第18話 ルシア様の『舞』



  ◇◇◇【side:セシリア】




「ミ、《中級治癒(ミドル・ヒール)》……」



 ポワァア……



 ガラスの破片を抜き取り治癒する。



(な、なんで私が……うぅううううッ!!)



 恥ずかしくて死にそうです!!

 お、おかしいと思っていたのです!!



 ――先に風呂入っていいぞ。



 ルシア様は毎回そう言って私をお風呂に向かわせていたのですね!! 


 勝手に使用するのは失礼だと……迷宮の中で湯浴みができるなんてと……。


 ――毎日のように使わせていただいて本当にありがとうございます。


 私は心の底から感謝を伝えていた。


 ……ううううっ!!!!

 こ、こういうことだったのですね!!

 この変態さんっ!! 


 ま、毎回見られていたのでしょうか? 

 こ、このスケベさんっ!!



「《完全治癒(パーフェクト・ヒール)》」 



 ポワァア……



 なんで裸を見られた私が傷口ごとに適切な治癒を……!! 裸など、誰にも見せたことなどないのにッ!!



「んっ……」



 お目覚めでしょうか……?

 さ、さて、どうしてくれましょう?



 ……って、私、まだ裸ッ……!!



「うぅっ、死ぬかと、」


「まっ、まだ寝てて下さい!!」



 ゴチンッ!!!!



 私は木の桶で彼の頭を力いっぱい叩いた。

 彼はまた意識を失って……、し、死んでませんよね?



 トクンッ……トクンッ……



 脈を確認してスッと立ち上がる。

 ふわふわのタオルで身体の水分を吸い、準備しておいた衣服を着て……、



「《治癒(ヒール)》……」



 ルシア様の頭のこぶに治癒を施した。



 シィーン……


 ルシア様が意識を取り戻す束の間の静寂。


 少し冷静さを取り戻した私は、『この部屋』の意味を悟り、裸を見られた羞恥心など消え去ってしまった。



「……うぅ。……ん?」



 目を覚ましたルシア様に私は冷たい視線を投げかける。



「……なにかおっしゃることはありますか?」


「は、ははっ……。あ、いや……、ご、護衛で、」


「この“仮設住宅”には魔除けの効果が付与されているとおっしゃっていたのは、どなたでしたかね?」


「こ、ここは深淵(アビス)だし、不足の事態に備えて」


「私も100mの範囲で《聖盾結界(ホーリーシールド)》を常時展開しておりますが……? この階層には魔物が生息していないのではありませんでしたか?」



 顔を引き攣らせるルシア様に思うところはありますが、私は『交渉』を成立させなければならないのです……。



「えっ、あの……いや……」


「……レティアノール様はどちらにおられるのですか?」


「い、いまは飯と洗濯……」


「……私は戦闘では足手纏いだとしても、不足な事態に陥ったとて、“時間稼ぎ”は得意とするものなのですよ……。《結界》や《浄化》などはレティアノール様にも褒めていただきましたし……」


「……ぉ、お前、俺の弟子だろ? レティアノールを基準にしてんじゃねぇよ……」


「…………」


「ジト目やめて」


「……湯浴みを覗く師など、」


「ごっ、ごめん!! 悪かった!! で、でも無理矢理押し倒したり、夜這いに行ったりもしてないんだから、」


「はぁ……。もう1ヶ月です。ルシア様がそんなことをしないのはもう理解しています……。いえ、理解していたつもりですが……?」


「し、しない! 無理矢理はしないぞ!? たとえお前の性癖に合致してたとしても、俺は対象外なんだろ? 流石に、マジで嫌がってる相手とどうこうなりたいわけじゃない! 今はもうレティアノールもいるしな!! で、でも、お前の身体は最高だ!! 男ならッ!! いや、漢ならッ! ……の、覗きはロマンなんだよ!! わかるだろ? 抱ける女はもちろんいいが、抱けない女の裸も大好きなん、」


「なにを開き直っているのですッ!!」



 スッ!!


 腕を振り上げ、ビンタをするフリをする。


 裸を見られたことをいいことに、私は私の望む未来を手にするために怒っている演技を続ける。


 私が【聖女】だなんて、なんと厚かましい。


 女であることすら武器にして、利用して……、我ながらズルい女です……。



「……ご、ごめん! 悪かった!」



 ルシア様は両手を合わせて軽く頭を下げた。


 ……謝るのは私の方です。

 私は“師”を脅すような不出来な弟子なのです。


 私はそう思いつつも演技を続ける。



「とはいえ……。はぁ……。私はあなたに生かされていますし……。はぁ……」


「ご、ごめんね?」


「はぁぁ……。しゃ、釈然とはしませんが……。衣食住のみならず……諸々、頼り切っているわけですし許さないわけにはいかないですよね……。はぁ……」


「……ハハッ、元はと言えば俺が拉致し……」


「………………」


「あ、ありがとう! 許してくれて!! さすが聖女様だなぁあ!! …………ジト目やめて」


「………………」


「……ジト目やめて」


「…………」


「ジト目……。わ、わかった、わかった!! なんか一つ言うこと聞いてやる!! 俺にできることならなんだってやってやる。調査待ちで時間はあるし、ムラムラしてるなら解消してやっても、」


「では、稽古を……!!」



「……は、はぁっ?」


「ルシア様に言われたことは毎日かかさず行っております。……そろそろ実践をご教示頂ければ……」



 ルシア様はキョトンとして苦笑している。


 ですが……、この『交渉』の結末は私の勝ちと言っていいでしょう?


