第4章

第1話:危機

 アルマ様の記憶を垣間見て、愛情が更に深まってから七日が経過した。

 やはりお互いの距離ははっきりと縮まったようで、これまで僕の私生活に興味の無かったアルマ様が事あるごとに絡んでくるようになった。生まれたてのひよこみたいに僕の後を付いてくる事が増えたし、毎晩恒例となったトランプ勝負でも、僕が負けたら子供の頃の事を何か一つ話すという罰ゲームを要求してきた。

 僕と一緒に過ごしたいのか、あるいは僕という人間に興味が出て来たのか、いずれにせよアルマ様と過ごせる日々はバラ色の幸せに満ちている。『別に他意はありませんよ?』的な表情で隣にいるアルマ様のいじらしさに、毎日身悶えしてしまうほどだ。

 しかし今日ばかりは隣にアルマ様はいない。何故なら僕は朝から大勢の人間がいる街へと足を運び、目的のブツを手に入れようとしているからだ。


「――手に入れた! ようやく手に入れたぞっ! 待ちに待った最新刊!」


 そう、今日は『氷雨のテンペスター』の発売日。書店が開かれる前から並び、開店すると同時に突撃して念願の最新刊を手に入れたのだ。


「ママー、あの人なーに?」

「喜びのあまりおかしくなっちゃってる人よ。気持ちは分からないでもないけど、街中であの人みたいな真似はしないようにね?」

「うん! 人として恥ずかしいもんね!」


 あまりの喜びに人目もはばからず、路上で最新刊を天に掲げて歓喜の叫びを上げてしまう。

 そのせいで道行く人々が明確に僕から距離を取り、激しく冷ややかな目で見てくる始末。とはいえこれくらいの事を気にしていては魔法使いとしてやっていられない。好きなものは好きだと声高に叫べるくらいの意志力が無ければ、魔法の才能があってもそれを用いる事は不可能だろう。


「果たして僕と同じように悲願が成就するのか、それとも想い破れてしまうのか。バッドエンドだけはやめてくれよ、頼むから……」


 できればすぐにでも読み耽りたいところだが、最優先されるはアルマ様。今日も早く帰ってきて欲しいアピールをしていたので、速攻で帰還して安心させてあげなければ。

 そのため僕は最新刊の内容に期待と不安を抱きつつ、足早に帰路に就いた。


「――すまない、そこの君。少し良いかな?」

「うん?」


 しかしその途中、背後から声をかけられて振り向く。

 そこに立っていたのは一般人と思しき女性だった。恐らくはこの街の人間なのだろう。地味な服装と目立たぬ容姿がそれを証明している。尤もアルマ様に比べれば何もかもが地味で目立たないが。


「はい、何でしょう? 僕に何かご用ですか?」


 僕はその女性ににこやかに応えた。努めて丁寧に、かつ優しく。

 アルマ様は少々人とのコミュニケーションに難があるので、その辺りは僕が頑張って支えてあげなければいけないのだ。だからこそ弟子である僕の印象を良くすれば、翻ってアルマ様の印象も上がるというわけである。そのためならば誰にでもへりくだった態度を取る所存だ。


「ああ、実は一つ聞きたい事があってね。君はアルマ・コラソンの関係者かい?」

「はい、その通りです。僕はアルマ・コラソン様の弟子となった、ネロ・アグノスと言います。どうぞお見知りおきを」


 ちゃんと『様』を付けろクソ女、と言いたい所だったが、努めてその怒りを笑顔で覆い隠す。僕の発言や態度がアルマ様の評価に影響するのだから、この程度の事で目くじらを立てて怒鳴り散らすなどという事は出来なかった。


「そうか、やはり彼女の弟子か。彼女は大丈夫なのかい? 最近街で姿を見かける事が無いんだが」

「ええ、大丈夫です。お忙しいアルマ様に代わり、僕が買い出しに来ているだけですので」


 どうやらこの女性、アルマ様を街で見かけなくなった事を心配しているらしい。

 考えてみれば僕が弟子で無かった時は、アルマ様は一人だった。当然買い出しも自分でやる他に無く、そうなれば認識阻害の魔法を使い続けるのも無理があるだろう。なので以前までは多少の顔出しがあったのかもしれない。

