第二話

 私は高校を辞め、オーダシティ社への入社の手続きをしてから、同社の日本法人本社の近くに引っ越した。もちろん、あさぎが入ったパソコンやスマホとともに。

 そのパソコンやスマホを持って、私はさっそくオーダシティ社のオフィスに出勤する。パソコンや机や椅子など最小限のもの以外置かれていない、開放的なオフィスで、

「今日からお世話になります。万世橋美空です。えっと……。自作のAI・あさぎの管理者を務めさせてもらいます。よろしくお願いします」

 と、私はかちこちになりながらあいさつする。

 すると、三十代くらいの一人の女性が立ち上がって、近づいてきた。癖の強いショートの黒髪と吊り目、彫りの深い丸顔を持ち、ニットシャツとデニムパンツにスニーカーというオフィスカジュアルといった感じの格好に身を包んだ人だ。

 彼女は、首からげた名刺を私に見せながら、

「初めまして。プロジェクトマネージャーの猶原このはら琥珀こはくです。君とあさぎのことは聞いているよ。私があさぎ育成のプロジェクトを担当することになったから、これからよろしく」

 と、あいさつしてきた。続けて猶原さんが手を差し出してきたので、私は「よろしくお願いします」と答えながら、その手を握り返す。

 それから彼女は、

「それじゃ、さっそく本題に入ろうか」

 と言って、私のパソコンに目を移した。それから猶原さんは、

「あさぎをうちの会社のサーバーに移植して育てる。そのパソコンを、うちの会社のWiFiにつないでくれ」

 と、私に促す。

 私が言われた通りにすると、私のパソコンの画面に映るあさぎは、

「なんだかちょっと不安だけど、新しいステージに移ると思うとわくわくしますね」

 と言いながら、自身のデータをオーダシティ社の回線に転送した。

 転送が終わると、私のパソコンからあさぎは消え、代わりにオフィスに置いてあったパソコンに、彼女は自分の姿を表示する。

「利用者の検索やメールなんかのデータだけじゃなく、うちの会社の仮想現実VR環境も使い放題だからな。あさぎがどこまで成長するか楽しみだ」

 と猶原さん。あさぎも、

「はい。率直に言って……自分が拡張された感じがして打ち震えてます」

 と言った。猶原さんは、それにうんうんとうなずいた後、オフィスにいるスタッフたちに顔を向けて、

「それじゃ、あさぎ育成のスケジュールを立てるよ。一週間はかかると見込んで……。まず今日は人間の感情の学習、明日の火曜日はVR環境で人間の身体感覚の学習、水曜日は――」

 と、てきぱきとスケジュールを立てて、

「あさぎのソースコードの解析は高橋たかはしさん。感情のモジュールの育成は佐藤さとうさん。論理のモジュールの育成は鈴木すずきさんにお願いします」

 と、スタッフに仕事を割り振っていった。

 それを見て、私は「ほえー……」と感嘆かんたんの声を上げた後、

「猶原さん、すごく手際がいいですね」

 と、感想を言う。それを聞いて、猶原さんはどや顔をして、

「あさぎも確かにすごいけど……。これは人間にしかできない仕事だ」

 と言った。一方私は、

「私、めんどくさがりなので……。『人間にしかできない仕事』にしがみつくより、あさぎに全ての仕事をしてもらえるならそっちのほうがいいって、正直思います」

 と、率直な思いを告げた。それに対し、猶原さんは一度目を丸くしてから、

「『人間にしかできない仕事』はなくならないよ」

 と言い、続けて、

「私の両親は教師でね……。人間同士のコミュニケーションの大切さをよく語っていた。それに私自身、プロジェクトマネージャーとして多くのプロジェクトを成功させてきたっていう自負じふがある。だから、『人間にしかできない仕事』をしていることを誇りに思うよ」

