第7話 鏡の中の私

未来は鏡に映る自分の姿を見つめていたまま、呆然と立ち尽くしていた。


「え…これが…私?」


未来はそう呟きながら、鏡に映る金色の髪と澄んだ青い瞳を持つ女性を指差す。

鏡の向こうのその人が、自分の動きに合わせて全く同じように動く。


自分の顔の肉を掴んだ瞬間、鏡の向こうの人も自分と全く同じ行動をした瞬間、頭が真っ白になった。


((何これ?どうなってるの?私はこんな顔じゃないはず…。日本にいた頃の私は黒髪で、目も黒目で、見た目も地味で、全然目立たない人だったのに…!))


未来は心の中で必死に状況を整理しようとしたが、思考は混乱するばかりだった。

自分の髪を手で触り、じっと鏡を見つめていた。


((これは夢?でも、鏡の中の私が本当に私だっていう感覚がある。…どういうこと!?))


未来はその場で小刻みに呼吸を繰り返し、額に汗がにじむのを感じた。 心臓がドキドキと早鐘を打ち、足元がふらつきそうになる。


「未来さん、大丈夫ですか?」


セリスが心配そうに声をかけ、未来の肩にそっと手をかけてみた。


「え、えっと…ごめんなさい、少し混乱してて…。これ、本当に私なんですよね?元いた世界の私と姿が全然違うので…」


未来は鏡の中の人を指さしながら、声を震わせながらセリスを見つめる。


「ええ、間違いなくあなたです。あなたがこの世界にやってきてから、ずっとこの姿ですよ」


セリスの声は穏やかで、落ち着きを取り戻すための温かさに満たされていた。


((どうしてこんなに変わるの?異世界に来たせい?でも、こんな現実的にあり得るわけがない…いや、そもそも異世界にいる時点で現実なんて通用しないのか…?) )


未来は再度自分の頬を強くつねってみた。


「う"…痛い…」


((やっぱり夢じゃない。これは現実…。どうしてこんなことに…?))


セリスは未来の反応をじっと見つめながら、言葉を選びつつ、優しく説明を続けた。


「未来さん。私には元のあなたの姿は知りませんが、もしかしたら、此処に来たことで何かが変わったのかもしれません。あなたの心や魂の在り方がそのまま今のあなたの姿として現れていると思いますよ」


