第4話:新たな朝

「お、おぉっ……!?」


 全身の痛みと空腹を感じて目を覚ました僕は、瞼を開けて飛び込んできた光景に思わず夢か現実かを疑った。

 しかしそれも当然だ。何故なら僕の腕の中には、愛しいアルマ様がすっぽりと収まっていたのだ。加えてあどけない寝顔で無防備に眠っているのだから堪らない。


「すぅ……すぅ……」

「アルマ様があぁ……! あどけない寝顔で眠るアルマ様が、僕の腕の中にぃ……!」


 脳が一気に覚醒したため、昨晩の記憶が稲妻の如く走り抜ける。アルマ様の過去を垣間見たという、その事実を。

 まさかアルマ様にあのような凄惨な過去があったとは思いもしなかった。ある程度は予想していたが、あそこまでの地獄だとは完全に想定外だ。

 あの村が滅ぼされて世界が少し綺麗になったのは喜ばしいが、正直僕の胸の中にはやり場のない怒りが渦巻いている。今度<普通の人々>の奴を見かけたら、殺意に身を任せずにいられる自信が無いな。

 それはともかく、今のこの状況。あの後僕らはお互いに離れるタイミングが分からず、気付けばそのまま眠ってしまったのだ。身体が痛いのはソファーに腰掛けた状態で眠ったからで、空腹なのは……そういえば僕の分の夕食も捧げたから食べていなかったか。まあそれは仕方ない。


「ごくり……」


 空腹なのも相まって、妙に本能的な欲求が刺激され思わず唾を飲む。

 愛する人が膝の上にいて、無防備な姿を晒しているのだ。まともな男なら何も感じずにいられるはずがない。そしてアルマ様は猫獣人。そのため僕のすぐ目の前に、柔らかそうな猫耳が鎮座している。故に僕はそっと愛らしい猫耳に手を伸ばし――


「――はっ!? お、落ち着け、僕! アルマ様が嫌がるような事はしないと誓っただろう! この痴れ者め! 恥知らず!」


 直前で何とか思いとどまり、手を引っ込める。

 危ない所だった。猫耳の魔性の魅力に抗えず、欲望のままにモフってしまう所だった。せっかく膝の上で眠ってしまうほどに信頼されているのだから、それを無碍にするなどありえない。


「……でも、頭を撫でるくらいは許して貰えるだろうか?」


 とはいえ膝に乗せたり抱きしめる事に比べれば、頭を撫でるくらいは何ともないのではないか? それくらいはむしろスキンシップの類と言えるし、問題は無さそうな気もする。そうだ、そうに違いない。頭を撫でている時に猫耳に触ってしまうのもまた不可抗力だろう。

 というわけで、静かにアルマ様の頭へ手を伸ばし――


「……あっ」


 触れる前にアルマ様の目蓋が開き、その澄んだ青緑色の瞳が僕の手に向いたのを目の当たりにして凍り付いた。

 マジか。そこで目が覚めてしまうのか。いや、恐らくは僕の不純な気持ちを感じ取って目を覚ましてしまったのだろう。どうせやるなら無心で撫でるべきだったか。しかしこんな可愛らしい生き物を前に無心でいる事など出来ようはずも無い。


「……その手は、何よ?」

「すみません。頭を撫でるくらいなら良いかな、と思ってしまいまして……」

「そう、命拾いしたわね。やってたら噛み千切ってる所だったわ」


 やはり頭を撫でるのは駄目だったらしい。アルマ様は半目でべしっと僕の手を払い除けると、素早く僕の腕から逃れて床に降り立った。

 ああ、膝の上に感じていた僅かな重みと柔らかさが離れてしまった。身体中が強張っていてかなり痛いが、むしろ天国のような心地だったというのに……。


「んにゃあぁぁっ……! 妙に長く寝たせいか、今日は朝から頭がスッキリしてるわぁ……!」


 そうして凝り固まった身体を解す様に伸びをするアルマ様。身体に釣られて尻尾も猫耳もピンと立っているのがまた可愛らしい。

 僕もだいぶ身体が強張っているので同様に立ち上がり伸びをすると、見事に身体の節々がパキパキと音を立てた。やはり座って寝るのはあまりよろしくないな。


「おはようございます、お師匠様。ご気分はいかかがですか?」

「ん、悪くは無いわ。そういうあんたの方こそ、気分はどう?」

「問題ありません。少し<普通の人々>の奴らを皆殺しにしたい気分ですが、概ね健康です」

「それ健康って言って良いのかしらね……?」


 アルマ様は僕の答えにジトっとした疑いの目を向けてくる。

 しかしあんな過去を垣間見れば、<普通の人々>エクソル・キズモスなどという野盗にも劣る畜生共を殲滅したいと考えるのは当然では? たとえ許されなくとも八つ裂きにして豚の餌にしてやりたいくらいだ。


