表舞台の日陰者
夕陽を浴びて紅く燃ゆるレンガ造の建築群。
その正面に鎮座する噴水より水の傘が開かれ、飛沫を周囲の石畳へ散らす。
「ご主人」
「どうした」
濡れた石畳を叩く2つの足音。
学園長室のある棟を後にしたドミニクとカリンは、仕事場へ向かって足を進めていた。
周囲に人影はなく、生垣に挟まれた道は閑散としている。
「あの人、苦手なのだ……」
夕陽を避けるように陰へ入ったカリンは、ようやく肩の力を抜く。
「そう言うなよ」
それを聞き、ドミニクはマスクの内で苦笑を漏らす。
堅物の学園長に好んで接したがる者は少ないだろう。
しかし──
「お前を雇ってくれたのは、学園長みたいなもんだぞ」
「それは……感謝してるのだ」
ヘルメットを深く被るカリンは、人の子ではない。
魔族を退ける勇者の一大教育機関は、これまで人の手だけで運営されてきた。
そこに新風を取り入れたのが、第12代学園長のラザフォートだ。
「でも、苦手なものは苦手なのだ!」
「苦手なものは仕方ねぇな」
齢100を超すカリンは幼子のように感情を露にし、ドミニクは首を横に振る。
生垣の陰が途切れ、石畳の大通りに出る2人。
行き交う少年少女──そこは学び舎と寮を結ぶ通学路だ。
授業を終えた生徒たちの足取りは軽く、これからの自由時間に思いを馳せている。
「なに、あの薄汚いの……」
そんな彼らは帰路に現れた黒い2人組へ好奇の眼差しを注ぐ。
「迷子かな?」
「なら、オートマタが抓み出してるでしょ」
「ってことは学園の関係者?」
清潔感溢れる白の制服を与えられた生徒からすれば、ドミニクとカリンの姿は禍々しさすら覚える。
汚濁と戦い続けてきた証は、蔑みの対象だ。
「あれ、下水の管理者らしいよ」
「下水?」
「下水って……何?」
噂好きの女子生徒が囁けば、それは瞬く間に広がる。
しかし、誰一人として理解者はいなかった。
無知──それを責めようとは思わない。
学園を清潔に保つ者たちは、陽光の届かぬ場所にいるのだ。
2人にとって好奇の視線など慣れたもの。
生徒たちの集団が通り過ぎるまで沈黙を貫く。
「おっさん!」
しかし、どこにでも物好きはいるもの。
1人の若き勇者が嘴マスクのレンズに映り込む。
「誰がおっさんだ」
「おっさんはおっさんだろ?」
駆け寄ってきた生徒は、心の底から不思議そうに首を傾げる。
「なぁ、また稽古つけてくれよ!」
周囲の視線など気にも留めず、ドミニクへ握り拳を突き出す。
その拍子に後ろで結った金髪が馬の尻尾のように揺れる。
「嫌だね」
即答。
両腕を組んで、生徒へ拒絶の意思を示す。
「先生につけてもらうんだな」
生徒へ教える義務などない。
ドミニクは学園関係者であって教師ではないのだ。
「デカブツを使えるのはおっさんだけなんだ!」
薄汚れたロングコートを躊躇なく掴み、食い下がる生徒。
その輝く真紅の瞳は、ドミニクの背負うクレイモアへ向けられていた。
引き下がる様子はない。
気怠げな溜息を石畳へ降らせ、天を仰ぐ嘴マスク。
「そうえいば……農園が人手を欲しがってたなぁ」
ドミニクは誰に向かって言うわけでもなく独り言ちた。
エインスワース勇者学園は敷地内に農園を持ち、食料を自給自足している。
しかし、広大な農地に対して人手は不足しがち──
「手伝う!」
「……よし、交渉成立だ」
溌溂とした返事を聞き、渋々といった体で拳を突き出すドミニク。
「約束、忘れんなよ!」
「おう」
力強く突き合わせた拳はドミニクよりも柔らかい。
まだ剣を握り慣れていない者の手だった。
「あ、忘れてた!」
満足げに細められていた目が見開かれ、寮の方角へ向けられる。
まるで夏の空模様のような移り変わりだ。
「ヘルミーネのやつがまた失敗作を流してたぞ!」
不正を許さぬ若き勇者の告発。
それは薬学に精通した学友の不法投棄についてだった。
「まったく懲りねぇな……」
ドミニクは嘴マスクの額を押さえ、重い溜息を吐く。
下水道とは、何を流しても良いわけではない。
汚水処理を担うブラックプディングは、汚物以外を取り込むと不調をきたす。
特に薬物の類はご法度だった。
「下へ降りる時は注意しろよ!」
「おう、ありがとな」
伝えるべきことを伝え、今度こそ満足した生徒は颯爽と走り去る。
秋風に金髪を靡かせて。
「元気な子なのだ」
「まったくだ」
とある事件で知り合ってから教示を乞うてくる勇者の卵。
落ちこぼれと同期から嘲笑われても決して膝を折らない。
前途ある若人の後ろ姿を見送り、ドミニクとカリンは揃って吐息を漏らす。
「お仕置きは後でするとして……とりあえず、潜るぞ」
「分かったのだ」
ひとまず問題児の処分は後回し。
今は学園長からの依頼を果たさねばならない。
学園下水道の維持管理──それがドミニクたちの仕事だ。
石畳を叩く足音。
2つの人影が往来の途絶えた大通りに伸びる。
「ご主人」
「どうした」
不意に口を開くカリン。
夕陽を帯びる黒鉄のヘルメットを上げ、真剣な声色で相方へ問いかける。
「結局、あの子は女の子なのだ?」
「どう見たって男だろ」
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