第二話
「議題一、当主継承の儀に関しての論議事項に戻ります。先刻の当主代理不信任決議の否決をもって、予定通り来月一日には私の当主継承の儀を決行することになります。異論のあるかたは挙手を」
先日は散々声が上がっていたのに、今日は幹部衆はひと言も発さない。
たっぷり十秒待っても、誰も手を挙げる気配はない。
「幹部十二席の承認を得たものと見做します。では――」
「――お待ちください、当主代理」
ゆっくりと腰を上げた丹波老に、部屋中の視線が集中する。
何か異論があるのだろうか。
丹波老は重々しい表情で言った。
「当主代理、次の議題に移る前に、先に決めるべきことがありましょう」
何か議事を抜かしただろうか。議事次第に視線を落とす陽雨を、丹波老はまっすぐ見据えていた。
「――幹部十二席と長老三席の再選出。当主代理におかれましては、残りの議事の何を差し置いても、まずこの問題に着手なさるべきかと」
陽雨は眉をひそめた。
本家執行部を丸ごと刷新する再選出は、新当主就任と同時に行われる人事のはずだ。
水無瀬を構成する全分家の投票によって水無瀬への貢献度順に選出される幹部十二席、その新十二家当主が候補を推薦する長老三席。新当主は自身の道標となるべき長老三席については何度でも選定候補者を差し戻すことができる。
三段階に分かれる大掛かりな人事は、この場で言い出してすぐに裁可というわけにはいかないものだ。
「私が水無瀬の正式な当主たりえるかが判明するのは来月です、丹波老。少々気の早いお話ではありませんか」
「我々は既に当主代理が限りなく確実に龍神様との契りを交わされるであろうことを及び知っております。であればこそ――当主代理のご信任を損ねた家人など、早々に御身の周囲から排するべきでしょう」
「当主代理が幹部席に解散を請求したことはありません」
不信任決議を提議された当主およびそれに準じる役職にある者は、それに対する抵抗策として幹部十二席の解散と再選出を請求することができる。
しかし陽雨は不信任決議の中で、当主代理としての一切の抗弁を放棄すると宣言したはずだ。
丹波老は陽雨をじっと見つめていた。
陽雨が見返すと、不意にふっとその唇を引く。
穏やかな笑みを湛えて老人は言った。
「貴女の一の信頼を置く家人にお聞きになるとよろしい。あるいは、この卑小の身が座す後ろに控える皆に。きっと誰もがそうすべきだと口を揃えることでしょう」
その清々しい表情に、なんとなく察せられるものがあった。
「……丹波老は、長老席の座を解かれたいのですか?」
丹波老は静かに笑んでいた。
沈黙は雄弁だった。
陽雨も同じだったから、その決意が分かってしまった。
「年端もゆかぬ女子にすべての責任を押しつけてずっと虐げてきた挙げ句、貴女の価値を知るや手のひらを返して威光に阿ろうと浅慮を目論む老害など、さっさと捨て置かれるべきです。……未成年の当主代理を支えるどころか、孤立を極める幼い貴女に言葉のひとつもかけたことのない、人の心も持たぬようなこの老いぼれも、初めから席を退くべきだったのです」
長老三席に選出された者は、よほどの――それこそ重病や死亡などの理由がない限り、その役目を降りることはない。
本来当主本人の意向を最も反映した人選であるはずの長老三席は、その性質上当主から最も手厚い待遇を受けるもので、基本的に長老本人が辞めると言い出す場合を想定していない。
生涯の師として一席を永久欠番とする当主もいるほどだ。
陽雨はため息を堪えて月臣に視線を向けた。
「当主代行はどのようにお考えですか」と問うと、月臣が厳しい表情をしたままゆっくりと頷いて、幹部十二席と長老三席を順に見回す。
