第2話
何もない村だった。何もないと言ったら語弊があるだろうか。ただただ平和な村、特出するものがない農業と林業、少しの酪農で生計を立てているといった村であった。
畑を耕して日々を過ごして、村内で良い人を見つけ、歳をとる。そんな風に過ごすのだと彼は幼いながらにそう思っていた。それが変わったのはある秋の事だった、少しずつ寒さがまして冬の気配を肌で感じ始めた頃。冬の支度の手伝いで薪を割っている時だった。手からすぽりと抜けた手斧が跳ねてしまいザクリと手のひらを切った。ドクドクと流れる血を止めか無意識に手首をぎゅっと握る。痛みに声が出ず、その場でうずくまった。痛みに耐える様に、はっはっと細かく息をする。
はっはっはっ…… はっ、はっ…… はっ……?
はたと気が付く。ほんの数秒前までじくじくとした痛みがないのだ。恐る恐る握っていた手の平を開く。するとそこにあった筈の傷がないのだ。バカなとズボンで血を拭うと確かに傷はない。気のせいかと思ったが、未だ乾いていない血が気のせいではないと示していた。
彼はそこで目を見開いたまさかと思い、手斧を拾い上げる。深く息を吐き、指先に刃を立て押し当てる。ぷくりと指先から洩れる小さな血の玉。指でぬぐうと傷はない。もう一度もう一度と繰り返す、なんどやっても傷つけたはずの指先は拭うと傷が消えている。
ギフト。神が与えた特殊な力。
この時が彼、セクトの人生の岐路であった。ちなみに何度も自傷を続けるセクトの姿を発見した母親に大目玉をくらったのは、苦い思い出であった。
少年の時期を過ぎようとしていた頃に、村へと行商に来ていた商人について村を出た。途中途中で立ちよる村での商いを手伝いながら大きな町に着いたのは季節が二度変わろうとしていた。働き者で覚えも良かったセクトは商人に随分と引き止められたが、後ろ髪を引かれながら別れた。別れたその脚で向かったのは、冒険者ギルド。こうして彼は冒険者としての第一歩を踏み出した。
それからはあっと言う間であった。初めての依頼は薬草の採取だった。途中魔物に見つかり必死で町まで逃げたのは良い思い出だった。危険な目にもいっぱいあった。何度も壁にぶつかった。その度に彼の周りには仲間と呼べる人間が集まっていった。何人もの仲間を見送った。怪我や年齢等の引退していった者。喧嘩別れや方針の違いで去っていった者。そして死んでいった者。そんな中でセクトと駆け出しの頃に出会ったジェクトの二人。その二人を中心としたクランは二人が青年となる頃には着実にその地位を固めていた。
ギフト【斬撃強化】を持つジェクトとギフト【超回復】を持つセクト。セクトが敵の攻撃を防ぎ、ジェクトの強力な一撃で敵を打ち倒す。その性格も戦闘スタイルに似て慎重なセクトと、向こう見ずなジェクトと言った様子であったがそれが良かった。セクトの慎重過ぎる所を向こう見ずなジェクトが引っ張っていく。ジェクトの向こう見ずな所をセクトが手綱を握り抑えていく。そんな様子でセクトとジェクトは不思議と馬が合った。ただそれにはセクトの本来の性格がジェクトに近い部分が大きかったのだろう。実のところセクトの慎重さは村を出て商人について旅をした物だったのだから。
彼らの元にある依頼が届く。クランを名指しした依頼。それは新発見されたダンジョンの調査依頼であった。これを達成すればクランとして次の段階が見えてくる。王都の冒険者ギルドから拠点を王都へ移動しないかという打診があったのだ。
そうして挑んだダンジョン。洞窟型であり下へ下へと潜って行く迷宮型のダンジョン。マッピングをしながら階層を下っていく。補給を考え後数階で引き返そうと話し、降りたその階層はそれまでとガラリと姿を変えた。その光景に思わず皆気の抜けた言葉が口から洩れた程であった。
深い深い密林が広がっていた。
斥候役の者が器用に背の高い樹に上りぐるりと見渡す。一面の緑。自分たちがいる場所だけがぽかりと空いているだけ。斥候の報告聞いてセクトとジェクトが出した答えは別々のもの。帰還を訴えるセクトと探索の続行を宣言するジェクト。クランメンバーを交え話しあった結果、採用されたのはジェクトの意見であった。
結果その選択は最悪のもであった。
目印を残しながら進む密林の中。現れるのは昆虫型の魔物が多く。比較的脅威度の低い魔物に緊張感が弛緩していく。そしてしばらくして気が付く違和感。それまでどこからか聞こえていた筈の魔物の気配が消えたのだ。小さく声を上げる斥候。それにぐるりと見渡せば大小幾つもの複眼がセクト達を見ている。
「退避!!!!階段まで走れ!!!!」
声を上げたのはジェクトであった。その声に反応したのはクランメンバーよりも先に幾つもの複眼が反応する。音を立て上下する複眼。落ち葉を踏む音、葉が擦れる音が大きくなる。
不用意に声を上げたジェクトに心の中で舌打ちをし、セクトは一度盾と剣を打ち鳴らすと退避の声を上げる。響く金属音に皆びくりと肩を小さく揺らすと方向を変え走り始める。先頭は斥候、後尾にジェクトとセクト。後ろを振り向けば数え切れな程の複眼の津波。
「セクト!!!」
息も絶え絶えにジェクトが叫ぶ。その声にセクトはジェクトに顔を向けると、ぐるりと視界が回転する。着ていた鎧が地面とぶつかり鈍い音がひびく。それ以上にセクトの身体に響いているのは血液の流れる、流れ出る音。何が起きたと一瞬混乱するが直ぐに理解し声を上げる。
「ジェクト!!!!!!!!!」
視線の先に見えるのは振り向くジェクトの顔と見覚えのある膝あて。膝あての中身はしかりと残っており、それが自分の脚だと分かる。切り飛ばしたのだ、セクトの脚を。普段ならば難しかっただろうが、今は走る事で精一杯だった。既に随分と距離があるはずのなのに口元を緩ませるジェクトの顔が、不思議とセクトの目にははっきりと見えていた。
そして直ぐにセクトは津波に飲み込まれた。
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