第4話「アパートを借ります/焼き鳥と塩おにぎりです」
燦々と煌めく太陽の光で目が覚める。
気付けば昨日は適当な腰を下ろせる場所で眠ってしまっていたようだ。
腹はおでんで満たされ、今は活気が有り余っている。
未だ火照る体は長年のおでんへの探求心と作り手の思いを感じられる。
「そういえば、佐藤さんが不動産を経営しているって言っていたな」
この世界では野宿は禁じられているらしい。金はある、今日は家を探してみようかな。
現在残金十四万、早急に寝床を見つけて仕事でも探そう。
……数十分程歩いた。アルコール特有のふらふらとした現象が私を襲う。あちらの世界ではお酒は二十歳になってから。現在十八の私では飲めないはずなのだが…
あれ、飲んでないよね、私。うん、飲んでない、そう願おう。
顔を手で覆い、深い息を吐く。その息は何だか特徴的であり、昨日の出来事を明確に思い出させる。
昨日は、おでんを食べて、どんちゃん騒ぎして…滅茶苦茶に暴れていた気がする。
もしかして、酔いでとてつもないことをやらかしたかもしれない。…酒の見せた幻影だと思おう。
「お、昨日の金髪ねぇちゃんじゃねぇか」
気付けば商店街の目の前まで歩いていたようだ。そして唯一まともに話せる焼き鳥屋のお兄さん。
「何度もすみません、不動産って近くにありますかね」
「俺は小間使いかよ…へいへい、ちょっと待ってな」
そんな小言を言うものの、その顔はどこか嬉しそうであり
その様子がまた可笑しくて、心の中で小さく笑った。
男は巧みに指先でスマホを操作する。ぽんぽんと定期的に指先の擦れる音。
その音に耳を澄まして待っていると、不動産を見つけたのか
意気揚々と無邪気な子供のように画面を見せびらかす。
「近くに一件だけあったぞ、一キロくらい先のコンビニを右折したらあるらしい」
「なるほど、ありがとうございました」
「おいおい、せっかく無知なお前に色々施してやったんだ、ちょっとくらい買ってけよ」
うっ…今は予定外の金の出費は控えたいところ。だが、言っている場合じゃないのかもしれない。
このまま無視するのも気まずい。更には今後プープルマップを見る為には、このお兄さんに聞くしかない。どちらも都合の良い関係を築くにはある程度の金が必要なのかもしれないな。
「じゃあ、一本だけください…」
…………
……
…炭火でじっくりと焼かれる肉、煙が周囲の空気を包み込む。
甘いタレの香りと、焦げた皮の香ばしさが交じり合う。食欲をそそる不思議な魔法でも掛かっているのかというほど日々をどうするかと埋め尽くされていた脳内は瞬く間に肉を食らうという思考しか考えられなくなっていた。悔しいが、本当にこの世界の食事は美味しすぎる。
「そういえば」
「ん?」
「名前を聞いていませんでした」
肉を食らうその体は、そんな些細な出来事で手を止める。
その瞬間、なんてことない日常が少し進んだような気がした。
「あぁ、俺は頼れる高校生バイトリーダー高坂 海人(たかさか かいと)ってんだ」
「うぅぅ…頭がいたいぃぃ…」
その後、軽く言葉を交わし場を後にした。いや、今はそんなことどうだっていい。
口の中が気持ち悪くて仕方がない。法を重んじる貴族の生まれである私にとってこれは死活問題である。
法に反するものは例外なく牢屋行き。そんな考えが、まるで渦を巻くように私の脳内を駆け巡っていく。
目の前の現実がぼやけ、思考が乱れ飛ぶ。街並み。人の声、その中で何が真実で、何がただの幻想なのか、見極めることが難しい程。早急に、何処かで薬を貰わなければならない。
あまりにも気分が優れない為、適当に見つけた店内へと入店する。
ずらりと並ぶ商品の数々、何か薬でも販売していないかと一筋の希望に縋っているのだ。
「コンビニ」とかかれた場所、中へと入ると独特な音が奏でられる。
「いらっしゃいませー!」
女の活気づいた声。ひんやりと居心地の良い空間では吐き気も少しはマシになる。
「すみません、酔いを抑える薬はここにありますけね…」
「ありますよ!」
ふと、海人の「バイト」という言葉が頭をよぎった。バイトというのは、若者が短時間でも働けることを意味するらしい。この女も、海人とあまり歳は離れていない様だ。
酔っていたのだろうか、バイトという言葉が頭の中を駆け巡る。
それを今言うべきではないと分かっていても、酒の力は強大であった。
「ここで働けたりってしませんか?!」
「え?」
女の戸惑いの表情。
何故女が戸惑いの顔を見せたのか理解するのには数秒間の時間が必要だった。
実際には、声など発声出来ておらず
べちゃべちゃと半固形物の垂れる音と酸っぱい味が口いっぱいに広がっていた。
その吐しゃ物は鈍い音と共に白い床を汚して地に落ちる。
……店員の彼女は素早い思考と判断力で掃除用具を手に取る。私以外の配慮も忘れず、そのお陰か想像よりも被害は収まり黄色い液体はすっかりと白い光の反射する床に戻っていた。
この世界の掃除用具は目を見張るものがある。手間を掛けず即座に清掃出来るというのは、何とも使用人が喉から手が出る程の望む物だ。…いいや、そんなことはどうでも良い。
体は震え、恥ずかしさと苦しさが入り混じる。口をパクパクと、何か謝罪の一言を言いたいものの
恥ずかしさと惨めな思いで、そんな気持ちも心の奥底から抜け出せない。
「す、すぃません…吐いちゃって…」
