第4話:魂魄の支配者

「……ん……あ、れ……?」


 不意に意識が戻り、頭の後ろに柔らかさと温もりを感じて目を開ける。

 しばしの間視界がぼやけていたものの、何度か瞬きをすると徐々にピントが合うように鮮明になって行った。


「……目が覚めた、ネロ?」

「アルマ様……?」


 視界に写り込んだのは、上から見下ろすような形で僕の顔を覗き込むアルマ様のご尊顔。

 しかしこれは明らかにおかしい。この距離とこのアングル、そして後頭部に感じる温もりと感触。これは膝枕してくれているのでは? しかもアルマ様の表情もおかしい。見た事も無いくらい慈愛に満ちた微笑みを浮かべていて、僕を愛しそうに見つめて頭を撫でてくれている。

 何だこれは。夢か? 都合の良い夢なのか? それともこれが天国? こんな美味しいシチュエーションが現実になるわけがないし、それしか考えられない。

 ああ、そうだ。思い出した。僕は自ら心臓を爆発させて自決したんだった。ならばこれこそが天国で、このアルマ様はアルマ様の姿をした天使という事か。きっと僕の愛に胸を打たれた天使が、今際の際のご褒美として僕の願いをほんの少しだけ叶えてくれているのだろう。


「……ありがとう、天使様。僕は満足です。さあ、あの世に連れて行ってください」

「って、ちょっと!? 目を閉じるな! 逝こうとするなぁ!?」


 なんて幸福を抱いたまま目を閉じ天に昇る瞬間を待とうとしたのに、天使様が僕の身体をガクガクと揺する。しかも泣きそうな声で。

 目を開けてみれば、怒りと悲しみに複雑に歪むアルマ様のご尊顔。この天使様、随分と再現度が高くてサービスが良いな?


「さてはあんた何か勘違いしてるわね!? あんた死んで無いから! 生きてるから!」

「生きてる? 何を馬鹿な。心臓を爆発させてほぼ即死したのに生きてるはずが――あれ?」


 言われて僕は気付く。自分の胸に手を当てた事で。

 僕の手に返って来たのは自身の胸板の固い感触と、その下で元気に働く心臓の鼓動。思わず自らの胸を揉むように探ってみるも、そこに内側から弾けた傷痕は無い。

 というか斬り落とされたはずの右手も普通にくっついているぞ? おかしいな? もしかしてあの世に行く時は綺麗な身体で逝けるとかそういう感じなのだろうか。いや、でも心臓が鼓動までしているのはおかしくないか? あれ? もしかして本当に僕、死んでいない感じか?


「……生きてる?」

「そう! そうよ! やっと分かってくれたわね、馬鹿弟子!」


 ようやくその事実に気が付くと、天使様――もといアルマ様は大変お喜びになった。花開くように愛らしい笑みを浮かべ、目尻に涙さえ浮かべるほどに。

 なるほど、どうやら僕は一命をとりとめたようだ。確かに心臓を爆発させたはずなのだが、何故生きているのだろうか? それに周囲の状況もかなりおかしい。


「アルマ様、これは一体どういうことですか……?」


 名残惜しいが膝枕を離れ、上体を起こして周囲を見る。

 風景は変わらず山中にあるログハウスの前。そこにいるのはパラス本体と、パラスの分体に寄生された二人の男女――なのだが、その三人は凍り付いたように動かない。何のつもりかは知らないが、指先一本眉一筋すら動かさず、ピタリと静止している。

 よくよく見ればその静止現象はパラス達だけではなく、周囲の全てに及んでいた。空を飛ぶ鳥たちは羽ばたきもせず凍り付いたままそこに浮かんでおり、舞い落ちる木の葉も同様だ。僕とアルマ様以外、何一つ動いていない静止した世界が広がっていた。

 加えて、周囲から一切の音を感じない。僕とアルマ様の声や衣擦れの音以外何も聞こえない、いっそ不気味なほどの静寂が辺りを支配していた。


<時間停止>タイム・ストップ――時間を止める魔法を使ったの。私の、本当の魔法を使ってね」

「時間、停止? 本当の、魔法……?」


 当然のようにアルマ様は答えてくれたが、ちょっと理解できない。

 アルマ様の魔法は精神魔法では? それなのに一体何がどうして時間を止める事が出来るのだろう? 時を操る魔法は<グランシャリオ>第一位の魔法のはずだ。


「私の魔法、本当は精神魔法じゃないのよ。効果を弱めて限定的にしてそういう風に使ってるだけで、本質は近いけど全く別の物。私の本当の魔法は――魂魄魔法。自他の魂に干渉して自在に操る魔法よ」

