【セクハラ老教授の頭のなか】クッツェー「恥辱」

恥辱 (ハヤカワepi文庫) 文庫

J.M. クッツェー (著), J.M. Coetzee (原名), 鴻巣 友季子 (翻訳)

発売日 ‏ : ‎ 2007/7/15



 小説の楽しみは、読み手をいろいろなところに運んでくれることにある。宇宙船にのって敵船と撃ち合うこともできれば、禁じられた恋にのめり込むこともでき、ゾンビであふれかえる町のなかでのサバイバルすることも、閉鎖空間で殺人事件の謎に挑むこともできる。

 では、こういうのはどうだろうか。若い女子大生に手を出した、老教授の頭のなかにはいってみるというのは。


 本書の主人公デヴィッド・ラウリーは、離婚してひとり暮らししている52歳の男性だ。娘とは疎遠になっており、妻とはたまに顔を合わせる仲だ。好色な人物で、娼館に通っては一晩のロマンスに励んでいる。

 ある日、デヴィッドは、美しい女子大生のメラニー・アイザックスに目がとまる。いつまでもプレイボーイ気質の抜けないデイビッドは、メラニーに声をかける。「うちで飲んでいかないか」となかば強引に部屋に連れ込む。別れ際には無理やり抱擁する。


『ここでめておくべきなのだ。ところが、彼は止めない』


 さらにデヴィッドは、勝手に個人情報をつかむと、再度連絡をつける。引き気味なメラニーに対し、デヴィッドはぐいぐいアプローチをつづけ、ついには恋人として付き合うことになる。メラニーに明らかにその気はなく、デヴィッドのゴリ押しに負けたところがあるので、かなり気の毒である。

 その後は、教授が学生に手を出したら、とうぜん起こりうることが起こる。学生の友人、学生の両親……騒ぎにならないはずがない。学校側も問題視する。これらの反応に、デヴィッドは「やれやれ」といった程度の反応しかしない。退職して、娘の暮らす農村に身を寄せるので問題ないといった余裕の態度だ。


 一体、このデヴィッドという男はなにものなのか? それは娘の暮らす農村にいるうちに、徐々にその輪郭が浮きぼられていく。

 インテリで会話の端々には詩や文学の一節が引用される。好色な性格なので、会う女が美人か醜いかをひどく気にする。太った娘の体型が気に入らない。農村の生活者に対しても、まったく敬意を払っていない。

 つまるところ、デヴィッドは高度に都市化された人間なのだ。高い社会的ステータスを持ち、西欧的な価値観を獲得し、他人に揺るがされない強い意志を持っている。現実的に生きているというよりは観念的に生きている人間なのである。


 農村に来てから、デヴィッドの精神はひどく揺さぶられることになる。いくつかの衝撃の展開が待っている。特に農村で起きる〝事件〟のインパクトは強烈だ(そのおかげで私は夜寝付けなくなってしまった)。

 彼を揺さぶるのは、紛れもなく現実におきたさまざまなできごとや人間関係である。それは彼が暮らす南アフリカの社会そのものと言っていい。


 リアリズムにもとづいており、勧善懲悪の作品ではないので、ラストシーンでは、デヴィッドが反省して善人になるということを意味しない。とはいっても、変化がないわけではなく、それはつまり、デヴィッドが社会に順応したということなのだろう。歪められたといってもいいかもしれない。そのデヴィッドのあり方に、絶望や虚しさとはまた違う感情で打ちのめされた。よかれ悪しかれ、我々は生きている環境によって人格が形作られていくのだということを痛感した。

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