第29話「夏祭りです」
「あの元気いっぱいだった大河君が…」
カフェでコーヒーに舌鼓を打っていた。
値段が手頃で味も悪くない。
苦みの奥底に、味わい深いコクがあり、コーヒーとはこうあるべきだと言わんばかりの一杯だ。
しかし、今日ばかりはそんなコーヒーの楽しみも半減といった様子である。
というのも、大空の話を聞く限り大河が変わってしまったとのことだ。
セシリアがこの世界が去るなり、大河は学校で問題行動ばかりをするようになったらしい。
反省の色を見せないばかりか教師に対し暴言を吐く始末。
幾ら叱ろうが、聞く耳持たずらしく、近頃の行いに頭を悩ましている大空。
「それでですね…
皆で夏祭りに行けば、普段言えないことも言えるんじゃないかと…」
自信を欠いた声に、酷く切なくなってしまう。
セシリアを学校に行くよう唆したのも、元をたどれば私の責任だ。
どうにかして説得するのが筋と言うものだろう。
「私で良ければ一緒に同行しましょうか」
大空に視線を合わせ、笑顔を作った。
すると彼女も安堵したのか、目尻を下げた。
大空の話によると、今日の夜に夏祭りがあるらしい――――
「…だそうです」
「涙なしでは語れない。親子に結ばれた糸は、時に涙腺を燻るものだねぇ」
電話越しに、微震する海人の声に耳を傾ける。
要所要所で鼻をすする音が入り、嘘偽りない海人の気持ちを物語っている。
「それでよぉ…」
頭を掻いているのか、がりごりと鈍い音が聞こえる。
そして、言葉の続きを紡いだ。
「だからっ、なんで毎回毎回俺を同伴させるんだ!」
半ば怒り口調の海人。彼が憤慨するのも無理はない。
一度目はスマホを購入する際。二度目はセシリアの保護者を演じてもらう際。
「二度あることは三度あるってよく聞きません?」
そうして、三度目のお祭りに行く際である。
何か物申したげに口をもごもごと動かしている。
だが、言葉を返すことはない。唸り声を挙げながら忍耐強く我慢している。
「っつうか、別にお前が行くこたねぇだろ。
それは大河って奴が自分でなんとかするしかないんじゃないか?」
「でも、手助けぐらいはしてあげだいじゃないですか」
電話越しでも耳を塞ぎたくなる溜息。
海人の怒りは、電話越しでも伝わってくる。
しかしそれは、私に対してではないようで。自身の無関心さに嘆いているようだ。
「まぁ、夏祭りはもともと行きたかったしよ。
三度目の正直ってやつだ。四度目はねぇからな」
早口で捲し立てた後、そのまま電話を切られてしまった。
どんな気持ちで言ったのだろうかと気になりはしたが、敢えて聞くことはしなかった。
この先に待ち受けているお祭りに胸を躍らせながら――
日が落ち始めた頃、私は大河と共に神社へと足を運んだ。
その道すがら、話を伺う。
「ふん…うっせ、お前がセシリアを引き離したんだろうが」
視線を合わせようともしないで、言葉を吐き捨てる。
大河は酷く荒れている。その様に言葉を失いかけたが、何とか堪えた。
「お姉さんが奢ったげよっか!」
「…いらない」
心の奥底から援助を求めてしまう。「助けて」と今すぐにでも叫びたいところではあるが
流石の私とてそこまで情けない奴ではない。
この世界に来てから早半年。ようやっと私の見せ場が来たのである。
「あ、ほらほらりんご飴だよ。ぱりぱりのやつ」
「勝手に買えば」
適当にあしらわれたことに落ち込みつつも
宝石に似た光沢を放つそれを、大河へ差し出す。
しかし、一瞥するだけで手に取ることはしない。
代わりに、大河は鼻をひくつかせる。
直後、鼻を鳴らしたことを後悔するかのように眉間の皺を深くした。
見なかった振りをして、りんご飴にかじりつく。
甘みと酸味が絶妙なバランスで舌に広がる。
ずっしりとした重みがありつつも、食べる手は止まらない。