 女性は僕の言葉に納得したのか、にこりと微笑んだ。


「なるほど、安心したよ。息災のようなら何よりだ。手間を取らせて済まなかったね」

「いえ、お気になさらず。お師匠様の事を気遣ってくださる方がいると知れて、とても喜ばしい気持ちになれましたから」

「彼女はとても重要な人物だからね。その身を気遣うのは当然さ。ではまたね、お弟子さん?」

「はい、さようなら」


 そうして僕は女性と別れ、再び歩き出す。

 ああ、今日は素晴らしい日だ。『氷雨のテンペスター』の最新刊を手に入れたし、アルマ様の事を案じる人間が存在するのを知る事が出来た。早く帰って、是非ともこの喜びをアルマ様と共有しなければ。


「――ねえねえ! おにーちゃん、魔法使いさんなの!?」


 なんて事を考えながらしばらく歩いていると、背後から唐突にそんな声をかけられる。

 振り向いてみれば、そこには七、八歳くらいの小さな女の子が立っていた。一瞬子供にしては妙に立ち居振る舞いが大人びて見えたものの、それよりも子供の表情が少し緊迫している事の方が気にかかった。


「ああ、そうだよ。それも世界で一番凄い魔法使いの弟子なんだ」

「じゃあお願い! ママを助けて! ママ、階段から落ちて動かなくなっちゃったの!」


 しゃがみ込んで目線を合わせながら答えると、子供はそんな事を口走りながら僕に縋りついてきた。

 なるほど、妙に緊迫した顔をしていると思ったらそういう事か。それでどうして良いか分からず、助けを求めて一人で外に繰り出してきたというわけだな。普通はまず父親に頼るべきだと思うが、そこは家庭環境によるか。


「分かった。案内してくれ」


 女の子は魔術師と魔法使いの違いも分かって無さそうだが、幸い僕は高度な光魔術を扱える魔術師でもある。光魔術には他の属性の魔術には無い治癒の魔術があるし、死んでいなければ何とか命を助ける事は出来るはず。一分一秒が惜しいので僕は彼女を抱え上げると、家へと案内して貰いながら走った。


「――ここ! ここだよ! ここが私のお家!」


 しばらく走ると、女の子は腕の中から飛び降りてこじんまりとした家の中に入って行った。僕もその後に続いて中に入ると、廊下の奥にある階段下で倒れている人影と、その人影を揺する女の子の姿が目に入る。


「ママ! ママ! しっかりして!」

「揺らしちゃ駄目だ。離れて。僕が診てみる」


 近付いて子供を制止し、母親と思しき女性の様子を確かめる。

 こちらに背を向ける形で倒れているため、顔は分からない。精々美しい銀髪と褐色の肌をしているという事くらいか。女の子の方は茶髪で白い肌をしている辺りあまり似ていないが、きっと彼女は父親似なのだろう。

 そう考え、僕はひとまず女性の脈を取るために彼女の首筋へ手を伸ばし、指先で触れて――


「――<憑依簒奪>(ボディ・プランダー)」





 

「……ん? あれ? な、何だ?」


 カランカランと鐘の音が響く中、ふと自分が街の中心にある噴水広場に立っている事に気が付く。

 何だかよく分からないが、少し意識が飛んでいたような気がする。ボケるにはまだ早いだろうし、白昼夢でも見ていたのだろうか。直近の記憶が酷く曖昧で、いまいち上手く思い出せない。確か『氷雨のテンペスター』の最新刊を購入して、その帰路で――駄目だ、どうしても思い出せない。

 きっとここ最近の疲れが祟ったのだろう。何だかんだ毎日厳しい修行を自分に課しているし、それに加えて全身全霊で三食食事を作るようになったのだ。それを何年も続けている主婦の方々は正直尊敬するし、未熟な僕では慣れずに体調を崩すのも当然か。


