第3話◇クビ?◇

山田は申し訳なさそうに言った。

「クビなんでしょうか?」

「わからんけど。対処が速かったよね.今朝松山から部長が突然会社に来て、坂本君を連れて所長室に来いって言われたんよ。」

「そうなんですか。」

「部屋に入ると、坂本君にいきなり携帯電話を出せって部長が言うて、坂本君が携帯電話を出すと、強制的に有無を言わさず取り上げたんよ。」

「そうなんですね。」

「僕も、ただ事ではないなと思ったよ。女子社員が、坂本君がのぞきをしているって言っている。トイレで写メを撮られているって。本当なのかと部長が聞いたんだけど、坂本君が黙っていたら、会社が連絡するまで君は自宅で謹慎しておけって言うてね。」

 明子は娘の理沙が帰って来ないか周りを気遣いながら電話に耳を押し当てた。

「なんか証拠があるのかもね。部長がいきなり来るなんてよっぽどやと思うわ」

 明子は山田が話す尋常ではない出来事を一言一句漏らさず聞いていた。☆☆☆☆☆☆

「本当にのぞいていたのですか?」

「さあ、わからないけど、坂本君も弁解しなかったしね。」

「うち、息子が今年の四月に大学に進学するのです。家のローンもあるし、今、クビになったら困るんです。会社を辞めるのは仕方がないとしても、依願退職になる方法はないでしょうか?」

「そうよねえ。もう上まで行ってしまったからねえ。」

「その女の子に会わせてもらえませんか?私謝ります。」

「女の子がどういうかわからないけど、明日話してみるわ。明子ちゃんもこのままでは納得いかんよね。なんやったら、明日土曜日で休みなので明子ちゃん一人で会社に来る?なんかまた情報が入るかもしれないし。坂本君は自宅謹慎やから会社に来たらいけないからね。」

「いいのですか?私、現場見たいと思っていたんです。そうじゃないと納得できないのです。」

「いいよ。四国中央市の支社の場所わかる?

「ありがとうございます。ナビに入れていきます。何時頃お伺いしたらよいですか?」

「そうやね。僕、予定はないけど、今治からやったら一時間半は掛かるから午後二時頃にする?」

「わかりました。伺います。ありがとうございます。本当にすみません。」

 明子は何度も礼を言った。十分くらい電話していただろうか。車の時計を見ると六時近かった。理沙はまだ帰っていなかったが、大介に夕食の支度をしてやらないといけない。はっきりした事がわかるまでは、子供達には詳しくは言わないでおこうと思った。明子は、車のルームミラーで自分の顔を見た。泣いたせいか目元の化粧がにじんでいた。家に帰るのだから化粧直しをする必要もないが、自分に気合を入れるために、バッグの中から化粧ポーチを取り出し、ファンデーションを塗り、口紅を整えた。もう一度自分の顔をルームミラーに映し、覚悟を決めて玄関の戸を開けた。リビングに入ると浩一は、明子が出かけたときと同じ状態で座っていた。リビングに続いている台所のテーブルの椅子に座って大介がパンを食べていた。

「お母さんどこ行ってたの?オレ腹減った。」

「ごめん、ごめん。今すぐご飯の支度するわ。」

 明子は台所の入り口にかけてあったエプロンを着けると、冷蔵庫から牛肉を出して焼いた。明子の背中に大介が言った。

「お父さん休みなんやって。」

「そうなん?」

 明子はとぼけた。あまり食欲もなかったが、子供たちに悟られない様に四つの皿に肉を分けた。

「ただいまー。」

 その時理沙が仕事から帰ってきた。リビングの戸を勢い良く開けるとソファーに座っている浩一を見て言った。

「あれ?パパ帰っているの?」

 肉をほおばっていた大介が言った。

「休みやって。ねっ?」

 浩一は相変わらずソファーに座って動かず頷いた。マロンは理沙が飼っているので理沙が帰ると、浩一の膝から降りて駆け寄った。理沙は、マロンを抱き上げ食卓の椅子に座った。

「わー。焼肉。美味しそう。お腹すいた。」

 マロンはテーブルの肉に顔を近づけよとした。

「マロンは、下に下ろして。」

 明子が注意すると、下に置かれたマロン派また浩一の膝の上に乗った。

「パパご飯食べないの?」

 リビングのソファーから動かない浩一に理沙が言った。

「オレ腹減ってない。」

「じゃあ食べてもええ?」

 大介が言うと、理沙も手を伸ばし、皿に盛られた肉はあっという間に二人の胃袋に吸い込まれた。満腹になったのか二人はリビングを出て行った。明子は自分の皿に盛った焼き肉を半分にして別の皿に盛り、御飯と味噌汁サラダを盆に乗せてリビングのテーブルに運んだ。

「少し食べたら。」

 返事をしない浩一を前にして、明子は焼き肉を機械的に口に運んだ。そういえば昼食を食べていなかったことに気が付いた。一口食べると急に空腹と、喉の乾きを覚え、冷蔵庫からビールを出して勢い良く蓋を開けると、あふれる泡を気に留めず一気に飲んだ。明子が傍で食事をしているのを見て、浩一も味噌汁椀に手を伸ばして一口飲んだ。浩一は酒を飲まなかった。明子が酒を飲んで酔っ払うといつもは「酒なんか飲むな。酔うとお前はみっともない。」と、文句を言うのだがさすがに今日は何も言わなかった。浩一も昼食を食べていないいだろうから腹は空いていただろう。野良犬のように一心不乱に皿の肉にがっつく浩一を見ていて明子は哀れだと思った。自分がしでかした事だとはいえ、予想もつかない方向へ事態が進んで行くのを傍観しているしかない浩一の本質を見た気がした。盆の上の食事を完食した浩一に話しかけた。

「山田さんに電話した。」

 浩一は怒るかと思ったが、何も言わなかった。生気が抜けていた。

「明日、会ってくれるって。私会社に行ってくる。」

「四国中央市?」

「そうよ。いろいろ聞いてくる。」

 浩一は何も言わなかった。一人にしていても自殺する度胸はないだろうなと思った。魂が抜けてしまっているが哀れに思えた。浩一には父八十歳父と姉五十三歳がいた。二人とも市内で暮らしていたが、あまり付き合いはなく二人に相談に行くとは思えなかった。

「なんにもせんかったらいかんやろ。クビになったら、退職金も入らんのやけん。」

 明子の決断を正当化するために言った。

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