「丹波老の言うことももっともだ。私もこの先の当主継承の儀に関する議事がこの面々によって審議されることには疑念を禁じ得ない。特に、当主代理不信任決議の構成条件を作り出した幹部席の分家当主たちが、これ以降もその席で言葉を発することには――陪席の分家諸君も納得しないだろう。暫定的にでも十二席を一新するべきだと思う」
次の間の分家から同意するような声がいくつも上がる。
ざわめきはあっという間に喧騒となり、幹部十二席と長老三席の解任を叫ぶ声で大広間が満ちる。
陽雨はひとしきりそれらの主張を聞いてから、ぱんと一度手を打ち鳴らした。
「長老衆と幹部席の再選出は、皆様の総意、ということですね。分かりました」
大広間を見渡してから、陽雨は目を伏せた陰でうんざりと議事次第を眺めた。
今日初めて決めたり審議したりすることはさほどないが、陽雨の成人前の最終確認という意味で、今日のうちに裁可を採らなければならない議題はいくつも残っている。
さっさと済ませてしまうつもりだったのに、厄介なことになったものである。
「――ですが、幹部席と長老席は本来新当主就任後にひと月かけて吟味と熟慮を重ねて選出されるものです。私の成人まで間もない今から悠長に正規の手順を踏むわけにはいかないので、当主代行のおっしゃる通り、今回は私の当主継承の儀までの暫定的な席替えとします。今日は分家当主の皆様がほとんどが陪席しているので参席条件については問題ないでしょう。三十分の協議時間を設けますので、候補を選出のうえ提出してください。提出され次第承認審議に移ります。当主代行、ここからは本家当主代行としてではなく、筆頭分家たる霧生家の当主として、分家の総意のまとめ役をお願いします」
淡々と告げる陽雨に次の間の一部がざわめいた。
月臣が「陽雨」と伯父の立場から陽雨を窘める。
「ここからは私や霧生も他の分家から選別される立場だよ」
「でも、先代のころから当主不在の水無瀬を支えてきた伯父様を輩出する霧生が、幹部第一席を続投しないはずがないでしょう? 伯父様以上に水無瀬に貢献している人がいらっしゃるのなら話は別だけれど」
幹部席の再選出といっても、霧生家の立場はなんら変わらないはずだ。陽雨は平然として言いきった。
違うの? と首を傾げてみせる陽雨に、月臣は苦笑しながら頷いた。
「陽雨が望むなら霧生はそう在ろう。ただ、私はこの一年水無瀬を離れていることが多かったからね。朔臣を借りてもいいかい?」
頷くと月臣は朔臣の代わりにと自分の式神をつけてくれた。
額に式神の印を持つ、美しい黒い毛並みの大きな犬のような獣の姿をしていて、いつかの子犬のように陽雨に牙を剥いたり威嚇を向けたりすることなく、月臣の命令を受けてすっと傍らに身を伏せる。
陽雨は興味津々で式神に乗っかろうとする洋輔を止めつつ、次の間ですし詰めになりながら行われているであろう幹部席の選出を待った。
次の間での協議は、陽雨が提示した予定時間よりもさらに一時間長引いて、ようやく一段落着いた。
襖が開いて進み出た月臣が恭しく読み上げようとするのを制し、候補一覧の紙を受け取って軽く目を通してから、陽雨はおもむろに座卓に用意されている当主代理印を取り上げた。
最終承認欄に押し当てて、そのまま傍らの書記に手渡す。
「私からの疑義はありませんので審議を省略して承認します。書記による席次読み上げに代わり、私の承認をもって現幹部十二席を解任、新幹部十二席を任命いたします。新幹部十二席は席次の通りに着席してください。次に新長老席の選出を。当主代行、私は退室しますので候補の選出が終わったら呼んでください」
あっさり承認してしまった陽雨を「しょうがない子だ」と言わんばかりに見つめている月臣に対して、次の間にいる分家は相変わらずざわめいていた。
そんなに自分たちで決めた候補に難癖をつけられたかったのだろうか。陽雨が分家から挙がった意見を却下したことなどこれまでほとんどないというのに。
