第6話 お亀
ベン♪ベベン♪
打餓鬼(だがき)が力強く三味線を打ち鳴らした。
『さてもさても。…何から話そうぞ。
…ふむ。さもあらん。なれば我が出自から話させていただこう。といっても我ら人間とは違うでな、"時"という概念を持ち合わせておらぬ故、いつぞやの話であるかは説明出来ぬ。』
私は『構いません。話を聞きながら、いつ頃か推測させてみようと思います』と言った。
『左様か。ではー』頷き、話が始まった。
我が生涯は、山の麓で始まった。
『嗚呼、わらわの愛しき坊やたち。どうか健やかに育つのですよ。』
温かな眼差しを向けるは我が母であった。
母は我と同じく漆黒の毛艶を纏い、6つの兄弟と共にこの世に生を受けた。
母は我らを愛し、大切に育ててくれた。
やがて乳飲子の時期を過ぎ、兄弟と戯れながらも、我が母の指導の下、獲物を狩る修練が始まった。幾許か身体も成長をし、もう暫くを共に過ごし、それぞれが己が生を自ら歩み始めようかという頃であった。
兄弟の中でも一際体が大きく、狩も上手く、
よく気がきく者がおった。
母を彼奴めには安堵し、逆に柄も小さく愚鈍な我を気にしておった。その様な状況であったが故、母のおらぬ時はよく他の者たちに虐められておったものだ。そんな時も彼奴が母の役割を担い、助けてくれたりもしておった。
日が強く、獲物なるものが騒ぐ時期を超え
草木が枯れ始め日も弱く、早く沈む様になり
寒さを感じ始めた頃であった。
最早母は我らと距離を置き始め
それぞれが気儘に生を歩み始めた頃
"それ"は起こった。
えも言えぬ体の大きさ、獰猛なる風体、我らの肢体など軽く切り裂く様な鋭利な牙を持つ者が
数名を引き連れ我らが前に現れたのだ。
貴様ら人間の間では 狼、とそう呼んだかの。
奴らも寒さに震え、満足な飯に有り付けぬ日々を想定し蓄えようと思っていたのであろう。
すぐさま我らに襲いかかってきおった。
有能なる兄弟も、我と仲が良かった者も
いとも容易く喰われてゆく。
首から先を噛みちぎられ、鮮血が飛ぶ。
残るのは肉の片や、腹わたの一部のみ。
強烈な血や臓器の匂いをいまだ忘れた事はない。
その匂いを嗅ぎ分け、異変を感じた我が母が戻って参った。その惨事を目の当たりにし、怒り震え、彼奴めらに挑みかかった。
…が。結果は同じよ。すぐさま踏みつけられ、噛みちぎられた。貴様に分かるか?
我をこの世に産み落とし、愛し愛でてくれた者が我が眼前で生きたまま喰われていく様を目の当たりにした心内が。我は母を助けたい思いが故に怒りに任せ、挑んだが、払いのけられ、何かに体を強く打ち付け意識が遠のいた。
…意識を取り戻した時、我のみが残っておった。何故か?6名もの肉を喰らい、腹が満たされておったのか…分からぬが、つい先程まで騒がしかった周囲は静まり返っておった。
最早姿形もない、我が母や兄弟の肉の片を舐めた。暫くはそこから動けず、眼前で起こった惨劇に震えたものだ。
だが、いつまでもそうした所で皆が戻ってくる事はないのを幼きながら理解はしておった。
故に、我は山を降りた。またいつ彼奴めらが戻って参るやも知れぬでな。
道中で、虫や小さき動物などを狩り、何とか飢えを凌いでおったが、寒さも増し、雪と呼ばれるものが辺り一面を飾る頃は、獲物が姿を現さず、飢え始めていた。腹は空き、寒さに震え、
日に日に意識が遠のく様な感覚に苛まれておった。
そんな時に、人間の幼子が我に歩み寄り抱き抱えた。"我も喰われるか"そう思い、諦めておった。実際、人間めらも我らを捕らえ喰ろうておったからな。
しかし、その幼子は違うた。
屋敷の一間に連れて行き、そこにおった煌びやかな者にこう嘆願したのだ。
『野菊さま、野菊さま!大変でごじゃります。
えろう小さな猫の命が危のうごじゃります!』
『ーまっ!お亀!何処から連れて来たもうた!?そんな小汚う猫をあちきの部屋に連れて参るとは何事でありんす!すぐさま捨てて参れ!!』
『何ゆえでごじゃりますか?野菊さまともあろう花魁さまが、何ゆえそんな酷い事を仰るのでありんす。無理とあらば、お亀がお世話をします故、どうか助けて下さいませなんし。』
『…お亀?そちは立場を弁える必要がありんすなぁ。お前は禿(かむろ)。猫なぞに現を抜かす暇などない!あちきの身の回りの世話をし、唄や芸を学び、一刻も早く殿方のお相手が出来るようにならなければならぬ。さもなくば一生をこの吉原で過ごす事になるざんす。それでもええか!』