「……はい?」


 疑問しか浮かんでこない僕に対して、アルマ様は丁寧に説明を始めてくださった。しかし障りの時点でもう驚愕に満ちた内容だった。

 実は精神魔法使いではなかったという事にも驚きなのに、魂を操る魂魄魔法という、精神よりも更に深そうな領域に干渉する魔法が使えるという事実。ちょっと開いた口が塞がらない気分だった。


「魔法や魔術の才能は遺伝しない。それはつまり、魂の力だから。そして魂を操る私は、自分の魂に干渉して魔法の才能をも自在に得る事が出来る。私はこの力で第一位の人の魔法――時空魔法を使って時を止めたの。ネロはギリギリ死んでなかったから、治癒魔法も何とか間に合ったわ」


 そこに畳みかけてくるのは、魔法の才能すら自在に得る事が出来るという神にも等しい力の証明。僕の愛で編み上げた氷の鎧を纏っていないのも、そのお力で僕の魔法を用いて自ら脱ぎ去ったのだろう。

 最早凄いとかそういうレベルを遥かに超越している。他者の精神や魂魄を己が意のままに改変し、多種多様な魔法を自在に操れるその力。時空魔法を持つ<グランシャリオ>第一位の魔法使いが世界最強だと思っていたが、それは誤りだった。僕のお師匠様、アルマ様こそが世界最強の魔法使いだったのだ。


「アルマ様、それは……凄すぎ、ますね……」

「まあそうよね。自分の事ながら私もそう思うわ。この魔法は途轍も無く凄い物で、危険で、面倒なもの。あんたならその理由は分かるわよね?」

「はい。真実を知れば、誰もがアルマ様に願うでしょう。魔法の才能を自分にも与えてくれ、と」


 アルマ様は魂を操る事が出来る。そして自らの魂に干渉し、魔法の才能をも得る事が出来る。ならばそれを他人に出来ない道理は無い。才を持たぬ者はこぞってアルマ様のお力に縋り、自らに力を与えてくれと願う事だろう。持たざる者からすれば、魔法とは簡単に使える万能で強力な力にしか見えないのだから。


「むしろそれで済むならまだ良い方です。アルマ様を神と崇める狂信者や、あまりにも危険な存在として排除を考える者たちが大勢出てくる事でしょう。そうなってしまえば、最早アルマ様に平穏はありません」


 他者に魔法の才能を与えるなどという力は、最早世界の均衡を崩すレベルの力だ。それでなくとも国同士のパワーバランスや人間関係すら容易に乱す。

 正直な所、精神魔法ですらギリギリという所だ。アルマ様に何の野心も望みも無いという状態だからこそ、成り立ち認められているに過ぎない。魂魄魔法などという強大な力が知られてしまえば、アルマ様の日常は間違いなく脅かされる。誰もが様々な欲望を抱え、亡者の如く群がるのは自明の理だ。


「そう。だから私は本当の魔法をずっと隠してた。精神魔法なんて嘘をついて、あたかもそれが自分の魔法みたいに使ってた。これは絶対誰にも明かす事はない、墓まで持って行く秘密。そう決めてたわ。だけど――」


 一旦言葉を切り、瞳を鋭くして僕を睨みつけてくるアルマ様。しかしその頬は赤く染まっており、どちらかと言えば照れ隠しに近い感情なのは一目瞭然だった。


「あんたが、悪いのよ? 無遠慮に土足で私の心に入ってきたかと思えば、私を信頼させた責任も取らずにいなくなろうとするなんて……だから私は、この封じてた力を使ったの。責任取るまで、絶対に逃がさない。こんな夢も希望も無い汚い世界に私を生かすつもりなら、ずっと私の隣にいなさいよ」

「っ!?」


 そして、惚れ惚れするほど男前な台詞をぶつけてくる。あまりの破壊力にもう一度心臓が止まりそうになってしまったほどだ。絶対に逃がさない、ずっと自分の隣にいろ。これは、もしや……?


「そ、それは……プロポーズと解釈しても、よろしいんでしょうか?」

「はあっ!? ぷ、プロ……!?」


 どうやらそういう訳では無かったらしい。ドキドキしながら尋ねると、途端にお顔を真っ赤にして狼狽えていた。ああ、本当に恥じらう姿が可愛らしい……。


「いや、まあ、うん……そう、そうね。あんたは――ネロは、文字通り命を賭けてまで私への愛を貫いてくれた。揺るぎない愛と献身を証明してくれた。きっとあんたは、死んでも私を裏切ったりしない。そんなあんたとなら、そういう関係になっても……良いかも、しれないわね……」


 しかしあろうことか、もじもじしながら肯定とも取れる答えを返してきた。

 え、まさか本当に今のはプロポーズという事で良かったのか? 嘘だろ、ここにきて僕の願いが叶うのか? そんな都合の良い事があって良いのか?


