第2話 サークル発足
彼ら四人の中の役割というと、一人が部長であり、副部長やマネージャーのような役割というものが存在するが、それはあくまでも、
「ただの肩書」
ということにすぎない。
大学の、
「サークル規定」
というものに、
「部員は、役職を含めて、6名」
ということになっている。
正直。6名というのは結構厳しいように思えるが、そのかわり、部長を含めた3人の役職を必要とするが、正規としての、
「体育会」
「文化会」
という形でなければ、代表者である部長以外に関しては、さほど厳しいものではない。
正規の会としては、副部長、マネージャー職でも、定期的に会合を開き、役割の再確認ということも必要になるが、サークルということであれば、部長という代表者さえしっかりとしていれば、そこまで厳しい規則もないのだ。
だから、
「他の大学の生徒であっても、入部は自由であり、交流も、しっかり開けた形であるといってもいいだろう。
だから、この、
「黒薔薇研究会」
というのも、比較的自由であり、部員の中には、他の大学の学生もいたりするのであった。
だから、大学のサークルということであるが、それはあくまでも、
「大学の施設使用ができる」
ということであり、行動も自由なのだ。
ただ、大学の施設使用料は、サークル負担ということは当然のことであり、それでも、「大学の学生が部長である」
ということで、
「格安で使用させてもらえる」
ということになるのだ。
だから、大学で部室も余っているところがあれば、使用することもできる。それは
「1年契約」
ということなので、
「翌年になれば、部室の場所が変わっている」
ということも普通にあるのだった。
大学としても。
「学生に使ってもらえる」
ということで、しかも有料ということになれば、
「金を出しても、場所を確保したい」
と思っている学生との利害も一致するわけで、うまくできているといってもいいだろう。
このようなサークルは、大小合わせて、分かっているだけで100はあるだろうか?
サークルがこんなに増えたのは、20年くらい前からであろうか。それまでは、テニスやアウトドアと言った、
「運動系のサークル」
が多かったのだが、世紀末くらいから、コンピュータやインターネットの普及から、世の中が、大きく変わったことから、特に、コンピュータを置いているところが少なかったことで、学校の教材用に使っているものを、サークルでも使用できるようにしたことで、その使用頻度が増えたことで、
「文科系」
のサークルが増えてきたということであった。
さらに、当時は、
「バブル崩壊」
という社会事情もあることから、よく言われたこととして、
「サブカルチャー」
というものが、流行り出したのであった。
会社は、リストラに走り、今までのような、
「なんでも平均的にこなせる」
という社員よりも、
「何か一つのことに特化したそんな社員がいい」
ということになってきたのだ。
その大きな理由として、
「リストラが横行してくる」
ということは、
「いつ首が切られるか分からない」
ということであり、それよりも、
「会社自体が危ない」
ということになる。
そうなると、行き場を失って職を探す場合、会社は即戦力を求めるわけであるから、何かに特化した社員を求めることになる。
なぜなら、会社の方としても、
「終身雇用というものがなくなると、せっかく一から育てても、他に行かれてしまうかもしれない」
ということで、
「一時的な使い捨て」
と言ってもいいような社員を考えるようになる。
「そんなひどいことはないだろう」
というかも知れないが、実際にその頃からの会社の体制は、
「正社員よりも、契約社員であったり、派遣社員のような非正規雇用ということが主流になってきた」
ということである。
というのは、
「派遣社員などであれば、いつでも首を斬ることができる」
ということで、
「会社が危なくなると、リストラがしやすくなる」
という理屈が出来上がるわけだ。
しかも、会社は存続のために、
「合併」
などにより、生き残りを図る。
つまりは、同等合併ということはほとんどなく、
「吸収合併」
という形になる。
なぜなら、危ない会社同士が一緒になっても、危険が回避されるわけではなく、大きな会社がバックについているというようなことでもなければ、生き残れないということになるだろう。
もちろん、大手銀行のように、
「大企業であれば、同等合併に近いことが起こるかも知れないが、それも、実際には、優劣がハッキリとしている」
と言ってもいいだろう。
それよりも、
「大企業で、昔でいえば、絶対に潰れないと言われたところが、軒並み合併ということで生き残りをかけている」
ということが、どれほど大きな問題なのか?