薄くコーティングされた、独特な甘みを持つ飴と、りんごの酸味が交じり合う絶妙なハーモニー。
濃厚な甘みが舌を包み込む。その甘さが、りんごの鮮やかな酸味と絶妙にバランスを取っている。
「それお前が食ってるだけじゃねぇか。大河呆れてんぞ」
「あぁ、来ていたんですか」
浴衣を身に纏う海人。青の布地に、紺色をした朝顔が咲き乱れている。
「で、お前が大河って奴か。
俺は海人。これからよろしくな」
言葉を発することはなく、うんと一振り頷くのみ。実のところ、海人の身長はかなり高い方だ。
対して大河は小学生。その身長差がより威圧感を増長させている。
それに怖気づいてしまったのか。海人の目をじっと見つめている。
子特有の、少しでも背を高くしようと威嚇する様は可愛らしいものだ。
しかし海人は、そんな大河に構うことなく話を続ける。
「で、なんだよ。そんな不貞腐れて」
「分かるもんか。お前なんかに」
「分かるわけねぇだろ。そもそもアリスに何も聞かされてねぇんだから」
親指を突き立て、私を背に相も変わらずの口の悪さを発揮する。
だが、柔らかな口調を崩さず。大河の怒りを収めようとしているのが分かった。
言い返す隙も与えず、大河の手を引いて屋台巡りを再開させた。
「ほぉん、祭りだからか、定番の焼きそばも値が張るねぇ」
そう言いつつも、財布から金を出す海人。
人数分の焼きそばを購入し終えると、海人は大河に焼きそばを手渡す。
私の分まで買ってくれたことに感謝の念を抱きつつ、大河を横目に焼きそばを食らう。
もっちりとまではいかないものの、歯ごたえのある麺。
ソースの甘みと、紅ショウガの酸味が程よく絡み合い、舌に美味しさを運んでくれる。
具材はキャベツやもやしなどの野菜類に加え、ウィンナーが入っている。
定番の組み合わせではあるが故に、人気が高いのだろう。
「ほらほら、白状しろよ」
割りばしをぱちぱちと鳴らし、大河の興味を引こうと必死である。
観念したのか、大河は重たい口を開く。
「せめて…別れの挨拶くらいしたかった…」
声を震わせながら、心にあったものを口に出した。
大河の目元が赤く腫れていることから察するに、事前に泣くことを堪えていたのだろう。
そして、心の内を吐露した今、堰を切ったように涙があふれ出す。
涙腺が脆くなっているのか、その勢いは留まるところを知らない。
感情的になっているからか、段々と言葉が荒れていく。
「ねぇ、セシリアは、俺のこと大切な人だって思ってたかな」
藁にも縋る声で、私に問う。
セシリアは、毎日を楽しそうに生きていた。それは、大切な人が身近にいたから。
だから私の言うことは決まっている。
「うん」と一言、肯定するだけだ。
その返答を聞き、大河はその場にへたり込む。涙は一向に止まらず、むしろ勢いを増した。
海人が大河の頭を撫でながら泣き止むよう促している。
そんな光景を傍観していると、後ろから声を掛けられる。
どうやら、大河のクラスメイトのようで、先から感じていた視線の正体はこの子たちみたいだ。
「色々とごめん。俺行ってくるね」
駆け足で去ってゆくその姿は、どこか青春を感じずにはいられない。
「また来れたら良いなぁ」
「ですねぇ」
花火が撃ち上がる。夜空を鮮やかに色付かせ大輪の花を咲かせている。
私は海人と肩を並べて花火を眺めていた。
すると、海人が口を開く。他愛もない会話だった。一つ一つ、些細な瞬間が楽しくて。
瞼を閉じて、その声だけに耳を向ける。
「あれ、なんでここに」
海人の困惑している声。
瞼を開ければ、そこにはある置物が佇んでいた。
「アリス、来ますよ、時空の歪みが」
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