第三話

 定例本会は、母屋の一等広い畳敷きの客殿を三間繋げて大広間とし、漆塗りの座卓をいくつも並べた形で行われる。


 緑豊かな回遊式庭園に臨む奥の間は最も格式高く、格天井の座敷に床の間と違い棚が設けられ、透かし彫りの欄間には歴代当主の写真が額縁入りでずらりと飾られている。

 数代前までは、当主かその跡継ぎしかそこに足を踏み入れることができなかったという。

 時代が下った現代では、上座から当主席、幹部十二席と長老三席から成る執行部席と続き、最も手前側に関係各部署の責任者席が連なる格好となる。


 使用人たちが控える前の間、陪席の分家が座る次の間を素通りし、床の間に吊るされた掛け軸の前が、当主代理である陽雨の席だ。

 陽雨の補佐役である朔臣は陽雨の右後方、月臣は霧生家の当主として幹部席の中でも最も上座に近い席へと腰を下ろしている。


 大広間に集う人々の視線の集まる中、最後に席に通された陽雨は、背筋を伸ばして大広間を見渡した。

 一点で目を眇めたのは、三名いる長老衆のうちのひとりが不在だったからだ。


 ここ数ヶ月の決まった流れである。

 近江老が時間になっても現れない。

 使用人を遣わしても何だかんだと理由をつけて部屋から出てこないので、他の長老衆や幹部衆からせっつかれて仕方なく陽雨が呼びに行くと、ようやく悠々自適に大広間に姿を見せて着席する。

 陽雨より自分のほうが実質の立場は上だとでも言いたいのだろう。


「――おひとり、いらしていないようですが。長老衆?」


 一応水を投げてみるが、二名の長老衆はそれぞれ気のない素振りで応じるだけだ。

 第三席の丹波老は目を伏せるだけで無視、第二席の筒泉老に至っては鼻で笑って「いつも通りお昼寝でもなさっているのかもしれませんなあ」などと嘯く始末である。

 幹部席からさざめきのような嘲笑が上がる。

 皆、いつも通り陽雨が中座して近江老を呼びにいくと思っているのだろう。


 陽雨は座卓に置かれた書類の中から一枚取り出して、広間の端に控える使用人のひとりを目線だけで呼び寄せて渡し、凛と顎を持ち上げて長老席を見据えた。


「では、近江老はいらっしゃいませんが、刻限になりましたので当月の定例本会を始めます。これより十五分以内に近江老がいらっしゃらなかった場合、定例本会規則四条の規定に基づき、近江老は本日無断欠席として取り扱います。長老三席という立場にありながらさしたる理由もなく定例本会を欠席する振る舞いは、次月以降三回の定例本会の出席停止処分に値します。――そこの貴方。早くそれを近江老の下へ。十五分以内にお越しになるよう伝えてください」


 困惑する使用人にもう一度視線を送ると、使用人は「はっ、はい!」と転がるように大広間を出ていった。

 一瞬あと、大波のようなざわめきが起こる。

 その中には「何様のつもりか」と陽雨を非難する声も混じっている。筒泉老が唖然として陽雨を凝視していたが、陽雨は知らん顔で口を開いた。


「静粛に願います。ここは既に伝統ある定例本会の場です。私語は控えてください。以降、議事進行中に議長である私の許可なく発言した者、議事に即さない発言をした者は、定例本会規則八条の規定に基づき退室していただきます」


 有無を言わさずじろりと見回すと、ざわめきが少し収まる。

 それでもまだぶつぶつと文句を口にする幹部の名を次々に挙げ、陽雨は式札を突きつけた。


「貴方がたをまとめて本家の外に弾き出す程度、水無瀬の結界を預かる私には造作もないことです。次の間の各分家当主の皆様も同じことです。もう一度繰り返します。全員私語を慎みなさい。――次はありません」


 名を挙げられた幹部当主らは、陽雨が既に式札に霊力をこめていることに気がついたのだろう。

 波を打ったように大広間が静まり返る。


 いつになく強気な陽雨に当惑と反感の気配が満ちている。

 月臣の気遣わしげな、朔臣の警戒するような視線が注がれている。

 それらには目もくれずに、陽雨は淡々と議事の開始を宣言した。


「……失礼いたします。近江老がご到着されました。途中入室を希望されています。いかがなさいますか」


 遣いを任せた使用人が戻ってきたのは、各部署担当者の月次報告が始まってすぐのタイミングだった。

 使用人は腰は引けていても定例本会の規則にはよく通じていたらしく、襖を小さく開けてまず陽雨にそう耳打ちした。

 正しい入室手順とはいえ、あの近江老を廊下で待たせるなんて案外豪胆だと思いながら、陽雨は「ありがとう、ご苦労様です。前の間に通してください」と応じて、ちょうど会計担当者の報告が終わるタイミングを見計らって進行を中断させた。


