第8話「刺客?が来ました」


毎日は繰り返しの日々である。

だが、その日々の中にある些細な特別が、生きる糧となるのだ。

名ばかりの政治を行い、フランシス兄様という政治の世界で強大な男がいる中

決して勝てぬというのに、毎日を無意味に生きていた時と比べたらよっぽどマシだ。


今日は休日、陽の光が板の隙間から差し込み、部屋の隅々を優しく照らしている。

目を覚ました私は、いつもと同じような静けさに心地よさを感じていた。

冷気が体を凍てつき、その冷たい体温で目が覚めたようだ。

時計を横目で見ると、まだ早朝。周囲は静まり返り、外の世界も眠っているかのよう。


だが、そんな日があっても良いじゃないか。

今日は家で以前買った書籍でもゆっくりと読もう。

昨日は散々。その後は取材とやらで色々な人に付きまとわれた。幸運にも大衆の目に映ることは無かったが、それとこれとは話が別だ。次から気を付けなければ。


”ぴんぽーん”


突如として家のチャイムがと響き渡る。音は明るく

どこか輪郭のぼやけるメロディーのようで、静かな室内に一瞬の困惑をもたらす。

今から優雅なティータイムと洒落こみ本でも読もうと思っていたのに水を差されてしまった。


「せっかくいいところだったのに……はいはい…」

空気の読めない来客に少しばかり悪態を付きながら扉を開けるも、誰一人としていない。隙間風が部屋中を駆け巡り窓硝子が音を立てて揺れる。


「あれ、勘違いでしょうか…」


少しの違和感を抱きつつも、悪戯かと思い扉を閉めると小さな声がボロアパートを伝って反響する。


「いだ!」

「…あれ、セシリアさん、なんで」


…彼女は「セシリア」母の専属使用人であった。艶やかな青い髪。小さな背丈に瞳孔は思わず猫を彷彿とさせる。そのデコを抑えるちんまい姿とはことなり立派な成人。たしか歳は三十程だったような。


「そんなことを話す義理はありません、あなたには元の世界に帰ってきてもらいます」


突如として襲う出来事の数々に思考がまとまらない。しかしセシリアが元の世界に連れ戻そうとしている

ことだけはハッキリと理解できる。


「ここにいるということは、あの転送事件が魔法の研究に進化をもたらしたのですよね?

それなら両親に伝えてください、私は帰りたくありませんと」


「…あれは、古代の禁術により行われた転移魔法でした

その全貌は今まで明かされていなかったものの、あの事件によって世に認知されたのです

ついでに、数々の禁忌魔法を発見されて、アリス様の仰る通り

今や膨大な魔力を消費する代わりに、使用することが不可能では無くなりました

たった一人転移魔法で転送する為に、名高い魔法使いが何十も集まり、巨大な魔法陣を敷く…

きっと多額の金を積めば可能となることでしょう

しかし、そんな大金を誰が払うのか? 答えは簡単です」


息を呑む。貴族が、いかに民にとって重要な存在であるのか忘れていたのか?

フランシス兄様だけでは決して務まらない。沢山の民を導くには、その分指導者が必要なのだ。

…いや、忘れてなどいない。私は、私はあの生活がそれ程までに苦しかった。


「メアリー様とジェイムズ様なんですよ!

それ程までに皆はアリス様を心配しているというのに、帰りたくないとはどういうことですか!」


思わず頬から涙が伝う。この感情は、決してセシリアには理解できないだろう。昔見た、母様と笑う幸せそうな顔。セシリアは養子だと聞いたことがある。

それは大切に大切に育て上げられてきたのだろう。母様を慕うのも当然だ。

じゃあ私は?あの時、その時、この時、皆は何を理解していたのだろうか。

何も理解などしていなかったのではないか。


「私だって、あの生活にうんざりしていました!いつ他所の貴族に雇われた暗殺者に殺されるか怯える日々、そんな思いをしてまで勝てぬと分かりきった権力争いに身を置く日々!