ということになるのである。
そんな世の中で、
「夢も希望もない」
と思っている人は少なくない。
バブル時期のような、
「企業戦士」
というほどの忙しさがあるわけではないので、生きがいをサブカルチャーに求めるという人も多いだろう。
そうなると、世間でも、英会話や、スポーツジムなどといった。
「サブカルチャー」
が流行るのだ。
転職のための資格を取りたいということも、そのサブカルチャーブームに拍車をかけているといってもいいだろう。
そんなサブカルチャーのようなサークルが、大学にはたくさんできたのも、この時期であった。
だから、カルトなサークルも結構あり、その中の一つが、この、
「黒薔薇研究会」
だったのだ。
そして、この黒薔薇研究会は、そんなカルトなサークルの中でも、さらにカルトであり、その研究というのは、
「殺害方法」
などということに関しての、研究サークルというものであった。
元々は、
「ミステリーサークル」
という形で、サークルを立ち上げるつもりだった。
その中心にいたのが、佐土原という学生で、彼は大学入学してすぐくらいから、
「いずれは、自分でサークルを立ち上げたい」
という思いを持っていたのだ。
というのも、佐土原は、大学に入学し、さっそく、ミステリーサークルに入部した。そのサークルというのは、本当に、
「一般的なサークル」
と呼ばれるもので、所属部員は結構いたのだが、内容はというと、一種の、
「烏合の衆」
と言ってもよかったのだ。
というのも、真面目にサークル活動をしている人もいるにはいたが、
「ごく少数派」
と言ってもよく、それよりも、
「実質的な多数派」
というのは、他のテニスサークルなどのように、部活の趣旨というよりも、
「合コン」
であったり、
「ナンパ目的」
と言った、
「サブカルチャーの中でも、さらにサブカルチャー」
と言われるような、人によっては、その見え方に不満を感じるようなものだったのだ。
だから、佐土原も、途中でそんなサークルに嫌気がさした。
途中から、
「少しでもたくさん、サークル活動を、
「いかにミステリーサークル」
というものに近づけるか?
と考えたが、できるわけもなかった。
そこで、
「部に所属しながら、その中でも、引き抜けるやつを物色し、その人間と一緒に飛び出して、自分たちのサークルを作ろう」
と考えたのだ。
そういう意味では、
「最初からサークルを作ろう」
と思ったわけではなく、
「入ったサークルが、あまりにも情けない」
というサークルだったことでの、
「独立」
という意味合いが強く、実際に独立するまでには、少し時間が掛かったが、その時間も、
「結構かかった」
と感じたのは、佐土原の考えで、他に引き抜けれた人たちから思えば、
「結構早かったのではないか?」
と思う人もいれば、さらには、
「電光石火のごとくでは?」
と思った人もいたかも知れない。
そのことについて言及したことはないので、それぞれがどう思っているか分からないが、それでも、曲りなりに、
「サークルを立ち上げる」
というめどがつくまでには、確かに時間もかかったのかも知れない。
しかし、実際に、
「サークルを立ち上げる」
となった時、
「そのコンセプトをどのようなものにしようか?」
ということを考えた。
実際に、サークル活動というものを、
「今までの、ミステリーサークルと同じ路線で言っていいものか?」
ということは、ずっと考えていた。
それは、佐土原に誘われて、独立を考えた人たちにも言えることであって、実際に独立が現実味を帯びてきたあたりから、そのことについては、皆ほぼ同じころから、そのことについては、思い悩むようになっていたといってもいいだろう。
そして、実際に、新しいサークルを立ち上げるために、他3名の、一種の、
「発起人」
という形が出来上がったのだ。
部長には、もちろん、最初の発起人としての佐土原が就任するということは当たり前に分かっていたことだった。
他の、副部長とマネージャーには、あとの3人のうちの2人をあてがえた。
ここは、正直、
「くじ引き」
というもので決めたのであり、それくらいは、普通に当たり前のことだと言ってもいいだろう。
何しろ、
「部長以外は、名目上必要」
というだけのことだった。
実際に、所属していたミステリーサークルでも、部長が誰なのかということは分かっていたが、
「他の副部長やマネージャーが誰だったのか?」
などということは、誰も知らなかったといってもいいだろう。
副部長に関しては、部長がいない時の代表ということで表に出てくることもあったが、マネージャーに至っては、一切分からなかった。
「年末までサークルにいれば、忘年会などの行事の幹事として、分かることもあるかも知れない」
ということくらいは分かっていたに違いない。
だから、
「新しいサークルも大学に届ける時の名目上必要」
