置き土産は聖剣

 隅々まで手入れの行き届いた部屋には、埃一つ落ちていない。

 飾られた調度品は過度に主張せず、部屋の装いに溶け込んでいる。

 ここへ立ち入る者には相応の品位が求められるだろう。


「貴方が来るのは、いつも厄介事を持ち込む時です」


 部屋の主は入室者へ振り返ることなく、冷やかな声を発する。


「ドミニク・ノーラン」


 入室者は異物と言っていい姿の男。

 鳥の嘴を思わせるマスクを被り、薄汚れたロングコートを纏っている。

 品位の欠片もない。


「そう言わないでくれよ、学園長」


 ドミニクは両手を広げ、肩を小さく竦めた。

 エインスワース勇者学園の長は窓際に佇んだまま動かない。


「生徒のためさ」


 そこへ魔法の言葉を投げかける。

 微かに肩が揺れ、溜息を吐く音が聞こえた。

 教育者は生徒のためとなれば動かざるを得ない。


「…まぁ、いいでしょう」


 振り返ったラザフォート学園長は眼鏡のブリッジを押し上げ、碧眼を開く。


「それで、本日はどのような要件なのですか?」


 鋭剣の如き眼光が厄介事ドミニクを見据える。

 醸成される剣呑な空気は、教師であっても気後れするだろう。


「話が早くて助かるよ」


 しかし、嘴マスクから響く気怠げな声に変化はない。

 もはや予定調和となった問答なのだ。

 互いに仕事がある身で長話など不要。

 ドミニクは単刀直入に切り出す。


「聖剣を拾った」


 その一言は時を止める――ことはなく、天を仰ぐ学園長。


「どこで……いえ、結構です。貴方が拾った以上、場所は一つしかありません」


 発見場所を報告しようと手を挙げたドミニクを制し、ラザフォートは額に手を当てた。

 神経質そうな横顔には心労が滲む。


「生徒が流されたって可能性は――」

「あり得ません」


 勇者学園の長は断言する。


「在学生が行方不明になれば、必ず私の耳に入ります」

「だろうな」


 誇張ではなく事実。

 未来の勇者を育む学園は、ただの教育機関ではない。

 学園関係者に加え、始祖の勇者が設計したオートマタが常時巡回している。

 誰にも知られず失踪など不可能だ。


「聖剣はどこに?」

「ここさ」


 ラザフォートの質問に対して、ドミニクは背後を親指で指す。

 そこには黒ずんだマントを羽織る少女。

 ヘルメットの下から覗く翠の瞳は緊張の色を帯び、小さな口は引き結ばれている。


「カリン、あれを出してくれ」

「わ、分かったのだ!」


 ドミニクの指示を受けたカリンは、背負っていたを手に持つ。

 布を剥がして応接用の机に置き、逃げるようにドミニクの背中へ隠れる。

 わずかに眉を動かすもラザフォートは机上のロングソードへ視線を移す。


「これは2年生、イーデン・リア君の聖剣ですね」


 検分は一瞬で終わった。

 並外れた記憶力を持つラザフォートは在学生全員を記憶している。

 当然、聖遺物の保持者も。


「先日の課外授業でドラゴンと交戦し、喪失したとのことですが……」


 課外授業という名の実戦で、未来の勇者たちは魔族に連なる者と相対する。

 教師帯同とはいえ、予期せぬ事故は起きる。

 聖遺物の喪失は、その一つだ。


「ドラゴン?」

「フリギノーサと聞いています」


 悪食竜とも呼ばれるドラゴンの名を聞き、ドミニクは苦笑を漏らす。

 相対した生徒たちは、さぞ悪臭に悩んだことだろう。


「聖剣が見つかって万々歳……とはならないか」

「ここにない物がある、それが問題です」


 窓より射し込む夕陽が眼鏡を朱に染め、鋭剣の如き眼光を隠す。

 学外で喪失したはずの聖剣が、学園の下水道に流れ着くなどあり得ない。

 聖遺物は歩かないのだ。


「原因の調査を、早急に」


 学園長の命令とは王命のようなもの。

 ドミニクは手を軽く振って了承の意を示し、ロングコートを翻す。


「早速、潜るとするぜ。じゃあな」


 学園長室の重厚な扉を開くドミニク。


「待ちなさい」


 その足を冷やかな声が呼び止める。


「原因究明までは貴方が紛失物を管理しなさい」


 眼鏡のブリッジを押し上げ、管理者を鋭く睨むラザフォート。

 対するドミニクは嘴マスクの内で微かに笑う。


「心配しなくても、ちゃんと洗っといたぜ」

「そういう問題では――待ちなさい、ドミニク・ノーラン!」


 ラザフォートの声が届くことはなく、学園長室の扉は閉じられた。

 聖剣に染みついた形容しがたい臭いが、ふわりと漂う。

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