第9話 呪い
「あの噂は本当だったのか……」
グレンは神妙な顔で呟く。
聖女は創神教を象徴する存在だ。
時には奇跡で人々を救う癒し手として、そして時には人々に教えを説き導く存在として、人々に認知されている。
一方で、聖女は魔法使いとして戦う術を会得しているという話もある。
その内容はこうだ。
「癒しの奇跡」の実態は「奇跡」と呼んでいるだけであり、実は高位の治癒魔法である。
つまり、聖女は難易度の高い治癒魔法を使えるということであり、当然、他の魔法も高いレベルで使えるはずである。
だから、聖女は他の魔法——例えば攻撃に使える様な魔法も使えなければおかしい、と言うものだ。
確かに理屈は通っているし、本当に高位の治癒魔法を使えるのならば魔法使いとしての実力は確かだろう。
——しかし、実際のところは攻撃魔法などと言う話で収まらなかった。
「近距離戦がここまで強いのは流石に意味がわからない……」
グレンは魔人を圧倒して屠ってしまった聖女を見つめてそうこぼす。
とりあえず、これでグレンと彼女の協力関係は終了だ。後は交わした誓約に基づき、ここで別れるだけだ。
「それじゃあ、俺は……」
いくぞ、と聖女に声をかけようとした所で、聖女が突如ふらついた。
「大丈夫か?」
聖女は何とか剣を地面に突き立てて倒れ込むことは避けたが、様子がおかしい。
心配したグレンが聖女に駆け寄って様子を見ると、先程の勇ましさはどこへやら、血の気の引いた顔色で荒い呼吸をしている。
「少し無茶をし過ぎました……」
気丈にも笑顔を浮かべる聖女だが、どう見ても強がりでしかないのは明白だ。
それにグレンにはその症状に心当たりがあった。
「……魔力欠乏症か」
魔力欠乏症とは保有魔力量の総量が一定のラインを下回ると生じる体の不調だ。
保有魔力はスタミナのようなもので、限界はあるがトレーニングで増やすことが出来る。
そのため、グレンも何度か魔力欠乏症に陥った事があるが、その時の辛さはスタミナ切れの比ではなかった。
しかも、魔力欠乏症は保有魔力量に比例してその反動が増えるらしい。
恐らく桁違いの魔力を持つ聖女の辛さは凄まじいものだろう。
「……確か魔力ポーションがあった筈だ」
失った魔力をすぐさま回復、と言う訳にはいかないが、症状を和らげ、回復を早める程度の効果はある筈だ。
グレンは腰の道具袋から魔力回復用のポーションを取り出そうとしたが、その手を聖女が抑えた。
「それよりも、まず……」
「いッ……」
聖女がグレンの胸に手を当てる。
それと同時にグレンの体に鋭い痛みが走る。
戦いが終わったことで、アドレナリンも切れ始めていたのだ。
「『癒しの奇跡を』」
聖女が詠唱をすると、彼女の手が柔らかな光に包まれ、怪我をした箇所に心地よい温かさを感じる。
「聖女の奇跡か……」
グレンは傷が癒えていく感覚を感じながら、呟く。
しかし、その治療は長くは持たなかった。
十秒に満たない位で光が消えると、彼女の体から力が抜ける。
「お、おい」
グレンが慌てて聖女の肩を支えた。
「これを……」
聖女は辛そうにそう言うと、首に掛かっていたネックレスを掴むとグレンに見せる。
それは一見するとシルバーのチェーンに宝石が付いたありふれたものだが、よく見ると宝石は黒く、鈍いオーラを放っていた。
「これは……」
「壊し……て……」
「お、おい!」
聖女の体から力が抜け、グレンが慌てて聖女の呼吸を調べる。
「息は……してるが荒いな。汗も酷い。その割には……体温も低い」
人は誰しも無意識の内に身体の様々な所で保有魔力を使っているらしい。だから、欠乏症になると体調を崩すし、保有魔力の回復を優先するため、意識を失うのだと、グレンは友人から聞いた。
つまり、彼女が気を失ったのは体を少しでも早く回復させる為で、命に別状はないはずだ。
それならば、グレンには先にやる事がある。
「とりあえず、ネックレスだな」
それだけ伝えようとした辺り、よほど重要なことなのだろう。
