第5話「スマホを買います/つくねです」
「お金がない!」
現在夜半、ぼろいアパートなもんだから、壁の厚みは薄く辺りからは壁ドンが部屋から部屋へと鳴り響く。あぁ、皆様方、突然の心の叫びを声に出してしまって申し訳ない。
半年も前から貯めた富の山は、ものの数日で頂の見える小山となったのだ。
相も変わらずこの世界には似合わぬ衣装、そのポケットから虚しい小銭の音を奏でる
この音が悲しくてたまらない。さらばだ、私の安息の地よ。
私にふさわしき、かつての栄光はここに潰えたと遺書でも書いておこうか。
…それは冗談として、アパートを借りるには、まずは先に金を払う必要があった。
実際にはある程度の金の余裕があると思っていたが、現実はそうはいかないみたいだ。
金が無いというのは、自らの気付いた生活基盤が崩れ落ちるようなものである。
それはすなわち、衣食住のどれをとっても問題は出てくることを指す。
そして、これら三つの中で生活に欠かせないものがあるだろう。そう衣食住だ。
衣と食は自らの着飾るために必要なものであるが
それらは自分の好きなものを買うための対価として金が必要になるものだ。
しかし、その金が無いとなると、自らの生活に必要なものすら買えない状況に陥る。
つまりは死そのものを意味することになる。
「そういえば、海人さんがバイトがなんたらって…」
ふと、バイトリーダーという言葉が頭を巡る。
あの後、海人に聞いてみたのだがバイトというのは「一時的に働く短時間の仕事」のことらしい。
やることが山積みの私にとって、時間に縛られない働き方はまさに理想的だ。新しい仕事が見つかれば、少しでも状況が改善するかもしれない。
「時間もお金も限られているし、明日にでも探してみましょうかね」
そんな思いを巡らせて寝る準備を整える。冬の季節は日の入りが早い
薄暗い部屋の中で、冷たい空気がひんやりと肌に触れる。
温かい布団が恋しい、しかし金が無い。そんな状況下ではもちろん寝具など買えるわけがない為
そのまま幼虫のように丸まり眠りにつくのであった―――
…………
「ここで雇わせてください!」
「いや、なんだい急にあんた」
「わ、私はお肉の解体には少々自信があります!」
「いや、私が直々に取ってきてるわけじゃないから…
既に解体されたもんをこうして店頭に並べているんだ」
ずらりと貴族の飯を連想させるような肉の数々、実のところ、私は狩りが得意だったりする。
以前からスコット家には貴族に似合わぬ者がいると皆に馬鹿にされる日々があったが
それは私自身も自覚していた。特に森や山へ出かけては、動物たちを追いかけていた。
貴族の世界では、狩りは高貴な娯楽とされるが私の場合は純粋に自然の中で過ごすことが好きだったのだ。優雅なダンスや上品な会話が求められる社交界とは対照的に野生の中では自由な心でいられる。
「見てくださいよ!この手捌き!」
手刀に魔力を込めて腕を振るう。迅速果断に繰り出されるその腕前は肉を切断するなど容易いこと。
舞踏のように流麗で、無駄が一切無い一撃は、まさに巧の技。
その瞬間、けたたましい風の音が鳴り響く。周囲の空気が震えているのが肌で感じられる。
どうだ、これが私の力だ!
「帰ってくれ」
だが、それは彼女には響かなかったようだ。
……
「…まぁ、そりゃあ門前払いされるわな…」
ラウンドチェアに腰掛け「つくね」なるものを頂く。
シンプルながらも深い味わいを持つ、焼き上げられたつくねは
外は香ばしく中はジューシーで口に運ぶとふわりと広がる旨味がたまらない。
…いや、何を無駄金使っているんだ!今は舌鼓を打っている場合ではない!