「心や魂の…在り方?」


未来はその言葉を繰り返しながら、自分の姿がこんな風に変わったのをなんとか理解して受け止めようとしていた。


しかし、その意味を完全に飲み込むには、まだ時間が必要だった。


「そうです。それに大切なのは、外見だけでなく、その人の本質じゃないでしょうか。それに、ふふっ。とても可愛いらしいですよ」


セリスの言葉は未来を落ち着かせようとするものだったが、未来の胸の中に湧く不安を完全に消すには至らなかった。


「…私​​、本当にこんな姿で過ごして大丈夫ですか?自分が自分じゃないみたいで、何か怖いんです」


未来は自分の中に押し寄せる感情を言葉にしながら、少し涙目になった。


「大丈夫ですよ」


セリスは未来の手をそっと握り、静かに語りかけた。


「この世界では、どんな姿であっても、あなたはあなた。本質は変わりません。周りの景色や見た目が変わったとしても、あなた自身が変わるわけではないんですから」


その言葉に、未来の胸の中に渦巻いていた恐れが少しずつ和らいでいくのを感じた。


「…ありがとうございます、セリスさん。少しだけ、落ち着いてきました」


未来は深呼吸をしながら、鏡の中の自分をじっくり見つめた。


世界での自分の姿を受け入れるにはまだ時間がかかったそうだが、セリスの言葉に支えられ、少しずつ前を向こうという気持ちが芽生えていた。


「さあ、まずはこの服を試してみましょう」


セリスは優しい笑顔で未来に服を差し出しました。

未来はそっと服を受け取りながら、自分の身体に当ててみる。


「うーん、私の服は少し大きすぎたかもしれませんね…」


セリスは申し訳なさそうに微笑んだ。


実際、セリスは未来よりも身長が高く、どの服も未来にとってはやや大きくサイズが合わなかった。


「でも、もしかしたら、この中に合うサイズもあるかもしれません」


未来は試しにセリスが自分のタンスから出してきた服の山から、一着を手に取って袖を通してみた。

しかし、サイズは合わず、手先が袖から出ずにぶかぶかだった。


セリスは未来のその姿をみて、はっと何かを思い出す。


「そうだ!となりの部屋に、リュミエルの服があったはずです。ちょっとお待ちください」


セリスはそう言って、部屋の外をでて隣の寝室へと向かった。

未来は、少し緊張しながらもセリスに続いて外に出た。


セリスはタンスの奥から柔らかな布地の服を引っ張り出した。


それはレース調の繊細なワンピースで、まるで花びらのように軽やかで優美なデザインだった。


さらに、みどり色の美しいローブも取り出し、セリスは未来に手渡した。


「こちらを試してみてください。先代のリュミエルの物ですが、もしかしたらあなたの身体に合うと思います」


未来はセリスから服を受け取り、そっと袖を通した。

レースのワンピースは、体に優しく丁寧で、まるで自分の身体にフィットしている感覚があった。


次に緑色のローブを着てみると、その生地はしっとりとした質感で、心地よい重さが肩にかかった。


「…不思議ですね。サイズもぴったりです」


未来は鏡代わりの窓ガラスに映る自分の姿を見つめ、驚きと感謝の気持ちを口にした。


「とてもお似合いですよ」


その言葉に、みくるの胸が少し優しくなった。


異世界で出会ったこの女性、セリスの優しさが自分を包み込み、少しずつ新しい環境に馴染んでいけるような気がした。


未来は柔らかな日差しの中で朝の支度を整えた。

部屋を出ると、セリスは玄関のそばで何かを考えて見ている様子だった。


「セリスさん、お待たせしました」


セリスに声をかけるが、何やら真剣に考えているようで返事がなかった。どことなく、セリスからの表情には、緊張感が溢れていた。


「セリスさん?」


「あっ、私としたことが!・・・すみません」


「いえいえ!その、何か考え事をしてい様でしたが、何かありましたか?」


なんとなく未来がセリスに尋ねると、セリスの表情が変わった。


「その、未来さん」


「はい」


「実は…今日から未来さんには、『ミラ・リュミエル・クリスタ』として過ごしてもらいたいのです!」


セリスの緊張で張りつめた大きな声が、玄関中に深く響いた。


その言葉の意味を咀嚼する間もなく、未来の頭は疑問と沈黙で埋め尽くされた。


「…え?」


未来は驚きと戸惑いで心を詰まらせた。


「『ミラ・リュミエル・クリスタ』。これが、あなたが今日からこの地ですごす、名前です」


セリスの言葉は静かで丁寧だったけど、その中にはどこか緊張感があった。


「ちょっと待ってください…今なんて言いました?」


未来は思わずセリスを見つめた。 心臓が鼓動を早め、息苦しさを感じる。

異世界に来た現実を受け入れることすら難しいのに、今度は名前までろ変えるなんて 。


セリスは未来の心の同様をを感じ取ったのか、一歩近づいて優しく微笑んだ。

でも、その表情の奥には覚悟を決めた緊張のようなものが見え隠れしていた。


「いきなりで申し訳ありません。先代のリュミエルが生前に遺した言葉に従ったまま、お伝えしました。いずれお伝えしなければなりませんでしたので、早い方が良いかと思いまして」


未来はその言葉に耳を傾けながらも、頭の中では様々な思いが交錯していた。

リュミエル…セリスが昨日から大切に思っていた人で、この家の主だった人の名前だ。


しかし、リュミエルという存在がいかに自分に関係してくるのか、未来はよく解らなかった。


「でもいきなり、私がそんな大切な方のお名前をお借りしてよいのでしょうか?」


「はい。先代のセレス・リュミエルは亡くなる直前に、私にこう言いました。

『次の満月に精霊の目の湖にたどり着く者を見つけて、その者を考えなさい。その者こそが、意思を継ぐ次の後継者である』・・・と」


セリスの声は穏やかだったが、その言葉には確かな重みがあった。


未来は胸の奥がぎゅっと締めつけられるような感覚を覚えた。


「私が…後継者?」


絞り出すように言葉を紡ぎながら、未来の視野はセリスを捉えて離さなかった。

未来の中で疑念と恐れ、そしてほんの少しの好奇心に満ち溢れていた。


「はい。あなたがそのお方です」


セリスの声には迷いはなかった。

だが、未来はその言葉をすぐには信じられなかった。


「でも『後継者』って…何をすればよいのでしょうか?

