宮田先生と黒川先生と田中くん
ハチニク
宮田先生と黒川先生と田中くん
午後の職員室は、外の喧騒を感じさせない静けさに包まれていた。窓際の席に座る宮田先生は、手元に広げた生徒の資料を見つめながら、眉をひそめていた。隣の席には黒川先生が座り、淡々と書類にペンを走らせている。宮田はしばらく黙っていたが、ふと意を決したように話しかけた。
「黒川先生、ちょっとお伺いしてもいいですか?」
黒川は顔を上げることなく、書類を読み進めながら静かに応えた。
「どうぞ」
「実は、田中くんのことで悩んでいるんです。彼、以前は成績が良かったのに、最近は授業中も全く集中していないようで……。赤点を取ったこともあって、ますますやる気を失っている様子なんです。どう接すればいいのか、正直わからなくなってしまって」
黒川は一瞬ペンを止め、天井を見上げるようにしてから、やっと彼女の方へ顔を向けた。
「そうですか。田中くん……難しいですね。生徒一人ひとりに全力を尽くしても、必ずしもその結果が出るわけではないのが、教師の辛いところですよね」
宮田は深く頷き、ため息をついた。
「本当にそうなんです……黒川先生は、こういう時どうすればいいと思いますか?」
黒川はその問いに微笑んだ。その表情にはどこか哀愁が漂う。
「僕は、生徒に期待しないようにしてるんですよ」
「期待しない……ですか?」
宮田は戸惑ったように聞き返す。黒川は視線を外し、窓の外に広がる校庭を見つめた。鳥のさえずりと共に、生徒たちが無邪気に遊ぶ姿が見える。
「ええ、期待すること自体が苦しみの元になるんです。自分がこうすればこうなるはずだ、という期待が強ければ強いほど、その通りにならなかった時に失望する。それなら、最初から期待しない方が、楽じゃないですか」
宮田はしばらく黙った。眉間にしわを寄せ、年上の黒川にこう問う。
「教師である私たちが、彼らに期待しなくてどうするんですか? それはあまりにも酷のように感じてしまいます」
黒川は少し笑みを浮かべ、手に持っていたペンをデスクに置いた。
「では、宮田先生、僕はあなたの素晴らしい才能による教育方法で、次回の期末テストであなたの受け持つすべての生徒に満点を取ってもらうことを期待しています」
「……え?」
「どうですか? 急に肩の荷が重くなりませんか?」
「ま、まぁ、そうですね」
「期待すると、その結果がどうかによってその子の成功か失敗かが決まってしまうわけですよ。つまり、期待することによって、必然的に成功か失敗の二択を押し付けてるんです。僕はそんな気持ちを誰にも持ってほしくない。成功や失敗に囚われず、彼らがどのように成長していくのか、その姿を見守る方がいいと思いませんか?」
納得もできる話だが、なんだか引っかかることがあった。見守るだけなのであれば、教師という存在は果たして必要なのだろうか、と。
「でも、教師が成績を求めることは当たり前ですよね? 良い結果を出させるために、指導しているんじゃないんですか?」
黒川は軽く首を振り、静かに答えた。
「もちろん、成績は大切です。でも、それだけが彼らのすべてじゃない。『目前の期末テストがこれからの人生を決めてしまう』、『ここで赤点を取れば、これから先はずっと負け犬だ』。結果を期待をしすぎることは、彼らにそういう考えをもたらすんです」
黒川はまた、窓越しに昼休み中の生徒たちを眺めながら、
「いいですか、宮田先生? 生徒の成長は手の届かないところにあることが多いんです。僕たちはその一部分に関わるだけで、どこまで成長できるかは彼ら自身が決めるものです。彼らの道標になることが、この世に少しだけ早く生まれてきた僕たちの役目なんじゃないですか。要は気楽でいけばいいということですよ、先生も生徒も」
「ありがとうございます、なんだかわかった気がします。気持ちも楽になりました」
「はい、その意気ですよ、宮田先生」
宮田先生と黒川先生と田中くん ハチニク @hachiniku
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