第19話 ハルマとシリウス
◇◇◇【side:ハルマ・ミカゲ】
――モッドライン王国 辺境の村“ルルド”
ガネルティ大陸、最南の小国モッドライン。
その中でも山と海に囲まれた辺境の漁村ルルド。
閑散とした住居区から山に入り、しばらく進むと少しひらけた丘に出る。
そこにポツンと建てられた一軒の家。
(やっと見つけた……。ほんと……、ルシアも無茶を言ってくれるなぁ〜……)
ハルマは苦笑しながらも、目的の人物に会えばルシアに深淵迷宮(アビスダンジョン)の情報を伝えられるとホッと胸を撫で下ろした。
「ハルマ様、ここがガネルティ大陸の“七大英雄”シリウス・ランド・コールマンのお宅なのですか……?」
声をかけたのはハルマの同行者“エギシェル”。エルフ族の女王であるリビアの側近の1人だ。
エギシェルの疑問ももっともだ。
シリウスは「英雄の中の英雄」としてガネルティ大陸のみならず、他大陸においても有名である。それなのに辺境の都市や村で一般的な住居なのだ。
ハルマはエギシェルの言葉に少し困ったように笑い、中にある気配に苦笑を深めて口を開く。
「……間違いないよ。ガネルティ大陸の七大英雄のうち5人は決して目立たないよう行方をくらませていて、2人はもう死んでるらしいしね」
「全てを手に入れた者たちが……」
「欲を掻いたツケを払わされたんだよ。深淵(アビス)の攻略は現状不可能……。たとえノアの全戦力を集めても難しいだろうし」
「……フフッ。ハルマ様でも冗談をおっしゃるのですね。ルシア様と“姫様”……ハルマ様たち幹部の皆様が勢揃いされれば攻略できない迷宮(ダンジョン)はもちろん、落せない国などありませんよ!」
「ハハッ、深淵(アビス)は無理だよ。ルシアやリビア嬢……、他の幹部たちが勢揃いでもね」
「そんなはず……」
エギシェルはハルマの顔を見て言葉を止める。
「エギシェル……。ガネルティ大陸が他の大陸に比べて魔物や魔族の質が低いのは、深淵(アビス)があるからだよ」
「……」
「ちゃんと強い魔物たちは逃げ出すのさ。広大な『大陸』からね。残ったのは危機意識の低い人間たち……。だから、ガネルティ大陸には人間(ヒューマン)が多いんだ」
「……ルシア様がおられる深淵(アビス)とはそれほどまでに過酷な場所なのですね」
「ああ。でも……心配ないよ」
「も、もちろんです! “7人”も帰還しているのですし、ルシア様なら間違いなく無傷で生還されます!!」
「……今のルシアがいる場所から帰って来たのはシリウスだけさ。他は3階層や2階層から。まぁ、生きて帰るってことがそれだけ難しいってことなんだけど」
「ル、ルシア様なら大丈夫です!! きっとボケーっとされた眠そうなお顔でひょこっと帰ってきますよ! あの方が命を落とすところなど想像できません!!」
「ハハッ! 確かに。ルシアの命がかかった時の危機管理能力は尋常じゃない。僕たちが有益な情報を持ってくるまで、何年でも今の拠点を離れないだろうしねぇ」
ハルマの言葉に顔を青くするエギシェルはエルフ特有の端正な顔を盛大に引き攣らせる。
「……う、噂なのですが、ルシア様は“初恋の女性”と一緒だとか?」
「…………ハ、ハハッ。ど、どうだろうね……」
「い、いつも無表情で無口な姫様がここのところ口数がかなり多くてですね……。エルフ族の者たちは、も、もう恐ろしくて仕方がないのですが……、もしかしてルシア様がご帰還されるまで、ずっと続くのでしょうか……?」
「…………」
「ハルマ様……?」
「よ、よし! 急ごう! シリウスからいい情報を手に入れようね!」
「……は、はぃっ」
今にも泣き出しそうなエギシェルに、ハルマは(お気の毒に……)と心の中でエルフ族を憐れみつつ先を歩いた。
近づいてきてもやはりなんの変哲もない住居だが、
ズズズッ……
中から漏れている“魔除けの魔力”は相変わらず高密度であり、家主が平凡な人物ではないことを理解する。
――認めたくはないが、現時点ではアイツは俺より強い。
ハルマはルシアの言葉を思い出しながら手を伸ばした。
コンコンッ……
控えめなノックの効果は絶大だろう。
ハルマはノックと同時に、周囲の魔除けの魔力を力技で薙ぎ払ったのだ。
キィー……
ゆっくりと開いた古びたドア。
中から顔を出したのは、すっかり正気が抜けている老いた“旧友”の無表情……。
「探したよ、“シリウス”……」
