第26話 桜龍ノ子


「じゃあ行ってくるわ」

 甥の高虎は車の扉をそっと閉めながらそう言った。

 

 ……古い車なのでそれだと半ドアになっちゃうんだよなぁ。

 

 俺は一旦車から降りる扉を再度閉め直すと後ろから来た車の運転手が迷惑そうな顔をしていたのが見えた。

 すみません、と軽く頭を下げて車を走らせる。

 

 このように聖奈ちゃんの家の周りはあまり道が広くなく、路駐なんてしたら近隣の人たちに迷惑になるのが予想できるので大通り……と呼ぶほどではないが少し開いた通りに出て車を走らせつつ連絡を待つ。


「変なことに巻き込まれてないといいんだけど……」


 正直に言うと《変なこと》とは怪異絡みの方ではない。と言うか怪異絡みなら彼女一人で……多分なんとかなる。

 ダメならダメで連絡がくるはずだ。


 前までなら彼女なりのプライドが邪魔していただろうが今は違う。高虎という『強者』を知った聖奈ちゃんは前よりは他人に頼る事を覚えた。


 つまりこの場合の《変なこと》とは……家庭の問題だ。

 

 水上聖奈という女子高生が育ってきた環境はお世辞にも恵まれた環境とは言えないし、それどころか……。

 

 自分のような《子なし》かつ《未婚》の人間がとやかく言うのは良くないとは思う。

 分かってはいるが……。

 かと言って彼女のことを『親』に恵まれなかった。『可哀想な子』だなんて上から目線で偉そうに言うつもりは微塵もない……が、同情せずにいられるほど壊れた人間ではないつもりだ。


 パチンコ、ギャンブル、ホスト、クラブ、ある程度の大人なら卒業するか、自分の身の丈を考えた付き合い方をするであろう遊びに、彼女の母は今も一種、自暴自棄的で破滅的な付き合い方をしているのだから娘である聖奈ちゃんからしたら溜まったものではないだろう。

 

 それでもコチラから訊かない限り愚痴も言わず、それどころか文字通り命懸けでに《魔法少女》として日夜、身を粉にして闘っているのだから俺は彼女に頭が上がらない。


「まだ十六歳だって言うのに……。彼女はどれだけの重荷を……自覚なく背負っているのか」


 ハンドルを握る手が知らないうちに強くなっていたらしく、少し痺れた。

 俺のことを彼女は《師匠》だなんて慕ってくれているが、俺はどこまで行っても他人だ。

 ……俺に彼女を救うことはできない。


 ……もっと早く気づいて、あの家から抜け出す手伝いをしてあげるべきだったのに。


「今更だな……」


 後悔は先に立たない。


「本当に無事だといいけど……。」

 少し開いた通りで車を停めて連絡を待っているとちょっとだけ雨が降り出したのかフロントガラスに雨水が落ちてきた。


 彼女に……。

 水上聖奈という魔法少女に出会ったのも、こんな寒い雨の日だった。


 ――あれは確か……高虎が中二とかだから、三年前だったかな。

 俺は降り始めた雨を見ながら倍以上歳の離れた少女との出会いを思い出す。

 

 …………って言うとちょっと犯罪っぽいな……。


 それにあの日、聖奈ちゃんと出会う前の出来事も印象的過ぎたし……。

 そうか、そう言えば……、あの日から高虎との関係性が変わって……俺は自分を《俺》って言うようになったんだ。



 ――――三年前――――


 プルルルル。


「あー今、手が離せないのに」

 晩御飯の準備をしている時に限って電話が鳴るのはなんの因果なのだろう。

 鍋に火をかけたまま見たスマホの画面には――。

 

 《生活安全課 久留間さん》

 

 ……後でかけ直す、というワケにはいかないな。

 

 コレが少年課からのモノなら『子ども同士のイザコザ』って事で大事にはならない、ただ警察署まで引き取りに来てくれるって事なんだけど……。

 

