第三話

「――お待ちください。ここに、当主継承の儀に臨む際の衣装は、当主代理の十三参りの際のものを流用するとありますが、これは本当なのですか? 衣装室?」

「はい。その方向で進めています」

「当主継承の儀に臨む当主代理のお衣装が、十三参りの使い回しだというのか? そのような決定をいったい誰が」

「昨年六月の定例本会で、当主継承の儀に関する特別予算案を提出した際に、そう可決されました」

「歴代の当主様がたは皆様各々に相応しく新しいお衣装を仕立て臨まれているというのに、歴代のどの当主様よりも大変な大義を負われる当主代理にそのような仕打ちを許す厚顔は、我々の幹部席からは一掃されたはずだ――……」


 また幹部席の一角から熱弁を振るう分家当主が現れたことに、陽雨は取り繕った無表情の裏で盛大に舌打ちしていた。


 当主継承の儀の前夜に行われる潔斎。当日儀式で使用する祭具の格。当主就任式のあとの祝宴会。

 これでいったい何度目だろうか。

 急拵えの幹部十二席なので資料の隅々まで熟読する暇などなかったはずなのに、余計なところに目をつけた誰かが疑問を呈し、結果とっくの昔に決定されたはずの事項を一から再審議し直す羽目になって、もういくつ採決結果がひっくり返されたか分からない。

 幾度となく繰り返される流れに陽雨は辟易していた。


「呉服商を呼ぶのも採寸を受けるのも構いませんが、皆様はいったいどのようにして今から仕立てる衣装を来月初めに間に合わせるおつもりなのでしょう。着物の誂えにどれほどの時間が必要かご存じでいらっしゃいますか?」


 分家たちが盛り上がる前に水を差しておく。

 たじろぐ彼らに苛立ちが募った。


 そもそも「新しい誂えは不要」の一点張りで、衣装室が予算すら振り当てられずにいたところは、彼らも定例本会の陪席で聞いていたはずだ。

 それを今さら。


 唇を噛む。

 口が滑りそうになって、無理やりため息とともに吞み込んだ。

 これ以上言えば、余計に惨めな思いをするだけだ。


「……当主継承の儀の衣装はとっくに決定されています。あれは成人後にも着るために誂えたもので、格が足りないということはないはずです。なぜあれでは皆様のお気に召さないのでしょう」


 元々の衣装は陽雨にとっても思い入れのあるものだった。

 旧執行部は陽雨の装いにけちはつけるくせに陽雨が着飾ることに対しては『金食い虫』と非難するので、十三参りの振袖は初め安価な化繊の物が用意されようとしていた。

 そこに月臣が割って入って、本家の娘が着るに相応しい振袖を誂えてくれた。

 十三参りのときは肩上げをしていたから、あの優美な中にも可憐な振袖を着こなせるようになる日を、待ち遠しく思っていた。


「格を備えた新品でなければならないのなら、いっそ学生らしく学校の制服でも新調して着ましょうか」


 唖然とした視線が一斉に向けられるが、本来なら学生の冠婚葬祭における一般的な礼装は学校の制服のはずだ。

 仰々しい和装も普段使いの学校の制服も、高校生にとってはどちらも同じくらいフォーマルな場に相応しい服装である。


「陽雨。さすがに当主継承の儀で学校の制服をおまえに着させるわけにはいかない。そんなことをさせるくらいならこれから呉服屋を走り回って仕立て上がったものの中から陽雨に似合うものを探してくるよ」


 沈黙の流れる中で月臣が苦言を呈した途端、執行部の面々から安堵のため息が零れた。

 月臣なら陽雨を説得できるかもしれないと、期待のこもった視線が月臣に向いている。


「伯父様にこそそんなことさせられません。それなら衣装部屋で箪笥の肥やしになっている振袖をひっくり返して私がまだ着たことのないものの中から見繕ってきます」

「ああ、そのほうがまだしも現実的かもしれない。衣装室、先々代から陽雨が相続した着物があったはずだね?」

「は、はい! ございます。当主代理が一度もお召しになったことのないものが、いくつも」


 衣装係がこくこくと首を振る。

 月臣はひとまず納得したように頷いたが、陽雨はうっすら眉をひそめた。


「……先々代から、私に? 明陽様に、ではなく?」

「明陽は当主継承の儀に自分で選んだ洋装を持ち込むほど、和装を好まない娘だったからね。先々代は特に大切にしていた自分の着物を、明陽に娘が産まれたらすべて孫に相続させるようにと遺言を残していた。明陽は中を見てもいないはずだよ」


