第23話「パンケーキです/お別れです 2」

「ここ、行ってみたかったんですよね」


数日後、無事容態の回復した私たちはある喫茶店に赴いていた。

外観からして、歴史を感じさせる佇まい。木製の看板には、長年の歳月を経た文字がかすれていて

誰かに大切にされ続けてきたことを物語っているかのよう。

代々受け継がれてきた、と言えば分かりやすいか。


店内諸共、懐かしさを感じさせる香りが漂う。古びた木のテーブル、色あせたカーテン、壁に掛けられた黒白の写真。どれもこれもが、時間を刻み続けてきた証拠。席同士の間隔が広く、隠れ家的な雰囲気を醸し出している。周りの騒音から切り離されたような、静かな空間で、私たちはどこか安らぎを覚えた。


ふと、メニューに目を向ける。並ぶ見慣れぬ横文字の羅列に、思わず眉を顰めた。

いや、別に読めないわけではない。肯定的に言うと、これはこれで味があっていい。

メニューに書かれている飲み物はコーヒーのみ。

更には、一杯からでもそれなりの値が張るのだ。

コーヒーの原材料がすぐに出てこない時点で、私はド素人に近い。


特にコーヒーの違いなんて分かるわけがなかった。

どうしてこの店に来たのかと言えば、セシリアに聞いたから。なんでもパンケーキが美味いのなんの。

世間一般で言うスイーツであって、コーヒーとはまた別なのではないか、と私は思うのだが

どうやらセシリアの口振りからすると、ここのパンケーキは絶品でコーヒーとよく合うらしい。

そこまで言うのならと、私はこの店を選んだわけだ。


うんと悩み、少々値段の張る二つをそれぞれ人数分注文する。

裏から老骨を携えた一人の老人が顔を出す。

不愛想に見えて、人当たりのいい笑みを浮かべては、ゆっくりとテーブルに近づいた。

注文を書き終え、老人がまた奥へ姿をくらます。


食器同士がぶつかり合う音に耳を傾け、どこか落ち着かない心を必死に宥めた。

この店の雰囲気に圧倒されているのか。はたまた、セシリアと二人っきりで外食する機会がないからか。それとも、 先日出来事以来、変に意識する自分がいるからなのか。


本来、ここに足を運んだ理由は、セシリアと最後の食事になるかもしれないから。

数か月程しか経っていないが、セシリアと出会った、あの日から私の日常は大きく変わった。

勿論、良い意味で、だ。極貧ながら謳歌していた日々に、突如として別れを告げなければならない

というのだから、お互い些か愉快ではないというのは確かだろう。


「私は、コルコットに帰ろうと思っています」

微音の音楽に身を委ねる中、セシリアが小さな声を挙げる。


「それは、私が貧乏だからでしょうか」

自身の口から皮肉めいた言葉が漏れてしまった。

セシリアはどこか困り顔で首を振る。

私は貧乏であることを悲観していないし、セシリアを咎めたいわけでもない。

不謹慎なのは重々承知しているし、気分を害させるかもしれない

と承知していながらも 敢えて私はセシリアに問うたのだ。


「ち、違います!私は、ただその方が皆のためになると思って!」

セシリアは慌てた様子で訂正する。そんな反応さえ、以前の私には面白くて堪らなかっただろう。

反して、今はどうだ。セシリア共にいれる最後の時間だというのに

こんなにも悲しくて良いのだろうか。

セシリアは生半可な覚悟ではないことくらい分かっている。

だからこそ私は、セシリアのその選択が悲しかった。


「お待たせしました、パンケーキとコーヒーです」


息の詰まる空間を、食器がぶつかり合う音で払拭する。

鼻腔を擽る香ばしい匂いに、思わず腹の虫が鳴ってしまう。

パンケーキは想像していたよりも大きく、厚みのあるそれは、ナイフで切り分けるのが難しいほど。


フォークで刺して一口サイズに切り分けたそれを口に運ぶ。口内に広がる甘味に頬が落ちそうになる。

バターの風味と小麦の香りが辺りを包み込む。軽やかな食感、焼き目の付いた表面。出来立てほやほやの湯気が、まるで寒空の夕焼けのように美しく

雪のようにふわふわとしている。これは確かに、コーヒーと合いそうだ。


コーヒーを口に含んだ。

底に溜まった砂糖の甘い味と苦さが口内で溶け合い、何とも形容しがたい味が全身を駆け巡った。

まさに至高と名付けるに相応しいもので、セシリアも同じ恍惚とした顔を浮かべているのかと、ふと視線を向ける。


「その顔…」

「う、うるさいです!最後なんですよ、最後。

こんなにも悲しくてたまらないのだから、当たり前じゃないですか…」


彼女は泣いていた。咀嚼音を垂れ流し、鼻水が服を伝う。

すみません、と一拍置いた後、セシリアがと口を開く。

「先の発言は撤回させてください。

私だって、この空間にぎこちなさを覚えていない訳ではありません。

今度こそ、嘘偽りない話をしましょう」


「好きですよ、アリス様のことは。大河君のことも好きです。学校も好きですし

…こんなこと本人の前では絶対言えませんが、海人って人も嫌いではなかったです。

でも、メアリー様のことも好きです。というか、大好きです。

あの方が居るから帰ります」


辛い事実であるが、それが、いつもの彼女。その様子に、私も冗談交じりに言葉を返す。


「知っていますよ、さっさと帰って母様に甘えてもらってください」

「ええ、そうさせてもらいます。」

互いに笑い合う。この空間が心地いい。セシリアと過ごす時間が何よりも楽しい。

「嘘です、私も好きです、貴女のことが」

「ありがとうございます、でもごめんなさい。私はメアリー様のことが好きなんです」

「知っていますよ、それも」

「なら良かったです」


「あ、そうだ」

「母様と父様に会えたなら、こう伝えてください――――」


――――


最後というだけあって、街並みを目に焼き付けておきたいと セシリアが提案してきた。私も、その案に賛成し、二人して街を歩く。日は落ちかけ、空は茜色に染まりつつあった。

人通りは疎らで、どこか寂しさを感じさせる街並みに、私たちは溶け込む。

他愛もない話をしながら、ゆっくりと歩を進める。この時間が永遠に続いてほしいと思うのは我儘だろうか。でもきっと、セシリアも同じことを思っているはずだ。


「アリス様、必ず、伝えてきますよ」

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