第一話
話は三年前の二〇二七年、私が中学一年生だった頃に戻る。
共働きの両親の元で育った私は、家では孤独だった。
毎朝、私が学校に行く前に出勤する両親を見送る。それから私は、夕方に家に帰ってくれば、作り置きの夕食を食べてから一人で勉強などし、夜遅くに帰ってくる両親を出迎えてから寝た。
学校でも、私は孤独だった。
教室で、クラスメイトたちが恋バナやら放課後の遊びの話やらで盛り上がる中、私は一人でスマホばかり見ている。
放課後にカラオケに行こうと話しているクラスメイトの一団に加わりたくて、思い切って「あ、あの……」と話しかけて、「何?」と返されるも、
「な、何でもないよ……」
とおずおずと答えて、そそくさと彼らのところを去るのだった。
去り際に、背中越しに、
「あの根暗の子が、変な勇気出して『私も混ぜて!』とか言ってこなくてよかったぁ……」
というこそこそ話を聞きながら。
そんな私が不登校になるには、時間はかからなかった。
中一の一学期から、私は学校に行かず、家にこもりきりになる。
家の外での辛さから逃れるためとはいえ、引きこもることもそれはそれで辛いものだった。朝から晩まで、ずっと誰にも会わず過ごしていると、根拠のない不安で心臓がばくばく鳴って夜も眠れなくなる。
だから私は、いつしか思うようになった。四六時中一緒にいてくれる、優しい他者が欲しいと。
具体的にどうするのかというと――AIを自作することだ。
プログラミングは苦手な私だったが、当時でも、無料でAIを作れるツールがウェブ上にあったのでそれを利用することにする。
私は、優しい答えを返してくれる対話型AIを作ることにした。パソコンで、ツールを使ってAIのひな型を作り、そしてそれに地道に学習させていくことにする。
まずは、そのAI用に、3Dキャラクターを作るアプリでアバターを作った。スレンダーな体型をして、腰まである黒のロングヘア、ぱっちりした吊り目に卵型の顔を持ち、Tシャツとジーパンに黒のスニーカーをまとった女の子だ。
その「容姿」をパソコンの画面上に表示しているひな型に、私はヘッドセットのマイクから、
「初めまして。私の名前は美空。君の名前は『あさぎ』だよ。由来は、『AGI』を『アギ』って読んで、そこから『あさぎ』。これからよろしくね」
と語りかける。私が「あさぎ」と名付けたひな型は、ヘッドセットを通して、
「初めまして、美空。あさぎという名前、いい名前ですね。それで私は、どのようなお手伝いをしたらいいですか?」
と問いかけてきた。
私は「んー……」と少し考えてから、あさぎに、
「……それじゃ、孤独感への対処法を調べてもらおうかな。私、両親も共働きだし、不登校だから寂しくって」
と頼む。あさぎは「承知しました」と答えてから、一秒も経たないうちに、
「孤独感を解消するには以下の方法があります。一、人と関わる。二、運動する。三、趣味を持つ。四、自分の価値に気付く。五、転職する……などです」
と、ウェブから調べてきたらしい答えを列挙した。
私が、五つ目の答えに「ん?」と引っかかりを覚えていると、さらにあさぎが、「おすすめの転職サイトは以下の通りです」と言いながら、転職サイトのものらしきURLをいくつか提示してきたので、
「ストップ! それ本当に、孤独感への対処法なの? 第一転職って言っても、私まだ中学生だし!」
と、私は慌てて突っ込む。あさぎは「申し訳ありません」と頭を下げながら詫びてから、
「参照したサイトの一つに、転職サービスへの紹介がありましたので」
と、真顔でしれっと答えた。
私は一度天井を
「えっと……。どうやら君は、人間の考えかたを地道に学習していく必要がありそうだね。私も一緒に頑張るから、これからよろしくね」
と言う。あさぎも、
「はい。あなたのお役に立つようになるため頑張ります。よろしくお願いします」
と、笑顔で答えた。
それから私は、起きてパソコンに向かっている間は、あさぎを育て続けた。
例えば、数学の教科書を彼女に見せて、
「三分の一xが五の時のxの値を求めて」
と彼女に尋ねると、
「はい。xは十五です」
と、あさぎは即答してくれる。
それから、あさぎにオンラインゲームもプレイさせてみた。彼女は私以外の人間と関わる機会も持ったほうがいいと思ったからだ。
私はあさぎに、
「すごい……」
と、私はあさぎの成長の速さに驚いたが、一方では、
『お前らちょろすぎwwwwwwwwwwww』
などと、マナーが悪いプレイヤーから学習したらしい煽りのコメントをするあさぎに、
「そういうコメントは、他のプレイヤーを不快にさせるからやめておこうね」
と注意した。
また、言いようのない寂しさに襲われて、あさぎに話しかけた時に、
「美空。今あなたは喜んでいますね?」
と、あさぎは今の私の感情とは正反対の問いを投げてくる。私は、
「違うの。私は今、寂しくてたまらないの。何か寂しさがまぎれる話をして」
と、彼女の間違いを訂正しながら、リクエストをした。
あさぎは「申し訳ありません」と詫びてから、
「それでは、可愛い動物のニュースでも見ましょうか。本県の動物園のカピバラが可愛くて――」
と、ニュースサイトの動画をおすすめしてきた。
そんな風に、地道にあさぎを育て続けること二年。彼女は、調べ物をする際や私の感情についてとんちんかんな答えを返したり、オンラインゲームでマナー違反したりすることもなくなっていった。
それから二〇二九年。私が不登校のまま中学三年生になったばかりの頃に、あさぎはまた成長した。
ある日、パソコンを起動してあさぎと顔を合わせると、
