第21話「登山です/遭難です」
「あぁぁぁ~」
頭を抱えるセシリア。ちゃぶ台に突っ伏してその容姿と相まって産声を挙げているよう。
普段からは伺えない青ざめた顔色に首をかしげる。
「聞いてくださいよ、冬休みが残り僅かだというのに
全くと言っていいほど自由研究が決まらないんですよ」
「別になんでも良くないです?アサガオの観察日記とかで」
「花は冬になったら顔を出さないんですよ
虫取りも難しそうですし、工作も癪に障ります」
意味があるはずもなく、無意識のうちに教科書をめくる。
どれも面倒くさそうだと言わんばかりの、溶けるように歪んだ顔は成果がある訳でもない。
一刻の時は過ぎ去り、時計の長針は半周を回った。望外な程の悩みっぷりは見ていて微笑ましくもある。
だが、私からしてみればそれはかなりどうでもいい事だ。
口を出すのも憚られるが、見ていても退屈を感じるだけだろう。
お暇しようかと腰を上げるが、セシリアがそれを止めた。
「そうだ、山登りですよ!自然豊かで広大な山脈!頂上から見る、連なる数々の景色は
良い絵になりそうです!」
充血した目を滾らせて半ばやけくそであることが伺える。
両手を合わせながら、目を輝かせるセシリア。
一挙手一投足を目で追うのが忙しいくらい忙しない。
自ら模索するのは良い事だが、それと自由研究がどう関係するのだろうか。
「でも、冬の山って結構危険ですよ
それに登るのも大変そうですし」
セシリアは、私の言葉など耳に届いていないように目を輝かせるばかり。
そして、何かを思いついたように立ち上がったかと思うと、私に向かって指さした。
まるで犯人を指名するように。指は、ゆっくりと下へと降りていく。
腹部に差し掛かったところで、セシリアは満面の笑みを浮かべて言った。
それは悪魔の囁きか。
「大丈夫ですって!冬の登山は絶景と聞いたことがありますから!」
大丈夫である根拠を述べてほしかったが、それを言ったところで何かが変わる訳でもない。
私の手を引いて玄関へと連れ出した。
外は一面の雪景色。
雪かきがされていないのか、家の前の道路には雪が積まれている。
ため息を吐くと観念したように頷いた―――――――――
「寒空の下で飲むポタージュも乙なもんですねぇ」
牛乳髭、言うなればポタージュ髭だろうか。
赤く染まった指先と、熱の伝わるマグカップが交差する空間を生んでいた。
絹のように舌の上で溶けていく。冬の寒さから解放されるような温もりが広がり、身体の隅々まで優しく染み込んでいく。その味わいは、心の中まで包み込まれるような安心感を与えてくれる。
吐く息は真っ白に染まり、霧散する。雪景色の続く山々を、椅子に腰掛けながらのんびり眺める。
時折吹く風に肩を竦めたセシリア。上機嫌に鼻歌を歌う。
冬の透き通った空気の中に溶け込むような旋律。
自然豊かな場では、多少の気の緩みも許されるようで、徐々に視界は暗闇へと落ちてゆく。
…これは夢だ
頭の思考がぼやけて止まない。
セシリアが、皆と楽しそうに話している。思えば、性格は一変、今の彼女は、誰からも好かれる存在に違いない。幼い背丈、見合わぬ人柄は、誰もかれもの心を引き寄せるだろう。
些細な世間話は、以前の彼女ならば、無関心以前にする人に嫌悪感すら覚えるのだろう。
無邪気に笑うセシリアを横目に、皆の輪に入ろうとしても、皆は私を避ける。
まるで、そこに存在しないかのように。
夢だと分かっていても、辛いものは辛いのだ。私は独りで良いと、ずっと思っていたはずなのに。
利益を目的として人と関わるからこそ、無価値に生きてきたと言える。
その私が、誰かに価値を見出してほしいと願うようになった。
手を取り合おうと、腕を伸ばすが、当たり前のように指先が絡むことはなかった。
「よし、結構良い感じに描けたんじゃないですかね」
自信気な声が辺りをこだまして、その声で思わず目が覚める。
夢の内容こそ覚えていないが、朧気ながら良い夢でないことは確か。
出来上がった絵を覗いてみると、夕焼け空に染まりかけた
連なる山脈に鳥たちが黒い架け橋を掛けていた、頂上の景色が見事に描き出されていた。
その風景は、まるで絵画のように美しく、そしてどこか儚さを感じさせる。
セシリアの満足げな顔を見ていると、私も思わず微笑んでしまうのだった。
「そろそろ帰りましょうか」
「ですね」とセシリアは頷いた。
私たちは、各々準備を進め、その場を後にした。
歩き始めて早数分、セシリアが困惑の声を挙げる。
「あれ、すみません、道に迷ったみたいです
スマホなど貸していただけませんかね」
夕焼けが青を支配しかけていたある小焼け。
空模様を背景に、セシリアが困った顔をしながら、そう話しかけてきた。
「え、貴重品をこんな僻地に持ってくる馬鹿がどこにいるんでしょうか?」
「で、でも、それないと帰れませんよ?」
「安心してください、いざという時のために、パンくずを来た道に散りばめといたので」
「…これ、遭難してません?」
「そうなんですか?」
「ブチ飛ばしますよ」
背後を見てみると、結果としてぱんくずは意味を為さない物だということが判明した。