ということでの、副部長やマネージャーの就任だったので、別に、
「名前貸しくらいのことは、なんでもない」
ということなので、
「就任した人も快く引き受けてくれた」
と言ってもいいだろう。
やはり問題は、コンセプトである。
最初は、ここまでカルトなサークルにしようなどと思ってもいなかったはずである。
ただ、それは、佐土原も、本意ではなかったといってもいいだろう。
そして、佐土原と意を同じくして、ミステリーサークルからの、
「離反」
というものを考えた連中は、少なからず、
「普通のサークルにするくらいなら、離反してまで、新しいサークルを作るという考えに賛同できるわけではない」
と思っていたことであろう。
実際に、新しいコンセプトを考えるまでに、すぐにできたわけではない。
皆、
「方向性」
というのは、同じ方向だったというのは、間違いないのだが、その度合いというか、距離感というものが難しかったといってもいいだろう。
というのがどういうことなのかというと、
「今までと同じでは嫌だ」
というところが一つの方向性であった。
ここまでは、皆の意見は一致していて、一人が言い出したのは、
「ミステリーや探偵小説を愛でるという考え方はいいんだけど、皆がバラバラの方向を見ているというのであれば、中途半端な気がして、それだと、最終的に、前のミステリーサークルに逆戻りではないか?」
と言い出した。
この話に関しては、佐土原も賛成であった。
「なるほど、確かにそれはいえる。特に最初はまだ部員が少ない間はまだいいが、増えてくると、そのうちに、交わりを見せてくるようになると、皆が平均的な方向に落ち着いてしまうのではないかと思えるんですよね」
というのだ。
それに対しては、他の二人も同じことのようで、そうなると出てくる考え方として、
「だったら、何かに特化したサークルにすればいいのではないか?」
ということであった。
「じゃあ、その特化というのは、どういうことにすればいいんだい?」
という意見であったが、そこで、少し勢いは止まってしまった。
というよりも、
「段階的な考え方が、少しストップしたかのようだ」
と言ってもいいかも知れない。
というのも、
「サークルというものと、特化するということが、いかに結びつくのか?」
ということであった。
「特化する」
というのは、何も、
「考え方を狭めればいい」
というわけではない。
一つの方向性に向かって進む同志を募るということであれば、それが特化ということになるのであろうが、その方向性が、奇抜なものであれば、基本的には、
「少数精鋭」
というものが、特化されるものだと言ってもいいだろう。
ただ、まだ、新しいサークルを立ち上げてから、どれくらいの規模にするかということも決まっていない。
そういう意味では、
「特化する内容を決めるよりも、まず、どれくらいの規模のサークルにしたいのか? ということを決めた方が、手っ取り場や胃のではないか?」
ということを、佐土原は考えるようになった。
そこで、他の3人に聞いてみると、
「そんなに規模が大きくない方がいい」
ということは、皆の意見の一致であった。
それは佐土原にしても、
「同じ考え」
ということであり、その大体の落としどころとしては、
「まぁ、多くて、10人ちょっとくらいではないか?」
ということであった。
それも、
「幹部の4人を含めて」
ということであった。
そういう意味で、ここまで考えてくると、
「一つのことが決まれば、あとは芋ずる式に決まってくるのではないか?」
と佐土原は感じていたが、その通りであり、実際に、
「どのようなテーマにしようか」
ということが決まれば、あとの枝葉も結構早く決まったといってもいいのであった。
「犯罪方法や、ミステリー小説のプロットのようなものを作る」
ということに特化したサークルがいい。
それが決まると、あとは、
「部員の制限もいるのではないか?」
ということも言われるようになった。
この中に女性を入れないということを言い出したのは、医学部所属の人で、名前を鹿島という男であった。
鹿島の意見には、最初、反対意見もあった。
「どうして男性だけに限る必要があるんだ?」
ということで、その意見は、結構熱いものであった。
下手をすれば、
「喧嘩になりかねない」
ということで、一歩間違えると、
「せっかくのサークル立ち上げというものが、空中分解してしまわないだろうか?」
ということになるほどであった。
だから、佐土原としても、
「簡単にはいかないことだ」
ということは分かっていたのであった。
「サークル立ち上げ」
に対しての、最初の壁だったといってもいい。
ここまでは、順風満帆ということであったのだが、それを考えると、
「サークルの立ち上げというのは、想像以上に難しいものだったということか?」
ということを感じさせられた。
「ミステリーサークル」
というものが、