「ううん、違う。そんな言い方じゃ駄目ね。また後悔する事になったら嫌だもの。それに裏切られるのが怖いから認めたくなかっただけで、本当はずっと思ってた」


 歓喜と疑念の狭間で揺れ動く僕に対して、アルマ様は真っすぐ視線を合わせてきた。相変わらずお顔は赤いまま、けれど幸せそうな微笑を浮かべて。


「――好きよ、ネロ。あんたの事が、大好き。薄汚い人間不信の野良猫の私を、ずっと愛して尽くしてくれたあんたの事が、大好き」

「アルマ様……!」


 そして、愛の言葉を口にしてくれた。僕の事が好きだという、紛れも無い両想いの証明を。

 狭間で揺れ動いてた感情は瞬く間に歓喜に振り切れ、いっそ涙すら込み上げてくる。ああ、ついに僕の想いが、ひたむきな愛が通じたんだ……! アルマ様の頑なな心を解き解し、全幅の信頼と確かな愛情を得る事が出来たんだ!


「ぐすっ……嬉しいです、アルマ様。僕たちはようやく、両想いになれたんですね……!」

「そ、そんな泣くほどなの? もっと普通に喜びなさいよ。じゃないと、その……私も、恥ずかしい……」

「ううっ……す、すみません……ではこれで、僕たちは恋人同士になれたという事で、よろしいんでしょうか?」

「そ、そうね。そういう事、ね……」


 何だかお互いに恥ずかしくなって、時の止まった世界でお互いから視線を背ける。アルマ様のお顔が真っ赤なのは勿論の事、僕の顔も猛烈に熱い。きっとアルマ様に負けず劣らず、頬を赤らめているんだろう。ああ、こんな初心な羞恥は初めてかもしれないな……。


「あっ、そ、そうだ!? ていうか、その、私の呼び方変わってない!?」


 不意にまるで恥じらいを誤魔化す様に、アルマ様が若干上擦った声でそう叫ぶ。

 そういえば確かに先ほどから『お師匠様』ではなく、『アルマ様』と呼んでしまっていたな。


「申し訳ありません、お師匠様。ちょっと衝撃的な出来事が多すぎて、つい心の中での呼び方をそのまま口に出していました。ご不快な思いをさせてしまいましたか?」

「いや、別に……っていうか、その……呼び方は、さっきまでの方が良いかも……」

「……アルマ様?」

「んんっ……!」


 どうやらアルマ様的には『お師匠様』呼びより、『アルマ様』呼びの方が胸に来るものがあるらしい。試しに呼んでみると嬉しさを誤魔化すような咳ばらいをしていた。尤も尻尾がピンとご機嫌に立っていたので、誤魔化しは出来ていなかったが。


「と、とにかく! 恋人云々はこの件を片付けてから改めて話しましょ! まずはコイツらに制裁を加えて、絶望ってものを味わわせてやらないと!」

「そうですね。一刻も早くお話したいところですが、僕もコイツらに関しては腹に据えかねているものが多々あります」


 コイツら――パラスたちのせいで、危うく僕は物語から退場し、真の主人公にヒロインを託す損な役回りをするところだった。

 百歩譲ってそれは良いとしても、コイツらはアルマ様のお身体を乗っ取るなどというあまりにも不遜な真似を働こうとしていたのだ。挙句にアルマ様の魔法を馬鹿げた教義の実現に使おうなどという、度し難い蛮行を計画している始末。絶対に許せる事ではない。


「でしょ? やろうと思えば魂を木っ端微塵にして殺す事だって出来るけど、そんなんじゃ私の腹の虫が収まらないわ。力の違いってものを分からせて、絶望のドン底に叩き落してやるわよ、ネロ」


 アルマ様もアルマ様でだいぶおキレなさっているようで、非常に好戦的な笑みを浮かべている。普段の自虐や自己肯定感の薄さはどこへやらといった具合だ。

 けれど、ああ……そんな勝気な表情を浮かべるアルマ様もまた可愛らしい……。


「はい。師弟として、そして恋人として初めての共同作業ですね」

「そ、そうね。それじゃああんたのお手並み、拝見させてもらうわよ?」

「はい!」


 ポッと頬を染めながらも肯定してくださるアルマ様に、僕は気合たっぷりに頷いた。胸の中に再び意志の力、もといアルマ様への愛を燃え上がらせながら。

 さあ、行くぞ! 僕とアルマ様の仲を引き裂こうとした愚か者共に、愛の鉄槌を下してやる!



------------------------------------------------------------------------------------------------


 めでたく両想い。からの一転攻勢タイム。魂そのものを操るお方に、憑依しか出来ない奴が勝てる道理は微塵も無い。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る