第12話 教室に、ケルベロスが出た!

 西園寺さんが、お父さんと、お母さんをバカにした、その一言で、私は理性を失った。

 気がついたら、私は右手で西園寺さんの頬をひっぱたこうとしていた。

 西園寺さんがよけたので、間一髪の所で、私の手のひらは宙を切る。


「暴力はダメよ、山野辺さん!」


 後ろから坂切さんに、はがいじめにされた私は、泣きながら叫んでいた。


「バカにしたッ! 死んだお父さんとお母さんの事を、バカにしたッ!」


 その叫びが、クラスのバランスを壊した。西園寺さんが「え?」という顔をする。

 話した事もない男子たちが、西園寺さんに向かって文句を言いだした。


「いい加減にしろよ! いつも内勢だの外勢だのグチグチ言いやがって」

「俺たち男子は、そんな事を気にしてないのに、女子だけが言ってるんだよな」

「だいたい、外勢の方が受験で入って来たんだから、頭はいいだろ。内勢は、甘やかされたバカばっかじゃないか」


 誰かが言った一言が、また新たな火種になる。


「ちょっと! 内勢がバカばっかりって、どういう事よ!」

「これだから、外勢は品が無いんだよな」


 クラスが完全に、内勢と外勢に分かれて対立してしまった。

 いや、違う。


「品が無くて結構。外勢には、人の上ばきや、体操着を盗む様な奴はいないもんなー」

「人の死んだ親を、バカにする奴もいないよ」

「そんなの、内勢だからするんじゃないよ、西園寺だからするんだよ」

「そうよ、西園寺さんが悪いのよ」


 しだいに攻撃の標的は、西園寺さんになって行った。


「違う……。私、上ばきも、体操着も盗んでない……」


 西園寺さんは、かすれた声でつぶやいた。


「それに私、山野辺さんの両親が亡くなっていたなんて、知らなかった……」


 西園寺さんが、両手で顔をおおった、その時。


「ねえちゃんを、いじめるな」


 声とともに、西園寺さんの隣に、銀髪でTシャツに半ズボン姿の、小学五年生くらいの男の子が出現した。

 そう、誰もいなかったはずの場所に。


「おい、あんな奴、いたか?」

「今、突然、現れたぞ」

 

 ザワザワするクラスを見回しながら、西園寺さんをかばう様にして、銀髪の男の子は、もう一度、言った。


「ねえちゃんを、いじめるな」


 次の瞬間、男の子の体が膨れ上がったかと思うと、真っ黒な、大きな犬になって、唸り声を上げた。

 誰かが悲鳴をあげたのをきっかけに、クラスの皆は、いっせいに廊下へと逃げ出す。


「ベロちゃん、やめて! 人の姿に戻って!」


 西園寺さんが必死で、大きな黒犬をなだめている。

 この黒犬が、西園寺さんに取りついていたフェアリー・モンスターだろうか? でも前に見たマンティスとは形が違う。


 黒犬は、逃げ遅れた私と坂切さんの方を見た。

 とっさに私は、スカートのポケットに入れておいた、昨日、エルくんがくれた「マンドラゴラのキーホルダー」の、花の部分を引っ張った。

 カン高い音が響きわたり、黒犬は、ひっくり返って苦しみ始めた。

 エル君の言っていた『モンスターが嫌がる音が出る』というのは本当らしい。


「西園寺さん、坂切さん、今のうちに逃げよう」


 私は二人に呼びかけたが、西園寺さんは黒犬の事を心配しているし、坂切さんは気分でも悪くなったのか、床にうずくまっている。

 逃げそこねているうちにキーホルダーの音は止み、黒犬は、もがくのをやめて起き上がり、こちらを見た。

 あとは、ダンジョンのイリヤくんたちに、信号が届いたかどうかだ。


 その時、窓の外がバッ、と暗くなったかと思うと、ドラゴンのドラちゃんの巨体が横切るのが見えた。

 キーホルダーの信号が届いたんだ!

 ドラちゃんに乗ってきたイリヤくんとライムさん、それにエルくんが、窓ガラスを破って教室内に飛び込んでくる。


「あらら、ずいぶんと大騒ぎになってるわね」

「壊れたもん直して、目撃者の記憶を消すの、ウチの仕事やろ。かんにんや」


 教室内には、黒犬と西園寺さん、それに逃げ遅れた私と坂切さんしかいない。

 イリヤくんが、大きな黒犬の前に歩み出る。


「お前、地獄に家族はいるか?」


 そう言うとイリヤくんはパン! と両手のひらを合わせて開いた。その間に、『王家の剣』が出現する。


「ケルベロスだ。この前、俺を一度は倒した相手だ。手強いぞ」


 そんなイリヤくんに向かって、ケルベロスと呼ばれた黒犬はシャーッ! とうなり声を上げる。

 私と初めて出会った時、イリヤくんは雨の中で倒れて死にかけていた。それは、このケルベロスと戦ったせいだったの?


