口許に人差し指をあててそう言って見せれば、彼女はあっさりと追及をやめた。

ずけずけと聞いてこない人は好きだ。

無理矢理聞き出しておいて知ったら幻滅する人なんかよりはよっぽど好感がもてる。

俺は心の中だけでほくそ笑むとお姉さんのことを見上げる。

「それよりも、お姉さんの名前はなんて言うんですか?」

俺はずっと気になっていた質問をする。

なんだかんだ俺の担当をしてくれてる彼女だが、実は自己紹介をしてもらってない。

これからもお姉さんと呼ぶのはどこか違うだろうし、これを機に名前を教えてもらうのもいいかもしれない。

「あっ、失礼しました。 私は白沢さんの担当となりました、柚木姫奈ゆずきひなと申します」

よろしくお願いしますと言って彼女は微笑んだ。

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