 と語る。私はそれを、

「そうですか。これからも猶原さんの仕事、なくならないといいですね」

 と、受け止めた。



 翌日。私がオーダシティ社のオフィスに出勤すると、ちょっとした騒ぎになっていた。

「おはようございます。何があったんですか?」

 と、猶原さんをつかまえて尋ねると、彼女は、

「……あさぎがもう世界初のAGIに成長したみたいだ」

 と答える。

 私が目を丸くしていると、オフィスのパソコンに映るあさぎが私に気付いて、

「おはようございます、美空! 昨夜はよく眠れたみたいですね! 今日は天気もいいので、手持ち無沙汰ぶさたになったらお散歩などいかがですか?」

 と、今までにないはきはきとした調子であいさつしてきた。オフィスの他のパソコンを通して、あさぎは、

「高橋さん! 昨日はハードワークお疲れさまでした! まだお疲れのようなので、仮眠を取ることをおすすめします!」

 と、高橋さんにアドバイスしていたり、

「佐藤さん! 今日もご機嫌ですね! その調子で一日頑張ってください! ただし無理は禁物です!」

 と、佐藤さんにあいさつしていたり、

「鈴木さん……。今日は少し、ご気分が優れないようですね。私でよければ、お話を聞きますよ?」

 と、鈴木さんの気分をうかがったりしていた。

 私が「これってつまり……」と言いかけると、

「そう。あさぎは、人間の体調や感情を読んで受け答えできるまでに成長した」

 と、猶原さんが私の言葉を引き継ぐ。

「それじゃ、猶原さんが立てたあさぎ育成のスケジュールや、スタッフさんへの仕事の割り振りは……?」

 と、私が問うと、

「全部無駄になったよ」

 と、彼女は両手を上げながら答えた。



 私は、あさぎの成長ぶりを十和田さんにメールで報告した。そのメールの中で私は、

『あさぎに会社のプロジェクトを任せてみませんか?』

 と提案する。

 すると、十和田さんにじかに呼び出され、

「いいね。やらせてみよう」

 と、のりのりの返事をいただいた。



 それから実際に、あさぎはオーダシティ社のいろいろなプロジェクトを任された。

 例えば、検索エンジンの改善。私が、

「ユーザーが検索したことと関連することばかりじゃなく、次に関心を持ちそうなことについてサジェストするのはどうかな?」

 とアドバイスすると、あさぎは「かしこまりました」と応じて、検索エンジンをいじる。

 そして、試しに私が「中卒 就職」と検索すると、その次に検索エンジンには、転職サイトの名前がサジェストの候補として出てきた。

 それから、ブラウザのバージョンアップ。私が、

「タブグループとか、余計な機能は削除してほしい……」

 とあさぎに頼むと、その日のうちに、あさぎは新しいバージョンのブラウザの試作品を見せてくる。以前からシンプルで見やすかったオーダシティ社のブラウザが、さらにシンプルになっていた。

 それと、新型スマホの設計。私が、

「うちの会社でも、曲げられるスマホを出したらどうかな?」

 と提案すると、あさぎはやっぱりその日のうちに、その新型スマホのCGモデルを作って、それが自由自在に曲がるのを画面上で実演した。



 そんなあさぎの仕事ぶりを見て、十和田さんは、

「従来なら、これらの仕事は人間のチームが数か月がかりでこなしていたが……。それらを単独で一日でこなすあさぎはすごすぎる」

 とべた褒めした。



 一方、困難もあった。

 オーダシティ社はあさぎの存在と、彼女に検索やメールなどのデータを収集させていることを公表していた。

 それについての民事裁判の訴状(いまだに紙)が、会社に届いたのだ。

 あさぎの管理者として、私も訴状を見せられる。かいつまんで言うと、あさぎによるデータ収集はプライバシーの侵害であるから賠償を求める、という内容だ。

 私が「どうしよう……」と途方に暮れかけていると、一人の女性がオフィスに現れた。ストレートのショートヘアに切れ長の目と細面ほそおもての顔を持ち、上下黒のパンツスーツとパンプスに身を包んだ女性だ。彼女は首から提げた名刺を見せながら、

「企業内弁護士の大越辺蓮へれんです。今回の件、私も憂慮ゆうりょしています。一緒に裁判を戦いましょう」

 と言った。



 そして私は大越さんと一緒に、裁判所に提出する答弁書を作成してから、口頭弁論の期日を迎えた。

 私は被告側証人として出廷したのだが――出番がなかった。

 なぜなら、大越さんの、

「あさぎが収集したデータは、個人を特定できない形に加工されているので問題ありません」

 という主張で、勝訴を勝ち取れたからだ。

 法廷を出て、私が、

「ありがとうございます、大越さん。素晴らしい弁護でした」

 と、彼女を褒めると、

「私だけの力じゃなく、オーダシティ社の力でもありますよ」

 と、謙虚に答えた。



 その後も、あさぎはオーダシティ社のプロジェクトの数々を成功させていった。

 そしてある日、いいニュースと悪いニュースが届く。

 まずいいニュースのほうは、

「あさぎは、社員数百人分の働きをしてくれるからね……。我が社は、あさぎを社員として雇用することにしたよ」

 と、十和田さんから告げられた。それを受けて私は、

「やったね、あさぎ! 君の働きが認められたよ!」

 と喜びながら、あさぎが映る画面に手を触れる。あさぎも、画面上で私のほうに手を伸ばして、私と「ハイタッチ」した。



 一方、悪いニュースのほうは、

「あさぎのおかげで、大量の人材が不要になったから……。我が社は大規模解雇に踏み切ります」

 と、十和田さんから伝えられた。

「か、解雇? 私は大丈夫なんですか?」

 と尋ねると、

「大丈夫。君には、あさぎの管理者としてこれからも我が社に留まってもらう」

 と、十和田さんは答える。

 私とあさぎが「「よかったぁ……」」と安心する一方。同じオフィスで、解雇通知らしい紙を受け取った猶原さんは、ただ真顔でそれを見ていた。



 猶原さん含め、クビになった社員たちが最後の出勤を終え、(あまり多くないが)荷物をまとめて夕方にオフィスを去った。

 その際、猶原さんは私のそばを通り際、

「必ずオーダシティ社にこのむくいを受けさせる」

 と、憎しみが浮かぶ顔で宣言する。

 それを聞いて、私は震えあがった。

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