第5話◇作戦◇

 涼子は明子が、考えつきもしないことを次から次へと細かく指示してくれた。

「わかりました。所長とは二時に約束しているのです。まだ時間があるので、商品券とお菓子買いに行きます。お菓子は何がいいですかね?なんでもいいんじゃない?大人の男性にお菓子って言うのもねえ。所長さんはお酒飲むの?」

「飲みます。」

「じゃあビールの少しいいのがいいかもね。プレミアムとか言うやつ。五百ミリ六本と商品券にしたら?」

「商品券はいくらがいいですか?」

 明子はこの際だから、小さなことを疑問に思うたびに涼子に聞いた。

「五千円くらいじゃない。」

「わかりました。」

 なんでも即答してくれる涼子の存在が有難かった。時計を見ると九時をまわっていた。

「開店時間ですね。朝早くから済みませんでした。私、これから準備します。買い物行ってきます。スーツも探してみます。ありがとうございました。」

 帰ろうとした明子に涼子が声を掛けた。

「これ飲んでいきなさいよ。元気になるから。」 

 そういって、滋養強壮剤を飲ませてくれた。

涼子の適確なアドバイスが嬉しかった。頼りになる人が近くにいるのが有難かった。この先どうなるかわからないが、ユーカリ薬局は辞めたくないという思いが込み上げてきた。何種類か涼子が入れてくれた滋養強壮剤を飲んだので元気が出て来た。

 明子は、涼子に礼を言って三十分程でユーカリ薬局を後にして自宅へ向かった。玄関を入ってリビングの時計を見ると九時十分だった。明子は自分の部屋に行って、クローゼットを開けて、スーツを物色した。ユーカリ薬局の制服は白衣だし、子供も大きくなりスーツなど着る機会は少なくなったが、入学式や卒業式用に何着かは持っていた。クローゼットの目につくところに、大介の卒業式に着た黒いスーツが掛かっていた、

「黒はねえ。犯人みたいや。」

明子はハンガーに掛かった黒のスーツをぞんざいにベッドの上に置いた。

 その隣には淡いピンクのシャネルスーツが掛かっていた。二人の子供の入学式に着たものだ。

「ピンクはいかんわ。楽しそうや。」

 ピンクのスーツもベッドの上に放り投げた。

 その隣の薄いグレーのスーツを取り出した。「これでいいんじゃない?地味だし上品だし。先生に写メとって送って聞いてみようかな。」

 他にはいつ買ったか覚えていない、やたらに派手なレース地のグリーンの物と、茶色もあった。

「グレーと茶色どっちがいいかな?」

 明子は写真を撮って涼子に送ってみる事にした。スーツ選びもだが、その時、もう一つ問題があることに気づいた。明子は四十九歳という年齢の為か最近生理不順で更年期に差し掛かっているようだ。そのせいか体重が三キロは増えている。しばらく着ていないこれらのスーツが着られるか心配だった。色だの形だのと言っている場合ではない。入らなければ話にならない。とりあえず第一候補のグレーのものを着てみることにした。スカートのホックを止めようとしたが明子の心配は的中し止まらなかった。前に太った女の子がテレビドラマでベッドに寝そべってホックをとめていたシーンを思い出した。ベットに寝そべると肉がへこんで何とかとまった。起き上がると腹の肉が盛り上がり苦しかった。キチキチのスカートのベルトの上にはたわわな肉が、悲しいほどはみ出ていた。その時携帯のメール着信音が鳴った。涼子からだった。

「グレーがいいよ。」

 思ったとおりのメールの文字を見て、息を少し緩めた。腹の肉がよじれて痛かったが、

これで行くしかない。そう決意し、はみ出した肉を白いオーバーブラウスと丈の長めのジャケットで覆い隠して一階に下りた。リビングには、浩一がマロンを抱いて座っていた。「私、あんたの会社に行ってくる。」

浩一はリビングの時計に目をやって言った。

「何時に約束しているの?」

「二時。」

「二時?まだ九時よ。一時間半あったら着くのに。」

「準備しないといけないじゃないの。所長に世話をかけるのに手ぶらというわけにはいかないでしょ。これから買い物に行くのよ。」

「・・・・・」

 浩一はまずいことを言ったというような顔をすると黙った。

「手土産を買いに行くのよ。」

「オレも一緒に行こうか?」

「いいよ。あんたは謹慎中なんだから。」

「会社まで乗せていってやろうか。」

「謹慎は家にいないといけないんよ。見つかったら。やばいでしょ。」

「あんたを送ったら、どっかで待ちよるわ。」

「誰かに見られたらどうするの?」

「大丈夫やろ。」

明子はため息をついた。この男のこの安易さが全ての原因なのだと思った。明子は文句を言う気にもならず、淡々と答えた。

「ありがとう。でもいいわ。早めに出た方がええやろ。遅れたら失礼だし。」

浩一に礼を言ってしまった自分にびっくりした。自分の中ではすでに決着がついているのかもしれない。客観的に浩一を観ている自分がいた。明子は、マロンと浩一を残してリビングを出て玄関へ向かった。下駄箱から、黒いパンプスを出した。普段はスニーカーの事が多いので、ホコリをかぶっていた。明子は、下駄箱に置いてあった布で靴を拭いた。スーツがきついほど太っているのだから靴も入らないかもしれないと思ったが、ドキドキしながら足を入れると入ったので安堵した。出かけようと玄関のドアを開けると、浩一が、リビングから出て来た。マロンを抱いたまま明子に言った。

「気を付けて。」

「お前が気を付けろ!」

 頭の中で叫んだ。明子は振り向かずに外に出た。駐車場に停めてあった車に乗り、今治では一番大きいショッピングモールに向かった。開店直後という事もあってか平日のスーパーは駐車場も空いていた。明子は商品券を売っているサービスカウンターーへ向かった。明子の姿を見ると三十代くらいの女性がカウンター越しに近寄ってきた。

「いらっしゃいませ。」

「商品券が欲しいのです。」

「ありがとうございます。おいくらご入用ですか?」

「五千円下さい。」

「御のしはどうされますか?」

「簡単でいいのです。のしは要りません。封筒にでも入れてください。」

「かしこまりました。」

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