まずはネックレスを壊す為にも首から外さなければと、グレンは聖女の体をゆっくりと横たえる。
そして、首の後ろに手を回しネックレスを外そうとしたが、あるべきものがそこにはなかった。
「留め具がない……?」
ネックレスを回して全体を見てみるが、どこにも留め具は無く綺麗につながっている。
「これじゃあまるで……」
——首輪の様だ。
強制的に外れなくなっているアクセサリーなんていわくつきの物以外は無い。
とあれば、まともな理由で使われているはずもなく、グレンの中で創神教への不信感は高まる一方だ。
「……仕方ない。壊すか」
グレンは腰のベルトから短剣を取り出すと、聖女の首を切らない様に気を付けながら、チェーンの部分に切っ先をあてがうと。
そして、魔力を込めながら短剣をチェーンに押し込んだ。
「……そうだと思ったよ」
その結果にグレンは苦笑いを浮かべた。
魔力を込めたことで短剣の切れ味は上がっているはずなのに、チェーンは切れるどころか傷一つついていなかった。
いくら安物の短剣とはいえ、薄く細いネックレスのチェーン位であれば切断できるはずだ。
と言うことは、予想通り、ネックレスは普通ではない、いわくつきの品物ということだ。
「呪物関係を壊せる武器なんて……」
そう言って顔を上げたグレンの視界の先には聖女が使っていた騎士剣が落ちていた。
「……あったな」
グレンはゆっくりと騎士剣に近づくと、恐る恐る右手を伸ばしてその柄に触れる。
「ッ!?」
グレンは慌てて手を離した。
剣に魔力を吸われそうになったのだ。
「聖剣と言うよりか、魔剣じゃねぇか」
グレンは剣に触れた右手を摩りながらぼやく。
その手には魔力が吸われそうになった強い感覚が残っている。
強く警戒していたから良かったものの、無防備に触っていれば、今頃全ての魔力を吸い尽くされて干からびていただろう。
グレンはその剣をじっと見つめる。
「これしか方法は無いからな……。ま、扱い方は分かっている」
グレンは念の為にと道具袋から魔力ポーションを取り出すと、一気に飲み干す。
過去にこういった類の剣を使っていたことがある為魔力の与え方はよく分かっている。
グレンは意を決すると勢い良く剣を掴んだ。
「……扱いは……分かってるんだよ!」
グレンは魔力の吸い込みに抵抗する。
それは体の中で綱引きをしているような独特の感覚であり、それをコントロールするにはある程度の適性と修練が求められる。
グレンにはその適性があり、多くの修練を積んだが、今回は久々だ。
かなりの苦戦をしながら一分程引き合いをしたところで、突然、スッと熱が引くかのように魔力の吸引がおさまった。
「……はぁ。相変わらずこれには慣れないな」
グレンは額に浮かんだ汗を拭う。
一般的に「チューニング」と言われる作業で、魔法武器、魔法道具と言われるものに必要となることがある。
グレンはこれを得意としていて、通常は十秒もあれば完了する。
今回は掛かった時間からして、相当に特殊な代物だと言うことだ。
「……さっさと終わらせよう」
グレンは聖女の元へと足を進める。
そして、慎重に騎士剣に魔力を与えながら、剣の切っ先チェーンに押し当てていく。
虹色に光る火花——魔素が飛び散り、僅かに刃が食い込むも、断ち切るとまではいかない。
「足りないか!」
グレンがゆっくりと魔力の量を増やしていくと、剣が徐々にチェーンに食い込み始めた。
「……切れろ!」
グレンは終いとばかりに一気に力を込める。すると、鉄を打ち合わせた様な甲高い音と共にネックレスが断ち切れた。
「っはぁ……」
グレンは大きく息を吐くとネックレスを聖女の首から取り外す。
先程までは怪しく光っていた宝石も今はその輝きを失っている。
「さて次は……」
疲れた様子でそう呟いたグレンの視線の先には、苦しそうな表情が僅かに和らいだ聖女の姿がある。
「置いて帰るわけには行かないよな……」
グレンは大きなため息を吐いた。
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