 私の望む未来は……、一刻も早くルシア様に恩を返すこと。恩が積み重なって返せなくなる可能性が孕んでいたとしても、少しでも強くなりあなたの背を支えられるようになることなのです。


 ……そのためには手段は選びません。

 

「……な、なにか一つ言うことを聞いてくださるのでは?」


「ふっ……。実践……ねぇ……」



 ルシア様はポリポリと頬を掻いて呟く。



「…………先程、あなたが行っていた鍛錬を見せていただくだけでも構いませんので……」


「あぁ……。この部屋を見たからってことね……」


「…………至らぬ点はあると思いますが、少しでも早くルシア様とレティアノール様に近づきたいのです」


「ふっ……。ってか、ここはプライベートの空間なんだぞぉ? そんなに観察するなんて、セシリアのえっちぃ〜!!」



 ……ここは“覗き部屋”ではありません。


 仮設住宅にそぐわない広いスペース。

 2mほどの太さの違う木材が不規則に並んでいる。


 部屋の角には破壊された木材……。


 入り口らしき場所には木剣が並んでいる。

 柄だけが……いえ、所々黒ずんでいる床も血痕と考えていいでしょう……。


 部屋には微かに汗と血の匂いが残っている。


 ……そんな素振りは一切なかった。


 ですが、彼がここでなにをしていたのかは明白。この階層のほとんどの探索は済んでいる。


 一体、なにをしているのかと思えば……。




「1人、鍛錬に打ち込んでいた……のですよね?」


「……鍛錬ってより実力を維持するための日課だ」


「いえ……。微かに血の香りがします。幾度となく破れたであろうルシア様の手の豆……。真新しい床の血痕。どこまで自分を追い込めば、」


「悪かったなぁ! 凡才でっ!! ……チィッ、現役バリバリで血反吐吐いてる師匠なんているか、ばぁかッ!」


「……」


「忘れろ。俺は誰かに認められたくて“努力”してるわけじゃない……。俺の努力は俺のためだけのものだ。自分で考え、自分で手にする経験だ」


「……は、はぃ」



 ぐうの音もでない私は視線を伏せる。



「まっ、まぁ!! だがっ!! うん、そうだな……。一度だけ……。一度だけ、見せてやる。今、お前が自覚している全ての魔力を目に集めろ」


「……ぇっ、」


「次は魔力を、体外じゃなくて体内でコントロールするんだよ」


「は、はい!」



 意図していることはわからない。

 ひどく曖昧で感覚的な教えだ。でも、私には行動に移すという選択肢以外残されていない。



 スゥウウ……



 魔力が私に流れている。

 これを操作する……。



(…………これを……操作する?)



 スッ……



 ルシア様は私の目に触れると……、



「《魔力回路解錠(マナサーキット・アンロック)》……」



 ポツリと呟いた。


 その瞬間……、


 ズワァアッ……!!


 私の魔力が体内で暴れ狂いルシア様が触れた左眼に、ものすごい熱いものが流れ込んでくる。



「んっ、ぁっ……!!」


「……その左眼でよく見てろ。右眼は自分で開けよ」


「ぁっ……つっ……」



 あまりの熱さを懸命に耐えながら左眼を開く。



 タンタンタンッ!!!! 

 カンカンカンッ!!!!



 ルシア様が高速で動いている。

 ルシア様から立ち昇る“身体のモヤ”が流水のように滑らかに……。


 加速時、打撃時、回避時……。


 一切の淀(よど)みがない。



 バキッ!!!!



 聳え立っていた巨木の最後の1本を斬り倒したルシア様は、「ふぅ〜……」と長く息を吐いた。



 そして理解した。


 先程の連撃や高速移動が一息の時間であったこと。それを私が朧げながら“見えている”ということ。



 トコトコトコッ……



 ルシア様はバツが悪そうにこちらに歩いてくると……、



 ポンッ……



 私の頭に手を置いた。



「……これでチャラだ。左眼は無理矢理開いてるから自分で治癒しろ。感覚は掴んだだろ? 慣れるまで徐々に丁寧に……全部位に……」


「……は、はぃ」


「俺がいいっていうまで勝手に使うなよ?」


「……はぃ」


「思考回路を再構築しろ。常識を疑え。常に模索しろ」


「…………」


「自ら思考し実行することに意味がある……と、俺はそう思ってる……」


「はい。ルシア様……」



 私は裸を見られたことなどとっくに忘れていた。頭の中では、『弟子』となってから、これまでのルシア様の言葉の数々を反芻して……、




(…………あれ? 大したことを教わっていませんね)




 私は左頬を流れる液体を手で拭いながら、ヒラヒラと背中越しに手を降るルシア様を見送った。


 いつもなら、(なにをカッコつけているのですか……)と心の中で呆れるところですが、先程のルシア様の“舞”が、血涙が流れる左眼に焼き付いて離れなかった。








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