「陽雨、待ちなさい。定例本会中に当主代理を退室させて話し合う幹部がどこにいる? 私たちが移るから、おまえはここで待っておいで」
立ち上がりかけた陽雨を呼び留めて、月臣が新幹部当主たちを連れ立って出ていく。
以前までそんなことをさせたらあちこちから反発の声が上がったものだが、今日は誰も彼も文句を言わない。
鉛でも飲み込んだかのように重たいものが胸にどろどろと流れ込んでくる気がした。
長老三席の選出は幹部十二席のときよりは順調にまとまったらしく、三十分ほどで候補一覧が提出された。
特に突き返すつもりもなかった陽雨だが、挙げられた名前を見て少しだけ目を瞬いた。
「……丹波老? 席を解かれたかったのではないのですか?」
近江老と筒泉老は当然のように外されていたが、第三席には丹波老の名前が据え置かれていた。
このまま受理していいのか確認を取る意味で視線を向けると、丹波老は苦い顔をしていた。
「……当主代理の当主就任までの、繋ぎのようなものです」
「繋ぎ?」
「この老いぼれの顔など見るのもご不快でございましょう。当主代理御自ら差し戻しいただきますようお願い申し上げます」
まるで陽雨に差し戻してほしいような言い方だ。打診を受けたから候補に名が連ねられているのではないのだろうか。
困惑していると、月臣が取りなすように口を開いた。
「長老三席が一度にすべて解任請求によって変えられる代替わりは水無瀬の歴史の中でも例がなくてね。長老衆にのみ伝わるものもあるというから、継ぐべき伝統の何を取り零すか分からない。他二席を続投させるつもりはないので、消去法で丹波老に続投の提案を受けていただいた。とはいえ、他の二席の候補も、明陽の代の長老経験者と、陽雨が産まれた当時に丹波老と並んで次期長老と目されていた老師だから、陽雨が嫌だと思うなら丹波老を外して別の候補を立てることに幹部十二席は否やを唱えるつもりはないよ」
分家の当主格を引退した隠居が就くことが多い性質上、病気療養や寿命などの理由による長老席の代替わりや交代はままあることだが、長老三席を一足に総入れ替えすることは歴代でもそれほどない。
そして稀にそういう事態になった際には、必ず長老席にのみ受け継がれていたはずの伝統やしきたりが失伝していたことがのちのち発覚して、そのたびに混乱が起きる。
陽雨を嫌厭していた近江老と陽雨を傀儡にせんとする姿勢を隠さなかった筒泉老を再任させられない以上、丹波老が続投するのは避けられない流れだったのだろう。
陽雨も納得できるその理屈を、しかし丹波老だけは腹落ちしない面持ちで聞いていた。
消去法で選ばれた側は複雑だろう。それが自分から解任を言い出したともなればなおさらだ。
とはいえ、そもそも陽雨は丹波老に対しては良くも悪くも特別な感情を持ち合わせていないので、引き受けてくれたことに感謝こそすれ、特段邪険にするつもりもない。
「承認します。こちらも書記による席次読み上げに代わり、私の承認をもって現長老三席を解任、新長老三席を任命します。近江当主、筒泉老はお下がりください」
ほっとした様子で下がっていく近江当主とは反対に、筒泉老が強張った顔つきで次の間を横切っていくのが見えた。
経緯が経緯だけに、筒泉老は今後ほとんど出禁の扱いになる。
陽雨の在位中に筒泉家が本家で発言権を持つことはなくなるだろう。
一部残留組が混じるものの、幹部十二席、長老三席が一新され、真新しい顔ぶれが奥の間に揃う。
これでようやく議事が進む。
うんざりしているのを顔に出さないように努めながら、議事の再開を宣言した陽雨だったが。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます