第4話 限界のその先へ

「はい!じゃメス!」

甲斐田医師が私に向かって手をだす。


「はい!」

私は返事と共に甲斐田医師の手のひらにメスをパンと叩きつけた


「執刀です!!」


医師がメスを入れた瞬間が手術の始まりである。


私は第1執刀医の甲斐田医師のペースに合わせながら、どんどん機械を出していった。

そのペースは普段の5倍以上の速さだった。

正直ついていくのに必死で自分の腕2本をフル活動しても限界だった。



「はい、クーパー!」「こっちペアン」「もうこっからってくよ!」

「はい!」「はい!!」「はい!!!それ全部ペアンです!」



いつもだったら1人1人の医師に適切なタイミングで渡すのだが、私の右隣にいて1番機械を取るのに近い場所にたっている金田医師が、私の目の前からどんどん機械をもらっていく。


私は第一執刀医のペースについていきながら、つぎに使う機械を左側のワゴンから自分の前の台(メイヨー台)に出していく。


機械出し(直接介助者ともいう)の役割は、本来なら、第1執刀医にだけ機械を出すのではなく、第2・第3執刀医にもそれぞれ適切なタイミングで機械やガーゼを渡していく。


機械出し介助は、手術はどのような手順で行われて、どのタイミングでどの機械が必要なのかは頭に入っていないといけない。


通常ならその一歩先を読みながらも、左側のワゴンから機械を渡す準備をしながら、右手で機械を渡していく余裕がある。


使い終わった機械は医師から手元に返されるため、それぞれの機械の数をカウントしながら左側のワゴンにまた戻していく。


一見なんでもない作業だが、これには意味があり、患者さんの体内に機械が残ったまま手術が終わらないように防ぐための作業なのだ。


万が一、機械や針が一本でも無くなったら手術を中断して操作しないといけない大事な仕事なのだ。


しかし今はそんな機械が何本はけて、何本戻ってきたのか一つずつ確認する余裕なんてなく、一刻も早くベビーを取り出すために表皮から子宮にたどり着くことが優先された。


「はい!ダルム!」

「はい!!!!」


甲斐田医師に長摂子を渡しながら生理食塩液で湿らせたダルムガーゼを渡していく。

表皮から筋層を切り、そして子宮臓器へどんどんたどり着いていった。


ようやく、羊膜が見えてきた。

「クーパー!」

「はい!」


甲斐田医師が羊膜をカットする。

いよいよベビーを外に出すタイミングだ。


「破膜です!!羊混なし!!(羊水混濁なし)」


私は外回りの佐藤さんに向かって大きな声で伝える。


佐藤さんは金田医師の右側に回り込んで、児を受け取る準備をしていた。


「破膜です!」


そのタイミングと同時に医師3名でベビーを子宮内からとりだしていく。


ベビーの身体は通常のベビーよりもとても青白かった。


私は急いで児の臍帯をカットする為に医師へコッヘルとクリップを渡す。


・・・・お願い!泣いて!!!



医師3名が急いで臍帯をカットしたあと、すぐに佐藤さんに生まれたベビーを渡して、新生児科医と一緒にベビーの蘇生を行う。



全員がベビーの産声はまだかと、ハラハラしていた。



しかしベビーを出したら今度はまたすぐやらないといけないことがある。


切った子宮や筋層・皮膚の縫合をしていかないといけない。

もたもたしていると出血が増えていくので、すぐに縫合に入らないといけないのだ。


「はい!!先生!アリス!!」*アリス(粘膜鉗子のこと)


次々と私は機械と縫合するための針を医師に渡していった。





「にゃぁ、、、、にゃぁ~」




しばらくすると、か細い猫のような鳴き声が右側から聴こえてきた。



原田さんの赤ちゃんの産声だった。


かすかな泣き声が手術室に響いたとき、私含め、全員がほっとした表情を浮かべた。

でも、赤ちゃんの声は弱く、新生児科の医師とNICUスタッフがすぐに赤ちゃんを運んでいく。


「原田さん!赤ちゃん泣きましたよ~これからNICUに移動になりますからね!!」


佐藤さんが原田さんにそう声をかけた。

原田さんは全身麻酔をかけられて眠っているため、反応は無かった。


すべての手術が終わった後、原田さんは術後の出血量が多かったため、全身の管理のために術後はICU病棟へ移動となった。


原田さんを手術台からベッドへ移して、手術室の外を出た時、産後病棟の助産師や他病棟から応援にきていた看護師が分娩室の業務を手伝ってくれていた。




佐藤先輩と一緒に原田さんをICUへ移動させて見届けた後、未来は手術室の後片付けと掃除をしていた。

ふと時計をみたら朝の7時だった。


「やっと朝がくる。もうちょっとで終わる・・・」


緊張が解けた瞬間、全身が脱力していくのを感じた。

私は手術室からナースステーションに戻って、

全身から流れ出てくる汗をタオルで拭いて、水分を摂りに行った。


朝8時前後に日勤者がやってきて、分娩室はいつも通りの通常の雰囲気に戻っていった。


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夜勤業務が終わったあと、未来は原田さんの様子を伺いにICUへ向かった。


