第6話「アルバイトを始めます/お弁当です」
「はい、はい、分かりました、ではこれで」
実にスマホというのは実際に使用してみると実に便利であった。
情報を手に入れ、瞬時に連絡が取れる。まるで魔法のよう。
あ、そうそう、スマホで何を話していたかというと、ついにバイトに受かったのである。
毎日は苦しいものであった。なんたって金がないのだから。枝と糸の簡易な釣り竿を川に垂らす日々。
スーパーに買い出しをするも、腹持ちの良い尚、且つ大容量の食べ物を限定して見極める日々。
スコット家の者が見たら意気消沈するだろう。実際、私ですら恥を忍んでいるのだから。
狩りをして、川の水を飲んで、生きていくこと自体なら金は必要ないのかもしれない。
しかし当時の目的を忘れてはならない。「全ての料理を食べ尽くす」為にはどうしても金が必要なのだ。
…なんだかんだ言いながら、この世界で生き抜くための第一歩を踏み出せたのである。
「行ってきます」
誰に聞かせるでもない言葉。古びた戸を開け私は外の世界へと飛び出すのであった。
煌めく太陽は姿を晦ませ顔を見せるのは一帯の雪景色。
春夏秋冬、この世界に来てから数週間程しか経過していないが
どうしても年の終わりというのは、寂しいような、嬉しいような。
日々は忙しく、あまり過去に思い耽る日は多くはなかった。母様は今何をしているのだろうか、父様は心配してくれているのだろうか、兄様は無事順風満帆に政治活動を行えているだろうか。帰りたいとは思わないが、帰ることすら出来ないというのは何だか物悲しい。
「ははっあの人転んでる、うけますね」
白く輝く氷の層。まるで黄金比のように綺麗に転ぶ人が目に映る。こんな光景で笑えるのも、日々から得た成長の証だと思う。コルコットでは魔物の軍が溢れていつ死んでもおかしくない状態だったのだ。
今は、日々を精一杯生きよう。
数分程歩いた。目の前には独特な音階を奏でる店。「し、失礼しまーす」
一歩踏み出すと、やはり耳から離れない音が耳に入る。何を隠そうバイト先はあの「コンビニ」
そう、嘔吐物をぶちまけたあのコンビニだ。神のいたずらなのか、偶々応募したところが
この場所であり、運が良いのか悪いのか。人手が足りないとのことでとんとん拍子に話は進み、働く日程やその他もろもろを話し合っていたら、気付けば働くことが決まっていた。真実は神のみぞ知るということだ。
つまり、今から逃げ出すことも出来そうにない。
「お、新人のアリスさんかな?業務内容を説明したいからちょっとこっち来て!」
活気づいた、私と同じ背丈の女性。おどおどと、内心忖度することしか考えていない私とは違い
煌めくオーラと親しくすることを第一としており、その曇りなき眼で何も言えなくなってしまう。
「あ、はい、わかりました」
そのままバックヤードへと連れていかれる。
「えっとね、今日から一緒に働くことになる「店長の
これからよろしくね、アリスちゃん」
「ちゃん…?」
「あぁ、年もあんまり離れてなさそうだったし
あんまり堅苦しくするのもどうかと思ったんだけど、もしかして嫌だったかな?」
長いロングヘアーに一つの毛も妥協を許さないのか、隅々まで手入れが行き届いてるようだ。
自分を着飾る余裕すら無い私が横に並ぶと、誰が見てもさながら映画でいうところの脇役だろう。よくよく考えてみれば、今後も仕事をする仲ではないか。今のように肩を並べる日も少なくはない。
私だって一応貴族だ。金に余裕が出来たら、オシャレにでも気を使ってみようかな。
っていやいや、関心している場合じゃない!早く返事をしないと!
「大丈夫です!全然構いません!」
「そっかそっか、良かったよ!それでね、早速なんだけど
アリスちゃんの業務内容は大きく分けて三つあるよ!」
説明によると、一つ目はレジ対応。商品の会計を行う作業のこと。
具体的には、客の買う商品の金額を計算して代金を受け取る一連の流れを指すらしい。
二つ目は品補充。在庫が減った棚に新しい商品を追加して
商品棚が空にならないように管理することを覚えておけとのことだ。
最後に掃除。外の清掃で、床に落ちているごみや埃を掃き取ったり店の前を清掃したりする仕事となる。客の立ち入る場、気持ち良く買い物をしてもらう為には大切なことらしい。
そして、業務内容の一環ではないが一番重要なこととして挙げられたのが客への挨拶だ。
客が入店する際や退店する際に、明るい声で「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」
と声をかけることが、相手に心地よさを与え、また来たいと思ってもらうのだ。
「今日のシフトは計三人!もう一人の子がいるから、仲良くしてあげてね」
バックヤードの扉を開けると一人の女性が佇んでいた。
「えぇぇと…」
「よろしくっす!アリス…さんでしたよね!