「というか、今鳴ってるのは正午の鐘じゃないか!? 何故こんなに時間が経っているんだ!? クソッ! 早く戻って、アルマ様に愛情たっぷりの料理を作って差し上げなくては!」


 空白の記憶が多少気になるが、最優先されるのはアルマ様。あとで休息を取る事にして、すぐさまアルマ様の下に戻るために走り出した。

 とはいえすでに正午の鐘が鳴っており、ここからアルマ様のお住いまではどう足掻いても二十分以上はかかる。あれだけ僕が作る食事を喜んでくれたアルマ様をそんなに待たせてしまうなんて、きっとひもじい思いをしてぷるぷる震えながら鳴いているに違いない……。

 いや、それは無いか。何故かアルマ様が子猫のイメージで頭に浮かんでしまった。ちょっと不敬だな。


「――マズイ、だいぶ遅くなってしまった。アルマ様、お腹が減って倒れていないと良いが……」


 安全性を多少犠牲にして可能な限り早く山の渓流へと戻ってきた僕は、すぐさまアルマ様のお住いに向けて走った。

 脇目も振らずに山道を走り、藪を抜けて最短ルートで駆ける。木々の枝葉に引っかかり少々擦り傷を作りながらも、気付けばすぐにこじんまりとしたログハウスが見えてきた。


「うっ……」


 だがそれに安堵したのも束の間、何とアルマ様が玄関前で仁王立ちして待っている光景が目に入った。しかも何故か殴るのにちょうど良さそうな身の丈の中ほどもある杖を携え、険しい表情で。これには思わず足を止めてしまう。

 やはり帰りが遅くなったせいだろうか。きっと空腹で怒っているに違いない。下手をするとあの杖でしばかれそうだ。

 とはいえ遅くなってしまったのは事実。罰は甘んじて受けなければならない。故に覚悟を決めた僕は、自首する犯罪者の気分で歩き出した。


「申し訳ありません、お師匠様。少々遅くなってしま――」

「――そこで止まりなさい」

「え? あ、はい」


 しかしその直後、びっくりするほど冷たい声でそう命じられる。疑問に思ったが他ならぬアルマ様の命令なので、考える前に足を止めた。

 お互いの距離は精々表情が分かる程度の距離。走り幅跳びをしたって届かない。くっ、僕の失態で心の距離がこんなに開いてしまったのか!?


「あんた、一体何者?」

「……えっ?」


 絶望しかけていた僕だが、そこに謎過ぎる問いをぶつけられて絶望も吹っ飛ぶ。

 アルマ様は今、何て言った? 一体何者、だって? 何故そんな事を聞くんだ? それもあんな敵意のこもった鋭い目で。


「僕です、お師匠様! ネロ・アグノスです! お師匠様の唯一の弟子にして、愛の奴隷の! まさか僕の事をお忘れになってしまったんですか!?」

「違う、あんたじゃないわ。私が聞いてるのはあんたじゃなくて――あんたの中にいる誰かよ。いるのは分かってるわ。とっとと出てきなさい」

「はい? 僕の中にいる、誰か……?」


 困惑していた僕にかけられた言葉に、ますます困惑に拍車がかかる。

 僕の中に誰かがいるとは、一体どういうことだろうか。まさか僕は実は二重人格で、街に降りた時に新たな人格が生まれたとでも言うのだろうか? 確かに人の精神を見る事が出来るアルマ様なら、多重人格者であろうとそれを見抜く事は出来るに違いないが……。


「お師匠様、一体何を――見抜かれたか。さすがだな?」


 は? 何だ? 今、僕の口が勝手に動いたぞ?

 いや、口だけじゃない。突然身体の自由が無くなった。感覚はあるのに指先一本動かせない。そして僕の表情筋が勝手に動き、ニヤリとした笑みを形作ってるのを感じる。これは一体どういうことだ!?



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 最後の章。そして急展開。ところでハッピーエンドで終わるとは明言してないんですよね……。

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