第7話◇図書館で◇

 二十八年前、明子、当時二十歳、浩一、二十二歳。二人は同じ会社で働いていた。浩一は背が高く細身で顔もまあまあハンサムで、会社の中でも女性に人気があった。入社した年のクリスマスに浩一にデートに誘われた。明子は嬉しかった。浩一はとてもまめで明子にブランド物の指輪やバックなどをプレゼントしてくれた。一年近くの交際の間も浩一はまめで、誕生日など事ある毎に食事に連れて行ってくれたり、プレゼントをくれたりしていたので、愛されているという幸せに酔っていた。その後プロポーズされた時も迷わず承知した。

浩一はそのまま変わらず永遠に明子を愛してくれると思ったが、それは幻想だった。明子はそれまで何人かの男性と付き合ったことはあったが、いやな思いをした事はなかったので、結婚に対して不信感はなかった。今から思えばまだ子供だった。浩一の化けの皮が剥がれるのに、時間はそうかからなかった。二年も経つと本性を現した。はギャンブル好きの女好き、会社は生命保険会社という事もあり女性が多く、浮気をしているであろう痕跡を発見したことも何度はあったが、明子も単身赴任で不在の夫にすっかり関心が無くなっていたし、亭主元気で留守が良い。給料を入れてくれて面倒を見なくてよい気楽さに胡坐をかいていたのだ。 

ギャンブル好きの浩一は借金も結構あるようで、それらしい請求書も何度も目にした。問い詰めても嘘ばかりついてはぐらかした。離婚という文字も再三脳裏にちらついたが、二人の子供、家のローン、安定した生活を考えると、パート勤めの明子にはふんぎりがつかなかった。しかし、今回の事が明子の背中を押している。浩一が会社を辞めても離婚しなければ、再就職もできるかもしれない。給料は下がるだろうが、家のローンは払えるかもしれない。でも家やカネの為に、自分を押し殺して一緒に暮らすことはもうできないと思った。浩一の奥深いところの性癖を見せつけられて、生活の為に我慢することはできなかった。明子は本に目を戻して確認シートを読んだ。

確認シート⓵

「自分の気持ち」

一、離婚を考えている理由は何ですか?

理由は?のぞき。

いつから?ずっと前から。

きっかけは?夫ののぞきがばれ会社をクビになりそうだから。

それは解決・解消できますか?出来ない。

二、離婚を決意できない原因、迷う理由は何ですか?自分に収入がない。家のローンが払えない。子供の進学。それは解決解消できますか?わからない。

三、結婚当初と現在の配偶者への素直な気持ちを書いてみましょう。

プラス面。結婚当初・自分の事を愛してくれたし、給料もよかった。

現在のプラス面・給料を入れてくれている。マイナス面・結婚当初・なんかいい加減。

現在・とても嘘つき。

夫婦関係を再構築できる可能性はありますか?ない。

離婚について相談できる人はいますか?いない。

四、子供がいる場合は、子供に離婚の理由を話すことが出来ますか?どの様に話をするのか具体的に書いてみましょう。

 三番までは、考えずに答えられたが、今後の欄で明子は考え込んだ。「子供ねえ。」子供と言っても、理沙は二十三歳。大介は十八歳だから、話せば分かってくれるかもしれないが、浩一のやらかしたことが特別なだけに、本当の事を伝えてよいものなのか悩めるところだった。理沙は、同級生からのいじめで高校を中退した。就職はしても、人間関係がうまくいかず続かないので、今は派遣職員で働いている。二十三歳と言ってもまだまだ子供で、父親がしでかした事に耐えられるか心配だった。大介もそうである。こういう事も考えないと離婚はできないのだ。目の前の道が平坦でない事を改めて感じた。壁の時計は十一時半だった。まだ三十分はあるので、明子はチェックシート②へ進んだ。確認シート②は離婚後のライフプランだった。

一、当面の生活費は確保できていますか?

出来ていない。けど、退職金といくらか養育費貰えないかな。

二、 自分の一か月の生活費を把握できていますか?

今は浩一が単身赴任で二重生活なので、ローンや、四月に大学進学する大介への仕送りなど入れると、浩一が貰っている給料、ほぼ三十五万でも足りないかもしれない。

三、 離婚後のライフプランを具体的に書いてみましょう。

住む場所・今の家(浩一には出て行ってもらおう。)

仕事と働き方・正採用なんて四十九歳の私ができるだろうか。何の資格もないのに。

心の支えとなる者・子供とバアちゃんかな。それと涼子先生。

四、 子供がいる場合は子供との具体的な生活スタイルが描けていますか?

理沙は変わらずしばらく家にいて働いてくれるだろう。大介は四月から大学。

必要な教育費と工面の方法・浩一に出してもらう。

 明子は家を出る時、バッグにノートを入れていた。山田に会ってもらった時に、必要なことをメモしておこうと思ったからだ。そのノートにチェックシートの答えを書いた。突き付けられた具体的な現実は明子にダメージを与えた。離婚後の生活はチェックシートを見直すと浩一をあてにしている。悔しく情けない。なんだか疲れてしまった。

「離婚って大変。今まで金に苦労しなかったのは浩一のおかげなんや。」

 明子は、夫の存在価値を認識せざるを得なかった。壁の時計は十二時十五分を指していた。

「行かないと。」

 明子は、机の上の本の名前をノートに書いて、本棚に戻して足早に図書館を出ると駐車場に向かった。外に出るといい天気で春の日差しが図書館のガラスに反射して眩しかった。十時過ぎにハンバーガーを食べたので空腹感はなかった。いざ四国中央市‼気合を入れてアクセルを踏み込んだ。

西条の国道を新居浜に向けて走った。今から二十八年前結婚当初、明子は浩一の転勤で新居浜にいた。行き過ぎる風景はどこも見覚えがあり懐かしかった。あの頃は、二人の生活が始まる喜びで満ち溢れていた。二十八年後にこんな事が起ころうなどと想像もできなかった。でも起こってしまった事はどうしようもない。「過去は振り返らない。」明子は自分に言いきかせ四国中央市へと急いだ。土曜日の昼過ぎという事もあり、道路は少し混んでいた。西条を出発してから約一時間、「目的地周辺です。案内を終了します。」と、ナビが言った。目の前に「ひまわり生命」の看板が見えた。市内のほぼ中心部にある会社へは、迷わず到着した。

 車の時計を見ると、約束の午後二時十分前だった。会社は休みなので、正面玄関は開いていないだろうと思い、明子は車の中で様子をうかがっていた。バッグの中から化粧ポーチを出し、鏡に顔を映した。ファンデーションを塗り、口紅を整えた。そろそろ外へ出ようと思った時、山田が車の窓ガラスをノックした。三十年ぶりに会う山田は、頭が薄くなり、太っていた。明子は急いで車の外に出て挨拶をした。

「こんにちは。今日はお休みのところ、無理を言ってすみませんでした。」

山田は丸顔の小さな目をより小さくして明子に笑いかけた。

「久しぶりやね。明子ちゃん。変わらないね。」

「そうですか。太ったでしょ。わかってもらえなかったらどうしようかと思いました。」

「いやいや、相変わらず美人だよ。」

「ありがとうございます。」

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