「……」
「悪いんだけど、深淵(アビス)について教えてくれる?」
「…………まぁ、入れや」
ハルマは「ハハッ……」と苦笑してシリウスの家に足を踏み入れてから振り返る。
「行くよ、エギシェル」
エルフ族の中でもリビアの側近を務めるほどの実力者であるエギシェルは震える足にグッと力を入れると、
「…………は、はいっ!」
威圧されているかのようなシリウスからの魔力圧を自らの力で払うように返事をした。
◇◇◇【side:シリウス】
「……元気にしてた? ……って、元気にしてたらこんな場所で余生を過ごしてないよね、ハハッ……」
ハルマの苦笑を、ワシはぼんやりと見つめた。
(不老不死の呪いは健在のようじゃの……)
懐かしい苦笑は一切の老いを感じさせない。
腹黒そうな顔して人1人殺せない“悲劇の勇者”にして、あの“イカレた戦闘狂(バーサーカー)”の右腕。
「……お前は元気そうじゃな」
ワシは「ふっ」と鼻で笑いながらハルマに言葉を投げる。
「ああ、めっちゃ元気! ノアは快適だし平和そのものだからね!」
ワシは死ぬことができないハルマへの皮肉も混ぜたのだが、ハルマには通じなかったようだ。
「…………」
緊張した面持ちで自分の挙動に神経を張り詰めているエルフと無防備に笑みを浮かべるハルマが対照的だ。
エルフを目の前にしたのは三度目。
――いつまで経ってもヒロイン不在とかふざけまくってるから、こっちから嫁を探しに行くんだよ!
このエルフが“アイツ”の嫁かどうかはわからないが……、いや、アイツが嫁とハルマを2人きりにはしないか……。
――つ、付いてくるな! 俺のヒロインを探しに行くんだ! お前みたいなイケメンに用はねえんだよ!
ーーえぇー、やだよ。僕を助けたのはルシアだろ? アハッ! ちゃんと責任とってよ。
懐かしい……。
あぁ……本当に懐かしいの……。
「……“アイツ”は一緒じゃないんか?」
「あぁ〜……、というのも、僕がシリウスを尋ねたのはルシアに関係してるんだ」
「……どういう意味じゃ?」
「単刀直入に聞くんだけど……、深淵迷宮(アビスダンジョン)の地図ってあったりしない?」
小首を傾げたハルマの言葉に心臓がバクンッと脈打つ。
ゾクゾクッ……
途端に背中に虫が這った感覚が襲い、全身が小刻みに震え出したのを自覚する。
「実はルシアが深淵(アビス)に追放されちゃってさ。多分、シリウスが描いた転移陣に飛ばされたんだけど?」
「…………」
「……ほんと、いい迷惑だよね」
ハルマは呆れたように口にしたが、それはワシへの言葉なのか、アイツに向けられた言葉なのかは判断がつかない。
一方通行の転移陣。
『いつかもう一度アタックして攻略したる』
死んでいった仲間たちの無念を晴らすためにも……。巻き込んでしまった“レイラ”への責任を取るためにも……。
そう決意して魔法陣を描いた。
“いい迷惑だよね”
この言葉は自分自身が2度と使うことのできない転移陣を描き、地獄への片道切符を生み出してしまったのはワシへの言葉なのか……。
それとも今では罪人を裁くうえで1番重い刑罰となった深淵(アビス)への追放……そのような重罪を犯したルシアに向けられた言葉なのか。
――僕はルシアのために生きるって決めたから。
ハルマは澄んだ瞳で、恥ずかしげもなくこんな言葉を言い切った男だ……。言葉が誰に向けられているかなど、そんな事はわかりきっている。
「す、すまん……。全部、ワシのせいじゃ」
「…………」
「ま、まさか各国に広まるなんて……ましてや、罪人への刑罰になるなんて思ってもなかったんじゃ! ワシはワシのために……、ワシだけのために“アレ”を描いたんじゃ!」
「……だよね。お前はそういうヤツさ」
「……し、死ぬ気でもう一度アタックするつもりだったじゃ! 死んだアイツらぁのためにも! もう一度ッ……!」
「…………」
「じゃけど……、じ、地獄なんじゃ。あそこはホンマに“現存する地獄”なんじゃ!! 攻略よりも帰還することが、どれほど絶望の連続じゃったか……!!」
「……」
「ヮ、ワシには無理じゃ! もう2度とあそこには行けん! もう一度行くくらいなら死んだ方がマシなんじゃ!! じゃ、じゃけど……、アイツらの死に顔がこびりついて離れやせん……。ワシはもう一度行くことも、死ぬこともできずにこんなしょーもない生活を、」
ドガッ!!!!