「いかに、単純なものなのか?」
と思っていた自分が恥ずかしくなるくらいであった。
「確かに、平均的すぎて面白くはなく、しかも、サークルというものを、他の目的で使う輩が多い」
ということに憤りを感じていたのだから、今でも、
「とんでもないサークルだった」
という気持ちは変わっていない。
しかし、それでも、最初の発起人が、
「そんなことは最初から分かっていた」
と思っての立ち上げであったのであれば、
「今ならその考えも許せるというものではないか?」
と考えられるのであった。
というのも、
「別に飛び出した俺たちが、嫌だと思っているだけで、他の大多数は、そんなサークルを楽しいと思い、そして利用しているのだから、お互いに、利害が一致したことでのサークル運営だ」
と思えば、
「それはそれで悪いことではない」
という風に理解できるようになった。
だから、今度自分たちで立ち上げるサークルは、
「特化したもの」
という気持ちが一致したことで、走り始めたのだから、そこに着地点を見つけるしかないということになるのであろう。
それを考えると、
「特化するものを何にするか?」
ということを、いかに摺り寄せるかということが問題となることは、佐土原にも分かっていたことであった。
実際に、そこまでは分かっていた。
そして、
「それが簡単なことではない」
ということも分かっていたのだった。
ただ、それは、実際にサークルを作ったあとでないと見えてこないということであり、前のサークルに所属しながらできることではないということで、そこに難しさがあったのだ。
それは、理解できることと、できないことが交互に存在していて、
「一度前から飛び出して、新しい枠に飛び込まないと分からない」
ということからであった。
新しい枠というものが出来上がっていない状態なので、そこから、紆余曲折があり、前に進んだり、後ずさりするということも、当たり前にあることであろう。
それを考えると、
「サークルを立ち上げる」
と考えた時に、
「覚悟が必要だ」
と感じたのは、そこからではないだろうか?
ということを、いまさらながらに思い出させるのであった。
そもそも、覚悟というのは、漠然としたものであった。
「覚悟って、何に対しての覚悟なのか?」
ということも分からない。
ただ、漠然としていたというもので、その思いがいかに、結論づけるかということを考えさせるものであり、その過程において、
「特化する」
ということがあるということで、この覚悟というものが、
「特化するということに、一周まわる形で結びついてくる」
と考えるに至るとは、思ってもいなかった。
それに、そこまでたどり着いていたにも関わらず、最初からそれが分かっていたということは分からなかった。
漠然とした考え方において、
「特化するサークル活動であれば、入部制限も致し方ない」
という考えは、
「特化というものを考えた時、切っても切り離せないものだ」
とすぐに連想したからだった。
ただ、この結びつきを、他の3人が理解できるとは思っていなかった。
「当然、反対意見は出るだろうな」
とは思った。
案の定、一人が強硬に反対してきた。
ある程度まで考えていたが、
「反対意見がある以上は仕方がない。譲歩するしかないのかな?」
と佐土原が考えていたその矢先だった。
「特化を考えると、入部制限のしょうがないか」
ということで、あれだけ強硬に反対していた人が、譲歩してくれたのだ。
しかも、それが、
「タッチの差だった」
ということもあり、それこそ、
「狐につままれたような気がする」
というものであった。
「それをいかに考えるか?」
というのは、佐土原は、
「一瞬立ち止まってみるのもいいことなのかも知れないな」
と感じさせるものとなった。
サークルが出来上がった時から、現在に至るまで、結構その時のことを思い出すこともあった。
それが、
「定期的」
と言ってもいいくらいで、それが、考え方の一致のようなものを生むのかも知れないと感じるのであった。
「大学サークルを作るというだけで、ここまで大変だ」
ということを感じるとは、正直思ってもいなかった。
しかも、
「もし思ったとしても、違う観点からなら感じることもあるだろう」
ということを感じていたというのも、その一つであった。
「大学というところでのサークルというと、とにかく自由という意識があるから、立ち上げが難しいわけはない」
と思うに違いないだろう。
だが、
「大変だ」
と感じたのは、そこではなかった。
発足させてからの、部員のとりまとめであったり、コンセプトなどのまとめであったりするということであった。
つまり、
「骨組みがある程度確定したあとでなければ、考えてはいけない」
という段階的なところがあるからだということからであったのだ。
それを思うと、
「大学というサークルがどれほどの考えに至るというのか?」