「……このふざけた紙切れはどういう了見か、当主代理」


 前の間に続く正面の襖が静かに開かれるや否や、術師ふたりにそれ以上の入室を阻まれた近江老が、不機嫌そうに言った。

 苛立たしげに手にしていた紙を握り潰し、眼光鋭く陽雨を睨みつける。

 単に定例本会の規則を書き連ねただけの紙のどこがふざけているというのだろうか。

 陽雨はあえてにこりと微笑んだ。


「近江老、私語は慎まれますよう。貴方は途中入室の許可を願い出る立場です。それともこのまま定例本会無断欠席の咎を受けますか?」

「小娘が、威を借る虎を得て図に乗るか」

「何とでも。ですが、既に他の皆様に次はないとお伝えした手前、近江老だけ目溢しするわけにはいきません。ここは既に伝統ある定例本会の場です。私語は控えてください。以降、議事進行中に議長である私の許可なく発言した者、議事に即さない発言をした者には、定例本会規則八条の規定に基づき退室していただきます。近江老、もう一度お聞きします。途中入室を希望しますか? このまま客間に下がりますか? ――それとも私は、八条の当主権を代理執行しなければなりませんか」


 懐から式札を取り出して霊力をこめ始めると、近江老は憎々しげに顔を歪めた。

 陽雨を嘲り貶める仮面が剥がれた途端に顔を覗かせる、ぎらぎらとした憎悪と敵意。

 それでも陽雨よりこの老人のほうが遥かに定例本会に係る諸規則に精通しているはずなので、手順に則って「長老第一席近江、議事進行の円滑を妨げる振る舞いをお詫び申し上げる」と告げた。


 陽雨は式札に集めた霊力を解いて、鷹揚に頷いてみせた。


「近江老はご高齢でいらっしゃる。時計の針を見紛うこともありましょう。本会の開始時刻より十三分、当主代理、皆瀬陽雨の名において、近江老の途中入室と本会への参加を認めます。近江老、着席を」


 煽ったのは近江老の失言を誘うためではなかったが、咄嗟に何事かを口走ろうとした近江老を、慌てて丹波老が制していた。

 今日の陽雨は一切の私語を認めるつもりもなければ、秩序を守らない者に実力行使を厭うつもりもないことを察しているのだろう。

 近江老は抗議のつもりか乱暴に着席した。


「では議事に戻ります――が、次、警備部から報告を受ける前に、警備部総責任者である幹部第六席、海老名どのにお聞きしたいことがあります」


 立ち上がりかけた警備部担当者がびくりと震え、海老名がふんと鼻を鳴らす。

 反応の差に目を細めながら、陽雨は海老名へと視線を険しくした。


「以前より再三再四警告していますが、定期、周期問わず、貴家が管轄する警備部第一室の報告不備が目立ちます。先々月と先月だけでも、定刻に遅れての提出が十五回、未提出が八回、過去報告の複製偽装が四回、ここ一週間に限ってはこちらから催促しなければ一度も報告書の提出がありませんでした。当直担当者は貴方が最終確認印を押印したあと提出しているものだと言っています。どういうことでしょうか」

「すべてやむにやまれぬ事情によるものです。他業務の対応にかかって手が回らなかったもので……以後は気をつけましょう」


 殊勝にしてみせる海老名だが、これは陽雨が同じことを糾弾するたびに繰り返される定型文だ。

 陽雨が侮られるだけなら構わないが、いつまでも同じ手で乗り切れると思われるわけにはいかない。

 今後のためを思えば尚更だ。


「……ならば、併せてこちらについても釈明していただきます」


 陽雨は手元の資料を一部、術で海老名の下に飛ばした。

 小馬鹿にした様子で資料に視線を落とした海老名がぴくりとこめかみを引き攣らせる。

 その間に他の面々の前に資料を配りながらも、陽雨は糾弾の姿勢を緩めず海老名を睨み据えた。


「海老名どの。そこに載せた写真の状況について、私が納得できるような釈明があるのならお聞きします」


 資料に載せているのは、水無瀬の敷地内に点々と存在する土蔵の周辺を撮った写真である。

 特に重要機密が保管されている書の蔵や、封印処理を施された呪具、大祭のための神具が収められている蔵を中心に、日を変え時を変え場所を変え、半年前から陽雨が逐一撮り続けてきたものだ。