 月臣がくすりと苦笑を浮かべる。

 そっか、と呟いて眉間の険をほどきかけた陽雨に、「おお……!」「そうか、その手が」と声が届いた。


 幹部十二席がこそこそ言い合っては何やら手を打っている。

 陽雨が視線を向けると、ひとりが妙案を閃いたとばかりの喜色満面で口を開いた。


「当主代理。先々代は元々明陽様の当主継承の儀のために見事な振袖を誂えていらっしゃいました。結局明陽様は一度もお袖を通されなかったそうですが、当主代理がお母上から受け継がれたお着物で当主継承の儀に臨まれるというのは至極自然なことでしょう。新しい仕立てが間に合わないということであれば、明陽様が遺されたお着物をお召しになってはいかがでしょうか」


 彼に合図された衣装係がいそいそと目録を持ってくる。ご丁寧に写真付きだ。

 幹部席から注がれる期待の眼差しが陽雨の神経を逆撫でする。

 華やかできらびやかな柄行きの、しかし明らかに陽雨に仕立てられたのではないと分かる振袖に、感情的な言葉が口を衝いて出そうになる。


「――皆、大人のくせに、フシアナなんじゃないの? こんなの、陽雨には似合わないよ」


 横から声が差し込まれた。

 どんどん長丁場になっていく定例本会の議事に早々に飽きたらしく、座椅子をぐらぐらさせて遊んでいた洋輔が、いつの間にか目録を覗き込んでいた。


 解任要求によって長老席を追われた一族の人間で、さらに先日の事件を引き起こした張本人がそんな口を利けば、大広間中から反感を買ってしまう。

 近江当主は顔色を失っていたが、洋輔はまるで気にした様子もなく欄間の写真を指差した。


「だって、陽雨と明陽様って、フインキ、ぜんぜん違うじゃん。明陽様は可愛いやつが似合うかもしれないけど、陽雨は可愛いってより、綺麗って感じだから、こういうやつじゃないほうがいいと思う」


 飾られた明陽の写真と陽雨を見比べたかと思うと、目録をぺらぺらと勝手にめくり、何かを見つけて目を輝かせて、こっちがいいよ、とあっけらかんと指差す。


 そこには陽雨の見知らぬ振袖が載っていた。

 目の冴えるような露草色の地に、袂には涼しげな流水文様。水色、淡い菫色、赤紫、薄紅、白、とグラデーションを描きながら、柔らかな色合いの紫陽花がシャワーのように散らされている。控えめな金糸の刺繍が華やかというよりは優雅な雰囲気だった。


「オレたちを助けに来てくれたときの色!」


 あのときは淡い藤紫色の着物だったはずだ。

 洋輔の言葉に首を傾げかけた陽雨は、「あ、」と目を丸くして、それから苦笑した。

 なるほど、道理で子供らしくない柄行きを選ぶと思った。


「あの、折り鶴の?」

「そう! 青い鶴が飛んできて、ケッカイ張って、そしたら妖が近寄ってこなくなったんだ。陽雨が守ってくれたんでしょ?」

「あの鶴には元々ヨウくんと妹さんの霊力もこもっていたからだよ」


 嘘ではない。あらかじめかけられていた式神の術の残滓を利用して双子の足取りを追ったのだ。

 洋輔は照れくさそうに頬を掻いた。それからぷくっと頬を膨らませる。


「でも、あのときのキモノは綺麗だったけど、今着てるやつはなんかおばさんくさい。陽雨はさ、せっかく綺麗なんだから、もっと綺麗なやつ着なよ。それじゃうちの母さんがお茶のおケイコに行くときとおんなじだよ」


 忌憚のなさすぎる評価に、陽雨は苦笑しながら自分の格好を見下ろした。

 色無地は茶席に着ていくのに無難な着物だ。陽雨も茶の稽古を受けていたときは無地の一色染めのものを着せられていた。

 洋輔にとっては年配の女性が着るものという印象があるのかもしれない。


 陽雨の装いは当主代理としての威厳にも通じるもので、年頃らしくおしゃれに目を輝かせてばかりいることはできない。

 常に時と場を弁えたものを身につけることを求められる立場だ。

 だから、子供の言うことをすべて真に受けたりはしないけれど、含むところがまったくないと分かる賛辞に嬉しくならないほうが嘘だ。


「衣装室。この振袖はどういう由縁のあるものでしょう。私の衣装にはなかったもののようですが」


 衣装係に洋輔が選んだ振袖を見せると、彼女は少し記憶を手繰るように目を彷徨わせた。


「冬野様が当主代理にお贈りになるために、生前に誂えていらっしゃったものです。仕立て上がりが当主代理のお生まれに間に合わず、冬野様がお亡くなりになったあとに冬野様宛てに本家に届けられたものでしたので、冬野様のご遺品として保管するよう命じられておりました」

「……冬野様、が」


 少なからぬ当惑とともに、陽雨は呟いた。

 衣装係が陽雨の様子を窺っている。

 勝手な判断をしたことに陽雨が気分を害しているとでも思ったのか、今にも頭を下げそうな顔色だが、生憎陽雨には彼女を気にかけている余裕はなかった。


「伯父、様」


 自分の袖を握りしめて助けを求める陽雨がよほど酷い顔をしていたのか、月臣は安心させるように微笑んだ。

「見せてごらん」と目録を受け取って、遠く郷愁を感じさせる仕草で目を細めて、嘆息する。


「ああ、よく覚えている。陽雨の生まれる時季に合わせて、冬野があれこれ細かく呉服屋に注文をつけて誂えさせていたものだ。まったく、まだ生まれてもいないのに何枚仕立てるのかと、当時は呆れて見ていたものだったけれど」


 冬野はその他にも陽雨が産まれる前からたくさんの子供用品を部屋に溢れさせていたというが、それらの中で陽雨の手元に渡ったものは皆無に等しい。

 明陽の遺品も冬野の遺品も、今まで陽雨の手の届かないところに取り上げられていた。

 陽雨はふたりの遺品を管理するための部屋に立ち入ることも許されていなかった。


「誕生日の何かの祝いで着てくれたら嬉しいというようなことを言っていた。陽雨が当主になる日の衣装になったと知ったら、冬野もきっと喜ぶだろう」

「……そう、かな」

「陽雨は気に入らない?」


 そうではない。

 陽雨はゆっくりかぶりを振った。

 月臣が眼差しだけで先を促すのに、躊躇う唇を無理やり動かす。


「……私が着ても、いい、のかな」


 陽雨の負い目を知らない月臣は、その言葉を『今まで許されなかったのに』という意味に捉えたようだった。するりと幹部席へ据わった目を向ける。


「この中で、まだ陽雨から冬野の遺品を取り上げておきたいと思う者は?」


 沈黙が落ちた。

 圧をかけて黙らせたようなものだが、月臣は満足げに頷いて、「陽雨、誰も反対する者はいないよ」と言った。


 洋輔が「これにしようよ」と陽雨の腕をしきりに引っ張っている。

 陽雨は期待の眼差しに流されるように頷いていた。


 歓声を上げて喜んでいる洋輔を見ていると、なんだか釣られて頬が緩みそうになる。

 龍神の件に関係なく、陽雨が陽雨であるという理由で当主就任を望んでくれるのは、きっとこの幼い家人くらいのものだ。

 彼が見立てた衣装で当主継承の儀を受けるというのもいいのかもしれない。

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