「しかし変ですぜ、若旦那。このケルベロス、誰にも取りついてへん」


 エルくんの言葉に、私は驚いた。西園寺さんに取りついているんじゃないの? 

 ライムさんも、西園寺さんを見て言う。


「そこの子に、なついてはいるけど、取りついてはいないわね。このケルベロス、人間の魂を食べた事は無いんじゃないかしら?」


 うなるケルベロスを押さえながら、西園寺さんが言った。


「あなた方が、この子と戦っているの? お願いですから見逃して」


 イリヤくんが剣を構えたまま答える。


「戦っているというより、同じ部族だ。君はなぜ、そのケルベロスと親しいんだ」

「先日の雨の日に、倒れているこの子を拾いましたの。その時は、小さな子犬でしたけれども……」


 なんという事だろう。

 私がイリヤくんと、初めて出会った日。

 イリヤくんとケルベロスは戦って相打ちになり、違う方向に飛ばされて、気を失った。

 そして私はイリヤくんと出会い、西園寺さんは弱って子犬の姿になった、ケルベロスを拾っていたのだ。


「今度は負けねぇぜ、行くぞ!」


 相変わらず、この魔界プリンスは、西園寺さんの気持ちもわからず、ケルベロスと戦う気まんまんだ。

 だがエルくんが止めてくれた。


「若旦那、このケルベロス、デカい姿してますけど、まだ子供でっせ。きっと他のフェアリー・モンスターに、利用されてるんや」

「強化の魔法をかけられて、無理に成長させられているみたいね。それに、この教室内に満ちていたネガティブ感情を吸収して凶暴化している。油断しないで下さい、殿下」


 ライムさんの言葉に、私はハッとした。

 この教室に満ちたネガティブ感情って……。私が西園寺さんに突っかかって出した物だ!

 イリヤくんがエルくんに言う。


「仕方ねぇなぁ。エル、ケルベロスにかけられている強化の魔法を解除できないか。このままじゃ死んでしまう」


 それを聞いて、西園寺さんが悲鳴をあげた。


「そんな! ベロちゃんを助けて!」

「若旦那と、可愛らしいお嬢はんに頼まれたんじゃ、やらない訳には行きまへんな!」


 エルくんはマジックカードを取り出し、羽ペンでサラサラと術式を書き込んだが……。

 その最中に、西園寺さんの制止を振り切って、ケルベロスがエルくんに飛びかかった。


「!」

「エルくん、あぶない」

「ベロちゃん、おやめなさい!」


 何人もの声が交差する。

 無我夢中で、考えるより先に、私の身体が動いた。

 エルくんを守るように、両手を広げて彼の前に立った私は。

 右肩を、ケルベロスに噛みつかれていた。

 噛まれた所が、痛いというより熱い。そう感じた時。


「なんちゅう事を、してくれたんじゃあ!」


 そう叫ぶと、エルくんが手にしたマジックカードを、ケルベロスの額に貼り付けた。

 ケルベロスはキャンキャン鳴き、顔にカードを付けたまま、廊下へと逃げて行く。


「エル、響に治療魔法を!」

「響ちゃん、すぐ戻るからね!」


 イリヤくんとライムさんが、ケルベロスを追って教室から出ると、私は力が抜けて床に座り込んだ。


「響さん、辛抱や! すぐ回復魔法で治したる!」


 エルくんが回復の術式を書いたカードを、肩に貼ってくれた。痛みが和らぎ、ポカポカと体が温かくなって行く。


「エルくん、私の肩、傷が残らないかなあ」

「そんなもん絶対、残させへん! 赤ん坊みたいに、ピッカピカの肌にしたる」

「それ化粧品の宣伝みたいだよ、エルくん」

「すぐ直る。ウチはケルベロスをおいかけるから、じっとしとき!」


 そう言うとエルくんは、廊下へ駆け出して行った。

 弱々しく笑う私に、西園寺さんが泣きながら話しかけて来る。


「山野辺さん、ごめんなさい」

「あは、西園寺さん、優しいんだね」


 とっさに私がそう言ったので、西園寺さんはキョトン、とした。


「私が……優しいですって?」

「だって、子犬の姿をしたケルベロスを、助けたんでしょ」

「ええ……。あのね、山野辺さん。あなたのご両親の事でヒドい事を言ってしまって、本当にごめんなさい」


 西園寺さんが素直に謝ったので、私は少し驚いた。


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