『嫌でごじゃります!なれど…なれどこの猫を見捨てる事も嫌でごじゃります!この子は、1人でうずくまっていたでありんす。父や母もなく、1人寂しく、震えていたでありんす!どうか、どうかお願いでごじゃります。唄も芸も頑張ります故、共に暮らしとうごじゃります!』
お亀、という幼子は、何度も何度も食い下がり
我を助ける為に死力を尽くしてくれた。
すると、遂に野菊なる者が
『…お前さま。そうか、その子猫がそなたと同じ境遇にあると感じたか。…よござんす。なれどあちきは許可はすれど世話はせぬ。大切な体やお召し物が傷付いては困る故。お前さまが全て担うとあらば良いでしょう。』
『野菊さま!ありがとうごじゃります。
お亀はちゃんとやりまする故、ご安堵下さいませなんし!』と笑った。
『ーーふふっ。大切にするのでありんすよ。この子を大切に育てる事が、お亀の花魁道中の第一歩でありんす故、な。』野菊もまた優しく微笑んでおった。
そういった経緯があり、我はその屋敷で暮らす事になった。屋敷の"主人"なる者には秘密と言う事だったがの。母や兄弟の姿が過る事も数多にあったが、お亀とおると安心した。
お亀はよく働いた。
朝から飯を炊き、屋敷の中を隈なく掃除し、必要なものを買い出しにも行った。野菊の身の回りの世話をし、己が飯を食うのは闇夜に静まり返ってからであった。少ない飯を我に分け与えてもくれた。
打餓鬼はくすっと笑い、
『思い返さば、ずっとお亀に付いて回っておったわ。』
ある日、屋敷の"主人"に見つかった。
『お亀!!こいつぁ一体なんだ!?何故この様な小汚い生き物が我が屋敷におる!?貴様が連れ込んだのではないか!?』怒号が鳴る
『あ…あ…!ご主人さま、も、申し訳もごじゃりませぬ。』とお亀は全身を恐怖ですくみ、震わせながら言う。
『おう!良い度胸だのう!?拾ってもろうた恩を忘れ、この様な行いをするとはな!仕置きが必要な様だ…』と叫び申した時
『お待ち!』野菊が言った。
『申し訳ありませぬ。あちきが殿方をお見送りした帰りに拾いあげたもうた。お亀に世話を押し付け、ひっそりと世話をしていたのでありんす。』
『の、野菊、何を申す!今しがたお亀が白状したではないか!』
『お亀はあちきの禿でありんす。なれば、あちきを庇い嘘を申したと何ゆえわかりませぬか?
それに…この屋敷は誰がお陰で商売繁盛しておりましょう?』
『それは…何が言いたい!?』
『花魁であるあちきのおかげでござんしょう!?あちきが居らなば、こんな小さな店など直ぐさま畳む事になりんしょう。それをたかだか猫一匹の世話も許さぬとは…呆れた口が閉じんせん!』
『し、しかし、我が店にお越しくださった殿方の召物に傷でも入ったらば…』言いかけるのへ
『誰が申しておらるるのです!?あちきの前に連れて来たもう!我が愛しのー』野菊がお亀を横目で見やる。
ハッとしたお亀が『黒兵衛…クロでごじゃります。』小声で言った。
『我が愛しのクロが迷惑と申す殿方なぞ、この屋敷の敷居を跨がす事叶わさぬ!!』語気強く言い放った。
『な、な何を申すのじゃ野菊!そんな事をされては困る!』
『なれど、この子が迷惑と申すのでありんしょう?あ!なれば、あちきがお亀とクロを連れ、お暇させていただきましょう。それでよござんすか?』
『良い訳がある訳ないであろう!分かった!分かった、勝手にせぇ!!』
『強情なぞ張らず、最初からそう言えばよいものを…なれば、ご自由にさせて頂くでありんす。ほれ!何をしておる。お亀、クロを連れ部屋に戻りましょう。』
『あ、はい。野菊さま!ご主人さま、失礼仕ります。』
主人は顔をまるで蛸の様に赤く染め、立ち尽くしておったわ。
『野菊さま、先程はありがとうごじゃりました。なれど、何ゆえ?』
『先程も申したでありんしょう。それに、お前さまは、クロと己が状況を重ねているでしょう?なれば、クロを助くる事は、お亀を助く事と同じ事。お前さまはあちきの大切な味方でありんす。お前さまが居らなば、あちきも孤独であった故。』
『そうでごじゃりましたか。…野菊さま。お亀はずっと野菊さまのお味方でありんす。ずっとお側に居とううごじゃります』
『ーまっ!生意気な物言いだこと!』
そう言い2人は笑っておった。
晴れて我は認められ、他の者や、野菊にも構って貰い、時には客人にも愛られ、気ままに暮らせておった。
そう、あの様な事が起こるまではーー
打餓鬼 馬耳 猫風 @shige1518
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。打餓鬼の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます