第5話 スマホ投げ
僕たちを起こしたのは、携帯の着信音だった。
ハルカはその着信を拒否して、寝ぼけた声で「おはよう」と言った。
「寝れましたか?」
「うん。ぐっすり」
退出時間まで一時間ほど余っていたので、僕たちは無料のシャワーを借りて、ドリンクバーで水分補給をした。僕は冷たいコーラを飲みながら感動していた。漫画も読めて、シャワーも浴びれて、飲みものも飲み放題だなんて。もっと暇なときに来ておけばよかったと思った。
十一時ちょうどに店から出ると、夜の涼しい空気が僕たちを迎えた。
「次はどうするんですか?」
「夜の散歩。店とか人気があるところだと補導ちゃうからね」
行きたいところとかある? ときかれて、僕は首をふった。
「じゃあ海にいこう。夏と言ったら海だよね」
「海って……ここから数十キロはありますよ?」
「もうすぐ死ぬから、別にいいんじゃなかったの?」
ハルカさんは、そう言って意地悪く笑った。
もしかしたら僕は失言してしまったのかもしれない。
僕たちはそれから川に向かって歩いた。道案内はハルカさんが、スマホで検索してくれた。なんどか着信が来ていたが、すべて拒否していた。
「いいんですか? 家に帰らなくて」
「いいのいいの。きみがタイヨウかどうか分かるまでだから」
それがハルカにとって、重要なことだったとしても、ここまでするのは少し異常だ。
「親と仲悪いんですか?」
「全然? 普通だと思うけど」
「反抗期ってやつですか?」
「ううん。好きだよ、二人とも」
じゃあなんで、ときこうとして、やめた。
親に黙って死のうとしている僕が他人の家の心配なんて、していいはずがなかった。
人気のない道を選んで歩き続けて一時間と少し。
僕たちは県内で一番大きな川にたどり着いた。
堤防から見た夜の川は、何も反射しておらずただ巨大な黒幕が張られているようにしか見えなかった。
「この道をまっすぐ進めば、いつか海につく。わかった? こっちだよ?」
「え? あ、はい」
「あ、そこに階段ある! 降りてみよう」
僕はハルカに連れられるがまま、河川敷に降りた。
舗装された道の両側にはグランドや、遊具が暗闇のなかで静かにたたずんでいた。昼間は公園として利用されているらしい。その公園をさらに奥に進むと、川べりに出た。砂利の向こうで、静かに流れる川の音がきこえた。ハルカはスマホで辺りを照らして、どんどん進んでいく。
「きみ、入水は考えなかったの?」
ハルカは立ち止まって、なんでもないことをきくみたいに言った。
スマホのライトが川に反射して、辺りがぼんやりと明るくなった。
「入水って、死に方のこと?」
「そう川とか海で、溺れて死のうとは思わなかった?」
「まあ、そうですね。なんとなく苦しそうな気がして」
なんでこんなことを聞かれているのか、よく分からなかった。
「ソウスケくん、水切りしたことある?」
ハルカは僕の答えを無視していった。
「まあ、ありますけど」
「わたし全然できないから教えてよ」
夜にやることだろうかと思ったが、朝まで時間はまだたっぷりとあった。ひまつぶしには、確かにちょうど良いのかもしれない。
僕はできるだけ平べったい石を選んで、サイドスローで投げる。石の陰は暗闇に吸い込まれてすぐに見えなくなったが、何度か水に跳ねる音だけは聞こえた。
「やるじゃん」
ハルカにやり方を教えると、彼女はすぐに習得した。元々運動神経が良いのだろう。僕たちは水切りの回数を競いあった。
夜の川に石を投げこむ。なんとなくだけど、悪いことをしている気分だった。
それがなんだか、楽しかった。
「タイヨウはね」
水切りを続けながら、ハルカはいった。
「優しい子だったの」
ぴちゃぴちゃ、と規則的に水の音がして、シャボン玉がわれるみたいに唐突に消える。
「だから、海を選んで死んだの。わたしの憶測だけどね」
僕は水切りをやめて、ハルカを見た。
暗闇で表情はよく分からなかった。彼女は水切りを続けた。
ぴちゃ、ぴちゃ、ぽん。
「崖から飛びおりるのに巻き込み事故はおこらなし、遺体を発見する可哀そうな人もいない。それに処理をする必要も、火葬もする必要もない。ほら海は死体を食べてくれるからね」
「でも、自殺したってわかったら捜索されるんじゃないんですか?」
ぴちゃ、ぽん。
「されなかったよ。どこで死んだのか分からなかったから」
ちゃぽん。
「タイヨウがいなくなってから五日後に、郵便で手紙が届いたの。それがタイヨウの遺書だった。海で死ぬってことだけが書かれてて、それがどこなのかまでは教えてくれなかった。それまでは誘拐されたと思って捜索願いを出してたんだけど……探してくれた人たちには迷惑かけたのかな。まあ、迷惑のかからない死に方なんてないってことだね」
淡々と話すハルカに、僕はあることを聞こうと思ったけど、やめた。
それはハルカが一番よく考えていることだろうと思ったから。
僕は代わりにハルカに近づいて、頭をポンポンと撫でた。
「え、なに?」
「お返しですよ」
不思議そうにしていたが、ハルカは「ありがとう」と笑った。
僕は自分のしたことにちょっと恥ずかしくなりながらも、ハルカが笑ってくれてよかったと心から思った。
「ねえ、なにかかけない? つぎ投げて、はねた回数が多かった方の言うことをきくってのはどう?」
明るい声でハルカはそう言った。
「きみが勝ったらキスしてあげるよ?」
「別のでいいです」
「もう、照れちゃってー。もっと素直になっていいんだよ?」
僕は頭を撫でたことを少し後悔した。
ごまかすために、僕は手早く石を投げる。五回。
彼女はじっくりと石を選別して投げた。六回。
「ふふ、勝っちゃったー」
ハルカはにやにやと笑った。
「これが社会の厳しさというやつだよ。ちょっとは尊敬した?」
「ほんのちょっとだけしました」
僕がいうとまた嬉しそうに笑った。
そのときだった。今日何度目かの着信音がなった。もう深夜だったから、鳴らないのではないかと思っていた僕は驚いた。
「スマホって平らでなめらかだよね」
ハルカはスマホをスワイプして着信を拒否する。
「何回はねるんだろう」
おもむろに彼女は水切りのようにスマホを持ち、二回目の着信で光る画面を川に投げた。
スマホは跳ねずに、重力にしたがって川のなかに沈んでいった。
光が沈んでいくその光景を、僕はただ見ていることしかできなかった。
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