第10話 目覚め

「……生きてる」


 深い眠りから目を覚ましたアリスは、天井を見つめたままどこか他人事のように呟いた。

 その言葉に込められた感情は一言では言い切れない複雑なものだ。


「相変わらず気持ち悪い感覚」


 アリスは顔を顰める。

 昨夜の記憶——数日経っているかもしれない——がハッキリしているのに、それが他人事の様に感じるのは間違いなく魔法の副作用のせいだろう。

 今までに何回か経験しているが、気持ちの良いものではない。


 アリスはそんな不快感を感じながらも上体を起こすとゆっくりと部屋を見回す。

 こじんまりとした部屋には木製の小さな丸テーブルと一脚の椅子が置かれているのみで、特にこれといった特徴は無い部屋だ。

 しかし、清潔感はあり、旅人や冒険者が使う宿としては質が良い方と言えるはずだ。

 もっとも、そんな事を思っているアリスは、生まれてこのかた安宿なんてものに泊まったことがない訳ではあるが。


 部屋に一つ取り付けられた木製の窓からは光が漏れており、賑わう街の喧騒も聞こえている。

 あの場所から、意識を失ったアリスを連れて街までとなるとそれなりに時間がかかるはずだ。

 当然ではあるが、この場所も経緯もアリスにはさっぱり見当がつかないが、それを知る冒険者の姿は見えない。


「冒険者らしくない人ですね……」


 ようやく頭が回転し始めたアリスはグレンについて考える。

 いくらアリスが聖女とは言え、あんなことがあった後だ。動けない様にされていてもおかしくないし、少なくとも監視くらいはされているのが普通だろう。

 聖女という立場上、自身での危機管理から程遠い場所にいた頃のアリスでさえ、同じような状況になれば何かしらの対策はしていたはずだ。

 好感を持つ、というよりはどこか釈然としない気分だ。


「あ……」


 アリスは何気なく触れた首元にいつもの感触がないことに気がついた。


「……ネックレスまで」


 あの禍々しいネックレスは強大な力を持つ聖女を監視し制御するための特別な魔法具だ。

 ネックレスをつけている間は創神教からアリスの居場所は筒抜けになるし、聖女を管理するために様々な機能が備えられていると聞いている。

 また聖女用だけあって、市販の武器では到底壊せないような仕様になっている。


 そんなこともあっても、ネックレスを壊して欲しいということを一応告げてはいたが、まさか本当に壊せるとまでは思っていなかった。

 もしグレンがネックレスを外せていなかったら、今頃アリスの命はなかっただろうことは間違いない。


「起きたのか……」


「!?」


 思考の海に潜っていたアリスは突然掛けられた声に驚き、ベッドの上で飛び上がる。

 そして、ほぼ反射的に臨戦態勢をとる。


「あ、すまない。驚かせるつもりはなかったんだが……」


 そんなアリスの視線の先には申し訳なさそうな表情を浮かべたグレンが立っていた。

 アリスの様子を見たからか、武器を持っていないことをアピールするように両掌をアリスに掲げている。


「……いえ、こちらこそみっともないところをお見せしました」


 そんなグレンの姿をみてアリスは咳払いを一つすると、心を落ち着かせる。

 ここしばらく、周りには敵ばかりだった為、いつの間にか反射的に臨戦態勢に入れる様になってしまっていた。

 とは言え、ここまで過剰な反応になってしまったのも、グレンが気配を消していたのが原因ではある。


「……それにしても、随分と気配を消すのが上手なんですね」


 恥ずかしさを誤魔化す為にアリスはグレンにそう言うとベッドに腰掛けた。これは皮肉ではなく、本心からの言葉だ。

 その言葉をどう捉えたのか、グレンは少し苦い表情で頬をかく。


「……昔ちょっとな。それに、あんなことがあった後だから何が入り込んでいてもおかしくないし、警戒をしていた」


「まぁ、それはそうですが……」


 あの夜の光景を見て創神教が普通でないことくらい誰でも分かるし、規模的に考えてもグレンの言うことはもっともだ。

 しかし、それだとアリスのことはまるで警戒していないと言っている様なものだ。

 そのことがアリスの釈然としないポイントの一つだ。


「創神教はもちろんですが、私があなたを害するとは思わなかったのですか?」


「考えなかった訳じゃ無いが、それをする理由が無いだろ。それに、ちょっとした協力関係に誓約を使うような人がそんなことをする様には思えなかった」


 下手すれば命に関わるということなのに、グレンは随分とあっさりした様子でそう言いのけた。


「勿論、害するつもりはないのですが……。それにしても……」


 そんなグレンにアリスは釈然としない気持ちが解消されないままでいる。

 それにしても彼からは冒険者らしさ、というものが感じられない。

 アリスが聞いた話では、ソロの冒険者は他人に対する警戒心が人一倍高いと言われていた。その一方で、グレンはその真逆の行動しかしていない。

 だから、アリスは彼のことを全く掴みきれずにいるのだ。

 そんな、もやもやを抱えているアリスを他所にグレンは数少ない荷物をまとめ始める。


「とりあえず契約は完了したはずだから、俺はすぐに発つぞ。聖女様がまだここに留まるっていうなら、女将に言って追加料金を払っておいてくれ」


 グレンはそう言うと皮の粗末なバッグを肩にかけ、アリスに背を向けて部屋を出ようとする。


「へ……? ちょちょ、ちょっと待ってください」


 アリスは慌ててベッドから立ち上がる。

 アリスは何もあの場をやり過ごすためだけにグレンに声をかけた訳ではない。もっというと、今後の事を考えて初めからグレンに目を付けていたのだ。

 ここでそのまま去られてはまた一からやり直しだ。


 慌てた様子のアリスにグレンが胡散臭そうな表情を浮かべて振り返る。


「なんだ? まさか、まだ契約は終わっていないとでも言うんじゃないよな?」


「違います。それは確かに完了していますが、私の話を一つ聞いてください」


「いや、その必要は……わかったわかった。話を聞くから落ち着け」


 額がぶつかりそうな距離までグレンにグイっと詰め寄るアリスに、グレンは迷惑そうな表情を浮かべながらそういう。


「あ、すみません」


 アリスはその言葉でグレンからすっと距離をとると咳払いを一つする。

 

「グレンさん」


 アリスにとって緊張の瞬間だ。

 アリスは息を深く吸うと、グレンの目をまっすぐ見つめて自らの願いを告げた。


「……私の騎士になりませんか?」


「断る」


 一瞬でそれを蹴ったグレンは唖然とするアリスに背を向けて部屋を後にした。

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