黒薔薇研究会の真実
森本 晃次
第1話 カルトサークル
この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。今回もかなり湾曲した発想があるかも知れませんので、よろしくです。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。呼称等は、敢えて昔の呼び方にしているので、それもご了承ください。(看護婦、婦警等)当時の世相や作者の憤りをあからさまに書いていますが、共感してもらえることだと思い、敢えて書きました。ちなみに世界情勢は、令和5年12月時点のものです。とにかく、このお話は、すべてがフィクションです。
F市には、
「K大学」
というところがあるのだが、その大学は、私立大学で、いわゆる、
「坊ちゃん大学」
と言われていた。
というのは、比較的、入学金も、授業料も他の大学に比べて高いということもあった。
そもそも、この大学は、その卒業生には、
「未来の社長」
という人が多かった。
大学は、大正時代から存在する、
「老舗」
と言ってもいいくらいに歴史のある大学で、そのOBには、経営者になるような優秀な人材がそろっていた。
特に初期の卒業生は、
「時代が求める人材を、数多く輩出した」
ということでもあった。
戦時中などは、
「兵器の研究者」
という、理数系で、兵器開発というものを担い、当時としては、
「戦争継続に大いに貢献した」
ということであった。
また、経営者としての手腕が発揮される人もいて、当時としては、政府や軍の資金源としての立場を担っていた、
「財閥系」
に匹敵するような、起業家という人も、かなり排出していたのだ。
だから、戦時中は、財閥が表舞台に出てきていたが、その裏で実質糸を引くような形になっていたのが、
「影のフィクサー」
と呼ばれる人たちがたくさんいたからであった。
戦時中は、物資は不足していたので、お金の価値は、相当低かったといってもいいだろう。
いわゆる、
「ハイパーインフレ」
というものであるが、それでも、やはり兵器開発に必要なものは、金というものであった。
軍は、そのお金を裏から手をまわし、国民や、敵国に分からないように、他国でそのお金を使い、
「武器を買い求める」
ということを行い、こちらも、
「戦争継続に大いに貢献した」
と言ってもいい。
金銭面や、開発という力において、活躍した連中の出身大学が、この、K大学だということになるのだった。
K大学出身者は、大東亜戦争の終結後に行われた、
「戦争犯罪人」
というところで表に出てくることはなかった。
そもそも、彼らは、日本国内においても、
「影の存在だ」
ということであった。
戦後、
「財閥の解体」
ということが行われ、
「戦争を牛耳っていたのは、財閥の存在と、さらには、
「男爵、侯爵、子爵、伯爵」
などといった、
「爵位制度」
というものの解体も一緒に行われたのであった。
財閥関係、爵位制度というものが、実際に敗戦後に解体されたことで、財閥系の会社が民主国家の中で生き残るということはあったが、それは、影の存在である、
「K大学出身者」
という連中の力があったからだといえるのではないだろうか?