私は、些細な幸せを見つけながら、楽しく過ごしたかっただけなんです…」


「だから、もう帰ってください!」


ドアノブを閉めようとしたが、まるで時が止まったかのように体が動かない。

「…私も、伊達に奥様の護衛を務めてはいません」


暴風が体中を掠める。それはもう強いもんだから思わず視界を閉じる。暗い闇、まるで、私の心を見透かしているようだ。当たり前の日々が、当たり前じゃなくなるかもしれない。


そんなの嫌だ。


濁る空気、視界を開くと、花畑にいた。


「ふふっ、驚きました?才能と高い魔力量があればこんなことも可能なんですよ」

しかし、妙に景色が荒いことに気が付く。これは、

「クリスタルプロテクション」という相手を自らの領域に連れ込む魔法。


セシリアの卓越した魔法技術は国随一。本来多数の魔法使いを用いて使用する技だ。

母様が一目置く理由も分かる。この魔法は時間が経過するにつれて自身の魔力総量が低下する。

このままだと私は敗北して連れ戻されてしまう。


無策に突っ走り拳を振るうも、セシリアという天才には効くはずがないと私が一番良く分かっている。

巧に距離を離されて、魔法総量の少ない私には瞬間的に距離を縮めることも出来ない、苦しい状況だ。


「ついにあのアリス様は武力を行使するのですね!いいでしょういいでしょう!

禁忌魔法「マインドクラッシュ」申し訳ないですが今からあなたを更に奥に秘める私の精神世界に引きずり込みます!夢見心地のまま、大人しくお縄についてくださいね!」


…本当にセシリアには敵わない


……春の日差しが優しく降り注ぐ中、セシリアは花畑で空を眺める。色とりどりの花々が、まるで絵画のように広がり、香りが風に乗って漂ってくる。

青い空の下、鮮やかな赤や黄色、紫の花が、ゆらゆらと揺れながら楽しそうに笑っていた。


「ふふっ、楽しそうで良かったわ」

もう一つの笑い声に目を向けると、セシリアと同じ様に花を愛でる女。


そう、そんな傍らには「メアリー・スコット」がいた。

語彙に厳しく、他者に厳しく。凛とした顔。貴族の作法を重んじる

自らの今後に悪影響を与える者には

誰だろうが容赦はしない。だが、メアリーは手を拱く彼女を見てにっこりと笑っていた。

そういえば、以前お母様は仰っていた。魔王が倒された後、世界は平和が訪れた。

しかし私が生まれた直ぐ後、世界は混沌に再度相まみ

多数の死者とそれに反する多数の復活する魔物。

それらのせいで、今は全ての産業が芳しくない状況であると。


お母様、お母さま、おかあさま、こんな顔、するんだなぁ。

「メ…メアリー様、私、粗相はしていないでしょうか、楽しめているように見えるでしょうか」


「養子を迎え入れたことなんて無いのですから、私だって緊張しているのです

せめて、あなただけでも楽しそうにしていてください」


…ウィンドスラスト


「な、何故禁忌魔法を打ち破れた…?!」

頭が痛い。誰が悪いという訳ではない。いや、誰か挙げるのなら、もしかしたらそれは私かもしれない。

せめて、セシリアだけでも帰って欲しい。それで、本当の私に相まみえた時、こう伝言してもらうんだ。


楽しいって、生きているのが幸せだって。


そんな些細な言葉を伝える為にも、セシリアにはあちらに帰ってもらわないといけない。


「ここの世界では魔力の回復が出来ないんですから、むやみやたらに放つのはやめてください」


「…え、出来ないの?」


え、知らなかったの?


「じ、じゃあ、なんで魔力総量の少ないアリス様が

あの時、強盗に襲われていた時、禁忌魔法にも匹敵する程の技を使えていたんですか!」


「あれはステゴロですよ、魔法もクソもないです」


「えぇ…じゃあ、どうやって帰ったらいいの…?私、二回も転移魔法を使える総量持ってないよ…?」


「これからどうするおつもりで…?」


「……泊めてください」

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