第11話 グモヌシノカミ 1

 ミナモト家の使用人の老婆サクはウズマの大鎧の着付けを手伝いながら、思わず涙声を漏らした。

「鵺退治なさるなんて、本当にご立派になられました。ウズマ様のお父様とお母様が、今のウズマ様をご覧になりましたらさぞ…」


 ウズマの両親は、母親は産褥熱で、父親は山賊を束ねていたシュテンとの闘いで命を落としている。


「皆までいうな、サク」

 ウズマはポツリと呟いた。


 支度が済んで、隕鉄銀の名刀藤一文字を背負うと、武者姿のウズマが眼を赤くしたサクに声をかけた。


「行ってきます。」


 左目に傷のあるライゴウや薙刀を手にしたゲンシンが、馬に乗ってフジの屋敷にやってきた。中には鵺に傷を負わされたが生き延びた犬士の姿もある。

「ウズマ殿」

 犬士達から絶大な信頼のある一流の犬豪ライゴウは低く渋い声をしていた。

「シラカワライゴウ様。お初お目にかかります、ミナモトノウズマです。」

 思わず緊張して礼をすると、明るい笑い声が返ってきた。

「様だなんて、我ら犬士犬豪同士。堅苦しい挨拶さえ不要!鵺殺しの話は市中はおろか、山賊共を成敗してた我々の耳にも入ってきましたぞ。」

 薙刀使いで有名な『守りの』ゲンシンは片眉をあげ微笑んでウズマを迎えた。

「その若さでよくぞ鵺を倒しなさった。お父上のミナモトノギントキ殿もさぞお喜びになっていたでしょうな。」


「ありがとうございます」


 都屈指の犬豪二人に誉められて、ウズマは深々と礼をした。身が引き締まる思いだった。


 フジの前で犬士犬豪達が身を屈めて礼をし、フジは挨拶を送った。

「神と事を構えるということとなったが、帝様ことアシマミナカヌシ様の治める御国阿島(おんこくあしま)を、グモヌシノカミなどという祀ろわぬ邪神にとられる訳にはいかない!御神体があれば陰陽師キヨアキラと共に封印し、万が一肉体をもって現れたら必ずや討ち取るように!では、皆の無事と武運を祈る!えい!えい!」


