第6話 ATMと鮭

「よかったんですか?」

「んー、なにが?」

「スマホを川に捨てたことです」


 僕たちは川に沿って、夜の道を歩いていた。

 道の両側の草むらからは、虫の鳴き声が聞こえた。彼らは僕らが通るときには息をひそめ、通り過ぎるとまた鳴きはじめた。


「いいよ。前からいらないなって思ってたし、うるさかったから」

「でも、そんなことしたら」

「いいのいいの。昔の人は電話だってない中で暮らしてたんだから。それに、もしものときは公衆電話もあるしね」


 なんでもないように言うハルカのことが、また分からなくなる。

 僕はもとからスマホを持っていなかったが、中学の同級生は禁止されている学校にも持って来て、先生に隠れていじっていた。スマホというのは、それだけ大切なものではないのだろうか。しかもどうして今になって捨てたのか。


「ね、ひまだから手つなごうよ」

「いいですけど」

「ふふ、きみもだんだん素直になってきたね」

「そういうんじゃないですよ」

「どうせ死ぬから?」

「まあ、そういうことです」


 僕は汗ばんだ手をズボンで拭いて、彼女と手を繋いだ。

 夜の涼しい空気とはいえ、ずっと歩き続けている僕たちの手は、湿気をはらんでいた。

 僕たちは手を繋いだまま、夜の道を歩き続けた。

 

 * * *


 景色が白みはじめると、僕たちは堤防にのぼって日の出を見た。


 僕たちが歩いてきた町からのぼる太陽は、初めは白い線のように見えた。なんとなくだけど、閉じたパソコンをゆっくりと開ける光景とかさなった。光の線は徐々に太くなっていき、平等に世界に光を与え始める。

 朝を迎えたことで、僕たちは不自由から解放された。人目を気にすることなく、僕たちは堂々と歩くことができるようになった。


「朝ごはんと……それから服買いたいね。夜見つかったら確定でアウトだから、わたしたち」


 川沿いの道から一度それて、僕たちは大通りを歩いていた。土曜日だからか、そこまで車通りは多くない。すれ違うのは、バットのケースを背負った野球少年と、犬と散歩するご老人だけだった。道路の両脇はチェーン店が並んでいたが、時間的に営業しているところはほとんどなかった。


「えっと、ほんとに僕がタイヨウじゃないって分かるまで続けるんですか?」

「そうだよ。初めにいったじゃん」

「でも、そんな何日も暮らしてくお金なんて……」


 あった。

 道の途中で見つけたコンビニのATMで、ハルカはお金をおろした。その右手には一万円札が十枚以上握られていた。お金持ちだ。


「バイトのお金ほとんど使ってないからねー。さ、朝ごはん買お」

「いや、でも」

「ソウスケくんはなにおにぎりが好き? わたしはシャケ派ー」


 勢いにのせられて、僕は棚から塩おにぎりをとった。

 コンビニを出て、しばらく歩いたところにこじんまりとした公園があった。僕たちは二組のブランコに座って、朝食を食べた。


「朝日をあびて食べるごはんはおいしいね」


 コンビニでハルカは、鮭おにぎり二つとコーヒーを買った。

 おにぎりを片手に微笑む彼女を見て、やっぱり変わった人だ、と僕は思う。


「あの、ほんとにいいんですか? ぼく、お金かえせないですよ?」

「まあ、死んじゃうからね」


 なんでもないことのように、ハルカはいった。


「まだお子ちゃまな君には分からないかもしれないけど、お金なんて持ってても使わなきゃ意味ないんだよ。これはわたしが使いたいから使ったの。きみが心配することじゃない」

「でも……」

「きみは死ぬんでしょ? 死ぬっていうことは記憶を全て失うってことで、それはつまり人間だったことも忘れちゃうってこと。お金を借りてたことくらい些細なことだよ。だから、堂々とその塩おむすびをたべな」


 僕はなにも言い返すことができず、おにぎりの山頂をかじった。

 ハルカと会ってから、なんだか同じよう会話をしているような気がする。「どうせ死ぬから」を繰り返して、僕はハルカの隣で生きている。


 彼女のその言葉に反抗できないのは、納得してしまっているからだ。

 死というものを、たぶん、僕は彼女より知らない。

 

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