「まあ、私への気持ちとかは何も変わって無いみたいだし、大丈夫そうね。むしろ昨日よりも青色が深くなってるのは気になるけど」

「愛が深まりましたからね。当然です」


 恐らく『色』というのは、アルマ様が見ている僕の精神の事だろう。アルマ様には自身に対して害意を持っている者の色ほど赤く見えるらしいので、僕の精神は最早黒に近いほど深い青色に見えているに違いない。

 そしてこれで合点が行った。弟子入り面接の時、アルマ様が僕の事を一目見て驚いていた理由。あれは僕の精神の放つ色が、見た事が無いほど濃い青色だったからなのだろう。もしかするとそのおかげで弟子入りが叶った節もあるかもしれないな?


「い、言っておくけど! 少し信頼されたからって調子乗るんじゃないわよ!? 私は恋人とかそういうのは絶対ならないし、そこまで信頼する事は絶対ありえないんだから!」


 愛が深まったと胸を張って断言したものの、何故かアルマ様はおもむろに顔を赤くしていく。そして真っ赤な顔で予防線を張るのが実に愛らしく、またどこか物悲しい。あの地獄のような日々で心に刻みつけられた呪いが無ければ、心の底から他者を信じる事ができていたら、あるいは素直に僕の気持ちを受け取ってくれたかもしれないというのに。


「はい、分かっています。絶対にいつかその気持ちを変えさせて見せますよ」

「うー……!」


 とはいえ僕のすべき事は決まっている。一にアルマ様の幸福、二に僕の想いの成就だ。

 なのでアルマ様のお言葉を否定はせず、いつか気持ちを変えてみせると断言した。お気に召さなかったのか威嚇する子猫のような唸り声と視線を向けられたが。


「ではお師匠様、僕はすぐにでも朝食を作ろうと思います。少々多めに作った方がよろしいですか?」

「……うん」


 しかし僕が朝食についての話を切り出すと、途端に威嚇をやめて恥ずかしそうに頷いてくる。

 やはりアルマ様としてはまともに食べられる食事がとても嬉しかったのだろう。朝から大盛りを望む辺り、この調子ならすぐに身体の肉付きも良くなりそうだ。尤もそのためには全身全霊をかけ、雑念が一切入らないように集中して料理を作らねばならない。<普通の人々>への殺意と憤怒も、今だけは忘れよう。全てはアルマ様に食事を楽しんでもらうために。


「分かりました。それでは少々お待ちくださいね」


 なので僕は大人しく食卓に着くアルマ様にそう言い残すと、死地へ挑む兵士のように雑念を全て捨て去りキッチンへと向かった。そう、僕にとってキッチンとは戦場なのだ……!






「それではどうぞ、お召し上がりください」


 食卓に朝食を並べ終えた所で、今にも涎を垂らしそうになっていたアルマ様にそう声をかける。何だか犬に『待て』をしている気分だったな……。


「い、いただきます……!」


 途端にアルマ様は弾かれたように料理に手を伸ばす。

 あまり長い時間待たせる訳にも行かなかったので、今回のメニューはほとんど昨晩と変わらない。それに昨晩のスープがまだ残っていたし、食パンの残りもある。新たにまたハムエッグを作ったくらいで他は温め直したり焼いたりしただけだ。

 しかしもちろん一切手を抜いたりはしていない。ちょっと切るだけ、ちょっと焼くだけでも全身全霊、たっぷりと愛情を込めて行った。


「~~っ!!」

「お気に召していただけたようで何よりです」


 そのおかげでアルマ様は一口パンを齧るなり、じわりと涙を零しながら喜びに頬を緩める。昨晩ほどの激烈な反応ではないのは僕の愛が足らなかったのではなく、純粋に二度目という事で若干の慣れが出てきているのだろう。

 喜びの涙とはいえ食事の度に泣かれてしまうのは僕も少し困るので、出来れば泣かずに食べられるくらいには慣れて貰いたい所だ。


「しばらくは食事の度に涙が止まらなさそうね……」


 などと呟き、最早涙を拭う事はせず夢中で食べ続けるアルマ様。

 その姿に微笑ましさと愛しさ、そして微かな悲しさを覚えつつ、僕も朝食を食べ始める。僕にとっては普通という感想しか無い料理の数々だが、アルマ様を想って作ったが故に当人にとっては正にご馳走なのだろう。むしろ僕にとっては少し味気ないが、もの凄い勢いで嬉しそうに食べるアルマ様のお姿で食が進むというものである。