原田さんはとっくに麻酔から目を覚ましていて、ベッド上で仰向けになって天井のある1点だけをぼーと眺めていた。


「原田さん、夜車いすでお迎えにいった栗田です。

あの後、手術室に入らせていただきました。体調はいかがですか?」


原田さんのベッドサイドに寄って、原田さんに声をかけた。


原田さんは一瞬私の方へ視線を移した。


原田さんと目が合うと、原田さんは一瞬「はっ」としたような表情になって、視線を反らしてしまった。



「ごめんなさい」


「?」


「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ちゃんと産んであげられなかった。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。」



原田さんの目からは涙が溢れかえっていた。



『ごめんなさい、ごめんなさい…』



何度も謝る彼女の姿に、私はどう答えてよいかわからず、一緒に涙を流していた。


彼女の謝罪に、感謝も後悔ともつかない複雑な思いが滲んでいるのが見えた。


未来もどう答えてあげれば良いか解らず、ただ共感と苦しさを感じていた。



その異変に気づいたICUナースが急いで私たちの元へやってくる。


「原田さん!手術は無事に終わって赤ちゃんも生きていますよ。大丈夫ですよ!」


ICUナースは私に軽く目配せをして、「ここは任せて、もう退散して」と伝えてきた。


私はどうしようもなくなって、お辞儀をしたあと、ICUをあとにして走ってロッカーへ着替えにいった。



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ロッカーで私服に着替えて、病院の外を出ると、太陽の光がまぶしすぎて目が開けられなかった。まるで自分がドラキュラにでもなったかのような気分だった。




「・・・・・太陽にヤられそう・・・・重い・・・・」

「早く、帰ってシャワーを浴びて寝よう・・・もうクタクタ」


そうブツブツつぶやきながら、私は自宅に向かって歩き始めた。

手術の疲労感と、手術中の緊迫感が何度も身体を襲ってくる感覚が歩いていても離れない。


『ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。』


原田さんの「ごめんなさい」が何度も脳裏の中で反芻する。


「なんて声をかけてあげれば良かったんだろう・・・」


原田さんの「ごめんなさい」に対して、未来はなんて声をかけてあげれば良いのか分からなった。

原田さんも限界の中で命と向き合うしかなかった。


電話をもらった時点でソウハク(常位胎盤早期剝離)のリスクはあって、母子ともに危ない状態だった。


私がもっと早くお迎えに行って、移動しながらエレベータの中でピッチで坪井さんや佐藤さんに状況を伝えていたらスピーディーに手術に移行できたのかもしれない。


数分でももっと早く手術に入れれば、もっと上手に早く機械出しができていば・・・・・

赤ちゃんの状態はもっとよかったのかもしれない。




電車の中でも、ふとした瞬間に、原田さんの言葉が浮かんできた。


座席に座りながら、電車の揺れに身を預けながら、ぼーっと電車の窓から見える景色を眺める。

頭の中には原田さんの『ごめんなさい』が何度も響いていた。



『ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ちゃんと産んであげられなかった。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。』



あの表情がどうしても忘れられない。



「どうしてここまで重く感じるのだろう…私って助産師向いてないかも」

「・・・・・ごめんなさい」



未来は心も体も疲れ切っていた。気が付いたら、未来は電車の座席で寝落ちしていた。


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最寄り駅に電車が到着する直前、はっと未来は目が覚めた。


「やば・・・寝てた・・・」


口角からよだれが垂れていたので、ずずっと左脇の袖で口元を拭いて、未来は急いで電車を降りた。



「やばい・・・仮眠をとったはずなのにすごい眠い。コンビニ寄って、ごはん買って、早く食べて寝よう」



未来は重たい体を引きずりながら改札口を出て、駅から出て真正面にあるコンビニに行こうとしていた。



いつもは食欲も湧かないのでコンビニに寄ることはなく真っ直ぐ帰宅する。

だいたい適応障害の症状で不眠に悩まされているため、夜勤明けでもここまで眠たくなることはなかった。


きっと、今日は大仕事を頑張ったからだ。だから身体が珍しく休みたがっているし、食欲もあるんだ。

そう、未来は感じていた。


「今日は食べて飲まなきゃやってらない・・・飲んで食べて寝るぞ・・・」


そう決意して、駅から出て横断歩道を渡っている時だった。


「うぅぅっ!!!い゛だっ・・・・・!!!!」


胸の辺りに強烈な痛みが走り、突然自分の視界がぐらついた。

足がふらつき、横断歩道のど真ん中で膝をついてしまっていた。


左胸がつよく痛く、心臓がぎゅ~と中で絞られているような激痛が続く。

おそらく狭心症の症状に近い。


う"っ・・・・動きたくても動けない。


前の青信号が途中点滅し始めてきている。


ふと右側から車道を走ってるトラックのクラクションが強く鳴る



「あ・・・やばい……死ぬ」


終わった・・・


未来はそう思いながら目を閉じた。


未来は重たい身体を再び起き上がろうとしたが、胸の激痛が強すぎて

起き上がるのを諦めてしまった。



きっといいのだ。これで。


もう私は動けないのだから。


この職業向いてないし、からだはボロボロだし。


きっともう私の人生はもうここで終わりなんだろう。



激しい衝撃音と共に、鉛のような身体が巨大な何かと衝突する感覚があった。



もし、わたしが違う世界で生まれたら、

次の人生ではもっと上手く生きよう。


そんなことがあればの話だけど。


限界のその先に待っているのが必ずしも華々しいものでは限らない。

人生というものは、そういうものだ・・・・


たぶん。


きっと・・・。


なぜか身体の痛みは感じなかった。

私はゆっくり意識を失った。


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