第4話 理想と現実
「グレンさん! 先程はどうして……」
アリスは少し先を歩くグレンの背中にそんな言葉を投げかける。その声色や表情には困惑が浮かんでいた。
「勝手に判断してすみません。ですが、今の俺達に慈善事業をする余裕はありません」
グレンはそんなアリスの言葉に足を止めて振り返ると、そう返した。
「交渉して頂いたことには感謝しています。ですが、魔獣はどうするつもりですか? まさか、放っておくのですか?」
アリスが引っかかっているのはその点だ。
先程の治療の対価として宿と物資を確保出来たため、二人が魔獣撃退の依頼を受ける必要は無くなった。
「そう言うことになりますね。それに、あの行商人の怪我の具合からして、今回は気軽に手を出せるような相手ではありません」
「危険な相手ということは分かっていますが……」
その魔獣が危険な相手であることなその傷を治療した当方人であるアリスが一番分かっている。
横一文字に切り裂かれた腹部の傷は、まるで鋭い刃物で切り裂かれたかのように綺麗な切り口だった。それこそ、もう少し深ければ体ごと切断されていただろうと思える程だ。
「あんな芸当が出来る魔獣は限られていますし、そのどれもが相当な実力者でなければ太刀打ちできない相手です。正直、俺では手に余る相手です」
魔獣に関しては、人並み程度の知識しか持たないアリスでは、具体的な魔獣の名前は挙がらないが、グレンが相手にしても手に余るとなると流石のアリスでも気後れする。
しかし、それが分かっていながらも——いや、それが分かっているからアリスはグレンの判断に頷けないのだ。
「だからこそ……私たちがやらないと。今ここで、魔獣に対抗できるのは私達だけのはずです」
「確かにそのアリス様の考えは人として尊敬できる。ですが、今日会ったばかりの人のために無償でそこまでしろと?」
「人を選んだり、利益を求めたりしては創神教と同じです。奉仕と助け合いの精神を忘れてはいけません」
アリスの根底にある考えは今も昔も変わらない。ただ、今までは創神教の手先となって動いていたのが、ようやく自分の判断で動けるようになったのだ。
だからこそアリスは創神教のように、相手を選び、利益を重視することはしたくなかったのだ。
「……わかりました。今回はアリス様の指示に従いましょう」
そんなアリスの言葉を受けてグレンは俯き加減でそう答えた。
「ありが……」
自分の想いがしっかり伝わったのだと、アリスが笑顔を浮かべ、感謝を告げようとしたところで、グレンの感情の乗らない言葉がそれを遮った。
「ただしこれっきりです。それと危なくなったら切上げます。……まぁ、その時点でほぼ命は無いでしょうけどね」
そのグレンの言葉にアリスは表情を固くした。
「そ、そういうつもりでは……」
ここでようやく、アリスは自分がグレンに何を言っているのか、気がついたのだ。
——
グレンが自身が「手に余る」と言った相手に挑んでこい、とアリスは指示しているのだから、それは遠回しに「死んでこい」と言っているのと変わらない。
行いの善悪を別として、それは創神教という組織がやっていることと何も変わらない。
「……」
アリスはひどく動揺していた。
無意識とは言え、実質的に「死ね」とグレンに言ってしまっていたこと。そしてなによりも、創神教と全く同じ思考をしてしまっていたことにだ。
青ざめたアリスを見て、流石に言い過ぎたかと、グレンはバツが悪そうに謝罪の言葉を口にする。
「すみません。少し意地が悪かったですね。ただ、一つだけ。アリス様はもう創神教の聖女では無いんです。俺たちの後ろには強大な支援者はいません。まずは自分達のために生きる必要があります」
——理想だけを追うのではなく、現実的に、自分達が出来ることから考えよう。
グレンが伝えたかったのはそういうことなのだが、つい強いあたり方をしてしまった。
アリスが純粋に人を救いたいと考えている事はグレンも理解している。
しかし、理想だけを語るアリスの青さに過去の自分を重ねてしまい苛立ってしまったのだ。それが、八つ当たりであることもグレンは分かっている。
「……いえ、私が間違っていました」
アリスは俯いてそう小さく溢した。
アリスは創神教における聖女のあり方につくづく嫌気がさしていた。
創神教においては「寄付」が何よりも重視される傾向にあった。その為、聖女クラスとなる、かかわりあうのはほぼ権力者か裕福な者だけだ。
だからこそ、今度こそ真の意味で聖女になりたいと願っていたのだ。手の届く限り救えるものを救っていきたいと思っていたのだ。
だが、現実はそう甘くはない。
グレンの言う通り、創神教の後ろ盾がなくなった今、アリスの手が届く範囲は極めて狭いことをアリスは思い知った。
「……日も暮れ始めました、早くいきましょう」
理想だけを語ると失敗する。
それを身に染みるほど理解しているグレンはアリスの言葉を否定もできなかった為、逃げるように話を変えた。
「……はい」
暗い表情のままのアリスに、グレンは小さく息を吐く。
——少しも成長しない自分に嫌気がさしていた。
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