その時の佐土原、そして彼を含む4人は、それぞれに、紆余曲折を繰り返しながらも、
「いずれ一つにまとまる」
という地点に向かって進んでいるといってもいいだろう。
佐土原は、そんなサークルの発足を、
「これからの道」
ということで、理解した時、ちょうどその発足に至ったといってもいいところであったのだ。
サークル発足の中、実際に、
「いざ、サークル内容」
ということになると、少し、想定外なところがあった。
一番の想定外ということになると、
「想定していた以上に、入部希望者が多かった」
ということであった。
そもそも、
「カルトなサークルにすれば、そんなに希望者はいないだろう」
と思っていたのだが、逆に、
「こんな面白いサークルはない」
などと言って入ってきたのだった。
これには、さすがに発起人の4人は戸惑っていた。
「これじゃあ、元々いたミステリーサークルよりも、大所帯になるじゃないか?」
ということであった。
そもそも、それほど運営を大変にしたくないという意味もあって、新たに発足したのであって、このコンセプトに決めた時の、
「最後の決定事項としては、人が少なくなるということがあるんじゃないか?」
と誰かが言ったからということであった。
その人の、
「ツルの一声」
で決まったといってもよかった。
そもそも、優先順位というのがどういうものなのかということを考えれば、決定事項として、最後がごぶごぶだったことを考えれば、
「最後の一押し」
というのは、実に楽なものだったといってもいいだろう。
それを考えると、
「自分たちの考え方というものが、いかなるものだったのか?」
ということであった。
「甘かった」
と言ってもいいだろうが、甘かったというよりも、やはり、
「想定外だった」
という方が大きい。
それは、部長の佐土原だけでなく、他の三人も同じことを考えていたといってもいいだろう。
そして、実際に入ってきた部員というのは、自分たちが考えていたほどの、
「熱心な部員」
というわけではなかった。
実際には、発足後の数か月の間で、半分以上の部員が辞めてしまった。確かに、退部に対してのペナルティなどというのはあるはずもない。
そもそも、
「学校公認のサークル」
というわけではない。
どちらかというと、
「学校が認めた」
というよりも、
「お金を出せば学校の施設を安く使わせてもらえる」
ということで、サークルというのは、
「その他大勢」
というだけのことでしかないのであった。
熱心な部員というのは、ほとんどいないと言ってもいいだろう。もちろん、
「コンセプトに興味を持って入りました」
という人も結構いるのだが、そんな人でも中には、数か月で辞めていく人もいた。
「どういうことなんだろう?」
と思えたのだが、それに関しては、
「首脳陣の4人が固まっているように見えるので、それが嫌だ」
という人もいるようだ。
実際に、そのウワサを部長である佐土原は聞いたことがあった。ひょっとすると、他の幹部も知っていることなのかも知れない。
しかし、佐土原は、それに言及しようとは思わなかった。
下手に騒いで、
「自分たちが取り乱してしまっては、ぜっかくまとまっている連中まで慌ててしまう」
ということで、
「ハッキリとした理由が限定されなければ、騒ぐことはしたくない」
と考えたのだ。
他のスタッフが同じことを考えているのかどうかまでは分からないが、何も騒いだりはしないということから、
「もし分かっていたとしても、必要以上のことを考えることはないだろう」
ということであった。
実際に辞めていく人の中に、今まで自分たちがいた、ミステリーサークルに流れるという人はほとんどいない。
ということは、
「このサークルに入ってきた人は、ミステリーというものに興味を持っている人は少ないのではないか?」
といえるのではないだろうか?
もちろん確かに、ミステリーに興味のある人もいただるが、それ以上に、もっとわくわくした感覚をこのサークルに求めたのかも知れないと思うと、
「いまさら、普通のミステリーサークルでは面白くない」
と思ったのかも知れないし、逆に自分たちが、ミステリーサークルに見切りをつけた時のように。
「普通のサークルであれば、誰も真面目な活動をしない」
ということからこっちに来たのであれば、
「このサークルの趣旨自体に理解がないわけではないが、運営側に問題がある」
と考えたとしても、それは無理もないことであろう。
そう考えると、
最初こそ、
「俺たちのコンセプトに違和感を感じた」
ということだとしても、
「自分たちが奇抜すぎる」
ということではないということであろう。
逆に、
「生ぬるい」
と思ったのだとすれば、
「そういう連中と、これからうまくやっていける自信がない」
ということもあり、
「去る者は追わず」
という方が、
「大人の対応」
ということでいいのではないだろうか?