「「おう!」」


 フジの声に皆が揃えた所で、ライゴウが声をあげた。


「出発!」


「「応!」」


 フジの前を離れ、犬豪二人は馬に乗った。

 ウズマはまだ犬士ゆえに徒歩であり、耳を失ったホウチをはじめ、鵺から生還した中堅犬士や同じ年くらいの若き犬士達と共に歩いた。


 そして風穴は、出発してからしばらくして見つかった。暗い入り口は獣の口の中を思わせ、不気味な静かさがあった。


「馬を近くにつないでおこう。ホイチ、頼む」「はい!」


 ゲンシンの言葉にホイチが応え、犬豪は二人共馬をおり、手に手に武器をとって、風穴の入り口に立った。


 ウズマは野太刀を抜いた。光を集め目立つ。

「それは大太刀が名刀の一振、藤一文字だな」

 ゲンシンは刀身に感ずる所があるらしく、光に眼を細めながら口笛を鳴らした。

「頼もしい奴よ」

 ライゴウは早くもウズマになにかを期待していた。

「参りましょう。」

 ウズマは礼だけして、奥暗い風穴へ前を進めた。


 仲間の犬士の松明の下、風穴の中は天然とは言いがたいのではないかと見紛うほどの、くりぬかれスベスベとした壁が広がっていた。


 奥にいくにつれ、腐った卵のような臭いが立ち込め、一行の鼻をついた。

「おかしい」

 犬士カズロは小声で囁いた。

「近くに温泉も火山もなく硫黄の臭いだけがする。よく嗅げば魚の腐った臭いまでしてきた。」

「マガツカミの臭いかも知れません。」

 キヨアキラも小声になる。


 奥へ奥へと進むと、ドーム状の終着点についた。異形の御神体の周りに腐った魚や肉や果物が並んでいるが、器はどれも食い漁った様に欠けていた。


「まずい、受肉しているか!」

 キヨアキラは袖から、同じく受肉していた三本足の鴉を尖兵としてグモヌシノカミの御神体に飛ばした。


 飛ばした鴉をグモヌシノカミは腕で掴み、握力で握り潰した。

 グモヌシノカミの姿は、手足が極端に細長く、鋭い爪を持ち、樽のような胴体で頭は触手のないタコのような、奇妙な頭足類の頭がのっていた。

 肌は水死体のような青色で、人間で口にあたる位置には獰猛な魚を思わせる剥き出した牙が並び、笑っているかの様に口を半開きにしていた。


「きますぞ!」

 キヨアキラは印を結びながら叫んだ。


「グモヌシノカミ、覚悟!」

 ゲンシンが、射てぃ!と言うと、松明で矢の先に火をつけた犬士達が、一斉に矢を放った。


 幾つかの矢はグモヌシノカミに命中し、逸れた矢によって奥の壁まで照らされた。奥には見慣れない赤い象形文字が描かれている。


グフフフフ


 グモヌシノカミは笑っているかの様な粘っこい鳴き声をあげた。


「かかれぃ!」

 ライゴウが槍でグモヌシノカミの脇腹目掛けて突きを入れながら、雄叫びを挙げた。

 脇腹をつかれたグモヌシノカミは身をよじりはすれども、まったく刃が通っていなかった。

 同じく槍持ちが「ヤーッ!」と叫び合いつつグモヌシノカミを刺したが、穂先がグモヌシノカミの皮を貫いてはいない。


「槍が効かないか!ならば!」

 ライゴウは槍を捨てると共に、隕鉄銀の小太刀を抜いて構えた。

 シラカワ家の家宝でとっておきだった。


ビョオオオオオオ!ワオオオオオオオ!


 遠吠えから叫びに変えつつ、ウズマの藤一文字がグモヌシノカミの細い右腕を切りつけた。


じゅっ!


 熱した鉄板に肉を焼くような音をあげて、右腕が切り落ちた。


「オオオオオ!」

 返す刀で胴体を逆袈裟に切る。藤一文字は煙を上げながら胴体をあっさり傷つけた。


「隕鉄銀が効きまする!」

 グモヌシノカミをレの字に切ったウズマの手応えの声に、「よしきたっ!」と同意する声が上がった。


「隕鉄銀のある者は前へ!そうでないものは明かりを絶やすな!」

 ゲンシンは薙刀で右腕の攻撃を払いつつ、隕鉄銀を持たない自分を呪った。

「隕鉄銀を持たない方は入り口へ!説明は省きますが、少しは効くように武器に加護を与えます!」

 キヨアキラは必死だった。


 神の本質は火(か)と水(み)の合わさった蒸気の様な、目に見えない力のあるモノである。

 受肉したことで、その本質を見誤っていたのはグモヌシノカミであった。


 カミに起きる痛みと死への恐怖


グフフフフ…ゴフッ…ゴフッ…


 末期の息の様に笑い声をあげると、グモヌシノカミは切れた左腕に軽く意識を向けた。


 五本の指のある掌がのたうち回りながら、巨大化していく。


「ぐあっ!」

 犬士ユウダが、蠢く掌に捕まった。鉤爪は鎧を紙の様に引き裂きながら、ユウダの胸や胴の肉をえぐった。


「くそっ!」


 仲間が傷つくのを見たウズマはグモヌシノカミの首らしき部位を狙って切断した。

 タコの頭とピラニアの口を持つグモヌシノカミの頭部はあっけなく離れたが、胴体は未だに鉤爪を振り回し、効いた様子は無かった。


「任せろ!」

 ライゴウが切断された頭部に飛び付き、小太刀を突き立てた。

 ライゴウ目掛けて飛んできた鉤爪をゲンシンがいなし、そしてウズマが胴体を右に左に、ビョオオオオオオという遠吠えのままに叩き切った。


式神しきじん、付与」

 素早く加護を得た太刀を手に犬士ユウダを救うべく犬士ホイチが左腕に切りかかった。


ガッ!


 硬い音と共に巨大化したグモヌシノカミの左腕が削れた。

「これならばっ!」

 ホイチだけでなく、武器に加護を受けた四人がかりで左腕の指を削りとった。


 絶命しかけたユウダを後ろにやって、ホイチ、ヤスロ、キヨタ、ヒトシの四人が加護武器を前にする。


 他にも、キヨアキラの加護を待つ者が多くいたが、キヨアキラは術の度に体力を消耗した。

 キヨアキラは肩で息した。ここまで剣魂を付与する事になるとは思っていなかった。

 術ごとに体力を消耗するが、付与して元に戻る時間が短い為に術をかけっぱなしにする訳にはいかなかった。


 闘いは佳境に差し掛かっていた。

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