 生安からってなると話が変わる。

 何か……いや誰か大人に迷惑をかけた可能性がある。


 は恐る恐る電話に出る。

「はい。天城です。……はい。……ええ??!」


 やはり恐ろしい電話だった……。


 はぁ……なにがどうなったら『中学生がホストクラブに殴り込みに行った挙句、複数人を病院送りにする』なんて事案が発生するのだ……。


 確かに我が姉にして高虎の母である《天城龍姫》も学生時代、荒れていてトラブルが多かった。

 が、流石に高虎ほどではない。


 ……いくら家族を亡くして荒れるにしても限度ってものがあるだろう。


 僕は急いで車の鍵を持って家を出……。

 ……火を消し忘れていたので一度戻って火を消してから車に乗る。

 

 桜間署の久留間さんが気を利かせて署に連行する前に連絡をくれたことに感謝しつつ現場へと向かった。

 おおよそ三十分ほどで件のホストクラブのある駅前へとついた僕は目についたパーキングに車を停めて走った。


 細かい場所が定かではなくて不安だったが……それは杞憂に終わる。

 数えるのが億劫なほどのパトカー、救急車、警察官の山がすぐに目に入ったからだ。

 救急車はすでに搬送を終えたのか救命士の人たちは車の中に入っている。


「まだ終わってねぇぞ!離せコラ!!」


 野次馬が集まり人だかりが出来ていて目視はできないが……今の大声は残念ながら我が甥だろう。


「なにあれ?ヤバくない?」

「アレが最近ウワサの《桜間の猛獣》だろ?」

「猛獣ってか怪獣……はもう居るから猛獣なのか」

「なんか五人くらい殴り殺したらしいよ?」

「殴っ?マジ?ヤバすぎ」


 野次馬たちが好き勝手言ってるのが嫌でも耳に入る。

 

 ……流石に殺してはないよな?

 信じてるぞ!!


「天城さん!こっちです」

 久留間さんが群衆から一つ頭の出た僕に気づいて声をかけてくれた。

 

「天城?あれ?……天城って確か……」

「今、暴れてるアレと同じ名字じゃね?」

「ヤバっ、アレの父親ってこと?」

「アイツほどじゃねぇけどデカいし血は繋がってるだろうな……」


 まだそんな歳じゃないよ。

 ……ったく野次馬ってホントなんなんだろ。

 さっさと遊び行くなりすりゃいいのに。

 

 と、アホらしく思いながら人混みをかき分けて僕は進む。


「あん?!なんでウチのオッサンが来てんだよ!?関係ねぇだろ?誰が呼んだんだコラ!?」

 

 僕を見つけて怒鳴り散らす高虎は制服姿の警察官三人がかりで取り押さえられてる最中だった。

 なんて光景だ。


「私が呼んだんだけど。文句あるかい?」

 

 姉の……高虎の母が亡くなった《キングスモール》での事件後、誰よりも親身になってくれた久留間さんにだけは高虎も多少強く出れない節がある。


「ちっ!オッサン呼んだって意味ねぇだろ!つーか重いんだよ!!退けコラ!!」

 

「乗らなきゃ暴れ回るだろうが!動くな!!」

「ったく、なんで力だ……」

「動くな!動くと危ないぞ!!」

  

 三人がかりでも厳しそうにしている警察官を見て『確かに僕がいても意味ないなぁ』と他人事のように思ってしまった。


《桜間の猛獣》……誰が呼んだか知らないが、確かにそこには呼びたくなるし、この暴れようを見ると……そうとしか思えない。

 姉や甥と違って地味で大人しく過ごしてきた僕は……はっきり言って関わりたくない人種だ。


「天城さん……顔、出てますよ」

「……っ!?」

 久留間さんに言われて気づいた。

 俺は今、ひどい顔をしていた。

 

「彼もね、なんだかんだ言われてますけど……中身はただの十四歳、思春期の子どもなんです。親じゃなくてもね、身内なんだからそんな顔しちゃいけないですよ。特に、本人の前ではね」


「……すみません」

 久留間さんから説教……いや、助言を受けた。

 確かに言われた通りだ。


 誰に言われるでもなく僕が自分で『高虎を引き取る』と決めたのだから……叔父として、後見人として、保護者として導かねば……。


「私に謝っても仕方ないでしょう」

 久留間さんはそう言って少し砕けたように笑った。


「……でね、今回お呼びしたのは――」


「――失礼します!警部補……」


 今回の件について聞く前に久留間さんは若い警官に呼び出されホストクラブの中へと入っていった。

 