この世界に来てから現在数日程だろうか。先も言ったが、本来ならば金貨、銀貨全てを売り払った金額なのだからある程度の余裕が生まれ、その後にゆっくと職にでも手を付ければよいと思っていたが。
どうにかして働き口を見つけなければ、そもそもの生活が成り立たない程にまで追い詰められている。
「私、いっぱい出来ることあるのに…」
「スマホだよ、今の時代自己主張めいたことしたって不審がられるだけさ
スマホで事前にバイトを募集している場所を探して電話するんだ」
「そうなんですね…何度も申し訳ないです
スマホを貸してください…」
いつもは快く。といっても無為無策な私を哀れんだ事での行いだろうが。
何だが海人は複雑そうな顔をしていた。
「はぁ、嫌だよ、スマホにはありとあらゆる個人情報が詰め込まれているんだ
人と交流したり、プレイしたゲームの履歴が全て乗っているものをそう安々とは貸せないな
自分で買うかなんかしろよ」
「あの板って地図を見るだけじゃないんですか?!」
思わず驚愕、大層な表現であるが思わずその表現に似合う程の大声を挙げる。
スマホとやらがただの地図を見る魔法の道具なら話しが付く。
しかし多岐に渡る用途があるのだと彼は言う。
その姿、興味津々に目を輝かせたのが功を制したのだろうか。
「…んおぅもう!しゃーねぇなぁ!俺が付いてってやるからスマホ買えよ!」
……そんなこんなで時が経ちました。
「すまん、待ったか?」
「いえ…いや、滅茶苦茶待ちました…何してたんですか」
数十分は待っただろう。姿は何とも似合わぬ衣装を身にまとい髪は太陽の下いつも以上に光り輝いてる。
喜々として周囲に気を使っている様子。彼も彼で、土日という外出をしたかったのだろう。
それが私の為と言うのはなんとも嬉しい限り。
「まぁいいです、さぁ、行きましょうか」
「いや、お前どうせ道分かんねぇんだから前歩くなよ」
…数分歩いたところで目に映ったのはでかでかと強調する看板。
ちなみに、こういう人々の賑わう場所を「都会」というらしい。
専門用語の羅列させるポスターの数々は身を強張らせてしまう。
「おい、なに突っ立ってんだ、さっさと行くぞ」
海人の声で我を取り戻す。普段から行きつけの店なのか
ずかずかと奥に入り込むもんだから、急いで彼の後に続く。建物の中は広々とした空間であった。
棚の上にあるパンフレットを何枚か取って眺めると 「スマホ」や「パソコン」といった通信機器の概要が書いてある。だが、ここで1つ大きな問題が発生する事に気が付いた。
そう、私は無知なのだ。このような物に疎い私にとってスマホなど到底手が出せる代物ではない。
「あの、海人さん」
「なんだ、急に落ち着きやがって」
スマホが便利であったのは事実の上。更にはそれが山ほどある場所。
本来ならば興奮してもおかしくない状況だ。だが、知識に乏しい私はそれが出来なかった。
そこで、彼に助言を求める事にしたのである。
「長年使えてお手頃な価格のスマホって知りませんか?」
「んぅ…そうは言っても使い方によるからなぁ
ゲームもするなら、ある程度の容量は必要だしメモリも必要かもな
連絡を取る程度なら適当な安物スマホで良いのか?
いや、でも後々ゲームもしたいとかになると高級スマホの方がぁ…」
「お、これ「アッポロイド」の最新作じゃねぇか」
何のことだか、意味不明な言葉の数々は一台のスマホによって打ち消された。
「流石若年層のお方!そうです、あのアッポロイドの最新作が
なんと?!赤字覚悟中古で三万!これは買うっきゃない?!」
前々から目を付けていたかのように、一方的に捲し立てる店員の言葉。
それは草食動物を狙う猛獣のように、獲物へと食らい付く。
「メモリも中々!いいじゃねぇかこれにしろよ!」
メモリ?等は理解し難いが、現代の技術力をふんだんに使用した最新の物を買った方が良いというのは何となくだが理解した。金など無いが、安物買いは銭失い。
しっかりと予算内で設備を整えてこそ、名高い貴族の手本であるだろう。
草食動物は生存本能が一段と高い。
その感覚に身を任せ、新たなる一歩の為、機器の世界に身を投げ出すのであった。
「こ、これ買います!」
…………
「も、もしもし」
「おう、聞こえてるぞー」
その後初期設定やら何やらを全て店員に丸投げして、無事にスマホとやらを入手できた。
瞬時に情報の海へと飛び込むことができるその機体は、まるで魔法のよう。
メールのつながりは、遠く離れた人とも瞬時にコミュニケーションを取る手段を与えてくれる。
スマホは単なる通信機器ではなく、自己表現の場であり、情報の源であり。海人がこの小さなデバイスに依存し、夢中になる理由はまさに、その多様な用途にあるのだ。
「あの」「そういえば」
「あ、先にどうぞ」
「おぉさんきゅ、そういや、お前の名前聞いてなかったなって、名前なんていうんだ?」
「そういえばそうでしたね、私の名前はアリス…「アリス・スコット」です」
名前すら知らない者に親切にしてくれたのは、何だか心が嬉しくなる。
皆に思いやりを示す、きっとこの人はそういう人なんだと思う。
「スコットねぇ…お前って、本当に外人だったんだな
あ、お前の話ってなんだ?」
「今日は、ありがとうございました
実は私、日本に来てからまだ数日しか経っていないんです
なのに、ここ短期間であなたには色々な「初めて」を渡したなって」
……突如として、電話の音は途切れ、静寂がその場を包み込んだ。
会話の最中、まるで運命のいたずらによって糸が切れたかのように。声は消え失せ、耳に残るのは僅かな静けさだけだった。声が響いていた空間が、一瞬にして空虚になる。
耳元のスマホを握りしめたまま、しかし、何が起こったのか理解するのには容易かった。
何かとてつもないことを口走った気がする…。
現在残金一万円。
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