第3話 お魚定食
ぼうっとしていた私は、スマートフォンが震える音で我に返った。
「嫌なこと思い出しちゃったな」
子猫だった私は、孤独だった。
一度人間の子どもに拾われたんだけど、親に怒られてあっさりと捨てられた。
束の間のぬくもりと安心感、その後ふたたび放り出された外の世界は冷たくて、いっそう身に染みた。こんなんだったら、二度と人間には近づかないと思ったものだ。
その後も、たまにご飯をくれる人がいたけれど、うわべだけ甘えて、気を許し過ぎないようにしていた。
そんな野良猫時代の感覚は、体の奥底にこびりついて今でもぬぐえない。
スマートフォンを見ると、メッセージが来ていた。
【ひろ】というアカウント名で、短く「今から空いてる?」とあった。
「んー、どうしよっかな」
彼はたまに一緒にご飯を食べて、たまに夜を過ごす相手だった。嫌いじゃないけど、好きでもない。向こうもきっと同じくらいの温度感だ。寂しいときに気がまぎれるから、会っているだけ。
「一時間後なら」
そう返すと、すぐに既読がついた。
「OK。いつもの場所で」
りょうかいです、という猫のスタンプを送る。それでおしまい。
「さ、ちょっとだけ仕事しよっと」
私は気持ちを切り替えてパソコンに向き直った。
しばらくの間、静かなオフィスにキーボードの音がカタカタと響いていた。
バタン、とドアの音が聞こえた。
集中していた私は、誰が入ってきたのかと、びくっとして振り返る。
そこには、帰ったはずの山本くんがいた。
「……どうしたの? 忘れ物?」
怪訝に思って尋ねると、山本くんはリュックから何かを取り出した。
「これ、差し入れ」
照れ隠しなのか、ちょっとそっけない手つきでデスクの上に置く。
見れば、缶コーヒーとお菓子だった。コンビニで売っている三月限定の桜フィナンシェ。ちょうど気になっていたやつ。
私はまじまじと山本くんの顔を見上げた。
「あと十五分待って」
「え?」
「そしたらご飯いこ。まだ食べてないんでしょ?」
「え、俺はかまへんけど、ええの?」
「うん。やっぱりお腹減ったから」
山本くんはわかりやすく嬉しそうな顔をした。
本当に、人懐っこい大型犬みたい。私とは大違いだ。
私は素早く仕事を片付けて、帰り支度をした。
その合間に、先ほど会う約束をした男に断りのメッセージを送る。
「用事ができたからまた今度ね」
ドタキャンしたって心は痛まない。だって、向こうも当日に突然連絡してくるような相手だから。
「さ、行こう」
オフィスの電気を消すと、私たちは連れ立って外に出た。
春もまだ早い季節、夜になると風が冷たい。
何食べたいと聞かれて、お魚と答える。好みは昔から変わらない。断然、肉より魚派だ。
「よし、そんならあそこにしようや」
山本くんが提案したのは、職場から駅へ向かう途中にあるこぢんまりとした定食屋だ。お魚がおいしいので、私もときどき通っていた。
お店に入ってカウンター席に並んで座り、私はお刺身定食、山本くんはアジフライ定食を頼んだ。
「うん、おいしい」
私はほくほくしてアジの刺身を口に運んだ。
「そうか、よかった」
山本くんはなんだかニコニコして嬉しそうだ。
そんな彼の横顔を見ていると、こちらも頬がゆるみそうになる。
いけない、いけない。
私は笑顔をひっこめて、食事に集中した。
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