「おい!オッサン!コイツら退かしてくれ!重くてしゃあねぇわ」

 地面に抑えつけられたまま高虎は吠える。

 それはまさに《猛獣》と形容するに相応しい姿だ。

 が、彼は僕の甥で、亡き姉の忘れ形見だ。


 僕はそれを……少し忘れて、高虎の強さに甘えていたのかもしれない。


 

「……はぁ……。高虎、前から言おうと思ってんだけどな……、そのオッサンって言うのヤメろ。叔父さんって言え!あと警察官をコイツらって言うな!お前が騒ぎを起こしたからこの人たちは出てきてるんだぞ?!分かってるのか!」


 思ってた何倍も大きな声が出てしまい、夜の繁華街に響き渡る。


「お、おぉお」とか野次馬から歓声らしきものが上がった。


「んだよそれ!意味わかんねぇ!!俺が騒ぎをデカくした?!なんも知らねぇで説教くれてんな!」


 大の大人三人に抑えつけられながらも立ちあがろうとする高虎に付近の人たちは響めく。


 

「……あぁそうさ、知らないさ!言わないんだから知らなくて当たり前だろうが!知って欲しいならしっかり話せよ!家族だろ!」

「叔父と甥だろうが俺らは!俺の家族は母さんだけだ!アンタはちげーだろう!!」


『うわぁ……ひっど』という声が聞こえた。

 誰が言ったか定かではないが、それは今までのものと違い……同情や憐憫に似た、上手く言えないが……僕にはそれが侮辱的な声に聞こえた。


 高虎が野次馬を睨みつけて、警察官たちに乗られたまま動き始めた。 


「……アンタらは関係ないだろうが!ふざけるな!俺と甥の関係に口出しするな!家族じゃない?結構!でも俺は勝手に家族だと思う!諦めろよ高虎!血縁は誤魔化せねぇ!!」


 思わず野次馬に啖呵を切って……甥にも同じようなテンションのまま語りかけてしまった。

 野次馬は静まり返る。

 警察の人たちも押し黙った中、高虎の笑い声だけが響いた。


「はっはっ……、んだよソレ。笑えるわ」

「なんかお前の笑い方って邪悪だな」

「……笑い方に正義も悪もねぇだろ」


 お互い少し成長したし、高虎に至っては口調も違うが……姉が生きてた頃の、普通の叔父と甥の関係に戻った気が少しした。


「んで?なにがあったの?」

 野次馬も警察も無視して高虎の顔の高さに合わせてしゃがみ込む。

 

「話すと長ぇから端折るけど……要は馬原バカ兄弟の関係だな。ほら俺、先月入院したろ?全治半年とか言ってさ」


 三日で退院(脱走)してたけどな。


「あの時の襲撃メンバーが……だいたい二十人くらい居たんだけど、流石に人数差キツイじゃん?だから後日、一人ずつ順繰りにお礼参りしてーーって感じでやってたんだけど」

 警察を前になんて話してやがるんだコイツ……。

 警察の人たちも呆れて何も言わない。


「あと数人で終わるってのにソイツがホストクラブで働いてるとかでまぁこんな感じ?」

 ……なに仕方ないじゃん。みたいな顔してるんだコイツ……。

 

「……それが良いか悪いかはこの際置いておくけど……だとしてもわざわざ職場であるホストクラブを襲う必要ないだろ?」

 

「いやいや、仕方ないんだよ。だってアイツ、仲間たちが順番に襲われてるの知って店で寝泊まりしてたんだもん。匿うやつも同罪だろ?なぁ刑事さん」


 制服の警察官は何も言わない。

 あと多分刑事さんじゃない。

 

「話は分かったけどさ、残念ながら高虎、お前が騒ぎを起こしたからって考えは変わらないよ」


「……悪いとは思う。反省もする。でも後悔はしねぇ。俺は何度でも誰が相手でもやられたら――」

「――やり返すなって、言ってんじゃないよ。やり返し方考えろって言ってんの。わかる?」


「あ?」

 ポカンと口を開けた高虎の表情はとても印象的で、地べたに抑えつけられている事などお構いなく呆然とする甥の胆力に僕は感心すら覚えた。


 

 


 


 


 

 

 


 


 


 

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