戦争犯罪人の中で、
「極東国際軍事裁判」
という、いわゆる、
「東京裁判」
というものにおいて、表立った戦争犯罪人は、処刑されるなどの処罰を受けたが、裏に回って、その犯罪が表立った団体よりも、さらに極悪非道であったと言われる、
「関東軍の秘密部隊」
と言われていた連中が裁かれることはなかった。
それは、
「関東軍によって、敗戦を迎えるまでに、徹底的にその施設が破壊され、証拠を一切残さない」
という、
「鉄壁の証拠隠滅」
というものを行ったことで、彼らは最後まで表に出てくることはなく、当然、裁かれるということもなかったのだ。
それが、
「戦勝国との裏取引」
ということが言われるようになったのであろう。
徹底的に証拠隠滅を図ったという内容にかんしては、いろいろ言われているようで、物証としては、一切残っていないということであるが、証言としては、結構出てきているようだ。
そもそも、戦時中において、
「降伏時期が迫っている」
ということで、証拠隠滅を急ぐのは分かるが、そのためにどれだけのことをしたのかということは、想像を絶するものがあると言われる。
確かに、その証拠隠滅には、かなりの時間が掛かるし、何といっても、
「捕虜を一人として残しておくわけにはいかない」
ということである。
捕虜には、そこで行われたことの生き証人となることができるわけで、いくら物証を排除しても、生き証人が残っているのであれば、結果としては、隠しきれていないと言ってもいいだろう。
しかし関東軍は、それを見事に行ったのだ。
ナチスドイツの、
「アウシュビッツをはじめとする、強制収容所」
は、証拠隠滅をすることができず、その全貌を世界に知らしめることになった。
もちろん、規模の違いもあるだろう。
ドイツの勢力圏にあったところで、
「ホロコースト」
が行われていたので、どれだけのユダヤ人、あるいは、反政府組織の人たちを収容しているわけなので、関東軍が管轄していた収容所とは、その規模が違う。
ドイツ占領下の土地に、相当な数あったことだろう。
ただ、これも、
「そもそもの、収容所の目的というものが違う」
と言ってもいいだろう。
「関東軍が持っていた収容所は、生物兵器、化学兵器の研究開発が主であり、そして捕虜たちは、人体実験に使われていた」
ということで、それほどたくさんの捕虜も必要なく、土地も一か所だけで済む・
しかし、ナチスドイツの収容所の目的は、
「ホロコースト」
と呼ばれるもので、その目的は、
「民族迫害」
あるいは、
「絶滅政策」
と言われるもので、
「大量殺戮」
ということが一番の目的である。
だから、その数はまったく違うわけで、何百か所と収容所があれば、当然、証拠隠滅などできるわけもないということである。
ナチスドイツは、最後、ベルリンを包囲され、陥落ということになり、総統であるヒトラーは自害。日本のように、
「天皇制を守る」
ということで、軍も政府も、戦後の一番の問題として考えていたのだから、不利にならないように、証拠隠滅を図るというのは、当たり前のことだったのは、間違いのないことである。
関東軍研究所では、細菌の培養であったり、
「大量虐殺の実験」
であったり、
「人間の限界」
というものがどれほどのものなのかということを研究していたのである。
日本人というのは、科学力を生み出すという意味で、世界屈指の民族だと言ってもいいかも知れない。
江戸時代などから、大日本帝国を経て、戦争に突入するまでの軍事兵器などの研究は、
「世界でも最先端だ」
と言ってもいいかも知れない。
江戸時代であれば、
「平賀源内によるエレキテルなどと言った研究」
であったり、
「算術と言われるものの研究などでは、世界の一流数学者レベルであった」
ということも言われているくらいだ。
大日本帝国においても、兵器として、日露戦争における、
「下瀬火薬」
であったり、
「伊集院信管」
などと呼ばれるものが、日本独自に開発され、ロシアのバルチック艦隊を撃破する一つの要因になったのだから、それはすごいことである。
大東亜戦争前夜に開発された、
「ゼロ戦」
や、
「隼」
などという戦闘機の優位性は、
「防御があまりにも甘い」
という点以外では、世界の最先端を突き抜けるくらいに高度なものだった。
その証拠に、米軍パイロットの間で、
「ジェット気流と、ゼロ戦に遭遇すれば、逃げろ」
と言われているほどだったのだ。
