第3話:貴女の幸せ
「――はっ!?」
不意に、僕の精神は肉体へと戻った。
胸糞悪い記憶の世界は、幼いアルマ様の反逆と暴虐によって幕を閉じた。殺すつもりにさえなれば、後は赤子の手を捻るよりも容易に全てが終わっていた。
大人たちは精神魔法によって意識を残したまま身体を操られ、自分の家に火を付けて自らそこで焼身自殺を強いられる。子供たちは石を手にさせられ、死ぬまで自分たちで殴り合う事を強いられる。
村中が燃え上がる中、大人たちの悲鳴と子供たちの泣きじゃくる声が響き渡る地獄。しかし僕にとっては大いに胸がスカッとする光景だった。例え人でなしと罵られても構わない。あんな醜い怪物どもにはお似合いの末路だ。むしろアレでもまだ足りないとさえ思う。
ただ一つ気になるのはアルマ様のクソ両親。ボロボロの身体になっていた幼いアルマ様の世話や治療が必要だったためか、終わり際の記憶の世界では両親はアルマ様に操られ奴隷のように扱われていた。その後どうなったかは定かでは無いが、万が一生きているのなら絶対に僕が殺しに行く。どこに逃げようと絶対に追い詰めて確実に息の根を止める。
そんな風に決意を固める僕だが、今はそれよりも重要な事が腕の中にあるのを思い出した。
「お師匠様……」
腕の中には、小さく縮こまったアルマ様のお姿。悍ましい過去に怯え震えながら、温もりを求めるように抱き着いてきている。
逆に傷つけてしまわないかと少し躊躇ったが、それでも僕は静かに優しく抱き返した。一瞬腕の中でびくりとお身体が震えるも、決して離すなと言いたげにしがみつく腕の力が強まる。
「……それが、あんたが知りたかった、私の過去よ。思い出したくも無い、何度記憶から消そうか考えたか分からない、唾棄すべき思い出」
震えた声で紡がれる言葉が、何とも痛々しい。人格や他の記憶に影響が出るかもしれないというのに、それでも消すかどうかを考えてしまうほどの辛い記憶。しかし実際にそれを見せられれば、迷ってしまうのも納得であった。
「……ご両親は、その後どうなさったのですか?」
「色々と、実験台になってもらったわ。自分の魔法で他に何ができるかを把握するために、ね」
普通に考えればとても恐ろしい答えが返ってくるものの、僕は少しも恐怖を感じなかった。むしろ喜びさえ覚えたほどだ。あんなクズの極みのような奴らにはお似合いの末路である。例え生きていたとしても、精神の方は完全に壊れているに違いない。ざまあみろ。
「こんな過去を知っても、あんたはまだ私の事が好き? 実の両親にさえ裏切られた、生まれて来た事が間違いの、出来損ないの呪い子の事が。村の全員を操って殺した、血も涙も無い悪魔の事が」
腕の中で顔を上げたアルマ様が、今にも泣き出しそうな痛々しい微笑みで以て尋ねてくる。
アルマ様自身は人の温もりを求めているにも関わらず、刻み付けられた呪いがそれを得る事は出来ないと思わせているのだろう。あの地獄を生き延びはしたものの、アルマ様が心に負った傷痕はどこまでも深い。
しかし当然、僕の返す言葉は決まっている。
「はい、もちろんです。いえ、むしろ今までよりも更に愛が深まりました」
「……嘘」
「嘘でない事は、お師匠様なら誰よりも良く分かるはずです」
「………………」
アルマ様は僕の言葉を否定しない。嘘など無い事は、人の精神が見えるアルマ様には一目瞭然のはずだ。僕の身体から放たれる精神の光は、きっと百の言葉よりも雄弁に僕の気持ちを語っている事だろう。
「お師匠様。僕は、あなたを支え慰める事が出来る存在になりたい。辛い過去を過ごしたあなたを、優しく包んで守る……そんな存在になりたい。そしてあなたがもう一度他人を信じられるよう、その一歩を踏み出せる力になりたい。それが僕が胸に抱える、あなたへの愛です」
あんな過去を見せられて、何故裏切る事ができようか。
むしろ僕の中で覚悟と愛が更に深まった。絶対に何があろうと、僕はアルマ様の味方であり続ける。アルマ様を幸せにするためならば、どんな非道な事もしよう、どんな犠牲も払おう。この人は幸せになるべき人なのだから。
「……無理ね、そんな事。私はもう、誰も信じない。誰かと触れ合いたいとも思わないわ。だって、裏切られるだけだもの」
「では、どうして僕を弟子に取ったのですか? 何故今こうして、僕に抱かれたままなのですか?」
