第2話 ファーストキス





   ◇◇◇【side:セシリア】





(……わ、私はなんて態度を取っていたのでしょう)


 あまりに衝撃的な出来事に未来への焦燥感が……。いえ……、あまりに気が動転していたとはいえ、“恩人”に対してなんて暴言を……。


 勇者の消失……。

 それは王国が魔族に抗う術を失ったということ。


 この王国に住まう民が苦しむと言うこと……。私の悲願が叶わないということ……。


 人間性はともかく、勇者“アーサー”は人ならざる実力を持っていたことは疑いようのない事実。


 機嫌を損ねないように振る舞っていた結果、“このような事態”に陥ってしまった。勇者が私を辱めようとしたのも事実。私がこの男性に救われた事も事実。



(八つ当たりもはなはだしい……)



 もし、彼が勇者を斬らなければ私は今頃……。



 ゾクッ……



 思い出して背筋が凍る。

 小刻みに手が震えているのは、先程の絶望と恐怖が蘇ってきた証拠のよう……。



「で? 俺はどうすればいいわけ?」



 声をかけられてハッとする。


 無造作に伸びた黒髪から覗く黒紫の瞳。

 彼は不機嫌さを隠そうともせず、眉間に皺を寄せる。やけに迫力があるのは目の下のクマも一役買っているようです。



 ――国民共には俺を責める権利はあるだろう!!



 彼は真っ当に罪を償おうとしている。急な出来事であったはずなのに、この数分で『勇者』を屠ってしまった“重さ”をちゃんと理解しているのです。


 それなのに、私は……。


「そ、そうですね……」


 ポツリと呟いて再度、彼の発言を思い出す。



 ――勇者だか聖女だか知らないけどなぁ……、アブノーマルなプレイしてんじゃねぇ!!!!



 なっ、なにをどうすれば……。

 い、いけません。裸を見られた恥ずかしすぎて顔が熱くなってしまいます。と、とにかく彼の勘違いを解かなければ……い、いえ、これからの展望をお伝えるべきでしょうか?


 って、違います!!

 まずは謝罪と感謝をお伝えしなければッ!



「ま、まずは先程の暴言の数々を謝罪致します。本当に申し訳ありませんでした……。そ、それから……、助けていただき心から感謝申し上げます……」



 勢いよく頭を下げた私はギュッと目を瞑る。


 簡単に許されるような事ではありません。恩を仇で返したようなもの……。私は彼のどんな言葉も受け入れなくては……、



「ふっ……、なにをいい子ちゃんぶってるんだ? めちゃくちゃに犯されて興奮するようなクソビッチのくせに」



 斜め上の侮蔑の言葉に私は勢いよく顔を上げる。



「なっ!! そ、それは勘違いです! 私は、」


「あー無理無理。そんな真っ赤な顔で説得力なんてねぇから」


「……わ、私は聖女です。そのような嗜好はありません!」


「……どうだかな。今も顔を真っ赤にして。……ふっ、お望みとあれば俺が付き合ってやってもいいんだぞ?」


「なっ、なにをッ! 私は、」



 私の言葉を遮るようにグイッと腕を引き寄せられ、



 ふにっ……



 唇に柔らかいものが押し当てられる。


 全身が固まりピクリとも動けない。彼の顔は目の前にあり、私は唇を奪われたことを今更ながら自覚する。



 パチンッ!!



 半ば無意識に彼の頬を叩き、遅れて顔に熱が込み上がる。



「ははっ……、やっぱりこういうのがいいんだろ?」


「なっ……!! ふ、ふざけないで下さい!! こ、こんなことをして許されるとでも思っているのですか!?」


「ふっ、その顔じゃ説得力ねぇけど?」


 私の顔からは火が噴き出そうだ。

 だ、だってそれもそうでしょう!? わ、私のファーストキスがこんな……。


 ゴシゴシッ……


 私は強引に唇を拭い、彼を睨みつけた。


「い、一体なにを考えているのですか!? 無理矢理このようなことをしてッ……!!」


「ククッ……なにを寝ぼけてるんだ? “こういうの”がいいんだろう? お前らの性的嗜好で俺の人生は無茶苦茶になったんだ。キスの1つや2つで、」


 私はまた腕を振り上げ、彼の顔めがけて勢いよく放つが……、


 ガシッ……


 私の手が彼の頬に届くことはなかった。


「ふぅー、ふぅー、ふぅー……」


 自分の鼻息がうるさい。楽しげに口角を吊り上げる彼の頬をぶってやりたいのに、それは叶わない。


「「…………」」


「は、ははっ……こりゃ、まいった……。顔が良すぎるな、お前……。心臓が壊れたみたいにうるさい……。……で? 次はどんな顔を見せてくれる? もう一度キスすれば、」


「あなたも勇者と変わらない下衆(ゲス)です!」


「……ククッ。まあ否定はしないよ。俺はクズだ。……だが、空気は読める。本当に嫌がっている相手に無理矢理キスなんてしないからな」


「……まったく読めていないようですが?」


「嘘つくなよ。本当はNTRもご所望なんじゃねぇの?」


「……最っ低です」


「……ん?」


「早く手を離して、2度と私に触れないで下さい」


「………………えっ? まじ? それ怒ってる演技じゃなくて?」



 彼は途端に顔を引き攣らせ始めて苦笑を浮かべる。


 なっ、なにがどうなれば……“そう”なるので……いえ、そもそも彼は勘違いしたままなのですから、本気で私がそのような嗜好を持っていると……?