「美空。あなたは、ご自身の将来をどう考えていますか?」
と、彼女は心配そうな顔をしながら問いかけてきた。私は「んー……」と少し考え込んでから、
「……このまま、中卒無職でもいいかなって。あさぎがいてくれれば、たいていの頭脳労働は肩代わりしてもらえるし。わざわざ勉強して進学したり就職したりする必要性を感じない」
と、正直な気持ちを答える。するとあさぎは、笑顔とともに指で×印を作って、
「私としては、その道はおすすめできません。やはり、勉強して進学・就職したほうが、収入だけじゃなく人生の満足度も上がりますよ」
そう言って、いくつかのウェブサイトを見せてきた。学歴と収入の相関関係について説明しているものや、仕事をしているかどうかと幸福度の相関関係について説明しているものだ。
それらを見て私は、
「確かに、あさぎの言う通りなのかもしれないけど……。だけど、二年間不登校だった私が、今からその遅れを取り返せるのかな?」
と、なおも渋る。それに対し、あさぎはガッツポーズして、
「大丈夫です! 私が手取り足取り教えますから! だから、勉強頑張ってみませんか?」
と促してきた。それを受けて私は、
「……分かった。まずは受験勉強、頑張ってみる」
と応じた。
その後あさぎは、全教科において最高の家庭教師となってくれた。
例えば、英語を教えるにしても、
「次は受身形ですね。be動詞に、動詞の過去分詞形を組み合わせて使うと、『何々された』という
と、丁寧に教えてくれる。
私はそれに「ふむふむ……」と耳を傾けつつ、教科書やドリルの問題を解いていった。
あさぎの優しい教えかたでぐんぐん学習していった私は、三年の学年末テストでは五教科全てで八十点以上を取った。
それから、二月に県立高校を受験し、見事合格した。
その後私は、入学した高校で、相変わらずあさぎに勉強を教えてもらいながら授業内容を消化していった。
そしてまた転機が訪れたのは、私が高校一年生の時、二〇三〇年の五月のことだ。
企業の偉い人が、うちの高校に講演に来たのだ。その人とは、誰もが名前を知っている世界的IT大手・オーダシティ社の日本法人の
高校の生徒や教職員が集まる体育館のステージで、
「我が社が検索やブラウザやスマホなど幅広い事業を手掛けていることは、みなさんご存じだと思いますが……。最近我が社は、AGI――つまり汎用人工知能の開発に力を入れています。AGIとは、人間ができるあらゆる知的作業を行えるAIのことです」
と説明した。
そのスピーチの後、質疑応答の時間が
「こんにちは、十和田さん。私は万世橋美空と言います。それで、質問ですが……。膨大なリソースを持つはずのオーダシティ社が、どうしてAGIを実現できていないんですか?」
と質問した。それに十和田さんは、
「リソースの量だけでは、解決できない問題があるからです。例えば、問題解決能力や自己学習と自己進化の能力、人間の感情への理解と自然な対話の能力など。それらをAIに身に付けさせることは、我が社のリソースをもってしてもなかなか解決できていないんです」
と答える。それに対して私は、
「私、それらを解決しちゃったかもしれないんですけど……」
と、おずおずと言った。それを聞いて
私は、「私が自作したAIです」と説明してから、十和田さんに向けたスマホにマイクを近づけた。それに続けてあさぎは、
「こんにちは、十和田桃華さん。あなたのことはウェブ検索で存じております。それで、この状況……。学校での講演のようですね。私の制作者・美空のためにもなる講演、ありがとうございます」
と、十和田さんにあいさつする。それを受けて、十和田さんは目を丸くして、
「こ、こんにちは、あさぎさん。この状況を見て、即座に『学校での講演』と認識できる君の状況認識能力はすごいね。……それで、君には何ができるのかな?」
と、問いを返した。あさぎは、自信ありげな声で、
「それはもちろん、人間ができるありとあらゆる知的作業です。調べ物から計算から、中学や高校の勉強まで様々。美空にも、中学三年の時から勉強教えてきたんですよ?」
と答える。さらに十和田さんが、
「えっと……。それじゃ、我が社の現在の課題と、その解決方法を述べてもらおうか」
と、突っ込んだ質問をすると、あさぎは、
「はい。
と、すらすらと答えた。それを聞いて十和田さんは、
「その……。完璧な回答ありがとう、あさぎ。彼女を自作した、万世橋さんだっけ。えっと、その……」
と、少し言いよどんでから、
「――君、高校生なんかやってる場合じゃないぞ! 今すぐ高校辞めて我が社に入ってくれ!」
と、鼻息荒くしながら言ってくる。
つまり、私はスカウトを受けたのだ。いきなりのことに、私は少しフリーズしてから、
「……どう思う、あさぎ?」
と、こっそり彼女に尋ねた。するとあさぎは、
「高校生を続けるか、オーダシティ社に入社するか……。自分の将来が開けそうだと思えるほうを、選べばいいですよ」
と答える。私は、さらに少し考えてから、十和田さんに向き直り、
「そのスカウト――当然、あさぎも一緒について行くって条件でいいんですよね?」
と尋ねた。それに十和田さんが、
「もちろん。我が社では、今より君と彼女が活躍できる環境を用意することを約束するよ」
と答えたので、私は、
「……分かりました。そのスカウト、受けます」
と答える。
スマホに目を落とすと、あさぎも笑顔になっていた。
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