第8話◇上司に相談◇
明子は、後部座席から持ってきた手土産のビールの入ったレジ袋を取り出すと山田に差し出した。
「本当にご迷惑かけて申し訳ありません。」
「こんな事しなくていいのに。僕は結局つんぼさじきだったわけだからね。あまり役に立てなくて、こちらこそ申し訳ないと思っているよ。」
「いえ。知り合いがいて本当に感謝しているのです。たいしたものではないのですけど、山田さんビールお好きでしたよね。」
「そうなんよ。だから、この腹よ。」
山田は、突き出た腹をさすって、明子をいたわるように笑った。
「これ、少しなんですけどお納めください。」
明子はビールの上に商品券を乗せて、レジ袋の口を開いて山田に見せた。山田は恐縮しながらも受け取ってくれた。
「心配させて悪かったね。」
「いえいえ。」
山田は、ビールを自分の車に積むと会社の裏口へ明子を案内した。裏口のドアの鍵を開けると明子は山田の後ろについて会社に入った。薄暗い廊下を進むと所長室があり、山田はドアを開けて明子を導いた。
「入って。どうぞ座って。休みは誰もいないので、お構いもできないけど。」
山田は、テーブルの上に缶コーヒーを置いた。
「お気遣いいただきありがとうございます。」
明子は、スーパーでハンバーガーを十時過ぎに食べてから、何も口にしていないことに気づいた。喉の渇きも感じないほど緊張していたのだ。明子はテーブルの上の缶コーヒーを一口飲んだ。コーヒーの甘さが明子の緊張をほぐしてくれた。
「砂糖入っていてもよかったんだっけ?」
「はい。」
山田もコーヒーを飲むと明子を見つめて言った。
「昨日ね。明子ちゃんが来るって言うので一応部長に話したんよ。」
「はい。」
「昨日の時点では処分は確定していないみたいだったけど、会社には残るのは難しい感じやね。」
予想した事態とはいえ山田の言葉が明子のわずかな望みを打ち砕いた。
「携帯には何か映っていたのでしょうか?」
「具体的なことは言わなかったけど、もし何か映っていて、女の子が訴えるとなったら会社もただでは済まないからね。」
「女の子に会わせてもらえないでしょうか>私謝りたいのです.示談にしてもらえるなら慰謝料用意します。今日少し持ってきたのです。足りなければ何とかします。」
明子は姿勢を正して、山田の顔を正視して言った。山田はコーヒーを口に運んで申し訳なさそうな表情をした。
「明子ちゃんがそういってって話はしたんよ。進学を控えた息子さんがいることも。でも会いたくないそうなんよ。」
「そうですか。じゃあ部長さんに合わせてもらえませんか?私からお願いしてみたいのです。」
「それも言ってみたんだけど、被害者の女の子が、坂本君を辞めさせてくれたら告発はしないと言ったらしいんよ。」
「そうなのですね。私にできることはないのですね。」
「僕もお宅の事情はよくわかっているからできる限り解雇にならない様に力を尽くすつもりだから。」
明子は、浩一がやらかしたことは、社会的には許されない事だと改めて認識した。後は、何とか退職金が出る辞め方にして貰うしかない。山田と明子の間には沈黙が流れた。山田が悪いわけではないのに、我が事のように心を痛めていた。
「トイレ見せてもらえませんか?」
明子の言葉に山田は驚いた表情をして言った。
「トイレ?」
「浩一がのぞいたっていう。」
「見てどうするの?」
「納得がいかないのです。どうやったら女子トイレをのぞけるのか。見てみたいのです。
」
山田は、明子の事を哀れに思ったのか頷いた。
「いいよ。案内するよ。」
山田は立ち上がると、所長室の扉を開けた。明子は促されるまま部屋を出た。所長室を出ると廊下を歩いて右にある階段を昇って行った。
「二階なんよ。」
明子は山田の後をついて上って行った。二階の廊下を上がってすぐ左側にトイレがあった。トイレのドアには青い男性の人型と赤い女性の人型が貼ってあった。
「男女兼用なんですか?」
明子は驚きを露わにして言った。
「そうなんよ。一階は、男女別なのだけど、二階は兼用なんよ。」
明子はしばらく二の句がつけなかった。「こんなの、そういう癖のある人にのぞきをしろって言っているようなものじゃないの。なんなの。」明子は頭の中で叫んだ。怒りをこらえて言葉を放った。
「これって、いけないんじゃないんですか?男性が入って来るかもしれないって事でしょ。」
山田は、口を歪めて言った。
「そうよね。でも女子は大体下のトイレを使うんやけどね。」
「事務所は一階なのでしょ?」
「そうなんよ。一階はお客さんも来るからね。」
明子は腹が立った。会社側にも問題があるではないか。男女兼用のトイレは男便器が壁に三つ、女子用便所が二つあった。女子便所の中に入ると二つの間には下に十センチほどの隙間があった。「浩一は、片方のトイレで待ち伏せしていたのだろうか。」情景を思い浮かべると背筋が寒くなるほどの嫌悪感に襲われた。明子は、いたたまれなくなり、山田を残してトイレを出た。廊下は冷たく暗かった。明子の目からは涙が落ちた。言いようのない感情が溢れ出てきた。トイレから出て来た山田に悟られない様に素早くバッグからハンカチを取り出して涙をぬぐった。明子は泣き顔を見られない様に、下を向いて山田に礼を言った。
「ありがとうございました。ご足労おかけしました。来てよかったです。現場も見られたし。納得はできなくても理解はできました。」
明子は、奥歯をかみしめて顔を上げて山田の顔を見た。山田は見るに堪えないと言った同情の表情をしていた。ここに来たことで、今、直面している事実が夢でも幻想でもない事をはっきりと思い知らされた。明子と山田は、薄暗い廊下を下りると、一階の裏口へ向かった。外に出ると明子は会社を見上げた。「もう二度と来ることはないとは思うが、今まで浩一がお世話になりました。」心の中でつぶやいた。何故だか、そんな言葉が出て来た。しばらく動かないでいると、山田が後ろから声を掛けた
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