しかも、日本でも、敗戦が色濃くなっていく中でも、
「独自に原爆開発を進めていた」
という話もある。
資源の問題などもあり、開発できるまで行くわけはなかったが、それでも、開発を進めるだけの頭脳集団がいたということは、紛れもない事実だったに違いない。
さらに、かの戦争中のことで、都市伝説のように言われていることとして、
「風船爆弾」
というものがあると言われているが、その内容を知らない人は、
「なんともバカバカしい」
ということをいわれていると思うかも知れないが、実際には、
「実に画期的な兵器で、実際に、太平洋を越えて、アメリカ本土を爆撃したということだった」
ということであった。
さすがに、戦略上、アメリカ政府は、そのことをひた隠しに隠したといってもいいのだろうが、それだけ、アメリカ政府も、
「日本の科学力を恐れていたのかも知れない」
ということでもある。
だから、関東軍における、
「生物、化学兵器研究所」
というものに注目していて、戦後に起こるであろう、
「東西冷戦」
というものに目を向けて考えると、
「関東軍研究所」
というものの、
「研究資料」
であったり、
「彼らという人材」
というものも欲していたといってもいいだろう。
だから、
「あれだけ短期間で、まるで何もなかったかのような証拠隠滅が図れた」
というもの分かるというものだ。
しかも、
「ヤルタ会談」
という、
「戦後の青写真を描いたことでの首脳会議」
というものがあり、
「戦争終結のために、日本領内への、ソ連軍の侵攻を約束させる」
という密約を結んだ。
これは、ソ連の方が圧倒的に有利なもので、何といっても、
「日本に対して戦争をしないといけない大義名分はソ連にはないので、それでも、戦争をさせるということをソ連の連邦民族に、その大義名分を示す必要がある」
ということであったのだ。
それができないと、
「ソ連は、日本と不可侵条約を結んでいる」
ということもあり、それこそ、それなりの、
「大義名分が必要」
だったのだ。
戦争なのだから、
「その領土の分け前」
というものが朝鮮半島や、満州国であるのは分かり切ったことであり、裏を返せば、
「そこまでしないと、降伏させるのに一番難しいのが、日本という国だ」
ということだったのだろう。
日本という国は、その後、原爆投下と、さらには、
「水面下で、戦争終結のための仲介をソ連に依頼していた」
ということから、
「戦争終結」
というキーワードに、どちらの側からも、そのキーポイントとしては、
「ソ連だった」
と言ってもいいだろう。
そういう意味で、アメリカは、ソ連を恐れていた。
「ナチスドイツの科学者たちをベルリンから拉致、あるいは保護して本国で、開発をさせる」
というようなことをしていたのだから、
「ナチスドイツの科学力と、満州億にある関東軍の研究所、あるいは、そこの頭脳である科学者まで連れていかれてしまっては、冷戦となった時、勝ち目はない」
ということだっただろう。
少なくとも、関東軍の科学者たちだけでも、アメリカに連れていかなければ、世界は、
「共産国で溢れてしまう」
ということになるであろう。
「次の戦争への火種」
を作ってしまうと、
「戦争によって、世界が全滅するまで、同じことが繰り返される」
ということを懸念するしかないであろう。
それを考えると、
「大日本帝国の頭脳」
というものをアメリカに終結させることで、日本を、民主主義国家に生まれ変わらせて、「アジアにおける、社会主義への防波堤にしよう」
と考えたのであろう。
その時に、
「研究所がやっていた実験」
というものが、どれほどのものなのか、想像を絶するものがあったに違いない。
戦後、その研究所の映画が製作され、それを見た人間は、それこそ、
「嗚咽」
というものを感じたに違いない。
今の時代の、
「戦争というものを知らない日本人」
であっても、その映画を見れば気持ち悪いと感じることであろうが、実際に、
「戦争経験者」
という人が見ると、
「これほど悲惨でひどいものはない」
と思うことだろう。
「原爆資料館」
というものも、相当にひどい有様であるが、こちらの人体事件というものの悲惨さは、
「この世のものではない」
と感じることになるであろう。
「大量殺戮」
という意味では、原爆も、この研究所で行われていたことも、同じであろう。
しかも、ナチスドイツの、
「ホロコースト」
に至っては、
