第3話:永遠の愛を貴女に捧ぐ
「良いだろう。私たちの魂に賭けて、ネロ・アグノスに危害を加えない事を約束しよう」
「もちろん肉体を奪った後に殺す、などという真似をするつもりも無い。安心すると良い」
その言葉と共に、再び僕の身体が勝手に動いて立ち上がる。切り飛ばされた腕が相変わらず燃えるように熱いが、今度は感覚以外の全てを支配されているので悲鳴も出せない。そしてそれは、アルマ様に対して自分を見捨てて欲しいと懇願する事も出来ないのと同義だった。
「ああ、ついに精神魔法が私たちの物となる! これで教義の実現という悲願を達成できるぞ!」
「我が神よ、敬虔な信徒でありながら魔法を扱うこの哀れな罪人を、どうかお許しください!」
「……今、何て言った?」
絶望していた僕は、分体が僕の口を用いて紡いだ言葉に更なる怖気と戦慄を覚えた。
いや、それを感じたのは他ならぬアルマ様だろう。パラスの言葉に顔から完全に血の気が失せた状態となっており、今にも倒れそうになりながら問いを投げかけている。しかしそれも当然だ。教義の実現だの魔法を扱う罪人だのとのたまう奴らなど、思い当たるのはたった一つの集団だけだ。
「あんたたち、まさか……
「気が付いたか。そうとも、私は
「う、嘘……嘘よ! 奴らは魔法なんて認めない! 魔法を使えるってだけで、例え子供だろうと浄化の対象になる! 憑依魔法なんて使えるあんたが、奴らの一員なわけない!」
ありえない。ありえてはならない。アルマ様は恐怖と絶望に表情を歪ませながら、拒絶するように必死に叫ぶ。
だがそんな反応も当然だった。魔法を使える呪い子でも
「情報が古いな、アルマ・コラソン。
「信仰の、転換……?」
「そう、確かに魔法と魔術は神の領分を犯す唾棄すべきもの。だがその力を振るわぬ我々では、奴らを全て浄化する事など出来ない。自分たちを上回る力を持つ者たちを駆逐するには、こちらも同等かそれ以上の力を持たねばならないのだ」
「故に、我らは覚悟を決めた! 唾棄すべき力を用い、浄化されるべき存在に身をやつしてでも、成し遂げるべき大義があるのだと! それこそが真の信仰だと!」
僕の身体を使い、両手を広げ天を仰ぐパラス。視線が上に向いているせいで見えないが、恐らく他の分体も本体も同じポーズを取っているのだろう。
論理自体は理解できる。相手が武器を使うから自分たちも武器を使う。それでようやく対等になる。極めてシンプルな論理だ。そこに狂気に満ちた教義や信仰さえ拘わっていなければ。
「神のため、許されざる神の力を振るい、神の力を我が物顔で振るう大罪人共を浄化する執行官の一人――それこそがこの私、パラス・イツラなのだ!」
自らが背教者に落ちてでも教義を実現するという、矛盾に満ちた信念。それを崇高なモノのように語る気色の悪さ。それを本体と分体が合唱し、なおかつ僕の声までそこに参加させられている忌避感。込められたおぞましい狂気に吐き気を催してしまうほどだった。
「な……何よ、それ……」
僕は嫌悪に吐き気を催す程度で済んでいたが、アルマ様は違った。血の気の失せた顔をして、力なくその場に膝を付いてしまう。
「魔法を使う、執行官……? 魔法を使えても、良いって事? じゃあ、私は……一体、何のために……」
そうしてぞっとするほど暗い、光を失った瞳でぶつぶつと呟き続けている。
トラウマとなっている苦痛に満ちた凄惨な過去が、無意味な拷問だったと突きつけられたのだ。心が壊れそうになるのもごく当たり前の反応だった。
ああ、何て事だ。人が心からの絶望を覚えた瞬間の表情を、二度も目の当たりにしてしまうなんて。それも二度とも同じ人物で、愛する人の絶望などとは一体何という運命の悪戯か。
全力で慰めてあげたい。抱きしめて愛を伝え、甘やかして何とか絶望を払拭してあげたい。けれど今の僕は肉体を奪われ、眺める事しか出来ない傍観者。記憶の世界の時と同じく、何もできない無力感に苛まれる他に無かった。
愛しい人が絶望の底にいるというのに、慰めるどころか手を差し伸べる事すら出来ないとは何という無能なのだろう。いっそ男に生まれてきた事が恥ずかしくすら思える程だ。今は切り落とされた腕よりも心の方が激しく痛んでいた。
「さあ、今こそ精神魔法を我らの手に!」
神を称え懺悔する分体たちの間から、パラス本体がアルマ様に向かって歩き出す。
ああ、マズイ。コイツがアルマ様に触れたらそれで終わりだ。アルマ様の肉体が奪われ、魂の死を迎えてしまう。アルマ様は僕という人質がいるからその結末を受け入れるつもりだし、仮にそうでなくとも今の心神喪失状態では抵抗も何もできない。
こんな危機的状況で僕は何をしている? 記憶の世界と同じ、傍観者でいようなどとふざけているのか? それでもお前はアルマ様を愛する一人の男なのか?
