第9話 対立

 ——本当にこれでいいのだろうか。

 ——人助けなのだから間違っていないはずだ。


 アリスは何度目になるか分からない自問自答をしながら森を進む。

 その原因はグレンとのすれ違いではなく、聖女という立場を失った自分の力の無さを痛感させられたことが一番だ。

 要は創神教をあれだけ嫌っているのに、その力が無ければ、何も出来ない現実ををここに来て突きつけられたのだ。

 そんな事実を認めたくなくて、アリスは夜も更けた頃、グレンに黙ってコッソリと集落の長の家を尋ねたのだった。

 魔獣の脅威が去っていないためか、幸運なことに家の明かりはまだついていて、ノックをすると、目元に隈が浮かんだ疲れ顔の長がアリスを出迎えた。

 その表情を見た途端、口を衝いてでたのが「魔獣を撃破してきます」という言葉だった。

 そんな言葉を無意識に発してしまった自分に驚いたアリスだが、自分の手を取りながら感謝の言葉を何度も述べる集落の長の姿の前に「やっぱり辞めた」と言えるわけもない。

 それに、長の手から読み取れる感情は焦り、不安、恐怖、後悔で占められており、それもアリスの使命感を後押しすることとなった。


 そうして、アリスは貰った情報を頼りに暗い森の中を進む事になったわけだが、その足取りは重かった。


「困っている人を救う」


 それは聖女を辞めた今でも――いや、今だからこそ、アリスの行動指針の中心にあることだ。

 そんな自分の心に従った行いをしているはずなのに迷いがあるのは、自分の決断と行動に自信が待てずにいたからだ。

 そして、極め付けにグレンがいないことを心細く思ってしまっていた。

 

「本当に何をしてるのかな。私は」


 蚊が鳴くような弱々しい声が静かな森の中に溶ける。

 今のアリスを見ても誰も彼女が聖女だとは思わないだろう。いかに強大な力を持った聖女だとしても、その仮面の下はただのか弱い少女なのだ。

 そんな時、アリスはほんの僅かな魔法の気配を感じ取った。


「探知魔法……?」


 質が高い魔法ではあったが、下級魔法ではアリスの感覚を潜り抜けることは非常に難しい。

 

「もしかして、例の魔獣?」


 アリスはすぐにその答えに辿り着いた。

 魔獣が魔法を使うことはアリスも知っているし、こんな時間に人がいるのは考えずらい。そうとなれば、後は魔獣が使ったとしか考えられない。


 さっきまでの悩みはどこはやら、アリスはすぐさま魔法の気配があった方へと歩みを進める。

 そして、アリスはそれと邂逅を果たしたのだ。黒に近い深緑の鱗が身体中を覆う四足歩行の巨大な生物に。

 鋭い棘のついた尾と鋭い牙が生え揃った恐ろしい面立ち、そして所々が刃の様に鋭く伸びた鱗。

 その姿は長からもらった情報と一致した。

 随分と遠くから見ているのに、足がすくむ様な恐ろしい存在感は、専門的な知識の無いアリスでもその魔獣が上位の存在であるとすぐに理解できた。


(グレンさんの言う通りでしたね……)


 一夜の宿では到底釣り合わない程危険な魔獣なはずだ。それこそ、行商人がどうやってアレから逃げ切ったのか見当がつかない。

 アリスは戦いに備え補助魔法を使いながらじっくりと魔獣を観察する。いくらアリスであれども、流石に策なしで挑める相手ではない。

 本当はその特徴なども長から聞ければよかったのだが、長は見た目以上のことを知らなかったのだ。だから、アリスは今この場で魔獣についての情報を仕入れるハメになっている。

 しかし、魔獣はかなり興奮した様子で周囲をしきりに警戒しており、下手な動きは取れなかった。


(あれは……子供?)


 そんな緊迫感の中、アリスは魔獣の足元で、弱弱しく鳴いている小さな魔獣の姿を見つけた。

 そして、その小さな魔獣——幼体の姿を見た瞬間アリスは今回の一件の線と線が繋がった気がした。


(幼体に襲われたから、行商人は逃げ切れたんだ)


 それならば怪我を負った行商人が魔獣から逃げ切れたのも納得がいく。

 それに長の様子も同様だ。

 あんな危険な魔獣が集落の近くに生息していては気が気でないだろう。

 幼体ですら積極的に人間に攻撃する程だ、あの見た目通り好戦的な性格なのは簡単に想像がついた。

 となれば、早く片を付けなければ、あの行商人だけでなく、集落の人間すべてに被害が出る可能性がある。

 これは「撃退」なんて甘いことを言っている場合ではない。

「討伐」を目標として動くしかない。

 思考が戦闘のものへと切り替わったアリスはすぐさまそう決断した。


 とは言え、前回かなり無理をしたため、アリスの状態は万全には程遠く、まともにやり合える状態ではない。

 だから、不意をついた一撃目で可能な限りダメージを与えなければ、勝ち目は薄い。


「やるしか無い」


 アリスは腹を括った。何十人もの命がかかっているのだ。ここで怖気付く訳にはいかない。

 アリスは指先に僅かな魔力を込めると宙に魔法陣を描いていく。

 滑らかに動く指先に合わせて、どんどん魔法陣が描かれていく。

 そして、三十秒足らずで魔法陣が関係すると、アリスはしっかりと魔獣を見つめながら詠唱を行う。


「――地より生まれし礎よ、穿て。『黒……』」


「やめろッ!」


 詠唱が終わり、アリスが魔法を放とうとした瞬間、この一週間で一番聞いた声が森に響いた。


「『……礫』!?」


 しかし、その静止の声も間に合わなかった。

 アリスの詠唱は完了し、魔法は刃竜に向って放たれた。

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