「けた違いの恐ろしい計画」
ということであろう。
「いい悪い」
という道徳的な問題を別にすると、
「戦争というものは、残虐性ありき」
ということになるであろう。
「そんな残虐性というものを持っているのが人間だ」
ということから、そういう発想を持った連中が、K大学というところで、そういう、
「殺人」
などの方法であったり、ミステリー小説などに使うトリックなどというものを研究しようという目的で作られた、一風変わったサークルがあった。
「黒薔薇研究会」
という名前のもので、彼らは、
「男のみのサークル」
ということで結成されたのであった。
だから、
「男同士」
ということで、その隠語としての、
「薔薇」
という言葉を一部に使っていたのである。
彼らは、実質的に、
「サイコパス的なところのあるサークル」
ということで、カルトな研究をしていた。
そんなサークルにおいて、部員は、十数名くらいであったが、その実際の発起人としては、
「最初は、4人だった」
と言われていて、彼らが、このサークルにおいての、
「法度」
と呼ばれるようなものを作っていたのだ。
彼らは、その基本として考えていたのは、それぞれ共通で好きなものとして、
「新選組」
というものの存在から、
「サークルの規則」
というものを、
「法度」
という表現を使っていたのだ。
新選組というものには、
「鉄の法度」
と呼ばれるものがあった。
そむけば、そのすべてにおいて、
「切腹」
というものが課せられることが決まっていた。
中には、
「それは当然のことである」
というものもあったであろうが、モノによっては、
「理不尽な」
と思われるようなこともあったことだろう。
「武士道に背くこと」
というのが法度であるというのは、それは当然のことであろう。
しかし、中には、
「脱退」
というものまでが、法度に背く行為だということにされていたのだ。
「それはあんまりだ」
ということになるのだろうが、それはあくまでも、今の世の中である、
「自由な世界」
というものから考えたものであり、昔の、封建制度や、武士道というものを基本とした考え方であれば、それも、大きな法度の一つと言ってもいいだろう。
なぜなら、当時の日本というと、
「開国したばかりで、世の中が大混乱していた。幕府の力が致命的に衰えてきたことから、世の中は騒乱の時代」
ということであった。
そんな中で、京都の治安というと、乱れに乱れていた。
「暗殺や、暗躍」
などというものが渦巻いていて、
「いつどこで誰が殺されるか分からない」
という時代であり、
「殺害されることも、日常茶飯事だった」
ということであった。
そんな時代に、
「京の治安を守る」
ということで、いくつかの、
「浪士組」
のようなものが作られ、新選組も、まだその前身である、
「壬生浪士組」
という名前だった頃、そんな彼らという一つの組の中でも、一枚岩というわけではなく、それこそ、
「烏合の衆」
だったということであろう。
そもそも、彼らは、江戸で、
「将軍を守って将軍の京での命を守る」
ということが主要な役目だったのだが、それを計画した連中が、実は彼らを欺いて、
「将軍を守る」
というのは表向きであり、京に到着早々、彼ら浪士組は、
「天皇の配下」
ということにされてしまったことで、天皇に服従しなければいけなくなってしまった。
ということであった。
しかし、それをよしとしない連中が京都に残り、そこで、
「壬生浪士組」
というものを結成し、彼らが、
「会津藩ご用達」
ということで、京都での立場を保つことができるようになったのだが、それでも、
「即席でできた組」
でしかなかったということである。
そういう意味で、新選組は、
「自分たちの中での仲間割れを防ぐ」
ということもあってか、副長である、
「土方歳三」
が、
「局中法度」
というものを作ったのである。
そんな新選組のやり方は、少し強引で、
「血も涙もない」
というところがあったのかも知れないが、そういう、
「幕末の動乱」
という時代を、浪士組として生き抜くためには、それくらいの結束が必要だったということになるのである。
新選組というと、
「局中法度」
だけではなく、そもそも、彼らは、
「武士の出」
ということではなく、武士を目指した、江戸にあった、
「試衛館」
という剣術道場に所属していた連中だったということである。