良く考えろ。あの時とは違う。あれは過去の記憶で、これは今の現実。あの時は明確に干渉できない理由があったが、現実である今にそんな物は存在しない。
肉体の支配権を奪われている? 指一本動かせない? だからどうした。僕には散々磨いてきた魔法の才能と、海よりも深いアルマ様への愛情があるじゃないか。
分体は憑依した肉体の魂が持つ魔法を扱えるというのなら、そこだけは他よりも束縛が緩いのではないか? 僕の自由を奪っているのは憑依魔法。つまりは意志の力。ならばパラスを遥かに上回る意志を持てば、そこだけでも束縛を引き千切る事は可能なのでは?
いいや、違う。かもしれないだの、可能だのではない。絶対に出来る。何故なら僕はアルマ様を愛している。アルマ様のためなら全てを捧げられる。この深き愛情は、狂信者の歪んだ信仰などに決して負けはしない。
そして僕自身、絶望するアルマ様を二度も傍観するだけなど、絶対に許しはしない!
「――むっ!? 何だ、この揺れは!?」
僕の怒りを示すかの如く、周囲の大地が激しく揺れ動く。木々が騒めき地響きが上がり、途方も無い振動がこの場の全員に襲い掛かる。土中に含まれる水分が僕の意志に呼応して揺れ動き、地震を引き起こしているのだ。すでに膝を付いているアルマ様は勿論、パラス達も体勢を崩してその場に倒れ伏す。
いいぞ、もっと動け。間欠泉の如く、地上に噴き出てこい! 僕の意に従え!
アルマ様への愛と、無力な自分に対する怒りで以て意志を編み上げ、束縛を強引に引き千切り魔法を行使する。無から水を生み出す事こそ出来なかったが、土中の水分を引きずり出す事は何とか成功した。大地を引き裂き間欠泉の如く水が噴き出し、周囲一帯に降り注ぐ。
「なっ!? これは、水魔法だと!? 私、何をしている!?」
「違う、私ではない! コイツが私の支配下にありながら魔法を行使しているんだ!」
僕の身体を乗っ取っているパラスの分体が、僕の水魔法を行使して干渉してくる。加えて支配権を強引に突破している弊害か、全身に引き千切れそうなほどの激痛を感じる。先程腕を切り落とされた痛みなど比較にならないほどだ。まるで魂そのものが負荷に耐えかね悲鳴を上げているかのよう。
だがそれがどうした。この程度の痛み、あの時アルマ様をお助けできなかった心の痛みに比べれば屁でも無い! どのみち僕はここで終わりだ! だったら全てをこの瞬間に賭ける! 魂を燃やして、一世一代の魔法を行使してやる!
