第6話 再びダンジョンへ

 パンを抱えたまま、近づいて来た私に気づくと、イリヤくんは言った。


「なんだ人間。いたのか」

「何回も言ってるでしょ。私には山野辺響っていう名前があるの」


 そんな私の言葉には構わず、イリヤくんは私が持っているパンをジロジロと見ている。


「なに、パンが欲しいの?」

「いや、こっちの世界の食べ物は珍しいだけだ……。だが、人間がどうしても、この偉大なる魔界プリンスに捧げたいというなら、もらってやってもいいぞ!」

「誰が捧げるか」


 ツッコミを入れてから、私が、イリヤくんに、西園寺さんと話していた事を聞こうとした、その時。


 イリヤくんの後ろ数メートルの所に、銀髪でTシャツに半ズボン姿の、小学五年生くらいの男の子が出現した。


 そう、何もなかった所に、いきなり現れたんだ。


 私はビックリして、思わず持っていたパンを落としそうになった。

 なんだろう、この子。見た目は小学生みたいだけど、なんで私服で学園の中にいるの。

 中庭にいる他の生徒たちも、ビックリした顔で男の子を見ている。

 気が付くと、イリヤくんがすごく怖い顔で、銀髪の子をにらみながら言った。


「小僧」


 あ、これ、いつもの奴だ。

 私が思うのと同時に、イリヤくんは、男の子に言っていた。


「お前、地獄に知り合いはいるか?」


 男の子は、ひるみもせずに、イリヤくんに言い返す。


「ねえちゃんをいじめるのは、お前か?」


 その瞬間、すさまじい殺気が男の子の身体から放たれた。

 え? なにこの子? もしかして……。

 この子が、フェアリー・モンスター?

 イリヤくんがギリ、と歯を食いしばり、パァン、と両手を身体の前で打ち合わせた。

 何をするのかわからないが、ダメだよイリヤくん! みんなが見てるのに。

 その時、どこかから女の子の子がした。


「ベロちゃん、おやめなさい」

 

 それと同時に、男の子はフッ、と姿を消した。

 ビックリする私の前で、イリヤくんは「ちっ、逃がしたか」と悔しがっていた。


 イリヤくんはエルくんやライムさんに報告すると言って、そのままダンジョンへ帰ってしまった。

 結局、イリヤくんが、何を西園寺さんと話していたのか、聞きそこねちゃった。

 あの銀髪の男の子は、一体なんだったんだろう。それに……。

 あの子を「ベロちゃん」と呼んだ声、西園寺さんの声みたいだったけど。

 この学園で、一体、何が起こっているのかしら?

 昼休み中、そんな事をずっと考えていたので、ツナドッグと焼きそばドッグの味は、ほとんどしなかった。

 イチゴミルクは甘かったけど。


 ホームルームで言われた通り、部活動が禁止になったので、授業が終わると、すぐ帰る事になった。

 もっとも、私は部活に入っていないんだけれど。

 

 校庭を横切って正門へと歩いていると、後ろから「おーい響ちゃん」と呼ばれた。

 この学校に、私を下の名前で呼ぶ様な友達がいたっけ? 