先輩から聞きました!「
というかめちゃ可愛いっすね!もっと化粧したら敵なしっすよ!」
「え、そうかな、へへっ、ありがと」
なんだ、張り詰めた気持ちでいっぱいいっぱいだったが良い人たちじゃないか。
ショートヘアーの人懐っこい彼女。軽やかに揺れる髪には思わず見惚れてしまう。
如何にも人から好かれそうな容姿にそれに値する性格。きっとモテるんだろうな。
「あれ、さっきから考えてたんすけど先輩ってここの店来た事ありますよね?
あの…あ、ゲロ吐いた人っすか!」
その瞬間穏やかな空間は一瞬にして静まり返る。違う、ただ馬鹿正直に言葉に出す奴なだけだ。
というか、ゲロを吐いた人って、確かに事実だが…私だって乙女だ。でもその言い方はやめて欲しいもの。なんかこう…… ほら、あれだ、言葉にしずらいけど。
「め、面目ないです…」
「あははっ、大丈夫っすよ先輩!人の体の構造なんて皆同じなんすから、誰だって吐くときは吐きますし
便だって尿だってばりばりに漏らしますよ!」
「おい、仕事中に会話するってなぁ、バイトの癖に良いご身分だなぁ
女っつうのは駄目だ、仕事に本腰が入ってねぇんだよ
家事でもしてガキに相応しい小遣いでも貰っとけよ」
そんな乙女の欠片も無いような会話を弾ませていると、気付けば目の前には小汚いスーツを着た小太りの
中年男性がいた。見るからに人を貶すことに快楽を覚えていそうな悪びれた顔。
「シックススター」
「え?」「だからシックススターだよ」
「き、来ました要注意人物、通称「シックススターマン」です、新人に任せるわけにはいきません
ここは私に任せてください」
自信気な顔、でも、声が震えているじゃないか。
そう、新人ですらわかる、七といったか、彼女はこういう場面に出くわしたことがないのだろう。
見るからにしどろもどろと返答を繰り返し、それは彼の悪態を加速させるには充分なものだ。
困ったな、ここは人生の先輩として役目を交代するのが務め。
しかし不運にも私は初日の新米アルバイターだ。悔しいが、このまま見過ごすしかない。
「えっとぉ、いつもご来店頂いてありがとうございます
すみません、未成年な為タバコには疎いもので…」
「お前、新人か、まぁお前は許してやるよ
だが、もう一人のお前は駄目だな、毎日毎日ここで働いてるく癖に
タバコの銘柄一つ覚えられないのか?客が神様なんて言わねぇが
ちょっとくらい覚える素振りを見せろよ、あ、そうだ、言葉で言うのも馬鹿なお前は忘れちまうよな
ここで土下座しろよ、土下座して、覚えられなくてすみませんでしたって誠心誠意謝れよ」
「すみません…」
「ぽーちゅーぷ」で見たことがある。これは迷惑客と言われる者だ。こんな話はネットの世界だけの話だと思っていた。しかし、現にどうだろう。事実柏木は涙目になっている。
一方的にものを言い、彼女の気も知らないで罵倒を浴びせる。そんなの、見過ごせる訳がない。
「エンパシー」
”…あぁぁぁ無知を馬鹿にするのって楽しいなぁ
七十番だよ七十番。そんなことすら分からないなんて、本当に馬鹿なんだろうな。
っつか、バイトなんてだっせぇな、お前くらいの年の頃俺は必死に勉強して、現に今はこんな立派に
物言える立場に居るってのに、比べると本当に惨めでおかしくてしょうがない。
あぁ口に出してぇなぁ、働く才能ないから仕事辞めろって
でも、これ以上言ってネットに拡散されたら面倒だしなぁ”
「はい、七十番でよろしいですよね?五百円です」
「は、え、あ、おう、次からお前気を付けろよ」
ぶっきらぼうに受け取るも、その頬は赤みを帯びているように見える。
周囲から微弱な笑い声がこだまする。気付いているのか、足早に場を立ち去るようだ。
「ど、どうやったんすか!すげぇっす!アリスさんマジ最高っす!」
……
「ただいま」
響くことすらない声。憂鬱した、ぶつけようのない何とも醜い感情。日本人は繊細で美味な卓越した料理スキルと優しい心を持ち合わせた完璧超人人間の集まりだと思っていたが、そうは問屋が卸さないようだ。しかしいくら嘆いても負の面には目を背けられない。
「いただきます」
金が無いと伝えると、廃棄だからと迷惑客の件も兼ねて翠川さんから山ほどの弁当を頂いた。現在残金五千円、金欠どころの話ではない。私にとっては感謝してもしきれない。翠川さんには足を向けて寝られないな。そんな中、迷いながらも手に取ったのは照り焼きチキン弁当。
甘辛いタレが絡んだ鶏肉が、内なる衝動を刺激する。開封した瞬間、ふわりと広がる香しく大胆な匂いは、冬日寒夜続きで凍てつく心と体を一瞬でほぐらせてくれる。色とりどりの野菜が添えられ、柔らかいその身と丁寧な盛り付けが、何気ない日常の中に小さな幸せをもたらしてくれるのだ。
「くそ、魔法を使わなくても、こんどこそは上手くやってやる…」
この経験を糧に頑張れ、私。
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