「それ、は……」
痛い所を突かれたとでも言うように、表情を歪めて言い淀むアルマ様。
呪いのように染み付いた人間不信は、簡単に治る物ではない。しかしアルマ様は僕を弟子に取ってくれた。記憶の世界から戻ってきた今も、腕の中から逃れようとする気配も無い。
「お師匠様。あなたも本当は誰かと触れ合いたいのです。愛を失ったからこそ、愛に飢えているのです。ただ裏切られるのが怖いから踏み出せず、信頼できず、怯えているだけなのです。本当に愛も温もりもいらないというのなら、僕を弟子に取る事も無く、僕の作った料理を食べて涙を零す事などなかったのではありませんか?」
「そんな、わけ……!」
必死に否定してくるものの、やはり腕の中から逃れようとはしない。
元来のアルマ様は甘えたがりの小さな女の子。触れ合いたいが近寄りたくない、信じたいが信じられない。そういった矛盾を抱え苦悩しながら生きてきたのだろう。
「違うというのなら、それでも構いません。僕の愛は変わりませんから。あなたが他者との触れ合いを望まないというのなら、僕は閉じた世界で決してあなたを裏切らず、ただあなたを愛し、慈しみ、支える存在になりましょう」
例え真実がどうであれ、僕のすべき事は変わらない。あまりにも可哀そうなこの小さな女の子を、出来る限り幸せにしてあげたい。
愛を越えた使命感のようなものを覚え、僕はアルマ様を強く抱きしめた。怯えによる震えが一瞬伝わって来るものの、僕を見上げるアルマ様の面差しには戸惑いの方が色濃く出ていた。
「……何で? 何でそこまでしてくれるの? 私は生まれてきたのが間違いの呪い子なのよ? 何の価値も存在しない、ゴミ屑の私なんかに、どうして……?」
紡がれるのは破壊された自己肯定感による歪んだ自己評価。あの地獄のような村での日々で浴びせられた罵声の数々が、今もアルマ様の心に刻みつけられている。
否定してあげたいところだが、これはもう一朝一夕でどうにかなる事ではない。だからこそ僕は、ただ素直に全ての行動の理由を語った。
「惚れた弱み、というやつです。好きな子のためなら、男はどんな事でもしてしまう馬鹿な生き物なんですよ。だから僕も、あなたのためなら何でもします」
そう、結局はそこに集約される。アルマ様を愛しているからこそ、幸せにしてあげたい。色々と凄惨な過去を垣間見たためにしてあげたい事は増えたが、最終的にはそこに帰結する。
そもそも僕だって善人ではないのだ。相手が愛するアルマ様だからこそ過去に憤り愛情を深めているだけで、あれが全く関係の無い女の子の過去だったなら、酷いと思いこそすれ自分が幸せにしてあげようとは思わない。だからこその惚れた弱み、というわけである。
「そう……あんた、本当に馬鹿なのね……」
そこまで見抜いたかどうかはともかく、アルマ様はどこか安心したような微笑を浮かべる。口調自体は呆れた感じのそれだったが、その小柄な身体の震えが収まって行くのをはっきりと感じた。
「……だったら絶対、私を裏切るんじゃないわよ」
「はい。僕の命に賭けて」
「裏切ったら、私の両親みたいに廃人にした上で魔物の餌にしてやるから」
「構いません。それとアイツらちゃんと死んでいて安心しました」
「……あと、これから毎日料理を作って」
「はい、全身全霊を込めて」
「でも恋人とかは絶対ならないし、そういう事もしないから」
「はい。今はそれで構いません。いつかお師匠様の気が変わるその時までは」
「無いし。気が変わるとか、絶対あり得ないし……」
僅かに頬を染め、ふいっと視線を逸らし否定するアルマ様。
けれど僕らの仲は確かに深まった。僕は凄惨な過去を知った事で、アルマ様はそれを自分ごと受け入れて貰えた事で、今までの何倍も心の距離が縮まった。ご本人は否定しているが、もしかしたらこのまま更に深い関係になる事も不可能ではないかもしれないと思えるほどに。
例え恋人になれずとも、もうそれで構わなかった。アルマ様さえ幸せならば、他の一切は些末な事。何より今でもこういった可愛らしい反応が見れるのだから、僕はもうそれだけで満足だった。
そして僕らは結局どのタイミングで離れれば良いか分からず、いつまでもお互いに抱き合ったまま夜は更けていった――
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