そう喋れるようになったのは気持ちの整理が出来た頃だった。
といっても頬を赤らめて下を向きながら、恥ずかしさは依然として消えない。
周囲の視線が自分に集まることが怖いからだ。嘲笑する声、揶揄する声
皆が声を挙げていること、それは自体は事実であるが
それは他者への懸念であり、日本と言う人種の精一杯の配慮である。実際にはそんな声などありはしない。
「大丈夫ですよ、お体の方は汚れていませんか?」
その優しさが、皆も気にしていないと分かってはいても、もやもやは自らの心の壁となる。
「だ、大丈夫です、き、今日はひとまず帰りますね…」
「分かりました、またのご利用をお待ちしております」
……
とぼとぼと、沈む夕焼けを背に歩く。
さながら、舞台劇でいう悲劇に見舞われた主人公といったところだろうか。
「もぉぉぉ、本当に最悪…」
貴族なのに、貴族なのに、貴族なのに……
周囲の視線を意識しすぎて、必要以上に自分を責めてしまう。
誰もが忙しく、自分のことを考えている暇などないのに、無駄に悩みを重ねてしまう。
「昨日の嬢ちゃんじゃねぇか、偶然だなぁ」
「あ、佐藤さん」
少しの静寂が流れる。
他者と話すという行為自体に心が少し軽くなる気がした。しかし依然として心の中のもやもやは消えない。酒の力で性格が豹変していたのもあるが、昨日の私とは一変違った雰囲気に佐藤さんは
不良な心情を察しているのだろうか。彼の視線は、私をじっと捉えたままだ。
「…俺は仕事柄、多くの人に出会い、境遇を知ることになる
驚くような経験や苦労を抱えている人だっている」
「お前、何かあったろ?」
ため息と共に思わず愚痴を溢してしまう。
「…そんな大層な話ではないんですけどね、しょうもないただの愚痴になりますが」
「そういや、昨日家を探してみるつってたな
茶菓子も用意するから良ければゆっくり家でも探しながら話そうや」
……目に映る色彩は、淡いピンク、涼やかな青、鮮やかな赤と
まるでそれは、作り手の心を映し出しているよう。味わいは、甘さの中に繊細なバランスを保つ。
甘さは控えめでありながら、それは見事に素材の旨みを引き立ているではないか。
こんな小さな菓子に、心のもやもやはひと時の安らぎへと変わる。
「で、話を聞かせてくれや」
利益があるのか、甚だ疑問な劣化した室内。向かい合い、温かい茶と和菓子と呼ばれるものと共に卓を囲む。菓子の力は偉大だ。甘味とそれをより際立させる茶は心を色付かせてくれる。
「…人のいるの中で吐いちゃったんです
他の人が気にしていないとは分かっているんですが
恥をさらすのはあってはならないことだと思っています
気にし過ぎだって、私が間違っているって分かっているんです
でも、長年の視野は中々に変えらないじゃないですか」
少しの沈黙。だが、不思議とその空間にぎこちなさは覚えない。
「育ってきた環境や価値観が影響するのは当然だろ
無論、それを変えるのは簡単じゃねぇ
大切なのは、自らの考えを否定しないこと、卑下しないこと
それをした暁には、いつか自分が腐っちまうぜ」
「…まぁ、隣で酒を飲んでいた俺も悪かった、代わりと言っては何だが
今日はお客様だ、丁重におもてなしするさ」
思わず笑ってしまう。酒におぼれて草臥れた彼が、気取ったことを言うんだから。
「日本人は皆金に貪欲なんですね」
「あぁ、人を導くのにも金がいるんでな」
………
やはりプロというべきなのか、物件探しというのは
時に人の人生を決定づけるものだというのに、彼はとんとん拍子に進めていく。
駅まで徒歩五分、バスルーム付きの物件、家賃五万円とは、中々魅力的な条件らしい。
特に、ここは都心部と呼ばれる場所らしく、そこではこの価格帯での物件は貴重だとのこと。
その後、なんやかんやと任せっきりでありながら手続きを進めていった。
更には寝床が無いと事情を話すと、なんと即入居を許可してくれた。
そんなこんなで今は夜道を歩き、そこへと向かっているところ。
寒い空の下歩きっぱなしだった為、おでんによって作られた火照った体は白い息と共に消え去る。
歩きっぱなしの今日この頃。腹の鳴りは、何とも味気ないものだが
既に夜中なもんで、飯は適当な店で適当に選んだ塩おにぎりと呼ばれる安価なものを数個。
だが、安価なものでも変わらず美味であり、その質素な味の中には
確かな塩味の旨味と程よい米の甘さが広がっていた。
安価なものでも、高価なものでも、人の手によって作られたものであり
それは人生を掛けた者だっている。その為まずいなんてことは決してあり得なかった。
そんなことを考えていると、目の前には小奇麗な集合住宅。
コツコツと鳴動する階段の音、貰った鍵で扉を開ける。
案の定貴族の部屋のような装飾などもってのほかで
ましてや古臭いものの、これら全てが私の部屋だと思うと早々に愛おしい気持ちが芽生える。
最低限小物を入れられる家具のみが配置されており、肌身離さす全財産をサイドポケットに入れ込んでいた私にとって収納できるということは願ったり叶ったりである。
今日は色々と大変な一日だった。
周囲を見つめて、新たな自分に決意を込める。
今日から、ここが私のお城だ!
…あれ?お金が無い……?
現在残金四万円である。
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