落とし物は聖剣

 世界は暗闇に閉ざされていた。

 絶えることなく聞こえる水音だけが時の流れを伝える。

 洗剤の甘ったるい匂いに汚物の臭いが混じり、破滅的な悪臭を醸す。

 とても人が居られる場所ではない。


「ご主人」


 そこに響き渡るのは、場違いな少女の声。


「なんだよ」


 ぶっきらぼうな男の声が返され、ランタンの青い光が暗闇を払う。

 床面から天井まで覆うレンガの壁面が露となり、2つの人影が伸びる。


「人を疑うのは感心しないのだ」

「前科がある以上、仕方ないだろ」


 重みの違う足音が人工の洞穴を反響する。

 一方は重く、一方は軽い。


「今回は食堂のマーサおばさんは悪くないのだ!」


 底抜けに明るい少女の声が、重い足音を掻き消す。

 声の主は黒ずんだコートで全身を隠し、大型クロスボウを背負った小人。

 ヘルメットの下から覗く翠の大きな瞳が、相方へ抗議の視線を送る。


「いつも生ごみを流すのが悪いんだよ」


 それを軽く受け流し、気怠げに応じる長身の男。

 鳥の嘴を思わせるマスクを被り、厚手のロングコートを羽織っている。

 その背中で揺れる得物は、鞘の錆びついたクレイモア。


「いつもじゃないのだ、週に2回ほどなのだ!」

「十分だろうが」


 風変わりな形姿の2人は、場所も相まって奇人変人の類に見える。


「まったく……下水の管理は大変だぜ」


 そんな彼らこそ管理者――このエインスワース勇者学園下水道を管理する者だ。


「ブラックプディングの調子が悪いのは、曝気ばっき装置のせいかもしれないのだ」


 そう言ってランタンを傍らの水路へ翳す少女。

 青に照らされた水面は、洗剤の泡と汚物が入り混じっている。

 昨今、汚水の処理はブラックプディングという不定形生物スライムによる生物処理が基本。

 今回、管理者たる2人が下水道に訪れた理由は、生物処理の要が不調となったからだ。


「なら、あいつらの体色は酸素不足で真っ黒なはずだ」


 男は少女の首根っこを掴み、水路へ転落しないよう注意を払う。


「曝気槽の液面には食べ残しがあった」


 ブラックプディングは汚物と酸素を糧とする生物だ。

 どちらも過不足無しに供給されなければ、本来の力を発揮できない。


「つまり、連中が食い切れないほどのが流れてきたってことだ」

「なるほど」


 相方の推理を聞き、神妙な表情で頷く少女。

 2人の足音は迷いなく目的地へ向かう。

 人工の洞穴を反響する水音に、異音が混じり出す。


「食堂が原因でないとすれば、ここしかないな」

「なのだ」


 ランタンの光を掲げ、翠の瞳と嘴マスクは揃って水路を覗き込む。

 そこには、水流を阻むように2基の円筒が突き立っていた。


「…やっぱり破砕機か」


 汚水中の固形物を砕いて細かくする破砕機。

 始祖の勇者が設計したとされるオートマタの一種だ。

 それは不規則に振動し、金物を叩くような異音を奏でる。


「とりあえず水門を閉じるのだ?」

「ああ、頼む」


 少女が床に設けられたハンドルを回転させれば、水路の壁面より門が迫り出す。

 それは徐々に汚水の勢いを減じていき、水位を下げる。


「これっぽっちも気は乗らないが――」


 男は壁面から飛び出したレバーを倒し、ぱたりと異音が止む。


「確認するしかないな」


 破砕機が完全に停止したことを確認。

 万が一、破砕機の回転刃に巻き込まれれば、人間などひとたまりもない。


「ご主人、気をつけるのだ」

「おう」


 少女の声援を適当に流し、水路の壁面に設けられた梯子に足を置く。

 錆びついた梯子は心許ないが、男は恐れることなく下へ向かう。

 汚水が弱々しく流れる水路へ降り立ち――


「こいつは驚いた」


 早々にを発見する。

 破砕機の回転刃に挟まった代物を前に、男はマスクの裏で乾いた笑いを零す。


「ご主人、今日は何が詰まってたのだ?」


 破砕機は余程のことがなければ停止しない。

 しかし、ここは未熟な少年少女を勇者に育て上げる学園。

 下水に流してはならない代物を流す馬鹿者もいる。

 たとえば――


「聖剣だ」


 勇者だけが持てる聖遺物の一つ――聖剣であったり。


「誰だよ、トイレに聖剣を流したのは……」


 男は汚物に塗れた聖剣を見下ろし、大きな溜息を吐く。

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