テーブルを叩き割ったハルマに言葉を失う。
いつも笑顔を絶やさないはずじゃった優男の鋭い視線に身体が硬直した。
「知るかよ……そんなもん」
「……ハ、ルマ?」
「こっちはお前の後悔や言い訳を聞きに来たんじゃねぇんだ……。お前のこれまでもこれからにも一切の興味がねぇ」
「……」
「さっさと深淵(アビス)の情報をよこせ……」
「……ァ、ハハッ……。わ、悪いの……。取り乱したわい」
「本当に老いたんだな、シリウス……」
「……」
「僕らと魔境大陸を回ったのが、はるか遠くに感じるよ
「……。そ、そうじゃな。“お前ら”はちゃんと忠告してくれとったもんな……。……欲を掻いて、全部できる気になって勘違いしたんは、ワシじゃ……」
頭を抱えるとフラッシュバックする。
――お前は強いが深淵(アビス)はやめとけ。
――まぁ、僕より弱いしねぇ〜。
――ワタクシも賛同できませんね。
バカのルシアが……。アホのハルマが……。
結局、ついて来てくれた“レイラ”が……。
――もう一度、ルーとハルと会いたかったですが、ワタクシはシリウス様について来て後悔はありませんよ……?
ジワァ……
目の前の景色がボヤける。
愛していたレイラの美しい死に顔を数年ぶりに思い出し、すっかり枯れ果てていたはずの涙が溢れてくる。
「……シリウス。僕はお前だけでも帰って来てくれてよかったと思ってるよ……」
ハルマの声色はどこか寂しげでひどく温かい。
魔鏡大陸を共に過ごした戦友の声に涙が加速する。
「ァ、アビ……“あそこ”の情報じゃったな……。悪りいけど、関連するものは全部燃やしちもうた……。あそこに行く転移陣も、帰還時のマップも生態系の考察資料も……」
「……そうなのか」
「……本当にすまんの」
「……ま、まぁ、仕方ないさ!! こちらこそ、悪かったね。思い出したくないような場所のことを思い出させちゃって……」
「……いや、ええんじゃ。……ワシが帰還できたのは運がよかっただけじゃし、あそこではマップなんて何の意味もないけん……。連続する階層転移、幻影、行き止まりに、バカみたいに屈強な魔物共……。あそこで信じられるものなんてなんもない……」
「……」
「元はと言えばワシの責任じゃ……。アイツが……、かつての戦友があそこにいるって言うなら……、精一杯の力になりたい……」
「……シリウス」
「そうせんと……、レイラに合わせる顔がないからの」
久しぶりに自然と笑顔を浮かべた気がした。
腐り切っていた毎日に少しだけ光が見えた。
――俺もいつかは行くつもりだし、それまで我慢してろよ。“バカウス”!
どんな逆境でもその状況を楽しんでしまうような、イカれた戦友の言葉を思い出したからかもしれない。
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