「――きゃっ!?」
渦巻く水によってパラス達を牽制しながら、もう半分をアルマ様に向かわせる。その小柄な体を水の中に余すところ無く飲み込み、猫耳から尻尾の先まで全身を覆う。きっと驚いただろうし苦しいだろうが、ほんの少しだけ我慢して欲しい。
さあ、今こそアルマ様への愛を証明しろ。薄汚い寄生虫共が触れられないように全身を護る、何よりも固い意志で出来た鎧を創り上げろ。僕が死んでも残り続ける、愛の証を形にしろ! 僕は――
「――えっ……これって……?」
次の瞬間、水球に囚われていたアルマ様が地上に降り立った。
目を丸くしているのは、その身を透き通った透明な輝きが包み込んでいるから。全身を覆うのは僕の愛で練り上げて生み出した氷。さながら金剛石の鎧を纏っているかのように美しい姿であり、日の光を浴びて一点の曇りも無い煌めきを放っていた。
これこそが僕の一世一代の魔法。アルマ様への愛を形にした氷の全身鎧を創り出す、最大最高の魔法だ。素材こそ氷だが、僕の愛で編まれたその強度はダイヤモンドを遥かに凌ぐ。アルマ様の身をあらゆる脅威から守りつつ、その氷が放つ強烈な冷気で以て周囲を凍結させ、害する者を決して寄せ付けない。アルマ様本人も少し肌寒いかもしれないが、それくらいは我慢してもらうしかないだろう。
「あったかい……まるで、私への愛が形になったみたい……」
いや、存外気になっていないようだ。むしろうっとりとした面持ちで胸に手を当てている。
ああ、受け入れてくれて良かった。これで――満足して逝ける。
「おのれ! 肉体を奪われようとまだ足掻くか、ネロ・アグノ――ぐぶっ!?」
最後に残ったなけなしの意志力を振り絞り、自分の心臓に身体中の水分を集めてそれを一気に炸裂させた。心臓が弾ける激痛と共に、僕の口と胸から大量の鮮血が迸る。
本当はパラス本体を仕留める事も考えたが、奴の周囲には何らかの魔法が行使できるであろう分体が二人も存在する。今の状態では攻撃を仕掛けても間違いなく防がれてしまう。だからこそ僕は
「コイツ、自ら命を絶って人質としての価値を!?」
「私の憑依魔法の支配下にありながら、魔法を行使し自決するとは……!」
力を失い倒れていく僕の身体。しかし同時に全ての感覚が戻ってくる。恐らく即死に近い負傷を負ったため、身体に巣食っていたパラスの分体は先に逝ったのだろう。
「あっ……」
アルマ様は地面に崩れ落ちる僕を、何が起こったのか分からないとでも言うような感情の抜け落ちた顔で見ていた。
しかしその表情は次第に悲しみと絶望に歪み、ポロポロと涙が零れ始める。
「あ……あぁっ! やだ……やだっ! 死なないで、ネロ!」
そして泣き叫びながら、僕の元へと駆け寄ってきた。すぐ傍に膝を付き、縋るように抱きしめてくる。けれど最早、その温もりも良く分からない。尤も氷の鎧のせいで温もりも何もあったものではないが。
「ハ、ハ……やっと、名前で……呼んで……くれ、ましたね……」
急速に生命力が失われていく身体でそう絞り出し、強張って行く顔で微笑みを向ける。
アルマ様に名を呼ばれたのは、これが初めての事だった。出会ってから今の今まで、一度も呼ばれた事が無かったのだ。恐らくそれは全幅の信頼を得られていなかったからなのだろう。愛に殉じる最期の姿で、ようやく僕はアルマ様の特別になれたらしい。別れは辛いが、その事実が何よりも嬉しかった。
「呼ぶから! 何度だって名前呼んであげるから! お願いっ! 死なないで、ネロぉ!」
薄れていく視界に映るのは、顔を涙でぐしゃぐしゃにしたアルマ様の姿。段々と遠くなっていく聴覚に届くのは、悲哀のこもった呼びかけ。
死別どころか恋愛の成就すらしない、紛う事無きバッドエンド。恋愛小説のプロローグにすら書かれないレベルの過去話。どうやらそれが僕の人生の結末らしい。
けれどこれで良い。僕が人質となっているせいでアルマ様が危機的状況に陥っているのなら、死んだ方がマシだ。これで足を引っ張る邪魔な人質はいなくなるのだから。
あらん限りの意志力を込めた
「さよう、なら……アルマ、様……」
最後の力を振り絞り、別れを告げて瞼を下ろす。
悔いが無いと言えば嘘になる。アルマ様とイチャイチャラブラブ出来なかったのが最大の心残りだ。それに僕の行いのせいで、酷く悲しませてしまった。きっとこれも深い心の傷になる事だろう。慰めてあげられないのが、何よりも辛い。
ああ、僕はなんて酷い男なのか。幸せにしてあげると誓ったのに、ずっと傍にいると約束したというのに、結局はまた孤独にしてしまう。
けれど、アルマ様はとても魅力的な女性だ。きっといつか、僕以外にもアルマ様を愛し慈しんでくれる男が現れる事だろう。僕の役目はアルマ様を物語のヒロインに押し上げる事で終わり。アルマ様を慰めるのも、アルマ様に愛されるのも、いずれ現れるであろう真の主人公に譲ろう。できればそいつが、誠実で思いやりに満ちた清廉潔白な人間でありますように。
「……死なせない。絶対に、死なせないっ!」
全ての感覚が遠退いていく中、決意に満ちたアルマ様の声がぼんやりと耳に届く。
もう手遅れだが、僕を助けたいと思ってくれているのがとても嬉しい。そこまで大切に想われていた事があまりにも幸福で、穴が開き止まった心臓が弾みそうなくらいだ。おかげで僕は幸せな気持ちのまま逝ける。
「――
さようなら、アルマ様。どうかお幸せに。こんな弟子がいた事を、たまにで良いので、思い出してください――
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