第36話 傍観者

「志穂のクラスは大丈夫?」

「なにが」

「ほら、いじめとかさ」


 パソコンの前に座って、キーボードを打つ。そうすることによって、僕は志穂の世界に行くことができる。現実と離れた、僕が憧れた世界に。


「もちろんないよ。私たちが学級委員だから、そんなこと許させないからね」

「こっちの僕は元気?」

「うん、元気だよ。まあ、受験勉強はめんどくさがってるけどね」


 そっか、と僕は返す。

 この世界の僕だったら、いじめが起きたとき止めるんだろうか。そんなことをふいに思った。


「どうしたの。なにかあった?」

「え、なんで?」

「いや、なんかいつもより寂しそうだから」 


 そのとき、僕は現実のことを考えた。浅野のこと、山本のこと、グループのこと。この先の不安が大きな波になって、僕の思考を襲う。もう何もかも手放して、どこかに逃げたかった。


「何にもないよ、いつも通りちゃんと高校生活してる」

「ならいいけど。もし何かあったら、なんでも言うんだよ?」  

「うん」


 それから、志穂の学校の話を聞いた。文化祭のことや、友だちと遊びに行ったときのこと。僕はまた二人でどこか遊びにいこうと誘った。志穂はやったと大げさに喜んだ。


「じゃあまた明日」


 僕は最後にそう言って、キーボードから手を離した。いつもならそのあとに志穂が返事をして、会話は終わる。それなのに今日は、返事が来なかった。仕方なくパソコンをシャットダウンさせると、画面が黒く、塗りつぶされた。


 * * *


 現実は物語みたいに、救いはない。

 ただ人と人がいて、それぞれが自分が生きるために必要な行動をしていくだけだ。だからこの状況を救ってくれる人は、どこにもいない。


 いじめはやがて習慣化していく。習慣化していくと、より刺激が強いものに変わっていく。浅野はそれに耐えて、耐えて、ただ耐えていた。

 僕は僕が生きるために、ただ傍観していた。

 山本はどうしていいか分からないようだった。

 いじめは受験に関わらないように、グループ内だけで、それが「いじり」であるように行われた。


 だから、他のクラスメイトは、だれも気付かなかった。

 そのままずるずると、残酷化した学校生活は進み、十月になった。

 現実の僕は、まだ、傍観していた。

 しょうがないと、自分に言い訳をしながら。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る