武士に取り立ててもらうこともできない世の中で、
「浪士組」
ということで、
「将軍を助けて京に向かう」
という、
「お勤めができる」
ということは、名誉だったことであろう。
しかも、短い間ではあるが、京の街で、
「新選組あり」
と言われるようになり、
「鳥羽伏見の戦い」
から始まる。
「戊辰戦争」
というものを、徳川幕府の思惑とは別に、自分たちの武士道を全うするということで、新政府軍に、
「敢然と立ち向かう」
というそんな姿が、日本人の心を打ったのだ。
新選組という隊士たちは、
「剣術道場」
においては、かなりのつわものだった。
ということで、武士というだけの名ばかりの連中に比べれば、かなり強かったことであろう。
そもそも、武士とは言っても、幕末から260年前までの、
「戦乱の世」
から、
「元和偃武」
を経ての、
「戦のない時代」
つまりは、
「天下泰平」
という世の中を、言ってみれば、
「平和ボケ」
という時代において、武士は、弱体化していることであろう。
だから、倒幕においても、幕府軍は、ことごとく、新政府軍に負けていたのだ。
新政府軍よりも、数が多かった幕府軍でも、その士気において、まったく歯が立たないと言われることで、幕府軍は一気に総崩れにんあっていった。
そんな中で、幕府軍が最後まで戦えたのは、
「新選組の残党がいたから」
と言ってもいいかも知れない。
その代表例が、
「函館戦争」
ではなかったか。
「榎本武明を中心に、函館に国を作る」
という考え方の下、
「土方歳三」
「大鳥圭介」
などの幕府軍の猛者が、最後まで戦ったのである。
だから、新選組の個性豊かな隊士たちの中でも、
「土方歳三」
という男がどれほどの人気かということが分かるというものであろう。
そんな新選組を、
「愛してやまない」
という連中の中でも、少し異端児的な連中が集まっての、カルトサークルを作るのだから、それが、
「どのような団体であったのか?」
ということも分かるというものである。
本当に、最初に集まって4人というのは、
「紛れもないサイコパスだ」
ということであった。
「殺害」
あるいは、
「拷問」
ということを、感情論ではなく、その方法ということで特化したような研究から、初めていったのである。
「この世界に、女性はいらない」
というのは、
「今の世の中では、昔と違い、女性を排除するなどというのは、いけないことだ」
ということになるということである。
それは、
「女性差別」
ということに繋がり、
「男女雇用機会均等法」
と呼ばれるものに、違反する。
という発想に繋がっていくのだ。
サークルへの加入というのも、幅広く見るとすれば、
「雇用」
という発想になるからではないだろうか?
それを考えると、男性だけの団体という、
「黒薔薇」
という発想は、
「武士道」
であったり、戦争中においても、
「女性は銃後の守り」
という発想が、
「戦国時代からあったから」
と考えられるからではないだろうか?
戦国時代というのは、確かに、
「群雄割拠」
という時代であり、
「男の戦場」
と言ってもよかった。
ただ、中には、
「男勝りの姫」
というものがいたり、女性の中には、
「城主であった」
という人もいる。
基本的には、女性を家を守るものということで、差別的発想からではなかったのではないか?」
と考えると、
「別に女性を迫害している」
ということではないと考えられる。
だから、戦場に女性を連れていくこともなく、戦場では男ばかりだということで。自然と、
「衆道」
あるいは、
「男色」
と呼ばれる、
「男同士で愛し合う」
ということが存在したのだろう。
しかし、今も昔も、
「正室というもののほかに、側室がいた」
というのも事実であり、しかしこれは、
「子孫繁栄」
ということでの、
「家の存続のため」
ということになるのであろう。
「男はどんなに頑張っても、子供を産むことができない」
というわけなので、
「側室というものの存在」
により、
「一夫多妻制」
というものが存在したのも、当たり前のことだといえるに違いない。
今の時代は、逆に、そこまで、
「家を残す」
という発想はない。
そういう意味で、子供の出生率が低く、
「少子高齢化」
という時代に向かっている。
ということになるのであろう。
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