羽ばたき、鳴き声、それらが存在しているということは、鳥の生息地であることを知らしめるには
充分過ぎるものだというのに、何故分からないのか。
セシリアは、絶望と哀れみの意を込めて意味も無い言葉の羅列を荒げていた。
歩き続けて早数十分、幾ら鈍感な身とはいえ、危機の状況下であることだけは理解出来る。
夕焼け空は既に過ぎ去り、星々の輝く夜空の下、慌てふためく二人が取り残されていた。
早雪である時期は辛いものがある。迂闊に野営する訳にも行かず、かといって 日没であるこの時間帯で道を離れるのも危険。
雪で視界が悪い中、万が一雪に足を取られたり枝にぶつかってしまえば ひとたまりも無いだろう。それが人間であるなら尚更だ。
如何に魔法で身体を強化しようとも、限界はある。
セシリアは一先ずはと近くの木に寄り掛かり、一息ついた。
「ほんとどうするんですか…これ…」
一言と共に、雷が鳴るような音が響き渡る。赤面するでもなく、ただ項垂れているのみ。
日帰りを予定していた為、無論食料など遥昔に底が尽いている。
足首まで積もった雪、重たい装備、体温の急激な低下。
それら全てがセシリアの体力を奪っていく。
魔法の持続性にも、それ以前に疲労には抗えない。
仮にも、強靭な肉体を持つセシリアに疲労などというものはこの程度で存在しないだろう。
単に気持ちの問題だ。長時間歩いたことによる肉体的な疲れと精神的な疲れが同時に押し寄せる。その辛さたるや、常人ならば発狂しかねないものだ。
「と、とりあえず寝ましょうか
寝て、頭をスッキリさせれば思いつくものもあるかもしれませんよ」
静寂が流れるが、足早に簡易テントを設計する。今日ばかりは、睡眠を貪る事しか出来そうになかった。
ため息をつき、お互いに会話を交わすこと無く眠りにつく―――――
「起きて!起きてくださいアリス様!」
早朝、活力に満ちた声が響き渡る。前日の出来事を踏まえると考えられないほどの声量。
寝ぼけながら、適当に相槌を打つが、懸命過ぎる姿に違和感を覚える。
「雪崩ですよ!このままここにいたら死にますよ!」
一言を聞き、思考が一気に覚める。慌てて外を見るが、一面銀世界。白い粉が宙を舞い、けたたましい音が辺りを劈く。斜面の急な山道だ。雪崩が起きたところで不思議ではない。
急いで荷物をまとめ、雪の降る外へと駆け出す。
セシリアも同じく荷物を纏めてはいるものの、どこか落ち着きがない。
それもそのはずだ。雪崩に巻き込まれた場合、生存率は極めて低いと言えるだろう。
仮に運良く生き延びたとしても、足を引き摺りながら歩く二人を想像することは安易である。
それでも進まなければならない。防御魔法を唱えようとするが、それを雪崩が制止する。
瞬間、一層激しさを増し、私たちを襲うかのように響いた。
魔法を使う暇もなく、目の前で崩れ落ちた雪の塊が、山肌を急速に下っていく。
呼吸が浅くなり、手のひらには冷や汗がにじんでいく。
「…生きていますか、アリス様」
「な、何とか」
どうやら、直前で逃れたらしい。重い身体を何とか鼓舞して、斜面に登る。雪崩の衝撃で落ちてきたのだろう木や枝が辺りに散在している。改めて周囲を見回してみると、木々が生い茂っており、向こう側には獣道のようなものが見える。このまま雪の上で立ち往生するよりかは、向こうの方がいくらか良いだろう。
慎重に歩を進めてはいるものの、木々に雪が付着しているためか酷く滑る。
足元が安定しないためかセシリアもたどたどしい様子だが、背にいることだけは感じ取れる。
「すみません、私のせいで」
申し訳ないように呟くセシリアに、優しい言葉をかける暇も無い。
吹雪も強くなり始めてきた為か、視界が悪い。何とか方角を割り出そうと試みるが、雪の勢いは増すばかり。時折吹き荒ぶ雪が降り注ぎ、体温を奪っていく。既に体力の限界を迎えていたのかもしれない。思わずへたり込むと、セシリアも私の隣に腰を下ろす。
「私、アリス様と出会ってからの日々、案外そんな日々が好きでしたよ」
「今になって言うんですか、私もですよ」
徐々に視界は狭まり、意識も朦朧としてくる。
今はただ、寒さだけが肌を蝕む。ふと、セシリアの方を向くと、その瞼は閉じていた。
頬に手を添えて見るが反応は無い。呼吸を確かめると、息はあるようだ。
相当疲弊しているのだろう、目を閉じるなりそのまま眠りについてしまった。
私も、少し休もう。
…独りで良いと思っていたはずなのに、いつの間にか周りに人が集まってきた。そして今、隣にはセシリアがいる。心臓の鼓動が明確に脈打つ。雫の滴る音の様に流れるあられがじれったい。
「…あなたは」
薄闇の中、心の中でその言葉が繰り返される。身体は冷たく、意識はぼんやりと朦朧としているが、その問いだけは強烈に胸に刺さってくる。何度も繰り返し問うけれど、答えは見つからない。
段ボールを身にまとい、笑える話だが、場違いな恰好の中に一瞬の温もりを求めた自分がいる。
「ヴァルカン・ギアでちゅよ」
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