 そのすべてが人気のない森の中に存在していて、どの時間帯の写真にも人の姿は映っていない。


「すべて、ふたり以上の術師による常駐警備を置くべきと決められている場所のはずです。どういうことかご説明を。海老名どの」

「……いつの間にこんな物を。水無瀬に防犯カメラなどないはずだ」


 それは陽雨の問いに対する返答ではない。だがこれで捏造を疑われても困るので、陽雨は一枚の式札に霊力をこめた。

 鳥の形をかたどった式神の足の爪に自分のスマートフォンを掴ませて、くるくると天井を旋回させる。

 今どき大層なカメラなどなくてもライブ中継くらい可能なのだ。


 総じて年配の出席者が多いためか、皆が呆けたようにスマートフォンを持って空を飛ぶだけの鳥を見上げている。

 その中で海老名が信じられないとばかりに目を見開いた。


「と、当主代理は式神を扱えないはずでは」


 確かに陽雨は妖祓いや浄化の術の基礎を詰め込まれて務めに出るようになっても、式神の使役においては下位の動物や虫の霊すらまともに操れなかった。

 式神の術は突き詰めれば神霊に通じる力であり、基礎の式神術もままならない人間は、神に契約を持ちかけるどころか、神の姿を見ることも感じることもできない。

 それが、陽雨が龍神を祀る本殿に招かれたことがないという事実とともに、陽雨を次期当主として認めないという反当主代理派の主張の核となっていた。


 頓珍漢なことを言い出す相手にため息が零れる。

 そんなことは今の議題には何の関係もないことだ。

 式神を収め、陽雨は言い逃れを許さないよう視線に力をこめた。


「……事実を否定はしませんが。海老名どの、それは説明を放棄するということでよろしいですか?」

「そ、それぞれの蔵には結界が張られているうえ、物理的に施錠もされていて、その鍵は警備部で管理されております。術師不足が叫ばれる昨今の情勢も鑑みて、常駐警備を置く必要性が低いものと判断し……」


 言葉に詰まって目を泳がせる様子にもう一度ため息をつく。

 話にならない。特別警備対象にはその重要度に応じて常駐警備を置くという決まりは本家規則で定められているものだ。本家規則の改定には執行部の裁可を要する。一分家や担当者にその是非を判断する裁量は与えられていない。


「第六席海老名家を警備部第一室および総責任者の担当から外します。不適格事由は十分だと思いますが、異論のある方は挙手を」


 さっと見回しても手は上がらない。

 海老名は項垂れていたが、陽雨はにべもなく手元の召喚書に当主代理印を押した。

 控えていた使用人に手渡して、海老名まで運ばせる。


「本会終了後、日を改めて場を設けますので、海老名家は後任に所轄移管を。それまでは本家より監督人を遣わせますので、監督人の下で速やかな警備体制の改善に努めてください。新たな警備部総責任者については改めて慎重な人選が求められるところですが――」

「当主代理。いいだろうか」


 月臣が片手を上げていた。

 定例本会は水無瀬の家門が一堂に集まる正式な場なので、ここでは月臣は陽雨を陽雨とは呼ばない。

 陽雨も「当主代行、どうなさいましたか」と形式ばった口調で月臣に応じる。


「特別警備対象が長らく忽せにされていたなどという由々しき事態が明らかになった以上、現状の把握と整理、警備体制の適正化を逸早く図るためにも、警備部の統括権は一度本家に戻すべきだろう。再び分家に預けるか否かは来月以降の人事刷新の際に改めて判断すればいい」


 月臣は落ち着いた物腰ながら表情を引き締めてそう提言する。

 海老名家の職務怠慢がどこまで根深いものなのか警戒しているのかもしれない。

 警備部は特別警備対象を管轄とする第一室と、本家敷地の一般警備を担う第二室に分かれている。第二室の管轄は海老名家とは別の幹部分家だが、場合によっては第二室をも疑う必要がある。


 陽雨は顎を引いて頷いて、幹部席をくるりと見渡した。

 再び決を採るが、月臣直々の提言とあって、今度も誰も異を唱えない。

 陽雨は警備部の担当者に視線を向けた。


「特別警備対象のいくつかには今この時も常駐警備が置かれていません。海老名どのの命令は当主代理の名において撤回し、同時に迅速な人員配置の見直しを求めます。何かこの場で特別報告すべき事項がなければ、貴方はこのまま退室して構いません。監督人を先に向かわせていますので、その指揮下で誠実に職務に当たってください」


 不祥事で失脚することが確定している上長の許可は伺わなくていい、というお墨付きを得た担当者が、慌てて席を立って一礼する。

 そのまま大広間をあとにする姿を見送っていると、役職から下ろされたも同然の海老名が、憎々しげに陽雨を睨みつけていた。


 常日頃から侮ってきた陽雨に足元を掬われた形なので矜持も傷つくのだろう。

 全十二席と限られた幹部分家のうち、上位六席に入れるかどうかは分家間でも熾烈な争いなのだという。こういう不祥事は席次の昇降に繋がるので焦りがあるのかもしれない。


 初めから真面目に職務を遂行していれば、陽雨に引きずり下ろされることもなかっただろうに。

 陽雨は憐憫にも似た気持ちで海老名から視線を外した。

 封印指定の呪具を置く蔵を放置するなど、同情できないほどの職務怠慢だが、このタイミングで陽雨が責任を追及するのでなければ、きっと近江老と懇意にしている海老名の不始末はもっと穏便に取り成されていたはずだ。

 近江老が陽雨にやり込められた、今日でさえなければ。


 これは陽雨にとって賭けだった。

 収穫のタイミングを賭けた、種蒔きのようなものだった。


 そうしてその種が絶好のタイミングで実を結んだことを、陽雨はすぐに知ることになる。

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