「ふ、ふざけるのもたいがいにして下さい!!」



 私はもう片方の手を振り上げ勢いよく放つ。



 パチンッ!!



 乾いた音と共に彼の頬には私の手形がくっきりと浮かび上がると、彼は「いてて……」と自らの頬に手を置いてまた苦笑を浮かべる。



「……な、なるほど。恋人同士での“プレイ”であって、本当にそうされるのはイヤってわけか。それは悪いことをし、」


「そ、そうではなく、私は!!」


「ごめんなさい!!!!」


「……あ、謝って済むような、」


「チィッ……」


「……な、なぜあなたが怒るのですか?」


「違う。お前じゃない」


「た、確かに私はあなたに対して許されない言動をとってしまいましたが、先程の行為はそれとは別の問題、」


「ちょっと口を閉じろ……」



 グイッ!


 彼の手に口を塞がれ、私は再度頬をぶとうと腕を振り上げたのですが……、



「《解析(アナリシス)》……」



 ズズッ……


 彼は両眼を紅く変化させた。


 途端に「はぁ〜……」とため息を吐いて私を解放すると、チャキッと腰元の剣を抜く。


 えっ……? いや……。

 ……な、なんなのですか!!

 も、もしかして次は力づくで……?


 

「……《剣施錠(ソード・ロック)》」



 剣を握る手に淡い光が浮かぶ。私は警戒するように剣の間合いから抜け出しつつ、自衛の構えをとる。



(……魔法陣はなし……。2つとも魔法ではありませんね。『天職』のスキルでしょうか……? まずは結界を張り……ん?)


 

 私は知らずのうちに周囲を取り囲まれていることに気がつき、慌てて周囲を視認する。


 威嚇の咆哮も土を踏む足音も……気配もない。


 

(これは……、《気配遮断》を得意とする狼(ウルフ)。討伐難度[A-]の暗殺狼(アサシンウルフ)……ですか……)



 ……それも群れとなれば難度は跳ね上がるでしょう。


 姿が消えると称されるほどの《気配遮断》。別名「不可視の狼(インビジブルウルフ)」とも呼ばれる個体の群れ……。



「ふぅー……」


 私はゆっくりと息を吐いた。


 これは怒りに囚われている場合ではありませんね……。


 勇者の亡骸はどうすべきでしょうか?

 “聖剣”は確実に回収しなければなりません。


 とはいえ……、私の魔力残量は?

 自身に強化魔法(バフ)をかけたとして勝算は? 結界との二重展開を維持できる時間は?



 ツゥー……



 コメカミから汗が伝う。

 ……思うところはありますが、彼への暴言に対する罪を償うのなら今なのかもしれません。


 再度、深呼吸をして心を落ち着かせる。

 


「……あなたはお逃げ下さい。私が時間を稼ぎます」


「……はっ?」


「暗殺狼(アサシンウルフ)の群れともなると、難度は[S-]か[S+]……。あなたは自身が生き残ることだけお考え下さい。それが救われた恩人に悪態を吐いた私にできる唯一の、」

 

「はぁー……、まったく、嫌になる。どうして“お前たち”はいつもそうなんだ? 世界のために戦ってりゃ、見た目で判断して決めつけていいってのか?」


「……はぃ?」


「俺が“助けてくれ”と言ったか? “あなた様”のように泣き叫びましたかねぇ? ……どうしてあなた様のように『天職』や『魔力』に恵まれたヤツらは、俺みたいに日稼ぎのクエストばかりこなす冒険者を軽んじるんですかぁ……?」


「ぃ、いえ、そんなつもりは……」


「ふっ……、まぁ、あんたの目にはひどく頼りなく見えるんだろうな。勇者様が常に一緒だったんだろうし……」



 彼は口角を吊り上げ「ふっ」と鼻で笑う。



「……ここは俺が片付けるよ。理由はどうあれ俺が斬った男の血に誘われて来たみたいだし、さっきの無理矢理のキスへの詫びだとでも思ってくれればいい」



 彼は小さく「不快にして悪かったな」と謝罪を残し、ポンッと頭を撫でて私の横を通り過ぎた。



 私はここで初めて『出会い』を思い出した。



(……なぜ彼は“勇者の首”が斬れたのだろう?)



 相手は『勇者』なのだ。……いくら不意打ちとはいえ、「凡人の剣」で「勇者の首」を一刀両断できるはずなどなかったのだ。











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