「――んぐっ!?」


 もりもりと食事を進めるアルマ様だったが、不意にコップの水を呷った瞬間目の色を変えた。そしてそのまま一気にグイっと飲み干し、少々お行儀悪くもテーブルにダンッとコップを置く。


「ちょっ、何なのこの水!? この水が一番美味しいまであるわよ!?」

「ああ、それは僕が魔法で生み出した水です。恐らく一番純粋に愛情がたっぷりこもってますので、一番美味しく感じるのかと」


 そう答えつつ、空になったアルマ様のコップに水を生み出しおかわりを注ぐ。もちろんアルマ様への気持ちを念入りに込めながら。

 実験的にやってみたのだがかなり好評のようなので、次から料理で水を必要とする時はこの愛の水を使うのが良さそうだ。


「はー……道理で馬鹿みたいに重いのね、この水」

「いえ、重量は普通の水と変わらないはずですが?」

「こもった気持ちの事言ってんのよ。普通の人にとっては油まみれの肉の塊にバターを乗せたくらい重いんじゃない?」

「なるほど、やはり愛情は最高のスパイスですね」

「あんたの場合、料理の方がスパイスと化してるレベルだけどね……」


 などと呆れ顔で言いつつも、グビッと一口呷った途端に頬を緩めるアルマ様。

 やはり食とは幸せの形の一つ。それが充実しつつあるからこそ、こんなにも嬉しそうな笑顔を見せてくれるのだろう。やはりアルマ様のために、もっともっと食を豊かにして差し上げなくてはいけないな。


「お師匠様、僕はこの後もう一度街に行ってきます」

「ん? 昨日の今日でまた行くわけ?」

「はい。何だかんだで作るのには失敗してしまいましたし、いつまでも食パンではお師匠様も飽きてしまうでしょう。なのでパン作りの本を始めとした料理の本を買いに行こうかと」


 ある程度なら料理は出来ると思っていたが、所詮は思い上がりだという事を今回は痛感させられた。

 食パン一つ完璧に作れないのだからしっかりと作り方を勉強した方が良いだろうし、それなら他のパンや料理の勉強もするべきだ。今は食パンでも満足しているアルマ様だが、人間その内飽きてしまう。今の内にレパートリーを多く準備しておくのが賢明だろう。


「本当にあんたの行動理念は私が全てよね……」

「当然ですよ。それで、お師匠様はどうしますか?」

「ん……あんたは、私と一緒に行きたいの?」

「はい、是非とも――と言いたいところですが、お師匠様は人の多い所はお辛いでしょうし、ご不快な気分にさせたくはありません。なので今回は一人で行こうかと思います」


 アルマ様と一緒に街を歩くのはデートのようで楽しかったが、精神魔法使いであるアルマ様は周囲の人間の精神を感じ取ってしまう。基本的に薄汚い精神ばかりなのは考えるまでも無いし、そんな状態で一緒に歩いても楽しいのは僕だけだ。アルマ様を不快にしてまで幸せな気分になろうとは思わない。


「そうね。せっかく凄く美味しい物を食べられて幸せなのに、この暖かい気持ちを汚されるのは勘弁だわ。悪いけど、今日は一人で行って来てくれる?」

「分かりました。一緒にお出かけ出来ないのは残念ですが、お師匠様が最優先ですからね」


 残念だが一人で出かける事に決めて、僕は食事を食べ進める。

 二人でお出かけしたい気持ちはあるが、人の多い所を苦手とするアルマ様に無理はさせられない。こうして食卓を共にしているだけでも十分有難いのだから。


「……ねえ」

「はい、何でしょうか?」

「その……なるべく早く、帰って来なさいよ?」


 などと思っていると、アルマ様は頬を染めて恥ずかしそうにぽつりと口にした。そして自分の発言を誤魔化す様に、ガブガブとトーストに齧りつく。

 その様子を見て、アルマ様が何を思って今の発言を口にしたのか、僕にははっきりと理解できた。


「もちろんです。昼食を作るのを忘れはしませんよ。安心してください、お師匠様」


 やっとまともに食べられるようになった食事。味わえるなら少しでも早く味わいたい。だから昼食の時間が遅れるのは嫌だ。つまりはそういう事なのだろう。

 なので僕は安心させるようにニッコリと笑いかけた。


「……ん」


 しかし何故かアルマ様は不機嫌そうな表情になり、僕の分のトーストを一枚奪い取りガジガジと食べ始めてしまう。

 これは返答を間違ってしまったのだろうか。まさか食事どうこうではなく、ただ僕とあまり離れていたくないだけか? いや、さすがにそれは虫が良すぎるし自意識過剰か。やはり乙女心というものは恋愛小説を読み込んでも分からないな?



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 あんな過去の持ち主に唯一信頼できる人が出来たら依存するのも当然だよなぁ?

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