実際に、たくさん辞めていった連中の中には
「俺たちでサークルを立ち上げる」
とい連中もいて。彼らも似たようなコンセプトではあったが、気を遣っているのか、それとも、
「同じ趣旨では、自分たちが嫌だ」
という、元々の性格なのか、
ということで、お互いに衝突することもなく、
「だったら、意識しあいでやる方が。お互いのためにはいい」
ということになるのであった。
ということで、残った部員は、結局スタッフの4人を含めて10人ということになった。
「ちょうどいいくらいではないか?」
と佐土原がいうと、まだ渋い顔をするスタッフもいるのだが、それが、
「まだ多い」
ということであるということが分かると、佐土原は
「フッ」
という笑顔を浮かべて。
「心配ないよ」
というのだった。
その理由というのは、
「彼らのうちの一人か二人は、幽霊部員になるかも知れないぞ」
ということであった。
前に所属した
「ミステリーサークルでもそうだった」
のだが、あの部でも、一時、部員の断捨離のようなことが行われたことがあったが、その時というのも、
「人が減った中においても、さらに幽霊部員はいた」
ということである。
いや、それ以上に、
「幽霊部員が誰なのかということが、ハッキリと分かってきたのだ」
ということであった。
だからこそ、佐土原がミステリーサークルに見切りをつけたのが、その時だったと言え宇のだ。
確かに、人がたくさんいた時も幽霊部員はたくさんいた。
しかし、人が減ってからでも、その幽霊部員が減っていないということを、あとで分かってくるようになると、それだけ、
「元々いた幽霊部員は、断捨離をしても、減るものではない」
ということが分かり。それを確信したからこそ、ミステリーサークルに、
「こっちから見切りをつけてやった」
と言ってもいいだろう。
それを考えると、
「新しいサークルを作ってよかった」
という思いから、
「これでは変わらないではないか」
という思いとが、発足当時から交錯していたのだが、その角度としては、
「変わらないと感じる方に徐々に動いているのではないか?」
と感じるのであった。
そんな、
「黒薔薇研究会」
というサークルの名前に違和感を感じる人もいた。
いや、それが一番の理由ではないか?
と感じることも多かったことだろう。
というのは、
「ここのサークルにいれば、女の子が入ってこない」
という理由で、辞めていく人も結構いた。
確かに、
「部活の趣旨を話していなかった」
というのも理由であったが、そもそも、
「こんな部の名前で、女性が入ってくるわけもない」
ということに女性部員に期待している人が気づかないというのはどういうことであろうか?
それよりも、
「女性を求めるというよりも、カルトな趣味の女性を求めている」
ということであれば分かるというものだ。
つまり、
「自分たちは、同じ趣味趣向の女性でないと、相性が最悪になるので、うまくいくはずがない」
と思っているのではないだろうか。
というよりも、
「相性という問題ではなく、こっちがダメだと思うと、相手も間違いなく、うまくいかないと感じることで、最初から無理なものを押し通すことになる」
といえるだろう。
つまりは、
「マイナスにマイナスを掛けるとプラスになる」
ということで、
「マイナスというものは、プラスをいかに工夫しようとも、マイナスはマイナスでしかない」
ということになる。
そのことを感じさせると、
「黒薔薇研究会」
というものは、
「結局自分たち4人だけのものではないか?」
と考えるようになり。スタッフと残った部員との間に、目に見えない確執があるということになるのであろう。
だが、
「スタッフ4人が同じ発想は同じ趣旨で結びついているのか?」
ということは一概には言えない。
というのは、
「逆にこの4人は、その考えが違っている」
と言ってもよく、このサークルの趣旨である、
「殺し方の種類」
という、最初に始まった論争のようなものとしては、それぞれにまったく違っているのである。
というのは、
「殺し方それぞれに考えが違う」
ということではなく、
「自分が誰かを殺すとすれば、自分ならどういう方法を使うか?」
ということになるということに関して、
「その発想が違っている」
ということであった。
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