 振り向いた私は、ビックリした。

 ウチの学校の制服に身を包み、いつもより、見た目を若くしたライムさんが、校庭の反対側にある裏門で手を振っていたのだ。

 あわてて駆け寄ると、私はライムさんに言った。


「何をやってるんですか、ライムさん!」

「あはは、ちょっと響ちゃんに話があってさ。それより制服、似合う?」


 そう言うとライムさんは、クルッと回って見せた。

 可愛いけど、この制服も、スライムであるライムさんの体の一部なんだよな……と私は思った。


「夢の中じゃなくて、私たちのダンジョンのお茶会に招待してあげるよ」

「でも帰りが遅くなると、叔母さんが心配するし……。 あ、もうドラゴンで送ってもらうのは嫌ですよ」

「大丈夫、大丈夫、暗くなる前に帰すから。さ、行こう」


 そう言うとライムさんは、あまり使う人がいない裏門から、私の手を引いて出た。

 裏門は、駅の反対側にあるので使う生徒は少なかった。

 門を出て、坂をのぼった上にあるバス停から通学している子が使うくらいだ。


 坂をのぼり切ったところに、広い森林公園がある。

 自然の丘陵を活かした芝生の広場があり、春には桜が見事だという。

 まあ、私たち聖陽学院の生徒にとっては「運動部がランニングしに行く所」だったけれど。

 坂をのぼり切ったライムさんは、そのまま自然公園に入って行く。広い芝生広場を突っ切り、ケヤキやイチョウが植えられた植林地へと進んで行く。


「あの、ライムさん、どこに行くんですか?」


 私の問いにニッコリ笑うと、ライムさんは木と木の間に姿を消した。


「え?」


 驚いた私の目の前で。木と木の間から、ライムさんの「手だけ」が伸びて、おいでおいでをする。

 おっかなびっくり、木の間に入った私を、一瞬、光の渦が包んだ。


「あれ?」


 気がつくと私は、昨日、来た石畳の通路にいた。


「え? あれ? ここは?」

「ダンジョンよ。私たちの家であり、前線基地」

「でも、さっきまで森林公園にいたのに」

「この林の中には、人は来ないでしょ。だからここだけ、私たちの世界と、つなげさせてもらってるのよ」

「じゃぁ、このダンジョンって、異世界にあるんですか?」


 学校の近くに、こんな迷宮があるなんて。

 私が驚いていると、通路の奥から、人影がゆらゆらと、近づいて来るのが見えた。


 その人影の頭で、髪の毛が生きている様にうごめいているのを見て、私は警戒した。昨日、私の体を石にしようとした、髪の毛がヘビの女の人だ。

 私はとっさにライムさんの後ろに隠れたが、ライムさんは、こともなげに、女の人を私に紹介した。


「響ちゃん、こちらメデューサのメイちゃん。昨日の事を、あなたに謝りたいんですって」


 謝る? 私が驚いていると、メイと呼ばれた女の人は、ヘビが無数に生えた頭を下げて、消えそうな小さい声で言った。


「ごめんなさい……。私、人間を見るのが初めてで、怖くてつい、呪ってしまいました」


 私は拍子抜けした。頭にたくさんヘビを生やした人が、私を見て、怖がったんだ。


「イリヤ王子の大切な人とは知らず、大変、失礼いたしました」


 そう言ってメイちゃんは、深々と頭を下げる。


「いやそんな、私なんて、そんな大したものじゃありませんから、あはは」


 よくわからない事を口走る私を見て、メイちゃんは、ほほえんだ。

 こうして見ると、ちょっとはずかしがり屋さんの、可愛い女の子に見える。

 私は右手を、メイちゃんに差し出していった。


「私は山野辺響。よろしくね。メイちゃん」


 メイちゃんは、少しビックリした様だったが、恥ずかしそうな笑顔を浮かべ、握手してくれた。


「よろしくお願いします。響さん」


 ぺこりと頭を下げると、メイちゃんは通路の奥へと歩み去って行った。その後ろ姿を見送りながら、ライムさんが私に言う。


「ふぅむ。やはり響ちゃんは、私が見込んだだけの事はあるわね」

「見込んだって、なんの事ですか。それより、メイちゃんもフェアリー・モンスターなんですか」

「そうよ。それに私もスライムで、エルくんもエルフだから、フェアリー・モンスターよ」

「あ、そうか。私、フェアリー・モンスターって、怖い人たちの事なのかと思ってました」

「言ったでしょ。人間にも悪い人がいて警察が取り締まっている様に、私たちは悪いフェアリー・モンスターと戦っているの。さ、行くわよ」


 私はライムさんに、明るくて広い部屋に案内された。


「よ、来たな」


 机について、何やら道具をいじっていたエルくんに挨拶される。


「ここは議会の間。まぁ会議室みたいなものね。ここで悪いフェアリー・モンスターへの対策を、みんなで考えるのよ」

「廊下は暗いのに、ここは明るいんですねぇ」

「明るいのが苦手な子もいるからね。廊下は、わざと暗くしてあるのよ」

「え、他にも誰か、いるんですか」


 道具をいじっていたエルくんが、得意そうに答えた。


「このダンジョンには、イリヤの若旦那に使える、百八のフェアリー・モンスターが住んでいるんや」


 なんだか除夜の鐘みたいだな、と私は思った。


「そんなにたくさんいるなら、皆で探せば、逃げたフェアリー・モンスターを捕まえられるじゃありませんか」

「そう簡単には行かないんや。響さん、百八ものフェアリー・モンスターが、いっぺんに町に現れたら、この世界の人たちは、どう思う」

「ビックリするでしょうねぇ」

「そや。ヨソの世界から来たウチらは、この世界に起こる出来事を、変えたらあかんねん」


 ライムさんが後を引き継いで言う。


「私たちはフェアリー・モンスターが起こす事件には介入できるけど、それ以外は、なるべく、こちらの世界に影響を与えたくないの」

「だから事件の捜査も、イリヤの若旦那と、人間に化けられるライム、人間に見た目が近いワイの三人がやって、他の連中には、いざという時だけ、ダンジョンから駆けつけてもらうんや」

「響ちゃんに会った時に、イリヤ殿下が倒れていたのも、一人でモンスターを追いかけて、不意打ちをくらったのよ」


 そう言うとライムさんは目を伏せた。

 あの時、イリヤくんの側にいられなかった事を、後悔しているのだろう。

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