第3話
青いワンピースをまとった女は、用が済んだとばかりに、公園の奥へ、木立の向こうへとゆっくり歩いて行く。
ふいに男が大きな声を出した。
「そっちじゃないよ。出口はあっち、そっちへ行ったら出られないじゃないか」
ふいに件の女が男を認め、にこっと笑った。
「まあ、なんてことでしょ。あの人、ゆうじを見て笑ったわ。変ね、あなたのこと知ってるのかしら?」
「バカ言ってる。知るわけないだろ。今さっき逢ったばかりじゃないか」
男が語気強くいった。
「そう、それならいいけど……、それにしてもあの鳩、確かに死んでたわよね」
「ああ、そうさ。おれ、良く観たもの。死んでたさ。まったくもう、あんな女の人知らないし。初めて見たよ」
「そうよね?」
女の視線が、男のからだを、下から上へ、なめるように動いていく。
「信じられないんだ。まったくもう、たいへんな迷惑ですよっ」
「ひょっとして、……魔女かしら。あの人って?」
「まさかね」
件の女は、ちょっとの間、ふたりの話を聞いているふうだったが、行先は変えることはなかった。公園の奥へ奥へとゆっくり歩いて行き、ついには木立の陰に姿を隠してしまった。
「しかたないやね」
「そうね。わたしたちには関係ないしね」
閉園は午後五時。
男と女はふたりして、鳩が元気よく飛び立って行った光景がいまだに信じられないといった面持ちで、公園の出口に向かって急いだ。
駐車場に着くと、男は、女のために、軽乗用車の助手席のドアを、開け、どうぞと声をかけた。
「あら、ありがとう」
「なんだか喉が渇いたな。どう、冷たいけど飲み物あるよ」
「いただくわ」
男は助手席の前のふたをぱかっと音立てて取り去ると、そこからコーヒーの入ったペットボトルを二本取り出した。
そのうちの一本を、女は両手で受け取った。ほそい右手の指で、キャップのふたを回しにかかったが容易に開かない。
「貸してみて」
男は、そのペットボトルを、右手の親指と人さし指の間にしっかりとはさみこむと、ぎゅっと力を入れた。
「ああ、おいしい。飲んでみて、のどの渇きが初めてわかった感じよ」
といって、女はほほ笑んだ。
先ほどから始まった、男の胸の動悸が収まらないでいる。
これはいったい、どういうことだろうと、男は考えた。
(ひょっとして、さっきの青いワンピースの女が、むかしむかし、おれとなんらかのかかわりがあったのだろうか。いやそんなはずはない。まきの疑念をぬぐい去ったつもりだが、女性は第六感が働くというか、男の身振り手振りで、男の本心を認識してしまう鋭い感性を持ち合わせているらしい。洞察力がすごいって。ひょっとしてあまりにむかし話でおれ自身、忘れてしまっているのだろうか……)
男は目を閉じた。
「どうかした?早く出口から車を出さないと、門がしまっちゃうよ」
「ああ、そうだね」
駐車料金はゼロだった。
男がすいっと門から出て、左に車のハンドルを切ったとたん、きききっとタイヤの擦れる音がした。
野太い声が、軽乗用車の窓からとびこんで来た。
「ばかやろう。急に飛び出すんじゃねえ」
「すみません」
男はいくどもかぶりを振り、相手の許しをこうた。
「考え事してたんでしょ?ゆうじさん。まあだ。あなたといっしょに事故にあいたくないわ。しっかり運転してくださいね」
女がやんわりといった。
「うん」
「うんじゃなく、もっとはっきり……」
「はい。わかった」
次第に男の気持ちが落ち着いていく。
まっすぐな道路にさしかかり、車が走行車線をおだやかに走りだした。
男の心の奥ふかくにしまわれていた記憶が、水の泡のように、表面に向かって上昇するのがわかった。
最寄りの十字路の信号が赤になった。
男がブレーキを踏んだとたん、ふとむかしの記憶がわき上がって来て、ぱちんとはじけた。
くすし。 菜美史郎 @kmxyzco
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