私…ただの助産師ですよ?後継者なんて、そんな大役を任されるなんて…」


未来は戸惑いと混乱の中で言葉を絞り出した。

自分が普通の人間だったはずの昨日までの日常と、目の前で語られている自分への役割の重さとのギャップを感じていた。


セリスは一瞬、未来の言葉を考えるような表情を浮かべたが、すぐに静かに伝える。


「それが…私も全てはわからないんです」


セリスは少し表情を曇らせながら答えた。


「ただ、あなたが精霊の目の湖畔に倒れていた姿をみて、確信いたしました」


セリスの瞳が、未来を見つめる。 その瞳には迷いや疑いはなく、まっすぐな信念が宿っていた。


未来はその視線に気圧されるように目をそらしながら、心の中ではぐるぐると不安が渦巻いていた。


「え?わからないって…ただ直観みたいな感じで私を選んだんですか?」


未来は自分の声が少し高くなるのを感じた。

何も分からないまま、ただ受け入れろというのは無理な話だった。


「リュミエルは多くのことを語らない方でした。ただ、こう言っていました。

『その者は光のような存在で、傷ついた者を癒し、未来を照らす力を持っている。力を引き出すには時間と判断が必要だ』と。」


セリスの声には、リュミエルへのこだわりと信頼が込められていた。


「光の存在…この私が?」


未来は自分の手を見て、その小さな手が自分にとって何の特別な力も持たないただの手であることを確認するように閉じたり開いたりした。


「私はただの普通の人間です。確かに向こうでは助産師として人の命にふれる職業にはついてましたが、そんな大事な、大きな運命を背負えるような人間じゃない…」


未来は絞り出すように言葉を紡いだ。


「未来さん、私も最初は混乱しました。リュミエルが生前、私にその予言を託した時、どうしたらいいのかわからなかった。でも、実際こうしてあなたと出会った。

私もまだ上手く伝える準備ができていませんが…ただ、あなたがここで得るものや経験することが、リュミエルの意志を引き継ぐために必要なことだと今は思っています。どうか、その時が来るまで…信じて待っててほしいのです」


未来はその言葉に、少しだけ胸が締めつけられるような感覚を思い出した。その感覚は恐れや疑念だけではなく、不思議とどこか安心感を伴っていた。


「でも…」


未来は言葉を続けようとしたが、セリスは静かに首を振った。


未来はセリスの言葉に、少しだけ肩の力が抜けるのを感じた。 しかし、心の奥にはまだ迷いが残っていた。


「ミラ・リュミエル・・・なんでしたっけ・・・?」


「ミラ・リュミエル・クリスタです」


未来は小さく呟きながら、セリスと一緒に静かに部屋の中で温かい空気を感じていた。


「…『ミラ・リュミエル・クリスタ』ですか。すごくきれいな響きですね。でも、私には少し重すぎる気がして…」


未来が不安そうにそう言うと、セリスは微笑みながら首を横に振った。


「大丈夫ですよ、ミラさん。ここでは名前には大切な意味がありますが、それがすぐにあなたを縛るわけではありません。慣れ親しむように、少しずつあなたに馴染んでいくものなんです。」


「なんだか不思議な感覚です。新しい名前に、新しい世界…自分が本当にここにいていいのか、まだ信じられなくて。その、先代のリュミエルさんはどんな方だったんですか?」


未来が正直にそう伝え尋ねると、セリスは少し黙って未来を見つめた後、ゆっくりと話す。


「とても、神秘的な人でした。…優しくて、いつも強くて、何かを悟っているような、そんな方だったのです。だからリュミエルが最期に予言を残してくださったことには、絶対意味があるはずなんです」


その言葉に未来は頷き、胸の奥に小さな不安を抱えながらも、少しだけ肩の力が抜けた。


「わかりました。なんだか、ここに来てからの出来事が信じられないことばかりで…。それでも、こうしてセリスさんに助けてもらっていることが、とても心強いです。」


セリスは未来の言葉を受け止めるように、穏やかにうなずき返しました。


「私もあなたとこうして初めてのことに感謝しています。きっとリュミエルも喜んでいると思います」


セリスの声には力強いさと温かさが懸かっていて、未来は異世界での新たな名前を少しずつ受け入れながら決心がつき始めていた。


「では、ミラ。もう出発しましょう。村の市場はちょうど今賑わっていて、見るものがたくさんありますよ」


セリスが優しく微笑みながら、玄関の扉を開け、未来に手を差し出す。


未来は少しの緊張と期待を胸に抱きながら、その手を取って、セリスとともに外へ歩み出した。

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